残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

最近わたしの音の暮らしはこう 2024年春 坂本慎太郎ソロとゆらゆら帝国と亀川千代

坂本慎太郎氏の音楽

坂本ソロ4thアルバム「物語のように」インスト版付きの初回盤CD

この半月ばかり、ずっと坂本慎太郎氏の音楽(坂本ソロ、ゆらゆら帝国)を聞いています。ようやく、坂本氏の音の世界にハマりました。


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さて、ゆらゆら帝国のベーシスト・亀川千代氏が先日逝去されました。

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その追悼の意味でゆらゆら帝国・坂本ソロ作の音楽を聞き直してハマった…というわけでは実はないのです。以下、きちんとお話します。

私は以前から中期以降のゆらゆら帝国のCDを買ったり、近年の坂本氏の音楽をチェックしていましたが、正直完全にハマりきることは出来ていなかったのです。音楽作品の深さやバンドの存在感に尊敬はしていたけど、まだ坂本慎太郎世界にはハマれなかった。

しかし今年の3月末から4月頭に、私はリアル仕事で重要度の高いイベントを控えていて準備に結構忙しく、疲れていました。そんな仕事を終えた夜中、なんとなく近年の坂本氏のソロ作をyoutubeで聞いていたら、すごく心にスッと入ってきたのです。坂本氏の声…歌い方が、メロディが、奇妙な世界にいざなう歌詞とサウンドが、スッと入ってきた。それは、単純な表現で申し訳ないですが…とても良かった。このブログで何度も書いているLo-Fiフィルター以降の耳になっていたから坂本氏のサウンド世界がわかるようになったのでしょうし、今の私の心情が坂本氏の奇妙な世界観を心の底というか根の方から欲していたのでしょう。

↓(Lo-fiフィルターについて)

中年音楽マニアとLo-Fi HipHop - 残響の足りない部屋

 

もっとこの坂本慎太郎氏という音楽家の作品世界を知りたい。そうして私はハマりました。ようやくハマりました。そして当然のことながらゆらゆら帝国の作品&ライヴ音源を聞き返すことになるのです。

 

なので私の坂本慎太郎体験(ハマった順番)は、ソロ→ゆらゆら帝国、という遡り方です。今までレコード屋ゆらゆら帝国のCDをリアルタイムで見かけてはいたのですが、その時は「良さそうな感じだけど、まぁ今はいいかな」という具合でした。でもその当時買っても、多分理解出来なかった(ハマれなかった)と思うのです。そして、もしその当時サブカル趣味的に半端に理解してドヤ顔しているくらいなら、今こうしてしみじみ「坂本氏の世界は本当に良い…」と思えている方がずっと良いと思う。


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今、歌詞カードやアートワーク(これらのデザインも坂本氏によって手掛けられています)を見ながら、あるいはYoutubeの動画作品を見ながら(この動画にもかなり坂本氏は関与していますし、「ある日(One Day)」は坂本氏による全編手書き&自身編集のアニメで最高)、坂本氏の音楽を聞く。独りで。それはとてもすばらしい豊かな音楽体験時間です。良い感じで私は音楽と向き合えている。正座してにらめっこしてシリアスに聞くのではなく、ちょっとリラックスして聞く。

だんだん自室の空間が奇妙になっていく。あの歌詞の独特のズレが、鋭利に刺しこんでくる。奇妙なサウンドが、別世界にいざなってくれる。それは自室に居て異国情緒を感じているのに近い。そして、坂本氏のスタンスというか…どこかとぼけているユーモアと、醒めた認識と、世界に対する居心地の悪い心情と、面白いおもちゃみたいな物が、走馬灯のように夢見心地で展開されるあの坂本世界観…そうしていつの間にか部屋の空間は坂本氏の世界になっちゃっているのでした。

 


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そんなわけでソロ作から中期以降のゆらゆら帝国のCDを遡って聞き返しているわけですから、実はまだサイケでビート感ある初期のゆらゆら帝国にまで聴き込めていません。でもタイプの違う最高がすでにある、っていう状況って音楽好きとして最高じゃないですか? まぁそれはさておき、そんな風に遡って聞いてるわけなので、ビート感ある激しいロック云々よりも、坂本氏のいろんな変な世界を探訪する、というスタンスで私は坂本氏の音楽を聞き、愛好しています。

 

ゆらゆら帝国ベース・亀川千代

そんな中、亀川氏の訃報を聞きました。「えっ」と思いました。もちろん、早すぎます。しかし私は…こういう表現をあえて使いますが、ゆらゆら帝国については「にわかファン」です。さぁてこれからゆらゆら帝国のアンサンブルをライヴ音源も含めて聴き込んでいくぞ、と音楽体験の準備を整えている矢先の事でした。なので、「えっ」という当惑。そしてその当惑は今も続いています。

