Twitterのほうで、この期間だけ延々定期的に、「病状メモ」をしてました
インフルエンザにかかってました。辛かったです。スケジュールが全部崩壊しました
今は、8割9分快復、ってところです。ただし、失われた体力が戻ってない
はじめまして。私、管理人の残響さんと対談ブログをやっております、feeと申します。(詳しくはこちら!)
今回の記事は、『止まり木の足りない部屋』で連載しております、「火星年代記」の『お疲れ様会』(まとめ)として作成されました。
ただ……対談自体は楽しくお話できたのですが、文字に起こしてみて、少し不満が出てきたのです。求められるクオリティに達していないのではないか。読者の方に喜んでもらえるレベルに達していないのではないか、と思いました。
むしろこの記事がない方がよほどスッキリ『火星年代記』記事を終われるのでは?と私は感じてしまったのです。
一方で残響さんは、これはこれで意義があるのでは?とのご意見。
対談は2人でやるものですから、片方が不要と言っても片方が必要だと思えば、これはもうどちらかに決めるしかありません。
それにせっかく対談して、文字起こしもある程度したのですから、勿体ないとも思います。
ということで、折衷案ではありませんが「対談ブログ」の方には載せず、残響さんのHPの方に載せていただくことにいたしました。
一人でも多くの方が、この記事を楽しんでいただければ、幸いです。どうかよろしくお願いいたします。
ーーー
(ここから残響)
……以上、対談読書会のお相手をして頂いている、ブログ「止まり木に羽根を休めて」管理人・feeさんからのご説明でした。ありがとうございますfeeさん。
それでは以下、レイ・ブラッドベリ『火星年代記』読書会のお疲れ様会トークのあとがきでございます。ごゆるりとお楽しみください。
赤文字:fee
青文字:残響
fee「じゃん! ほー……ほー……二人の評価が高いのは『第三探検隊』、『夜の邂逅』、『火星の人』、『長の年月』、『優しく雨ぞ降りしきる』、『百万年ピクニック』の6つ。これがビッグ6ですね。最高評価はお互いがSをつけた『長の年月』と」
残響「ビッグ6ですかw 偉大なる火星の六芒星……(違」
fee「で、お互いの評価が分かれたのはそれほど……」
残響「低評価作品の話をしますと、ぼくの方では『これはハズレだー!デストロイ!』という作品はありませんでした。feeさんの方は『火の玉』がダメでしたか、やはり」
fee「『火の玉』はハズレですねぇ」
残響「それでも、【E評価】というほどひどくはなかったと」
fee「今までの火星人とは別種の、火の玉みたいな火星人が出てきますよね。イメージの広がりという意味では良かったと思います。ただ、それは善し悪しというか。この一作があるばっかりに火星人が何種類もいるという、収拾がつかないような設定が生まれてしまった面もあり……。
後は、『火星年代記』全体に漂う、西洋文明の異文化侵略臭を強化するという意味合いもありますね。お互いの評価が分かれたのは『緑の丘』以外には……『沈黙の街』か。ジェヌヴィエーブかw」
残響「お察しの通り、まさにヤツですw あれはドタバタコメディとしては良作で面白いとは思うんですが、個人的好みとして、ぼくは好きではないな……と」
fee「順番に見て行きますか。『ロケットの夏』は結構高いですね」
残響「イメージ……脳内の【画(え)】が良かったですね」
fee「前回の『太陽の黄金の林檎』の表題作と同じタイプで、イメージ作品ですよね。僕、このタイプの作品はちょっと読みづらいんです」
fee「TLのフォロワーさんでも、『ここだけ読んで投げてしまった』と言っていた方がいたけれど、ちょっと読みづらいんだよね。2ページだからいいけど……」
残響「テキストで読んでタイプの読者と、映像で読んでいくタイプの読者で違うのかもしれません。ぼくはほぼ完全に映像で読んじゃう人間なんですね。文章を読み込むと、パっと映像が頭の中に焼き付いてしまうんです。イメージさえ良ければ、【画(え)】さえ良ければそれでいい、みたいなところはあります」
fee「僕は完全にテキストで読んじゃう人間ですが……SF読者には、残響さんのようなタイプの読者も多いという話を聞きますね。故野田昌弘氏……ガチャピンのモデルになったと言われている方なんですがw 『SFは絵だねぇ!』という名言を遺しています」
残響「それは素晴らしい名言ですね。五臓六腑に染みる、もとい肝に刻みたい日本語です。 ――ただ、絵で見る人の欠点は2つありまして。1つは、すべてのシーンを画として脳内に立ち上げるため、ものすごく読むのが遅いんです。舞台・小道具・キャストをビジュアルで想像しなくちゃならない」
fee「うん」
残響「もう一つダメなところは、気持ち悪いところや汚いシーンも、勝手にイメージしちゃうんです。具体的に言えば、『沈黙の街』の不潔なジェヌヴィエーブを克明にビジュアルで思い浮かべちゃうんですよ。頭の油のてかりとか……そういうのをイメージして気持ち悪くなっちゃうんです」
fee「ほぉぉ……なるほどねぇ。それは、基本的には良いところだと思うんですけどね」
残響「基本的にはね。でも行きすぎるとちょっとね」
