残響の足りない部屋

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第2回ごうつホビー祭りイベントレポート(2)島根県江津市、イベント内容

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 会場「パレットごうつ」の天井の開放感です

●チノハテ

 

島根県は東部と西部に分かれます。県庁所在地・松江や、出雲大社の出雲。これらが「東部」です。
西部は、港町「浜田」、森鴎外の故郷「津和野」、そして今回の舞台「江津(ごうつ)」です。

江の川を挟んで、主に工業都市な江津。有名ローカル鉄道「三江線」が去年廃線されてからも、近年は若い有志による地ビールの工場が建設されたり、とさまざまな試みが行われています……が。
が。

どうにも「この土地には目立ったものがない」というある種のフラストレーションにも似たものがあるようで。

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まずもって、この江津というのは、地理的に「東京から来るのに、一番不便」なところなのです。近くに空港もないし、新幹線の路線から物凄い距離がある。実際、自分(島根県東部在住)にしたって、第1回ごうつホビー祭りが開催されるまで、全然江津って行った事無かったですからね……その時点で推して知るべし、ではあります。

しかしそれ以上に問題なのは「たのしみ(ホビー)」のなさ。島根県のいろんなところに、「たのしみ(ホビー)」を抱えて、日々その探求に勤しんでいる人々がいる。しかし「発表の場」は、少ないです。

「ならば、自分たちで楽しい場(祭り)というのを、立ち上げてしまえば良いではないか!」というインディペンデントな思想が、理工クラブのHPからはビンビン伝わってきます。自分にしたって、この心意気でもって、第1回の参加を決めたようなものですから。

前回の記事で、このイベントが去年も、そして今年も「手作り感」のある自由な気風、と書いたのは、まずこの「地元に何もないな……よし、やろう!」というDIYの気概。そしてそれに賛同する作者(モデラ)たちの気概。及ばずながら自分も参加出展者としてその末席に加わらせていただいても良いかもしれませんが。
参加者の皆さん、多少はそういう「島根の鬱屈」がバックボーンに、うっすらとはいえ、ある程度はあるのかもしれない、と思う次第であります。

腐ることは簡単です。ネガ愚痴をたたくのも。でも、なかなかこういう風に「じゃあ何かをやろう!」という方向にはいかないものです。
まして、「自由の気風」と自分が感じられるほど、風通しの良いイベントたるや。そこのあたりは、理工クラブさんと地球堂さんが非常に努力されておられるのだなぁ、と思います。

閉鎖的な「サークル内イベント」であったり、「模型オタクのジャンル流儀マニアックイベント」ゴリ押しで、というのは、このごうつホビー祭りには、合わないと思うのです(念のため。そういうイベントを批判してるわけではありません)。
それよりもまずは「ホビーのたのしさを!」という思想。それに賛同し、もり立てていこう!という実際の行動、作品展示・企画による参加。それが今回の場合は、大事だったのです。

「たのしさ(ホビー)」とは、生きる意味そのものです。それを日々の仕事の中に見いだす人もいれば、日々の作品作りの中にライフワークとして見いだす人も居る。お好み次第です。
重要なのはそこから「熱」を得ることです。モチベとも言いますが。

 

●第2回ホビー祭り 企画内容


今回の催しものは以下のようなものでした。

 

・模型展示会(ノンジャンル・ノンスケール)
・工作スペース
ジオラマ制作教室(KATO)
鉄道模型試走(蔵模型)
・エアガン試射
・プログラミングロボ
プラ板制作
・ネイルアート
・バンド演奏・アニメ曲吹奏楽演奏
・物販(キットや完成品おもちゃや、模型関連書籍が買える)
・ラジコン試走
ぷよぷよを、プロゲーマーと対戦
・将棋やTVゲーム
アナログゲーム、カードゲーム対戦

次回からは、このそれぞれについてレポートをしていきます。

 

今回は前回に比べて、格段に規模が増えました。後述するように自分は半ばスタッフ側になったものですから(笑)、この全部を回りきる事は出来ませんでした。

しかしこれだけを招聘するのも、大変なことで。
どれもが「楽しんでいってください~」という雰囲気があったのでよかったのですが、一歩間違えれば、このゴチャ度合いはカオスですよね。

でもそこは、再三申している「風通しのよさ」があった。
それはイベントを無理に一つのマニア的方向に結ぼうとしない「自由の気風」があってこそ、だと思います。

このホビー祭りにランキングはありません。
別にランク上位にいくことがすべてではない……というか、そういう方面での「ガチ」さは今回ノーセンキュー、not for us(うちらのやり方とはちょっと違うよ)っていうだけです。