だってゆらゆら帝国のベース凄いんだもの。例えばゴリッゴリに歪んだリフをぶつけてくる時でも、そのぶつけ方そのものが楽曲の世界観・空気感を表していたり。ギターと完全にユニゾンして長いフレーズを奏でる演奏があり、しかし時にギターのフレーズを裏切るように独自の音をサッと入れてきた時の快感たるや。ライヴ音源のグルーヴというかベースラインのうねりっぷりの心地よさ、限界のなさ。


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ベースラインの限界のなさ…それは初期のロックンロール的曲調でももちろんそうなんですが、中期〜後期の、いろんな不思議な世界の表現でも表れています。その亀川氏のベースそのものが、各「世界」の大事な要素なんだと。亀川氏の自由なベースがそこにあることが、ゆらゆら帝国が描く様々な世界(ほんと「世界」のバリエーションが多い)に欠くべからざる存在。

その事に気づいた時、ゆらゆら帝国のあの有名な解散宣言「バンドが出来上がってしまった。これ以上のものは出来ない。あとはルーチンワークになるだけだ」というのが、別の角度からちょこっと理解出来てしまったような気がしたのです。そういう個性的な存在がそこにしっかりと居る、という幸福な不幸、というか。これだけの存在が横にこうして居て、しかも長いバンド生活でいろいろなことを実験し、いろんな「世界」を表現しまくった。そしてあのアルバム「空洞です」…。いろんな世界を表現し続けて、最後に辿り着いてしまった。そんなゆらゆら帝国の三人の「やりきった」という感覚…それは創作者としては恐ろしい境地なんですが…。


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話をもとに戻しますが、そんな風に私はゆらゆら帝国のニワカファンなので、私なんぞが亀川氏の訃報にショックを表明していては、長年のゆらゆら帝国ファン、亀川氏のファンの方々に対してあまりよろしくないのでは?と思いました。申し訳ないというか。だから語れもせず。

それでも日々は続き、私はゆらゆら帝国を聞いていくわけです。そうするごとに、バンドの楽曲が描くいろんな「世界」を見ていくわけです。そうする度に「凄いベースだ」という認識と「そのベーシストはもうこの世に居ないんだ」という感慨を同時に抱きます。そういうちょっとした思いは、やはり浮かびます。

そこで、だから、ゆらゆら帝国を持ち上げて過度にレジェンド化して聞こう&語ろう、っていうつもりもないです。私はやはり、坂本氏&ゆらゆら帝国の描くいろんな「世界」に用があります。追悼でもなく、レジェンド扱いや歴史的リファレンスで聞くのでもなく、懐メロで聞くのでもなく、「今の私に必要な音楽」として、用があるのです。上で書いたように、それは今の私にとってとても大事なものですから。

その上で。逝去された亀川氏のことを思うに…私は亀川氏に「感謝」することしか出来ません。もうその感謝はこの世では届きません。それでも私は亀川氏のベースに、ライヴでのベースプレイに、彼が作った世界に、感謝をしたい。亀川氏がベースを弾いたから、ゆらゆら帝国は在った。そうしてゆらゆら帝国はいろんな曲、アルバムで、いろんな世界を作り出した。その世界が、今の私をゆらゆらと「良い気分」にさせてくれているのだから。

そんなわけで。
これからも、もっとゆらゆら帝国の音楽を聞きます。少なくともまだ初期の音源で聞いていないの結構あるし、ライヴ盤もだし。それからベースを弾いていた不失者(灰野敬二のバンド)もいつか聞くことになるので楽しみにしています。そしたらまた亀川氏の逝去・不在を思ったりするようになるんだろうなぁ。

亀川千代氏、安らかにお眠りください。

 

 

お気に入り音源シリーズ「最近わたしの音の暮らしはこう」

最近わたしの音の暮らしはこう 2023年冬 - 残響の足りない部屋

最近わたしの音の暮らしはこう 〜2023秋に向けて〜 - 残響の足りない部屋

2023年お気に入りベスト

2023年に良く聞いていた音楽(1) - 残響の足りない部屋

ダイエット日記0320 手持ちの確認、料理、仕事、散歩

前回

ダイエット日記 2024年0313 - 残響の足りない部屋

 

自分の手持ちの確認

さて上記前回の日記で、何度も自覚するために、今現在が「肥満のきわみ、底値」と書いてきました。しかし、自分の現状を冷静に把握するのは必要な事でも、みずからをいぢめ抜くというのはセルフネグレクトであり、あまり頭を使って考えているとはいえないことです。