fee「僕は逆に情景描写が苦手なんですよ。情景描写が巧い人はごくごく稀にいて、そういう人の描く情景描写は伝わるんですが……ごくごく巧い一部の作家さん以外の情景描写は、僕にとって何の意味も持たないんです。『たんぽぽが咲いていて街並みは~』みたいな文章を延々読まされても、『いいから、次! 次!』みたいなね」
残響「はっはっはw」
fee「たぶん興味関心がそこにないんですね。自然の事物にはあまり興味がなくて、ドラマというか、展開されていく物語に興味があるので」
残響「映画とかでも、一枚のカットを提示されて『おっ』と来る人と、役者の演技・セリフ・心理表現で『おっ』となる人の違いもありますね。あと、これは少しズレますが、風景描写が巧い人ってアクション描写が比較的苦手だというイメージがあるんですが……」
fee「えっ、そうなの? むしろ風景描写が巧い人はアクション描写も巧くないですか?」
残響「ぼくが好きな某ラノベは風景描写は巧いけど、アクション描写が下手なんです……」
fee「うーんw まぁそういう作家さんもいるかもしれないけどw 僕の印象としては逆で、風景描写が巧い人はアクション描写も巧いんじゃないかなと。肉体の動きを描写するのと、風景を描写するの……つまり視覚的なものを描写するのが巧い人と、心の内面を描写するのが巧い人に分かれる気がして。僕は後者の方が読みやすいです。心情垂れ流しをしろというのではなくて、情景を描くなら、そこに人間心理を混ぜ合わせてほしい。人間心理と関係のない情景描写には興味が湧かない、といった感じでしょうか。根気の問題かもしれません」
残響「描写自体が下手だ、という可能性もありますけどね。【書き割り】を見ているようなしょうもない情景描写もありますもん」
fee「自分にとって凄く珍しい風景とかだと、ちょっと興味が湧く事はありますね。江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』を読んで、素晴らしい情景描写だなと思ったので、例外はあります。ただ、全体としては苦手なタイプの作品です」
fee「残響さんは『イラ』の評価が随分低いですね。僕は『ロケットの夏』でピンと来なかったので、『イラ』から『火星年代記』が始まるんですよ」
残響「なるほど。ぼくの場合は『ロケットの夏』でスケールの大きな【画】にガツンとやられたんですが、『イラ』ではその、スケールが小さくなっちゃったかなと」
fee「僕は、ようやく作品世界に入れたw みたいな。だから、さっきちらっと出した【ロケットの夏で挫折しちゃったフォロワーさん】も、『イラ』まで読めばいいのにって思っちゃったわけです。
『ロケットの夏』はロケットが飛んでいるだけじゃないですか」
残響「まあ起こったイベントとしてはw」
fee「まぁそれが美しい絵ではあるんですけど。『第三探検隊』は子供の頃の兄貴とのじゃれ合いとか、そういった人間ドラマが描かれているので、感情移入しやすいというか、『美しい絵』を堪能しやすいです。あと最後のホラー展開もいいです」
残響「そうそう。あれは良かった」
fee「しんみり系+ホラーというのは、僕が考えているブラッドベリ作品の二大長所なんですが、この作品は両方の味を楽しめる素晴らしい作品です。『長の年月』と並ぶ、今回のベスト短編だと思っています」
残響「なるほど……なるほどね」
fee「『月は今でも明るいが』は、単純に作品として素晴らしいというよりも、この後の『火星年代記』に登場してくる人物たちがオールスターで登場する作品なので」」
残響「いわゆる【キャラ性重視】な作品ですよね」
fee「ここから始まったところがありますよね。『長の年月』のハザウェイさんや隊長、『オフシーズン』のサム・パークヒル。この話だけしか登場しない反逆者スペンダーとか、ピグズとか、個性溢れる面々が揃っていて豪華なんですよ。よくわからない西部劇風の決闘シーンもありますし、嫌いになれない作品なんですけどw」
残響「この微妙なSFマカロニウェスタン風味、確かに嫌いになれないですねw」
fee「『緑の朝』をあまり評価していない理由は『ロケットの夏』と一緒です。絵だけなんで……」
残響「対抗するわけじゃないですけど、ぼくが『緑の朝』を評価している理由も『ロケットの夏』と一緒ですw」
fee「まぁわかりやすくていいんじゃないですかね。どういう作品が好きかという。ちなみに、『緑の朝』的な情景描写のSFというと、『地球の長い午後』が思い浮かびます。僕は読みにくかったです」
残響「アウッww」
fee「『夜の邂逅』の評価が高いですね」
残響「これは素晴らしい。本当に素晴らしい。ぼくの物語的……シチュエーション的ツボというか。地球人と火星人が2人とも紳士的なんですよね。気のいい優しい人たちが出会って、ウマが合って楽しく話し込んでいく。『あなたもですか』『おや、あなたもですか』みたいな、そういう会話が昔からめちゃくちゃ好きなんです。本来的には交わることはないけれど、なんかウマが合う。そういうシチュエーションが凄く良いです。あと、夜というのもいいですね。『昼の邂逅』だったらあまりピンと来なかったかも」