かといって、ストイックでない、というのは違う。皆さん作品作りと「この場を楽しもう!」という意識はストイックです。そして、もともと真のストイックとは、そういう「楽しみのためのストイック」であるはずだと思うのですよ。やっぱり。

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次回に続く……

第2回ごうつホビー祭りイベントレポート(1)今年も開催されました

このイベントレポート連載は、全部で7~8回くらいを予定しています。

 

 ●目次

 

(1) 
いまここ

(2) 

第2回ごうつホビー祭りイベントレポート(2)島根県江津市、イベント内容 - 残響の足りない部屋

●hobby is 何


「なるほど社会の為に働き、社会を護るのが人間の存在価値という貴様の主張は解った。そして質問させて欲しいが、では、社会の……我々の【何】を護るために働くのかね?」


「人は、パンのみにて生くるにあらず」

そんなことはある種の人々にとっては、考える間もなく当然なことなんですけどね。娯楽が、遊びが、「ホビー」がこそが、人間の生きる意味を、日々の仕事にいそしむ意味を形作る。マァそんな哲学は追々語るとして……。

●第2回ごうつホビー祭り

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去る2018年8月末に、「東京から最も単純移動時間がかかる町(教科書認定」こと島根県江津市の駅前「パレットごうつ」にて、二日間の「ホビー」の祭典、ごうつホビー祭りが今年も開催されました。
この催しは、地元の有志団体「江津理工クラブ」さんが、地元の商店や、各地の企業と連携をとって、去年2017年から行われているものです。不詳わたくし残響も、去年の第1回ごうつホビー祭りのイベントレポートを書きました

 

あれから1年。理工クラブの方々から「今年(第2回)もやります!」とオフレコで情報を頂いてから、わたくしもとてもたのしみにしていました。
第1回はとても手作り感と「自由の気風」溢れる、風通しの良いイベントでした。何もかもが手探りでしたが、予想を越える反響を得て(主催側が「ここまでとは!」と思うほど)、各々が手応えを感じていたと思われます。

わたし(筆者)にしたって、ずいぶん久しぶりに模型展示会に参加しました。しかも出展側で(同人CDは同人即売会で頒布の経験がありますが、模型の出展はなかったのです)。しかし、そんな「お初」であっても、とても良い経験・思い出を作らせていただいた、と思っております。

そんな自由の気風溢れるごうつホビー祭り。今回は規模を拡大しての催しです。去年の段階で、都市の企業がわざわざ江津まで来てくれました。また、工作スペースを会場に設けたり、ゲーム対戦を実際に会場で出来たり、と様々な企画がありました。


しかし今回はその規模をさらに拡大
「二日間開催」ということもそうですが、
ホビー関連参加/協賛企業の数の多さ(20企業はある)、
物販ブースの設置、ラジコン体験コーナー、プロゲーマーのさらなる招聘(この1年でどれだけeスポーツ関連の隆盛があったか)、
エアガン試射や、プラバン工作、プログラミングロボット工作、ネイルアートなどの企画。
ブラスバンドによる生演奏、地元バンドによるライヴ、
ココイチカレーやアイスクリーム屋、タコス屋といった屋台の常設……

などなど、「祭り」の規模をさらに拡大しての催しなのです、今回は。
実際、今回の集客は、前回よりも「さらに」よかったそうです。

 

前回は会場がパレットごうつの1階スペースに集中していたので、結構手狭な感じはありましたが(すし詰めほどではないものの)、今回は「熱気のある会場をゆったり回れる」くらいでありました(体感として)
どのブースも人が途切れることはなく、展示された力作の作品に多くの人が見入り、そして作品の作者、参加企業、スタッフ、来客の皆が「良かった」と充実した二日間を過ごせた催しだったと断言出来ます。
それは自分の古くからのネット友人である義実たかさんが、わざわざ遠方からこのホビー祭りに二日間来てくれて、以下のレポートを即座に書いてくれたことからもわかることです(まずはリンク先のこのレポートもお読みいただけたらと思います)

yoshimitaka.hatenablog.com


今回から連載するこの「第2回ごうつホビー祭りレポート」では、作品紹介や企画紹介をするとともに、その場に居合わせた「わたしたち」がどのように楽しんで、ホビー文化について考えていたか、を紹介していけたら、と思います。
というのも、参加した自分にしても、義実さんにしても。理工クラブの方々にしても、模型関連を取り仕切っていた地球堂模型さんや地球堂さん旧知のスタッフにしても。そして参加者からお聞きした言葉にしても……
たのしくお話している間で、時たま「自省的(省察的)」な言葉や「思想」を伺うことが出来たからです。