ゴブリンスレイヤーさんの「先生」(樽に乗る者、圃人の”忍び”)の教えを思い出しましょう。

「お前のポケットの中には何がある!?」 

ーーつまり、今現在、デブの残響さんの「手持ち」は何か、という話です。アドアドヴァンテージ)と呼ぶには頼りないけれども、ポケットの中身を何も考えずに「無」と断じては、ゴブリン並のおつむと先生に殴られることでしょう。

 

料理スキルがあるのは、良いことですね。私の家業は食材や料理と深い関係があるだけに、自炊するのは普通の事でした。調理器具も調味料も、大きめの冷蔵庫も、安価に新鮮な食材を調達するツテもあります。

残響さんクッキング - 残響の足りない部屋

 

だから暴食して良いって話ではありませんよw むしろこのスキルを使って、ダイエット食ーー食べるにおいてストレスを貯めない程度の味のーーを作るのです。日頃食べず、かなりお腹を空かしてからバクバク食べるのは、「相撲取りの食べ方」としてむしろ肥満になってしまう非推奨の食べ方のようです。大事なのは「必要な分を、必要な分だけ食べる」という。お腹を空かし切るのはマズイ。

あと、こう書いておいてなんですが、私は食道楽ではない、というのもアドといえばアドかもです。食べ物を作るのは苦ではないんですが、趣味と言えるほど楽しくもなく。そして、グルメではない。「美味しいもの食べる」趣味、というのは、実は私は持っていなくて。食に対して、「私の嫌いな味でなければ良い」程度のハードルしか持ち合わせておりません。(ただし、嫌いな物はとことん嫌い。体調を崩すレベル)

私がここのところで太ってしまったのは、食道楽ではなく、適当な食べ物を喰らってストレスを解消していたから、っていうのが大きいです。
深夜、ポテチ塩味をポリポリつまんで、喉にコーラでグイっと流し込む。Youtubeの穏やか系BGMのMIXを聞きながら…そんな夜更けを過ごしていました。ストレス解消です。これはあかんわ。食を楽しんではいない。噛んで、飲み込んで、胃を落ち着かせる、ってことでストレスをおさめていました。ひどい…。

まぁでも、「食道楽でない」というのは、良く捉えれば「必要な分だけ食べられれば、それ以上食べなくても良い」ということですから、少しはダイエットに向いているのかもです。

 

私の職場は食品製造業だったり、食品加工だったり、あるいは時折飲食業だったりする職業です。その業務のほとんどは肉体作業です。頻繁に水を使うのであんまり紙にメモとかも取れないくらいの肉体仕事です。ホワイトカラーではありません。

今の仕事の職種のおかげで、私は日々一応は体を動かせている、といえるかもです。なるほど、意外でしたが、これもこれで「手持ち」でした。もし私の仕事がホワイトカラー的な事務仕事・座り&PC仕事が主だと、もっと運動をしていなかったことは容易に想像がつきます。なんということだ、私の体は仕事で作られていたのか…w

 

散歩(ウォーキング)の習慣があった、というのも良かったことです。学生時代、私は近くの史跡公園を延々MDウォークマン東方project(上海アリス幻樂団)の音楽を聞きながら散歩をしていたものでした。当時は、痩せるためとかいうことも考えず、ひたすら考え事というか、いつもやかましい脳内を無にさせるため、というか、そんな感じで何キロもボーっと歩いていました。


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大学院を退学してからもこの散歩習慣は続いています。BGMとしてMP3プレーヤで相変わらず東方の曲を聞きながら散歩です。そこに岸田教団the明星ロケッツやUNISON SQUARE GARDENが入ったり。


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テンポの速いロックやテクノが良い感じです。ジャズは案外合いませんでした。クラシックや民族音楽も…。チップチューンは実に合いました。要するにテンポが軽快で早く、シンプルな構造をした音楽が良いということでした。残念ながらプログレは多分ダメですね。メタルでも、私の好きなポストブラックメタルシューゲイザーブラック)も多分だめでしょう。

おっと散歩BGMに話が逸れた。そんなわけで、大学院を退学してからそろそろ十数年経ちますが、散歩(ウォーキング)の習慣が培われていたのは良かったです。

ただこの数年、確実に前より歩かなくなっています。いろいろ理由をつけています。暑いとか寒いとか、創作が忙しいとか…。

……今考えたらこの挙げた理由、全部理由になっていませんんね。学生時代は暑かろうが寒かろうが、創作を多少遅らせようが歩いていましたし、むしろ創作が詰まっていた状況だからこそ歩いていましたよ。要するに、サボっていただけのことです。これはディスアドです。

 

 

整理しますと、

・自炊スキルがあるから、ダイエット食のためにカスタム出来る

・あんまり食に対する関心もない

・毎日の肉体作業(仕事)

・音楽を加える形で、散歩が好き

これらは私のポケットの中でも「手持ち」のものと言えますね。つまり、自分にとってフィットするダイエット食ならば、それだけの食であっても問題はない。よって、本気で食事改善をするにあたって、仕組みさえ整えれば多分ストレスはそこまでない。