fee「確かにそうですね。僕はちょっと残響さんとは評価ポイントが違って。幽霊とか、時空を超えて人と人が交わるみたいな話が大好きで。対談記事で話した『FF10』もそうだし、『思い出のマーニー』もそうだし。『トムは真夜中の庭で』、『ある日どこかで』など挙げればたくさんありますが。時代が違って、本来は一緒になれないキャラクターが、別れを前提に触れ合うみたいなシチュエーション、展開が大好きなんです。幻想的な感じがするんです。僕も夜にその辺を歩いてたら、なぜか70年前のアフリカの部族の人と会ってね。なぜか日本語で話したりしたら楽しいかなとか。そういうね。夢があっていいじゃないですか。ファンタジー世界というか。読んでいてワクワクしますね」
fee「『第二のアッシャー邸』ですけど……これって別に『火星年代記』に入れる必要性がないですよね?」
残響「確かにw」
fee「『華氏451度外伝』みたいな。なんか浮いてるような……」
残響「最初はゴシックっぽい印象があったんですけど、途中からドタバタというかスラップスティックっぽくなっちゃったというか」
fee「こういう作品は残響さん好みなのかな?と勝手に予想してたんですが、そういうわけでもなかったんですね」
残響「いや、確かにゴシックは好きなタイプなんですけど、肩透かしを食らったというか」
fee「好きなタイプの話だからこそ、もっと巧く書いてくれよ!みたいな?」
残響「そうですそうです。それが結構あります」
fee「話を聞いていると、残響さんは『怪奇小説』っぽいものが好きそうな印象があるんですよ」
残響「ですね。実際のおどろおどろしい怪奇・猟奇の行為や描写というよりは、そういう濃密な怪奇的・猟奇的・幻想的な雰囲気が好きなんですね」
fee「『第二のアッシャー邸』で大猿が出てきた時、絶対残響さんが気に入ると思ったんですよ。大猿がお嬢さんを殴ったりしてるの、面白くないですか?」
残響「wwwww(声にならない爆笑) 難しいところですねw」
fee「大猿じゃなきゃ面白くないと思う。殴ったというのも良い」
残響「『第二のアッシャー邸』というタイトルもゴシック的にいいんですよね。だからすごい期待したんですけど……」
fee「『火星の人』は評価高いっすね」
残響「これも残響的シチュ趣味というか。年老いた夫婦が、悲しい感じの雰囲気で子供をかわいがる話もぼく、大好きでして」
fee「w 僕も嫌いじゃないけどw」
残響「ドタバタしてるのに妙に悲しくなっちゃう、ドタバタシーンがあるからこそ悲しみも増す。そういう相乗効果を感じました」
fee「僕は、この話はちょっとドタバタしすぎたかな、と思っちゃったんですよね」
残響「まあ、確かにそれはわからなくもない。匙加減が微妙なところですね」
fee「途中までしんみりしてたのが、段々ね。『市長』ネタとかw 誰だよ、市長を求めてた奴ww」
残響「あれは【ブラッドベリ=天然】でしょ? ウケを狙って書いたんじゃなくて」
fee「僕もそう思うw あと、個人的に前回の読書会でやった『太陽の黄金の林檎』収録の『歓迎と別離』にちょっと話が似てるんですよね。しかも『歓迎と別離』の方が好きという……」
残響「あぁ……確かに……。それを言ってしまえばぼくもそうなっちゃうんですけど、まあ前作の事は度外視してこれ単体で評価しましょうw(提案)」
fee「分かりましたw」
残響「これは自分の勝手な【画】……というかイメージとしての色彩感覚なんですが、ブラッドベリの宇宙というのは、真っ暗ではないというか。地球と火星の間に風が流れていて、宇宙は闇ではなく蒼~藍なんじゃないか。そんな感慨を『長の年月』から抱きました」
fee「真っ暗ではないですよね。確かに蒼っぽい。宇宙を完全な孤独の場としては書いていない気がするんですよね」
残響「なるほどなるほど。確かにそんな感じです」
fee「ハインラインの『宇宙の孤児』とか、クラークの『2001年宇宙の旅』とかで描かれる宇宙って、真っ暗な印象なんですよ。宇宙船の中だけが明かりで、その外側には圧し潰されるような闇が広がっている。息が詰まりそうな感じがするんです。でもブラッドベリの宇宙は、ドラえもんとかもそうですけど『向こうに流星群が見えるぞ!』みたいな……」
残響「ブラッドベリ的宇宙って、海に関連しているような気がするんです。モチーフというかメタファーというか」
fee「まぁ、元々火星を新大陸に見立てているような気もするので……」
残響「そうですよね」
fee「『長の年月』っぽい作品なら、僕はクリフォード・シマックをお薦めしますよー。穏やかでちょっと寂しいけど、暖かい生活みたいな」
fee「『優しく雨ぞ降りしきる』……僕はこれは、『クロノトリガー』を連想しました。AD2300でしたっけ? ロボがいる世界……」
残響「あぁ、はいはい。いわゆる、最近よく聞かれる【ポストアポカリプス】というか、世界滅亡後の静かな生活が描かれる作品ですね。原題が『There will comesoft rains」になっているんですけど、『雨がやがて優しく降ってくるだろう。そしてすべてを洗い流すだろう』みたいな意味にもとれる……と個人的には思うんですよ。実際の天気というよりも、象徴的な意味が強いと思いました」