それは激しいものでも、反逆的なものでもない。もっと静かなもので……

「自分(たち)にとって、趣味(ホビー)とは何か」
「子供たち(後世)に対して、何を伝えていったらいいか」

という無言の省察をどこかで雰囲気感じていたのです。自分は。
そういう意味で、ずいぶん考えさせられることの多いイベントでありました。

今回のこの第二回ホビー祭りのオフレポがこんなに遅れたのは、そのいろんな考え・省察の整理に時間がかかってしまったから、というのがあります(すいません)。
ただ、もうそろそろ纏まった、というのがあり。また、いくつかのカテゴリにバラけさせて語ることにより、このホビー祭りがいかに「いろんな輝き」に溢れていたか、の総体的なレポになるかな、と考えて、今回こうして連載形式で書くことにしました。
とりあえずは、まずは写真をいくつか掲載しますね。(撮影許可は理工クラブさんに取ってあります)

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次回に続く……

暁け暮れ明星日記「本CDを売った」(第2回/全20回 9/24分)

●本やレコードを売った。

 一般人がびっくりするほど売った。オタクでさえも「え、それって残響さんという人間存在において、象徴的な作品だったじゃん」って証言するだろうものまで売った。

 なぜなら、その作品の数々に関しては、もう魂と血と肉に染みわたっている確信があるから。「血肉になった」という慣用表現は、正しい。自分の肉体を行き渡る血の水分のなかに、その作品は偏在している。脳内のシナプスに、その作品は宿っている。構成物質。

 管理が出来なくなった、という情けない理由もある。こうして本棚や倉庫から引っ張り出してみると、まあ出るわ出るわ(本とレコード)。「さっと耳クソを取るくらい」と思っていたのが、あれやこれやで、ちょっととんでもない量になった。これは耳クソの量ではない。

 そんだけのものを「死蔵」していたのだ、と考えると、ちょっと愕然とするものがある。自分は「大切」という感情に、かなりの「惰性」を交じりこませていた。

 別にミニマリストになるのではない。しかしミニマリストとやってることは変わらないか?でもいまだにある程度の本とレコードがある。これらは「血肉レベルで大切にしてはいるが、まだ現在進行形で養分を吸収する余地があり、自分をすぐに奮い立たせ勇気づけてくれるもの」である。ややこしい書き方をしているが、まだこれは、自分のなかで「伝説」になってはいないモノだ。。神格化ではない。今、自分と共に歩いている物だ。そういう物まで売ることはないだろう。

 

●かといって「創る」という義務は採用しない

 

 ときに、一部の人間はこういう風に、思い定まったら断捨離をする時があるらしい。少なくとも人間椅子・和嶋の自伝本でそういうエピソードを読んだ。

 あるいは、いつかこういう日が来るということも、自分は予想はしていた。自分を託していたものに、いつか別れを告げて、どこかへ旅立つ日だ。

 どこへ行く? 数日後に実はリアル旅行を控えているけど、それが「どこかへ旅立つ」という意味ではない。まだ少々は、このガランとしつつある部屋で、事を為すつもりだ。それは大いに作り「かけ」たり、大いに遊びまくるのだ。

「売った(別れを告げた)からには、創作せねば」の悲愴ではない。そんな、人質にナイフを突きつけるかのような「取り引きの創作」なんて、ロクなもんじゃない。人生は義務ではない。創作は義務ではない(もちろんこのブログ日記も義務ではない)

 そうじゃなくて、作り「かける」のだ。作品にせねば!と思って作品に取り掛かるのではない。遊びの延長線上として、「まあ作品として形作ってもいいかな」程度のものだ。

 「遊び」こそが、(あくまで)自分にとっては、根幹なのだ。

 

●遊び

 

 「自分の限界がどこまでかを知るために僕は生きてるわけじゃない」という歌があったり、「俺は俺を証明する必要なんてない!」という歌があったり。

 昔はその意味がわからなかった。

 今は分かる。

 限界を証明して、だから何なんだ。世界に自分を刻み込まなければ自分の価値はないってか? いいや、その類のマインドゲームには乗らない。わたしの価値にして神は、ダイヤブロックガンプラジャンクをガチャガチャいじって遊んでるこの(たなごころ=手のひら)の中にあるのだ。あるいは、掌動くときがまさに神の実在を感じるのだ。これはおれの神だ。あなたがたの神ではない。おれだけの神だ。わたしは、こいつ(掌の神)なら信じても良いと思う。ずいぶんこの神に、自分は冷や飯を食わせてきたけど、いまだにこいつは自分を見守っていてくれてるのだ。