また、散歩が好きなので、身体を動かすこと自体は嫌いではない。人と競争・勝負をすると途端にやる気がなくなりますが、自分ひとりで追求していける何かのスポーツを始めれば、どんどん運動はしていきそう。

というわけで、これからやっていくことは、

 

・手の空いた時や日々の家族の食事拵えの時のついでに、ダイエット食を作っておく

・「自分のためのスポーツ」を探す

この二つを意識して探してみることにします。それが私のまずもってのセルフ・ダイエットプログラムのひとつです。

 

数値2024/03/20、散歩の再開

先日からこのダイエット日記に、暖かいコメントを頂いております。誠に有難うございます。読者さんからの愛を感じます。

毎日、体重と、血圧・脈拍を測定しています。現在は、

・身長:174.5

・体重:100kg(ちょうど)

・血圧:平均150/85(高/低)

・脈拍:平均95

という具合です。今までこういうリアル数値を晒すのが恥ずかしかったのですが、思いきってさらけ出すことにします。この数値(から見えてくる体型)自分の恥ずかしい点です。…が、プロゲーマーのウメハラ氏が「恥ずかしいことと、恥ずべきことは違う」と仰っていました。自分の欠点をさらけ出すことは恥ずかしいけれど、人として間違ったことではない。しかし、人として恥ずべきことを自分でごまかしていると、きっと自分自身への自己嫌悪が止まらなくなる…という話です。


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さてそんなわけで、ちょっとすっきりしましたw あとはダイエットをやっていくだけですね。

最近、長らくサボっていたようやく散歩を再開しました。やっぱりナマっていますね。いつもだったら何の苦労もなく行って帰ってこれたルートが、足首がちょっと疲れるんですよ。おーう。

その先日の散歩のルートで、花が咲いているのをいくつも見かけ、土筆(つくし)が生えているのを見ました。もう春か…。暖かくなってきました。気持ちの良い散歩でした。もう少しこれを継続すれば、大丈夫になっていくでしょう。

でも今日はあられ・雪が降るなどした大荒れの天気でしたがw 流石にそういう日は危険なので外には出ません。気象警報出ていますしリアルに…。

書店・句読点「Only Reading Club(純粋読書会)」に参加、東南アジア諸語の話

私はシマーネ農業王国という地に住んでいます。近隣の大きな町は出雲市なのですが、出雲市駅前の商店街に「句読点」という本屋さんがあります。

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人文系の新刊と古本を扱う、とても雰囲気の良い書店です。私は、句読点がこの商店街に店舗を構えたはじめの頃から通うようになりました。もう数年になりますね。

人文学…つまり文学、歴史、哲学、文化人類学、美術、暮らし、などなど…といった良書を取り扱っています。ちなみに、実は私が描いた漫画同人誌もお店のZINEコーナーに置かせて頂いています。いつも有難うございます。

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句読点は、店長さんと副店長さんの二人で経営されている個人商店(独立系書店)です。お二人は、「生活者」としての視点を常に忘れない読書家です。書店経営だけでなく、お店で積極的に様々なイベントを開催されています。

 

本日3/17(日)、句読点で、「Only Reading Club(純粋読書会)」が開催され、私も参加しました。ORCとは、下記のような内容です。

参加者の皆様は、おのおの本を持ち寄って、黙々と1時間30分読書。終わったら、本・読書生活をテーマにした座談会が開催されます。希望者は、副店長さんが拵える軽食を食べることが出来ます。(句読点は奥のスペースで小さなカフェもやっています)

 

私は本日、趣味である外国語関連の本を持っていきました。フィリピノの教科書、マレーシア語の教科書、インドネシア語の教科書。それから東南アジア九か国の単語帳、そして家族がどっかのスーパーで買ってきたマレーシア産のクッキーの箱です。最後本じゃないやん。否っ、この箱には英語・マレーシア語(アルファベット表記&アラビア文字表記)、フランス語が併記されている、「生きた言葉」そのものです。まぁでもこれはあくまで資料であって、基本はやっぱり本です。

今回私は、ちょっと私的に学習の進みが遅いフィリピノ語をなんとかすべく、近隣・東南アジアの国々の言葉を学んでみよう、という趣旨で、マレーシア語&インドネシア語の教科書を持っていきました。いわば「ことばの東南アジア旅行」をしてみよう、という話です。

 