フフフ……コミケ……アイム行きたい……おれはオタク……そして創作と知の最前線を、同人誌を買って読みたい……。しかし、今の仕事をしている限りそれは無理だ……(盆暮れ正月がどうしても仕事場を空けることが無理なのです)。
そんで、前々から予告していましたが、2017年冬コミで出る同人誌で、わたし残響が寄稿させて頂いた批評系同人誌がありまして。今回はそれをご紹介させていただきます。
サークル「定時退者」さんの「2007年ノベルゲーム10周年批評本」です。表紙はこちら。
『この10年間-せいしゅん-を駆け抜けろ!!』
— Mirin@3日目東す-20a (@hon_mirin) 2017年12月23日
というわけで今年の新刊「2007年ノベルゲーム批評本」の情報を公開しました。
2007年のあの日、モニターの中で青春を過ごしていた人達へ贈る。自信の1冊に仕上がっています。3日目は是非『定時退者』まで、よろしくお願います!https://t.co/VAxifldllW
特設サイトはこちらです。
わたし残響は、
・特別批評(2)「2007年の保住圭」論
・Marron「ひまわりのチャペルできみと」批評
・Tarte「カタハネ」批評
にて、寄稿させていただきました。
また、特設サイトの製作・管理や、編集における 些事を手伝わせて頂きました。
Mirinさん(@hon_mirin)の評論系サークル「定時退者」は、2014年から、「10年前に出たエロゲ/ノベルゲー」の10周年記念批評本を出しています。
(左から)
2004年本(2014年発刊)、 2005年本(2015年発刊)、 2006年本(2016年発刊)……の、既刊写真です。
そして今年、2007年本です。
サークル・定時退者がこのシリーズでやっていること。
それは
「いま、10年もの年月が経った。名作・怪作・思い出の作品を、10年前の記憶と共にいま、語る」
というもので、毎回大勢の寄稿者(歴戦のエロゲーマー/ノベルゲーマー)が文章を寄稿する、論集です。
いつも、ある日Mirinさんが「今年も○○年本やりたいのですけど、参加してくださる方いますか?」とtwitterで投げかけます。そうしたら、十数名以上もの歴戦のオタク(レビュアー)たちがMirinさんの元に集まって、それぞれ熱い文章を寄稿します。ここに集まるのは、少なくとも「当時」から確実に10年を経たオタクたち。それぞれが魂の、あるいは屈託の一作について語ります。皆、その作品に関しては一家言あります。
そこには愛があり、屈託があり、熱があり、涙、そして人生があります。数々の原稿をMirinさんは一手に編集し、読み応えのある同人誌を作ります。
わたし残響も、2005年本においては「ToHeart2 XRated」、
2006年本においては「その花びらにくちづけを」論(サークル・ふぐり屋&商業ブランド・ゆりんゆりん&聖ミカエル女子学園論)、「めいどさん★すぴりっつ」論、「蒼天のセレナリア」論を寄稿させて頂いた経緯があります。
10年、経っているのです。何回も書きますが。寄稿された文章には、どれもそれだけの重みがある。
まさに、酸いも甘いも経てきたオタクだからこそ書ける文章であり、本であります。
さて、Mirinさん自身も本シリーズにおいて、論を書かれます。また、巻頭で「セールスランキング」と称して10年前のエロゲセールスの時評を、年間ランキング形式で書かれもします。「ああ、あの時って実際はこうだったんだ」「意外!これ結構売れてるぞ(あるいは、これ売れてないぞ!)」の声が、今だからこそ出てくるものです。結構皆印象論で語ったりするから……。
Mirinさんの一声で、皆集まります。凄く自然に集まります。あの歴戦のオタクたちが。屈託を抱え、一家言ある、「ニワカ」とはまるで遠いエロゲーマー/ノベルゲーマーが。なにせ、10年エロゲ・ノベルゲーをプレイし続けてきた人たちです。
そういう方々を集めることが出来、皆が熱い原稿を書こう!と思わせる。まさにMirinさんの人徳であります。
余談ですがここでちょいと。わたし残響は、実は同人音楽サークルをやっております。春や秋の同人音楽即売会・M3において、サークル参加をするのが主な活動なのですが、Mirinさんによく手伝って頂くのですね。サークル売り子として。
その度に思うのですが、Mirinさんに関しては「このひとなら大丈夫だ」っていう自然な信頼がある。オタクとしての熱量・活動量もさることながら、この「大丈夫だ」感覚っていうのは、すごい頼もしい。一人の人間として。皆がMirinさんに協力し、寄稿するっていうのには、この「大丈夫だ」感覚があるからだ、って言うふうにわたしは思っています。
で、実際出来上がった本を読むと、この「大丈夫だ」感覚は間違っていなかった、というか。とても風通しのよい本になっているのですね。読んでいて、どれも熱の入った原稿ですが、なんかトータルデザインとして、紙面デザインも含め、読んでて疲れない。全員が真面目に寄稿し、愛でもってエロゲ/ノベルゲーを語っている。誰かに媚びることも、手抜きもせず、きちんと書かれた本である……という風に思わせる。いち寄稿者としても、そしていち読者としてもそう思ってしまうのです。