 その掌の神が告げる。「世界ニンゲンいいね!レース」に不参加表明でもいいんじゃないか?と。少なくともこの両の手(掌)は、ブロックやジャンク、あるいは画材や楽器を使って、ひとつの「自分にとっては悪くないバイブスの、なんか楽し気なもの」を作ることが出来る。例えば、ガンプラジャンクとダイヤブロックを組み合わせたオブジェをつくる。それは、精密さでは遥かに有名モデラに及ばない。それでマネタイズが出来るわけでもない。

 しかし自分は、まずこの世にこういうオブジェを、ガチャガチャといじって遊んで、作ることが出来るのだった。そんで、気が向いたらそれを画材でイラスト、あるいはコラージュアートにしてみる。写真を撮ってさらにサンプリングコラージュしてみるのも良い。また、そのオブジェの「なんとなくこんな感じ」のイメージに合いそうなコードを、サンプラーで録音して、切り刻んでビートにして、MTRで曲を作ってみたりする。

 そうして、自分の「神話」が、少しだけ豊かになる。それで、良いのだと、思う。作品にせねばならない義務はない。自分がネットを介してその「神話」をひょいと置いてみるのは、ただ単純に自分が楽しいからであって、バズなんてどうでもよろしい。というか、ぶっちゃけるとこのオブジェを中心にした「神話」に関しては、どう考えても自分は他人に「見せてやってる」上から目線が凄い。他者には「見せてやってる」のだ。例外的に、うちの同人活動でイラスト描いてもらってる小西さんだけは、「これどうでしょう?」と意見を求める。もちろん、これは「創作者と創作者の神聖でたのしい意見交換」である。バズなんぞといっしょくたにしないでくれ。

 

●血肉の本、CD

随分、助かった。これらの血肉の作品のことを、忘れない。というか、このまま死蔵していたら、なんか惰性のままに「忘れて」しまいそうな気が物凄い。それは、違うだろう。だから、自分は手放すことに決めた。

あるいは、そういう手放しを、「いつかそれらの作品のレビュー書くときに困るよ」という向きもあるかもしれない。それは前は思っていた。だからため込んでいた。でも、もうそういう「資料を駆使して、誰かにツッコまれないような、技術と理屈のレビュー」はやめたんだ。自分が、その作品の「凄い読者/リスナー」であることも、手放したんだ。

 ただ自然に遊べばいい。あの時あの作品たちからもらった感情が今も自分の中に息づいていて(まちがいなく、いる)、それが何かこれからの「遊び」「創るかもしれない作品」に、形を変えて芽吹いていればいいな、と思う。誰かに知識量でマウント取るのが趣味の本質じゃないことは明らかだ。すげえ!と言われることでこの世に証をたてることは、すごーく歯ぎしりして疲れるっていうことに気が付いた。

暁け暮れ明星日記(全20回 第1回9/16分)

今日もPCやって目が痛い。ということで生存報告的な記事を書きますが、この「ということで」っていう接続語いるか?って話ですね。ああこうして余計な文章が出来ていく。
現時点でPCを40分くらいやってるので、あと活動限界5分くらいなので、がががーっと書きます。
 
Twitterをやっていないこと
 
主に最新のツイで書きましたが、まあSNS中毒ですね。これはいけない。このまま死んでしまってはいけない、そんな風な自分という人間はいけない。そんな風に死んでしまう自分が許せない。許せないっちゅーかなんかな。自分は猛烈に後悔&イヤな気分になるだろうな、って話。臨終のとき
 