どうにもフィリピノ語、文法がめっちゃ難しいのですのよね…。語の活用が千変万化って感じ。語尾が変化するだけならまだしも、語頭も変化するし、語の中間部に入り込むっていうのも当たり前のようにあるし。人称も代名詞も、距離感と「私が話題の中のメンバーか否か」によって変わってくるし。語順もVSO(動詞→主語→目的語)という、ヨーロッパ系言語からしたら「What's!?」ってなものですし。このあたり、「やや能格構造に似ている」と表現されているのを読んで「ああなるほどなぁ、上手いこと言う!」と思いましたが、これ「グルジア語とかの、難しいことで知られる言語構造に似ている」って言ってるのとほぼ変わりはありませんからねギャフン。

そんなわけで、どうにも感覚が掴めないフィリピノ語(タガログ語)でして、ヒントを近隣諸国の言葉、マレーシア語やインドネシア語に求めて、本日ORCに臨んだわけです。

 

で、結局ヒントは得られたのか?
ええとまず、マレーシア語とインドネシア語は、かなり近い言葉です。少なくとも私はそのように感じました。語彙はもちろんところどころ異なりますが、語彙や表現で「同じの」を使える所は多い。

今回、どちらかと言うとマレーシア語を中心に勉強したので、そこからインドネシア語を眺めると、単語を重ねたりして表現するところとか、単語の中にいろんな言葉が「混じって」くるところとか、確かに島(地理)がフィリピンに近いだけあって、インドネシア語の方がほんの少し…ほんの少しだけフィリピノ語に参考にできるとこがあるのかなぁ?って思うくらいでした。

でも、文法構造的に言ったら、マレー語(マレーシア語、インドネシア語)とフィリピノ語(タガログ語)は全然違う! それが今回の「ことばの東南アジア旅行」で確実に知れたことです。文法学習においてのヒントはあんまり得られない。今回マレー語に親しむことは出来たのですが、フィリピノ語は依然として難しい。語順構造や、語の活用の仕方が全然違う以上、多少共通している語彙があったとしても、だからといって楽にはならないなぁ、と。

つまりフィリピノ語で私が難しいと感じたのは、日本語でいうところの「てにをは」なんです。語を繋いだり、主語述語を表現&定義したりする、あのおなじみの「てにをは」。マレー語の方にヒントがあるか、という私の目論見はここで外れたわけです。マレー語の方は、フィリピノ語的な千変万化の「てにをは」はない(もちろんマレー語独自の「てにをは」はあるのだ、というのは当然ですが、それでもフィリピノ語的ではない、ということです)。

結局、基本的なフィリピノ語の語彙をまず大量に頭にぶちこんで暗記してから、「てにをは」に挑めってな話ですな〜。これは日本語学習においても全く同じで、海外の日本語学習者に「最初に「てにをは」を学びなさい」って学習法を教えるのがナンセンスなのは誰だってわかるじゃないですか。でも今回、私はその愚をおかしてしまいました。賢しらなショートカットなんてない、って話ですね〜。頑張りましょう。

それより今回よかったのは、マレーシア語、インドネシア語を楽しく学べたことですね。語を後ろから形容していく表現方法のような文法の個性や、音の魅力といったマレー語独自の面白さ。そしてマレーシアやインドネシアにある仏教やイスラームやインドの影響など、混合海洋国家としてのマレーシアやインドネシアを知り、少しは東南アジア諸国についての知識も増えました。よかったですね。

 

 

……っと、ORCの話からだいぶ逸れました。失礼しました。そんな風にORCの1時間30分を、東南アジアのことばの学習で読書をし、終わった後の座談会で皆さんの読書トークに参加させて頂きました。

文化人類学、松村圭一郎、平野啓一郎、森田真生(数学者)、原田マハ、シベリア抑留の体験記、須賀敦子「コルシア書店の仲間たち」……様々に話題が出て、話題が関連しあって。まるで星座を編むような「読書を語る」楽しみを味わうことが出来ました。

また今回参加者の中に、「今まで読書が苦手だったけれど、これからもっと読書をしていきたい」と語る方がいらっしゃいました。
本当になんと素晴らしいことだろう、と私は思いました。その方に対して私は例によって口下手でうまく語れなかったのですが、せめて「これから楽しいことがいっぱいありますよ!」って事はもっと伝えてもよかった…といま反省しています。本の楽しみ方も、本の内容も、著者の人たちも…書物の世界というものは本当に膨大なのですから。自由に楽しんでいってほしい。そう願うばかりですし、そのことをもっと熱く語りたかった。

 

でも、改めて思います。句読点さんはお店を営むことで、こういう「本を読みたい!」という方の熱い思いに応えているわけです。句読点に来て、新しい本を知ることが出来た。だから私達は通うし、書店を信頼する。

句読点のお二人が持つ、書物、そして「知」に対する尊敬と信頼……それを少しでも世界に広げていきたい。押し付けることなく……、という意志を、私は店長さん、副店長さんから感じています。