Mirinさんは寄稿者に強制をしません。ほんとにしません。寄稿者の自由に書かせてくれます。でも、じゃあ皆「ラクでダメな意味」で好き勝手に書くかっていうと、当然ながらそれはない。皆、Mirinさんが真面目に本を作る方だっていうのを知っているから、この真面目さと熱、このサークル「定時退者」に任せれば大丈夫だ、という確信がある。Mirinさんをこちらも信頼していて、それ以上にMirinさんがこちらの筆力とオタクとしての見識を信じている。だったら応えなくちゃなるまいよ!という表れですな。
わたしはかつて、『エロゲーマー諸子百家」という企画をこのブログ上でしました。エロゲーマーの方々を、自分の視点でみたところを語る、っていうひどい企画です。そのなかで、「歴戦のエロゲーマーの背中」みたいなテーマで、Mirinさんを語ったことがあります。短い文章ですが。
modernclothes24music.hatenablog.com
そのときから、この「大丈夫だ」感覚は変わっていません。むしろ、より深く「大丈夫だ」と信頼を置くようになったからこそ、自分もサイト作りや雑務を手伝わせていただくようになったのです。
本を読めば、その真面目なる「大丈夫だ」の感覚がわかります。手抜きはない。
さて……Mirinさんは……定時退者・Mirinさんは、何をしようとしているのか。オッサンオタクの思い出語りか。慰撫するような懐かしみか。
いや。
これまでの既刊のあとがきから、その思想を拾ってみましょう。
「現在美少女ゲームの業界は時代につれ市場を縮小しつつあります。時代に合わせたクオリティ向上によるコストの増大化、オタクコンテンツの多様化、違法ダウンロードの増加、その他の理由は数あれど近い将来にはビジネス的コンテンツとして消滅するだろうとも言われています。全てがまるっきり無くなるということはないかもしれませんが、何かしら別の方向へシフトしていくのではと僕に限らず多くの方が感じているのではないでしょうか。パッケージ販売の停止、アペンド化による長期的な開発、クラウドファンティングによる現物ありきの体制。その選択肢は未知数にしても今業界はこの先、運命の選択を余儀なくされているはずです。
ですがそれに悲観的になる必要もないな、と本誌を製作していて思うようになりました。もしかすれば今のアニメ業界のように2Dに引けをとらない3D技術が浸透しているかもしれませんし、名前を自然に呼んでくれるゲームも増えているかもしれません。ノベルゲームではないもののメイドロボなんかが実現してた日には今のうちにお金を貯めておかないとですね。当たり前のことながら未来は誰にも予想がつきません。ですが本誌を製作しながら10年前と今を比較していると、『これから割きもまだ見ぬ泣ける作品や尖がった作品がたくさん待っていると思うと応援していかないとな』と、『これから10年先の業界にも期待していきたいな』と、自分の中の想いを再確認することが出来ました」ーー2004年本、あとがき
「「今更」と感じるか、「今だから」と思うか。それは人それぞれでございますが、今を追うだけではなく、節目くらいは過去を振り返ることも悪くないんじゃないでしょうか。そうすることで見えてくるものもあると思うんですよね。無いかな、いやきっとあるはず。この趣味に引きずりこんだ作品とか、心に決めたヒロインと出逢ったあの日から意外と10年過ぎていませんか?」ーー2005年本、あとがき
……これに付け加える言葉はありませんね。いや、「過去を振り返る温故知新の視点による、再発見の批評」めいた論をぶとうとかも思ったのですが、残響があれこれそういうことを言うよりも、ここに書かれている真摯な言葉のほうが、より真実というものです。
Mirinさんが提唱した「10年を経て今語る」というこの○○年本のコンセプトは、寄稿者の皆さんがぐっと各々の心のなかで凝縮してきた「作品愛と、10年なるもの」が、星々のように瞬いてこの本の中で表現されています。そしてMirinさんは、その星々たる批評ーー「想い」の数々を、ぐっと受け止め、この本という形で表現します。
わたしはつくづく思うのですが、「趣味をたのしむ」「趣味という文化を発信していく」ということをどのようにしていけばいいのか、ってことをよく考えます。
もちろんただ楽しんでいればいいのですが、Mirinさんはそこからさらに踏み出して「場(同人誌)」を作りました。この10年を語る、という場です。そこには愛があり、屈託があり、喜びと涙と人生がある……それもまた「趣味」であり「文化」である、ということを、この「場=同人誌」は伝えてくれます。背中を、見せてくれるのです。
「そんなことわざわざせんでもwww」という人もいるかもしれません。しかし「そんなことをわざわざしらからこそ、エロゲ/ノベルゲーという趣味文化の豊かさが、また掘り下げられて深くなった」のです。その牽引役をしたMirinさん=サークル・定時退者に、わたしは敬意を表します。
この10年を、様々な作品と、様々なエロゲーマー/ノベルゲーマーの方々と一緒に、振り返り、新しい何か、綺麗な何かを見てみませんか?
定時退社『2007年ノベルゲーム10周年批評本」は、それを可能にする懐の深い本です。
2017年冬コミ、3日目! サークル「定時退者」さんへぜひ!詳しくは特設サイトで!