また最近臨終のことばっかり考えていますが、もともと自分は35歳で死ぬと考えていました。自殺か衰弱かはともかく(比率としては自:弱=3:7かなぁと)、まぁ自分に与えられた所与の魂継続時間は35年くらいだろうな、と
それは自分の投薬とこれまでの病気によるダメージ蓄積がかなりスゴイので、肉体が虚弱になってってるということ。
それと、2008年から2012末冬-13年新年あたりまで、ほぼ1/2日の確率でずーっと「宇宙曼荼羅直結幻覚」を就寝時に見ていた、というのがあったからですね。あの宇宙曼荼羅はいかんよ。あれを受け続けたら、見続けたら、人生観変わるよ。死生観か。「もう【死の苦しみ】より強大な苦痛を、こんだけの期間受け続けた(しかも発生条件はダイス振る感じ)」というのが、自分の死生観を決定してしまって、そこから逆算して「自分の死の価値」「現世に存在している自分の価値」「現世でやりたいこと」を決定してって、その決定が「今何をすべきか」「今なにをして、後悔せん人生になりうるか」っていうことを考え続けてるのだと思う。実際に行動をやりまくってるのだと思う。だから、これもこれで、一応自分の人生を「ちゃんとたのしもう、やりたいことはやろう」っていう表れのポジなんだろうなと思う。
それが、こんだけ虚弱体質でも、一応「リアル行動」「創作活動」をやってってる理由ですね
 
で、まあSNS中毒なわけです。これはいけない。自分の人生で「猛烈にやりたいたのしみ」のなかに、Twitterというのはちょっと違うわけです。
だのに、ついやってしまう。これを中毒と言わずして。
ついツイをやると、ちょっとだけ何かを忘れることが出来るんですね。ちょっとだけ呟いて、それで何かをしたような気になる。
自分のやりたいことは、創作HP運営、オリジナル創作神話の構築だったろう……という
 
●文章下手だね
 
これはまた記事を改めて、日を改めて書きますが、自分えろすけ(批評空間)に投稿しといた「駄作」の感想を読み返したんですよ(そういうタイトルのグロゲーがあるのです)
ところどころで、「へー、おもろいことを書いてるな、あくまでfor me(おれにとって)な感じではあるが」とポジなことを想えて、あー「おれはへただへただ」の悔恨ばっかりでもないんだな、と思えたのは良いのですが、しかしあれだ。それとは別に、文章の構造力というか、論理的メッセジ伝達力が、あまりに希薄で。怪文書を並べ立てて口上カマしてるよなもんですから、あの文章。だから自分にとって意味はあるが、他の人にとってはなぁ
 
●しかしヘンリーダーガー
 
でもこの「他人を意識する」っていうのを、今排除したいがゆえに、SNSを遮断したのも事実。よってヘンリーダーガー的な創作ライフスタイルをどこかでロールモデル理想としてる自分もいる
 
※ヘンリーダーガー:ものすっごい量の妄想小説とその挿絵コラージュアートを描きまくったけど、どこにも誰にも発表せんだったから世間的には無名だった「非現実の王国で」という長大な妄想の作者。前世紀のアメリカのひと。
 
結局「オリジナル神話の構築」であって、それは他者が褒める認証する、っていうのが前提ではなく、それによって価値が決められるもんでもない。自分が構築する、自分が手で作るいままさにこの瞬間(と、構築物)こそが、自分にとっての価値なんだと。その価値だけでいいのだと。
というか価値っていう概念自体が、「他者」という存在をそもそも前提にしている。「うわおれ、いまめっちゃ気分ええわぁ、たのしいわぁ」だけで十分ではないかと。そこにおいて「他者」は前提的必要必須ではないのだし。
 
●PCやって目が痛い
 
そんなわけで5分。今日はTwitter小説の更新をやって、しかしTwitter小説を投げるだけで、纏めてはいません。
あ、この「Twitter小説更新」はSNSではないです。あのSNSっていうのは、「残響さん」としてなんか「わかってくれよぅ、自分の日常をよぅ」という感じで流すようなのです。この「Twitter小説更新」はどう考えても「路上ライヴパフォーマンス」です。「口上(ことばあそび)の文芸」を自分の創作の母胎のひとつとしているからには、このライヴパフォーマンスはやはり定期的にやっていきたい。そこに本質は、確実にあるし、Twitter小説をやってるってことは、ライヴで創作をしてることだから
(オフラインで創作をする価値はいささかも減じていない)
 
ただ、虚弱になったから、目は痛い。電磁波はくる。pcから。これがとてもつらい。だからPCは45分ワンセット、で休憩、っていうのが一連の流れ。
ここまで一気に書きました。
 
この日記は、生存報告と、自分(残響)がやってることの更新としてやっています

第2回ごうつホビー祭りに参加してきました


8/25(土曜)、 8/26(日曜)に、島根県西武で行われた「ごうつホビー祭り」に参加しました。

前回オフレポ

ジオラマを3作品制作し、出展しました


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大変に楽しかったです! くわしいオフレポは、後日書きます。たぶんscrapbox.ioのほうで

 