これからも句読点のお二人には、頑張っていってほしいと思います。本日のORC、店長さん、副店長さん、参加者の皆様、有難うございました。また参加したく思います。よろしくお願いします。

ダイエット日記 2024年0313

過去一番の肥満

先日、家族M氏が私の姿を写した写真を見せてくれました。たまに家族M氏と外出する時、家族M氏は「せっかくだから記念に…」という感じで私の姿の写真をスマートフォンで撮ります。その写真を数年分見せてもらったのですね。

そしたらなんてこったい、私は今が確実に一番太っているのですね。でっぷり。

私の自己認識としては、この数年体重は増えはしないものの、とりたてて減ってもいない……つまり確実に痩せてない、と認識していました。
それでも…徐々に悪化はしているけれど、基本現状維持なのかなぁ…と思っていたのです。

ところが、数年前の写真を見たら、確実に私は今より痩せていました! 数年前も、自己認識は「太っているなぁ、不健康だなぁ」でした。実際そのようにこのブログで日記を書いています。↓

闇の色は脂肪の白さ --仕事に忙殺される日常、スマホ電子書籍依存、生活メンテナンス - 残響の足りない部屋

えーっ、では2024年の現在はこの頃(2020年)より格段に酷く太っている話ではございませんか。2020年の当時でさえ腰痛ピリピリが目立っていました。この4年、私は何も身体が向上・改善されなかったのかい、って話です。そんなあ。

家族はスマホで、約半年ごとの私の姿の写真をサササーッとスライドして見せてくれました。ここで「変化」を見ました。確かに今より痩せている。そして毎年少しずつ太っていってる。そして最後に、一番古い写真と、2024年令和6年辰年3月の今を見比べてみます。

 

わぁ!(すごい驚き) 普通に、肉が蓄積されたな! 中年!

 

未来の苦しさと痛み

よーし、よくわかりました。これはまずい。

自分の姿が太って醜くなった、というのも良くない知らせですが、それ以上に「このままいったら、普通に苦しく&痛くなっていくんだろうな、体…」って思いました。もともと私は神経&精神に持病を抱えています。それの対応も当然しなくてはなりませんが、それと同時に、この不摂生(肥満)状況のままだと、これから生活習慣病を筆頭に、どんどん「苦しい&痛い」状況になります。
具体的には、痛風、腰痛、ぎっくり腰、脳梗塞、尿路結石…山程あるなぁ。というか、今まさに現在、虫歯の治療中ですし…(そこからかよ)

これはまずい。
神経&精神の持病は、なんとか飼いならすというか、お付き合いしていく術を長年かけて身につけてきました。これは、適切な服薬治療を重ねていけば共存は出来ます。

しかし不摂生(肥満)による「苦しみ&痛み」の到来はまずい。どう考えても、絶対に上記のどれかがやってくる。全部やってくるかもしれない。というかやってこない方が不思議であります。それにパッと思いついていないだけで、生活習慣病・肥満由来の病気はまだまだありますぞ。

何度か、この日記で「今が不健康の底値」と書いてきましたが、本当に底値が見えつつある…。少なくとも血圧は主治医氏から「今なら引き返せます」と言われています。ギリギリで血圧の薬は飲んでいません。でもギリギリって状況じゃねぇ。

まずい。本当にまずい。今は歯痛だけで済んでいるのが幸運だと思いましょう。
そんなわけで、このブログではこれまで模型や音楽の話をしてきましたが、これからはダイエットや健康の話題もしていくと思います。使えるものはなんでも使うのだ。2009年からやってきたこのブログですが、こういう路線になっていくとは予想していなかったですね。ていうか私も順調に典型的な中年男性になってきた、って話です。ーーおめでとうございます!人生の新たな展開です!

 

2023年のダイエット日記

日記06/18 多忙感と体力不足 - 残響の足りない部屋

日記0701 ダイエット、血液検査、呼吸がむずかしい - 残響の足りない部屋

 

 

2023年に良く聞いていた音楽(3)

だいぶ間が空いてしまいました。申し訳のないことです。

このブログの筆者が2023年に愛好していた音楽の記事です。今回がそのシリーズ最後の回です。

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modernclothes24music.hatenablog.com

 

選考基準は例年と同じく

発売年度を考慮せず、【自分が去年よく聞いていた】という縛り

ですが、記事に入る前に、ついさっき(2024/03/05)ヨルシカの新曲「晴る」のMVが出まして、これにとても心打たれたので、ちょっとだけ書きます。

 

反戦歌、平和への祈りとしてのヨルシカ「晴る」MVについて


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この曲はアニメ「葬送のフリーレン」第2クールのオープニング曲です。「葬送のフリーレン」はとても静謐で情感のあるファンタジー作品でして、私も原作漫画1巻が出た時から愛読しておりました。ヨルシカがOP曲を書いて、その似つかわしさに良かったと思いました。