念が叶って初参加させて頂きました。心の赴くままに「恋する乙女と守護の楯」について書き綴ってます。主従モノ、護衛モノが好きな方に届くかな? 届くと良いな。 https://t.co/g55eW2mdjI
— 崇山しおん (@takayamashion) 2017年12月25日
『My Sweet Home リメイク版』で参加させていただきました。
— ヒトデちゃん (@M_unguiculatus) 2017年12月25日
今年も同人ゲームです。 https://t.co/IXrYDS0Ctn
また、サークル「定時退者」様(3日目東す20a)の新刊『2007年ノベルゲーム10周年批評本』で『絶対幸せ宣言っ!』のレビューを寄稿させて頂きました。
— つばめ@3日目東7さ-07a (@kinako003) 2017年12月27日
限界まで削って書きたいことの濃度を上げたつもりです。
こちらも合わせてよろしくお願いします。https://t.co/WBhCiud9OLhttps://t.co/d5WPVXIrUp
『おしえて!唯子先生 【エッチ】を覚える大人の性教育レッスン!!』評を寄稿しました。よろしくお願いいたします。https://t.co/F43dJ2vE8s
— こーしんりょー@SpiSignal (@KO_SHIN_RYO) 2017年12月24日
【C93のお知らせ①】
— M.M (@rallentando_rit) 2017年12月24日
サークル「定時退者」さんにて、「ひまわり/ぶらんくのーと」のレビューを寄稿させて頂きました。今回の批評本に向けて新規に書き下ろしております。とても良いものが書けました。3日目は是非「定時退者」さんにてお求め下さい。 https://t.co/euflzmWe8v
https://t.co/iLCa5sD6as サークル「定時退者」さんで、「2007年の保住圭」論、「ひまわりのチャペルできみと」批評、「カタハネ」批評を寄稿させて頂き、また、特設サイトの制作や、他ちょっとだけお手伝いさせて頂きました。大変面白い同人誌ですので、冬コミでは是非
— 残響 (@modernclothes24) 2017年12月23日
【宣伝】3日目東す20aサークル「定時退社」様(@hon_mirin)にて、なんとなんと、批評本の表紙を描かせていただきました!
— 漬けゆしまぐろ (@sa_i_gu_sa) 2017年12月23日
気がつけばあのゲームやこのゲームが10年前!?なんてことがあるかも…!!共に10年間-せいしゅん-を駆け抜けましょう!
よろしくお願いいたします!!!!! pic.twitter.com/TXtct2Zrm3
この度刊行の運びとなった2007年ノベルゲーム批評本にて、インガノックの項目を担当しております。私の分は読み飛ばしても構わないので是非立ち寄って手に取ってください。 https://t.co/QUpUmDodT5
— バニッシュ/FGO人理修復 (@kakecurse) 2017年12月23日
というわけで宣伝。ぼくも先程RTしましたMirinさんのサークルの2007年ノベルゲーム批評本に『Clover Point』で寄稿しております。他の素晴らしい寄稿者さん達の息抜きになれればいいなあと思って書かせて頂きました。お手に取って頂ければ嬉しいです!
— ななたそ (@07nanachan) 2017年12月9日
NG恋とジャンゴで寄稿しています。よろしくお願いします。 https://t.co/LLGU4MB5WS
— k-p(くーぺ) (@kp_a0ikuma) 2017年12月23日
こちらの2007年エロゲ10周年合同誌に、『潮風の消える海に』のレビューで参加させていただいております。
— ジロー (@JiRo_ym) 2017年12月23日
どの方の感想・評論も大変素晴らしく、懐古や情報収集から興味本位まで、手に取った方の様々なニーズに応えられる一冊となっております。
ぜひスペースにお立ち寄りを!https://t.co/DlCpYqoch5
【ブログ更新】「2007年ノベルゲーム10周年批評本」に寄稿しました - おいしいデザートは最後に https://t.co/XTlvuFjWY5 pic.twitter.com/Y12eMZ4MRu
— こなたん (@konata_tahake) 2017年12月28日
「いつか、届く、あの空に。」を題材に寄稿しています。他の方のレビューも読み応えありますよー。ぜひよろしくお願いします!https://t.co/7Gbn5SUeQo
— るー (@RrrRrrr31) 2017年12月23日
『2007年ノベルゲーム10周年批評本』への寄稿について https://t.co/6QEab4amZC
— たいき (@taiki_VA) 2017年12月23日
「Aster」で寄稿させて頂きました。よしなに。 pic.twitter.com/jkyvRf584w
(たいきさんのブログ「立ち寄らば大樹の陰」での紹介記事)
また今年の本は、もし余るようであれば余部をcomicZINさん辺りに委託しようとも考えております。そちらについては未確定でございますが、詳細が決まり次第再度連絡させて頂きます。
— Mirin@3日目東す-20a (@hon_mirin) 2017年12月23日