同人で相方やって頂いてる義実さんが、遠方から来てくださり、2日間多いにたのしみました


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(共同で、祭り2日間のうちに作りました)

写真もいっぱい取りましたので、書きますよー、オフレポ

【外部での活動報告】『つよきす3学期』対談も開始しております。

 梅雨ですね。じめっとしてますね。じゃあエロゲだ! 
ということで、当ブログ管理人(残響)が他のところでやっとる企画のご紹介です。
 書評/エロゲ感想/サッカー観戦ブログの止まり木に羽根を休めて管理人・feeさんとやらせて頂いている対談ブログ「止まり木の足りない部屋」、こちら、新フェーズというか、続編企画に入りました。

 

●feeさんのブログでのご紹介

止まり木に羽根を休めて : つよきす3部作をやりました

 

●対談ブログ

zankyofee.jugem.jp

 

●「つよきす(無印)」対談全体

zankyofee.jugem.jp

●「つよきす3学期」対談全体

zankyofee.jugem.jp

つよきす対談→つよきす「3学期」対談

 

きゃんでぃそふとつよきす」シリーズについて。

www.candysoft.jp

 2005年に、タカヒロというライタが中心になって発表された、のんきなコメディ学園ものエロゲ「つよきす」。テーマは「ヒロイン全員、強気っ娘!」
 オタク界隈では、当時勃興していた「ツンデレブーム」と相まって「これぞツンデレゲーの傑作よ!」という評価がされました。今考えれば、かなり安易だなこの流れ……。

 そして、2011年に、「3学期」という続編……が発表されました。ただし、これはタカヒロらオリジナルスタッフによる作品ではございません。きゃんでぃそふとが、さかき傘という実力派ライターを招聘して書いたものです。

 タカヒロはその数年前に、きゃんでぃそふとを離れ、自らのブランド「みなとそふと」を作っております。2009年には「真剣(マジ)で私に恋しなさい!」という大作ゲームをものしております(後述)

 さて、みなさん。そういう経緯で発表されたゲームなので、「駄作なのでは? 三学期」という憶測を立てられて当然です。

 ところが、この「三学期」。予想を裏切って、「悪くない、むしろ良作」という。feeさんもそうおっしゃっていて、残響に「つよきす(無印)の後に三学期をやるのは、全然アリ」という風なご紹介をしてくださいました。

 実際プレイしてみて、その通りでした。どう「その通り」なのか、は対談をご覧になっていただきたいですが(この記事、誘導記事だもんねぇ)、少なくとも「消化試合」的な、ナアナア感は、ないです、この作品。何より「」がある。もとの「つよきす(無印)」への、つよきすワールドへの、愛が。
 なので、焦点となるのは、さかき傘というライタの愛、及び手腕になってきます。

●正直(あるいはこれからの展望)

 

 こういう機会がなかったら、つよきすや、三学期、というのをプレイすることはなかったと思い、feeさんには感謝です。また、feeさんとは、読書傾向、ゲームプレイ傾向、あるいは趣味嗜好について、「重なってる部分がありつつも、やっぱりどうも見てる世界が違うっぽい」というので、対談するにおいて「良きズレ」がありますし、また刺激にもなり、凝り固まったアンテナを拡げてくれます。

どうも最近自分自身、こういう「拡げ」って方向が、暗黙のうちにムズくなってきますね。それは認める。方向性の決定と表現すれば言葉は心地よいですが、それでもその実は感性アンテナの硬直化であります。

なにより、世の中は広いっていうことは、いつでも自分に叩き込んでおかねばならないことで。それ言い過ぎだとしたら、「可能性がここにもあるよ?」っていう実感はもっておきたいところ。

それから、自分自身、どこかでエロゲーマーとしての現役度合いが減少してってるのは、自覚していて。でも、ヴィヴィッドなエロゲ語りを実際にしていくと、やはり楽しくて。そういう機会を与えてくださったfeeさんには改めて感謝ですね。

 

 結構手間がかかっている企画で、全部通して読むと文字数が多いですが、読み応えはある記事だと思います。基本「たのしい」ムードの対談ですから、如何でしょうか。すでに三学期は両者全プレイ、対談全部取り終えてあります。今ブログ編集中です。

 

 また、上述の「真剣で私に恋しなさい!(まじこい)」ですが、この「タカヒロゲー」の流れで、プレイしており、こちらも対談を収録しております。現在、作品全体(ルート)の半分を確実に超えております。

こちらも対談記事をUPしていきますので、ご期待ください。