そしてこのMVは、アニメとは関係がなく、ヨルシカの「映像作品」としての発表です。ヨルシカはシングルカットされた曲はすべてMVを出していて、いずれも「物凄く」力の入った映像作品です。その意気は確実にn-buna氏の「映像へのこだわり」によります。

cgworld.jp

そして本作「晴る」MV。

そうか、n-buna氏、本曲を「反戦歌」としましたか。

少年、今は亡き父親(「幽霊」と書いただけでもうヨルシカ世界の住人ですね)、軍用機、破壊された思い出の町、汚れた服、手紙と喪失、墓と芽吹き……「嘆き」、そして「壁」……ラストのsuis氏のアカペラ、「遠くまで遠くまで」と壁の上を飛びゆく鳥。

朗らかな曲調で、一個も歌詞では戦争について語っていません。MVも隠喩の数々です。でも今列挙しただけでも、この2024年の戦火に、思い当たるところが多すぎます。

私はこのMVに感化され「うおぉぉおお反戦反戦!」て言うつもりはないです。文字にして改めて思いましたがちょっと馬鹿っぽすぎるじゃないですか…ヨルシカファンを名乗れないぞ。「晴る」は素直に良い歌で、n-buna氏もこの曲に政治性を絡ませまくるのを意図しているわけではないはず。

それでも私はn-buna氏がこの曲に「反戦歌」そして「平和」への意志という側面を持たせたことに、じんと胸打たれるものがあります。

音楽と、社会派・政治性が一緒になってがなりたてる事は、時に意味がありますが、時に正直「勘弁してくれ」と思うこともあります。そのあたり、前にも書きました。「私は」、音楽と政治を結びつけることは基本的に良いことだっ!…ってなかなか思えない人間なのです。(私は、ね。他の人のことは知らないのです。ご自由に)

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それでも私は、今回のn-buna氏が「晴る」MVで提示した「反戦歌」という側面を支持します。

ヨルシカファンとして言えば、n-buna氏という作家は「考えすぎてしまう」男です。芸術至上主義のスタンスをとる氏ですが、自身(ヨルシカ)が「どう見えるか」というのを精密に考えることも出来てしまうクレバーさを持っています。だから、n-buna氏は今回のMVを作る際に相当考えたと思うのです。それも、自己批判的に。

「それでも」と。n-buna氏がいろんな思考や自己批判にぐっと堪え、それでも、とこのコンセプトで世に放ったことを、私は支持したいです。

この現実世界には確かに希望が足りない。でもこうやって意志を形にして作ることも出来る。鳥が飛んでいくように。

反戦歌についてはZAZEN BOYSの項でも書きます。

 

人間椅子「色即是空


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本作、サウンドが実に重い…!どのリフもメロディも、重く、そして切れ味鋭い。歌詞も文学的・哲学的で、人間の生き死にを真っ向から見つめます。

人間椅子の歌詞は、ただ狂気と猟奇でデカダンスの愉悦に浸るだけではなく(それはそれで素晴らしい)、もはや「生きた説法」と言うべき刺さり方をします。「三途の川」の時もそうでしたが、人間の生き死にを見つめ、「それでも!」と強い励ましを与える歌を歌います。それが彼らのハードロック、プログレッシブロックです。

ラストの曲「死出の旅路の物語」が特に好き。勇壮なメロディーとリフ。直線的に疾走していく曲ですが、世界観は新約聖書ヨハネ黙示録を引用しつつの「死」を見据えるものです。そのようにハード極まりないですが、曲としての説得力が凄い。

アメリカ民謡研究会「戻れ戻れもどれもどれも」


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トランシーなシンセサイザーサウンドに乗せて、詩の世界が虚空の天球に響く!

私が去年聞いた曲の中で、ベストです。こういう音の世界にずっと居たい、世界にすうーっと吸い込まれたい。手が届かない、とか、もう戻れない、というように感じさせる切望のエモーショナル。

上海アリス幻樂団 東方獣王園BGM「タイニーシャングリラ」


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東方project新作のBGMです。この二十年来、私は東方=上海アリス幻樂団=ZUN氏が世界一好きな作曲家なので、今作も楽しみにしていました。ゲームをプレイし、音楽を聞かない話がないのです。

一番好きだったのがこの曲。胡弓のシンセ音源をZUN氏が導入し、それが世界観的にすごく良い仕事をしています。この音あっての東洋神仙中華幻想ですよ!疾走感あるトラックに、美しく、悠々とたゆたう胡弓シンセ。やはり良い…。ZUN氏が影響を受けている東儀秀樹、そして東洋ニューエイジ音楽を思い出したりもします。

ZUN氏が同時代を生きる作曲家として今も活動を続けていらっしゃることがどれだけありがたく、嬉しいことか。これからも楽しみにしています。

MONO「FENDER SESSIONS」のライヴ演奏


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昨年の年末に聞きました。このシリアスな音響、ノイズ、世界観、ギターノイズシンフォニー……素晴らしいです。私のシューゲイザー観、ポストロック観、シリアス音響観はやはりこういうサウンドだよなぁ、と、原点をビシビシ感じさせてくれました。このギターノイズと空間音響をずっと聞いていたいです。これがオルタナティヴロックです!