また既刊の2006年本については残りの冊数が5〜6冊程度しかないため、売り切れてしまった場合にはご了承ください。どうしてもご必要あれば、こちらはお取り置きさせて頂きますのでご連絡頂ければ幸いです。宜しくお願い致します。
— Mirin@3日目東す-20a (@hon_mirin) 2017年12月23日
毎日更新web日記と銘打っておいて、このザマというのはホント格好悪いこと甚だしいです。(ブログ一週間以上放置)
でも、どうしようもなく最近仕事が忙しくて……。ほとんど年末修羅の大量仕事と、体力回復の睡眠だけでここのところ動いています。趣味的なこと、創作的なことがまるでできず。
このブログを更新する余裕すらなかった、っていう。約束を破るくらい忙しかった。それをしなければ一日が仕事で終わらないくらい忙しいっていう。
「こつこつ」型に、自分を持っていく、ってことが重要なんですけどね。すぐに「こつこつ」型になれれば、苦労はしない。
でも、ひとつ分かったことがあるとすれば、やはりブログ/HPが「思考の庭」として日々、居心地よくするためには、「毎日手を入れる」ことが何よりの「楽で確実な方法」っていうのがよくわかりました。
1日ブログを放っておいて、それが3日、4日と続くと、もう「ブログを書く敷居」っていうのが上がってしまって。「生活の中から、ブログ書きが自然とオミットされる」っていう感覚。これは理屈というよりは、すごく身体的な感覚です。
●うぉーっ
ちょっととある作業していたのですが、それやるんだったらブログを予め更新しておくんだったっ! わたしくの馬鹿ーノ! ということで、一回仮眠してからこれ書きます。今日の朝から昼にかけて、昨日の分をきちっと更新します。夜は夜で今日の分を更新。(作業は今日の分は無事終了しました)
この日記ブログ「残響の足りない部屋」は、あくまで本家サイト「ホームページオブ百合機械」の、日記用の別館ブログです。本体・本家は「HP百合機械」のほうです。
ただ、この「HP百合機械」ですが、最近更新をサボっているのが事実。今回はその理由を書いてみることにします。
そもそもHP百合機械は、わたしが「もうブログ飽きた……」というか。このブログ「足りない部屋」から、2015年だったかのHP百合機械開設当時、ブログ界隈には「マネタイズ」とか「サードブロガー」とか「承認欲求」とか、そういったことににまつわる煩わしさ……何か人の目と金の流れを気にする、個人的にテンションの萎える風潮がありました。たしか。
そんなんと無関係にやっていればいいじゃん?というのはもっともなんですが、当時の自分は疲れていたのか、「もうブログをいったん閉鎖して自分は引きこもろう」と思っていました。(その割にはTwitterを普通に使っていたところが矛盾ですね)
それからもっと深い理由としては、ブログというwebシステム自体の「自由度の低さ」というか「デザインを好きにいじれない」「記事単位でしか読まれない(記事筆者の総体的/相対的な思想が、過去ログ参照形式だと見えにくい)」というのに、なんだかちょっと自分の求めている「思考記述の器」の形として、違うんだよなぁ……と忸怩たる考えを抱いておりました。
昔……それこそ前世紀の、htmlタグ打ちで記述された「昔ながらのサイト」「テキストサイト」は、記事単位じゃなかったのですね。トップダウン方式というか、まず最初にTopページがあって、自己紹介ページがあって、そこから各カテゴリ別の記事に「降りていく」という構造になっていました。ああいう風に、「管理人さんの思考・思想が上から順番に並んでいる」っていう一覧性が好きだったのですね。愛していた。あるいは、そういうのが自然だ、と思っていました。
なので、自分もそういったサイトを作りたい、と思ったというのが、真なる理由。
「書くこと」は決まっていました。「百合趣味」と「模型趣味(機械)」。自分という存在を表す二大キーワードでした。この二つならいくらでも書けるだろう、と思っていて。
ところが、あんまり書けない。
理想が大きい、というのもあります。何しろ百合趣味(文化)も、模型趣味(文化)も、その奥深さは相当なものがありますから(だからこそわたしは魅せられていますが)。
よいコンテンツを作りたい。デカいコンテンツを作りたい。その理想が大きくなってしまって、つい日々の中で後回しになって……あるいはTwitterにかまけてしまって。
しかしそれだけだったら「書きたいことが実はなかったんじゃないの?」と言われです。そしてそれはある程度当たっています。いますが……この「書きたいこと」というのは、ただ漫然とぼーっとしていて生まれるもの、というのでもない、と今のわたしは思っています。
書きたいことが生まれるか否か、というのは、「書く場所(HP、ブログ)」が、今の自分にとってどれだけ「居心地の良い場所」であるか、で成否が決まってくる……と思っています。
虚空から生まれた単なる「書きたい欲」=「衝動」、というものよりも、すでに今ある「書く場所」が、自分にとって、どれだけ暖まっていて、居心地がよくて、耕されていて、いつまでもこの場所に居たいなぁ、と自己満足・自己本位で思えるか、がキモだと本気で思っています。
動機とか意思とかやる気の問題だけではない。むしろそっちをどーにかするよりも、今の「場所」をどれだけ居心地のよい場所にすることが出来るか。それが出来たら記事なんてどんどん書けていく、という考えです。そすれば動機・意志・やる気もどうにかなるだろうという楽観にして確信。
そういう意味では、HP百合機械は、まだ暖まっていず、居心地があんまり良くない「場所」です。自分にとってそうなのだから、他人(読み手)にとってもそうでしょう。まだ、今毎日更新しているこの日記ブログ「足りない部屋」の方が、まだ居心地が良いってもんです。ブログというシステムデザインをあんまり好ましく思って無くても。
この「居心地」っていうのは、一言でいうのが難しいです。仮に列挙すれば、
・過去から耕されていて、今も手を入れられている感覚。放置サイトじゃない感覚
・コンテンツが自分の好きなように配列されていて、自分はその配列を隅々まで記憶していて、さっと手を伸ばせることが出来る
・ひとつひとつのコンテンツに、自分の記憶がきちんと見える
・コンテンツそれぞれが持つユーモアが、トータルでサイト全体のユーモアとなっている
・場合によっては「あんまり面白くない記事」もあるかもしんないけど、サイト全体でトータルで見たら意味のあるコンテンツでもある
・時流に乗っかってばっかりのサイトではないけども、それでも最低限外部に「開かれている」サイト
・HPやブログのシステム・デザインが自分仕様にカスタマイズされていて、いつでも自分の好きなように調整がきく。
・そのようにシステム・デザインが調整されているからこそ、自分の自由な「思考の庭」として耕す感覚を持てる
……などなど。
こういう列挙した要素って、どうやったら自分のサイトに持てるの? と思ったら、しかしそれこそ一言で言い切れます。
「常に自分のサイトを更新し、自分の思考の庭としてのサイト(場所)に”居続ける”こと」
これのみですね。ようは、頻繁に更新しようぜ!って話です。それが出来ていなかったから、今のHP百合機械の現状はあります。逆に、ここのところ「毎日更新」のシバリを科していたこの「足りない部屋」が、いま、少しずつでも居心地がよくなってきた(と残響個人には思える)現状でもあります。それくらいは、この10日以上にもなった連続更新で、わかってきたところです。
意志が弱いとか、やる気がないとか、書くべきことが見当たらない……んじゃない。今、自分の居る場所、自分の思考の庭が、どれだけ居心地が良いか。居心地がよくなれば、自然と書きたくなるし、作りたくなる。
まるで、自分の工作室(アトリエ)が、自分の使いやすいように整理されていて、風通しがよくて、時折優しい光に満たされることがある……みたいに。発想は、そこから生まれる。おそらくどんなライフハックよりも、発想法よりも……と自分では、思っている。自分の環境(オウン・フィールド)こそ大事にするべきもの。
というか、自分がHPやブログで達成することっていったら、書籍化でもマネタイズでも承認欲求でもなくて、「いかに自分のサイトを居心地よくするか」ということに完全に尽きる、と思う。これが最初にして最後、最小にして最大の「サイトを運営していく意味」だと思う。自分はね。あくまで自分は。
でも、マネタイズをするひとだって、承認欲求を求めてる人だって、書籍化したい人だって、「サイトを訪れる人が何に価値を見いだすか」「リピートしたくなるサイトとは何か」って考えたら、この「雰囲気」にも限りなく似た「居心地」っていうのは、絶対無視出来ない、と思う。
そういう意味では、ブログ毎日更新、というのも、ある意味クンフー義務めいて見えるから「それってどうなの?」と批判や冷や水されるかもしれないけど、少なくとも「毎日、自分の思考の庭に居る」ということだけでも、意味は十二分にある。ありまくる。そこからいろんなものが生まれ出てくる。出てこないはずがない。この、居心地よくしていって、サイトを耕していけば、きっと絶対何かが生まれる! っていう感覚は、実際に手を動かして耕していくサイト管理人当事者でないと、わからないとことであると思う。Twitterアカウントオンリーじゃわからない。場所を作っていくとは……そう、あらゆる「作る」っていう行為は、そういうことだと思うのです。毎日こつこつとやっていくこと。
(なお、このあたりの「思考の庭」思想に関しては、森博嗣のこの本に影響を完全に受けています(Amazonリンク)
人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)
・ガルパン最終章第1話、映画館まで行って、午前中で2回見ました。完全満足とはこのことである。
・あまりにサメさんチームの戦車(機体名はいちおうネタバレに配慮する。まあそのうちブッチするけど)のアレンジが格好良くて、タミヤの去年出たキットをその場で尼でポチってしまった。(なお、それが最後の一個だったらしく、購入後即座にプレミア価格になってた)
・思い出したよ、ガルパンっていうのは、「クオリティの高い、しかし本質的にはB級バカ戦車アニメ」だ、っていうことを
・キャラの魅力はいや増していく!出てきたキャラで魅力が増さなかったキャラがいたものか!
・そんなわけで、今日はエロゲに手をつけられませんでした。ガルパンの余韻はまだ残っていますし、近日中に届くそのキットにも早急に手をつけます。このキットの特集号のアーマーモデリングもちゃんと当時買っていたっちゅう
・HP百合機械の更新ですが、これからちゃんとやっていこうと思います。ここでこう書いちゃったんだからねw
・それから、オリジナル創作のほうのHPも。サイトマップも作らなきゃ……
・ブログは、最低でも今月終わりまで、1ヶ月毎日更新はしますよ。(それ以降はまだわからない)
・最近、ナユタン星人にハマっています。音源も買いました。