 

なみぐる feet.ずんだもん「ずんだパーリナイ」「ずんだシェイキング」


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MONOの次とは思えない選曲ですがw しかし私は聞き逃しません、この作曲者・なみぐる氏、絶対ブラックミュージック好きですよね。曲調に、どうしようもなくファンキーさがあります。それはずんだもん(合成音声、キャラ)のファンキーさだけでなく、音にR&Bが、ディスコが、ファンクが刻印されています。リズムアレンジにJB(ジェームズ・ブラウン)のライヴ演奏の疾走する「血」を感じさせますね。第一歌詞でアート・ブレイキーとか言ってる時点で以下略。

Где Фантом?「Это так архаично」


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2019年より活動している、ロシアのポストパンクバンド。最初、例によってSovietWave的に聞いていましたが、だんだん「もうこれ現代ロシアン・ドゥーム・ポップだな」と思うようになりました。

なんてったって、バックトラック(オケ、演奏)がポストパンク的に軽快なのに、ヴォーカルが暗すぎる。イアン・カーティスジョイ・ディヴィジョン)の数割増しで暗い。最初聞いた時「なんでこんな暗いんだ」と思いましたし、実は今聞いても「なんでこんな暗いんだ」って思います。

しかし音楽って面白いもので、その暗さ、ミスマッチさがクセになるんですねぇ〜。この演奏とvoの調和が、このバンド独自の個性と考えるようになってきました。独特の世界観があります。そしてなんといっても、「異国」の感じが、味がします。ロシア、ユーラシア大陸の味というか。これはこの地域の音楽にしか出せない味です。

 

ZAZEN BOYS「永遠少女」


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ヨルシカのところで予告しましたが、これも反戦歌です。人間に歴史あり、って良く言われるけれど…時に、人は歴史の中に呑まれちまっている。どうしようもなく、歴史がもたらすブルースを、引き継いでしまっている。でも、苦悩をどこまでも引きずっていくだけが永遠じゃないはずだ、とこの曲は歌います。

向井秀徳は、この曲が収録されている新作アルバム「らんど」で、歴史を継承している「人」を見据えるようになったのだな、と思いました。これまで少女や冷凍都市の中に、憧憬や皮肉や、一瞬のキラメキや狂気を見出そうとしていた向井でした。顔のない、無記名の匿名の「彼ら・彼女ら」を描いていました。

それが本作「らんど」では、町の中で生きている、顔のある「人」たちを、彼らの歴史込みでしっかりと見据えて、深いところから大きな心で掬いあげるかのような、やさしさ、愛おしさ、強さを感じさせました。その人間的深みを私は支持します。

ベース・MIYAが本作から加入しました。素晴らしい。不穏でゴリっとした大蛇のようなのたうち回り方。ドラム・松下との相性もとても良い。ギャリっとした向井のギター・コード・カッティングに、カシオメンの紡ぐ悠久さすらあるフレーズが絡むと、なんだかそのサウンドは、「歴史を見つめる眼差し」ってやつすら思ってしまいます。

この曲「永遠少女」も、そんなわけでとても好き。あとすごく気に入ってるのが「YAKIIMO」という曲。「いしや〜きいも〜」という焼き芋屋のサウンドをそのまま歌っている曲ですが、なんだかどうしようもなくブルースを感じます。焼き芋屋の人生、市井の人々のブルースを…。

そうです。反戦、そして平和への祈りは、この「市井の人々の見る景色」を絶対に失ってはいけません。それがなかったら空理空論でしょう。というか「市井の人々の見る景色」を守りたいからこその反戦なのです。争ってる場合じゃない。内ゲバってる場合じゃない。冷凍都市であるけれども、そこに生きている人々はたしかに熱い血が通っているのだと。もしかしたら人々のエゴが都市を冷凍させてしまうかもしれないけど、それでも人の暖かさは…純朴さは…。

私は向井が日和ったとか、ヌルくなったとか、ただチルくなったとかって絶対に思わない。これが向井の音楽家として、詩人として、人間としての成長、深化なのだと強く思う。「らんど」、大好きなアルバムだ。

 

おわりに

そんなわけで、2023年に良く聞いていた音楽でした。

今年も、いろんな世界やいろんな時代の音楽を聞いていきたいと思います。