アメリカ民謡研究会の研究

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(聞いて考えたことをそのまま打鍵しています)

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上記音楽ブログ管理人・カナリヤさんからのお勧めで聞いた。そんではじめてきいたこの人(Haniwa氏という個人。会ではない)の動画は、ファズをかませたベースをループさせた音源のオケに、ボイスロイド(音声朗読版ボーカロイド)のポエトリーリーディングを載せる、というものでした。

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あまりにガチガチに歪みきったサウンドに驚いた。この手の弦楽器の生演奏を、ループ・サンプラー(ルーパー)を使って重ねていくのは、マーク・マグワイアやダスティン・ウォンといった「エフェクター・マガジン」ループサンプラー特集号で出てきた面子だったりで存在は認識していました。インディーシーンで、機材オタ的な面子が、アンビエントだったりバキバキテクニカルフレーズ重ねを、ルーパーを使ってやる、っていうのは、2010年代以降の展開だなぁ、と、個人的には好感を持ってみていました。独りで演る、っていうのがよろしい。以前、この手の生演奏ループ音楽について語ったところ、「打ち込みでやったらええやん」と無情な批判コメントをもらったことがあった自分でして、その時、有用な反論をかませなかった情けなさです。

今、改めてこの手の生演奏ループを思うに、「独りで行う」ということが何より重要なのだと重いまする。確かに、演奏全体の総合構築性の整合性を目指すなら、打ち込みにしたほうがよいのは明白。でもこのループ系の場合、独りで演奏し、ジャズのようにアドリブを自由なタイミングでカマし。独りでその演奏レイヤー(重ね)を編集し、さながらクラシックのように指揮する。演奏レイヤーは重なっていく。その各レイヤーのテクスチャーやファサード(音の肌触り)を、重ねていく。独りで。たった独りで。それは要するに、自分の演奏を素材にした編集音楽である。何より、自分を分解してライヴで統合する、自分との対話に他ならない。

 

バキバキに乱打するドラムトラック、そのウワモノとして使うのはベースだけ。歪ませたベース。これについては、2000年代以降のフリクションDeath from above 1979、ロイヤルブラッド、などが、「歪ませたベースでのロックンロール、パンク」でもって追及してきました。スリーピースでの、ギター、ベース、ドラムという「いわゆる最小編成」での音像より、もっと少ない。ギターソロはない。ギターのコード感は、ベースで補う。ギターの「壁」的なコード・リフの音圧は、エフェクターでもって解決する。あるいはドラムのウワモノ(シンバル、スネア)とのコンビネーションでどうにかする。しかし問題は、ギターという「音階をメロディアスに奏でることができる音源」のなさで。上記バンドは、どれもそのあたりの流麗メロディアスさの歪みギターを、どこかで諦めることにより、リフ重視の、ループ系にも似たグルーヴ音楽を構築することとなった。ヴォーカルも、どちらかといえば「歌い上げる」よりも「グルーヴに沿う形」といったほうがいいだろうか。さらにいえば、ロック・デュオ最小編成はギター&ドラムの、ベースレスな、ホワイト・ストライプスがこの分野では一番成功を収めているが、やはりこちらもギターの流麗さよりも、もっと別のものを持ち込もうとしている音楽である。ジャック・ホワイトのシャウトとノイズギターは、何よりもブルースである。元来、電化ブルースの初期は、ベースがない場合がたびたびあった。マディ・ウォーターズのギター&ドラムの音源とか。


このアメリカ民謡研究会が、ループ&機材音楽や、ドラム&ベース音源のあたりの文脈を押さえてはいるだろうけど、サークル名の「アメリカ民謡」をちゃんと研究しようとしている、とは到底思えない。ライ・クーダーのようなアメリカ民謡・古楽・ワールド系復刻的な視点も、ボブ・ディランウディ・ガスリー以前をフォーク文脈からアメリカ民謡掘り起こしみたいな観点も、あるいはいわゆる「アメリカーナ」的なノスタルジア憧憬も、または南部ブルーグラス音楽をアイリッシュ移民ケルト音楽の文脈から、というような視点も…とにかく、ちゃんと「アメリカ民謡を研究しよう」という気構えが感じられないのは明白で。ようはVaparwave的というかパンク的な「さして意味のない、やる気のないタイトルの中の虚無性」でもって、逆説的にアティテュードを表明する、というものだと思う。


ただし、何かを「研究」しようとしている態度はとてもよくわかる。どの音源も、実験性にあふれている。音楽機材…ファズ系エフェクターとループ系エフェクター、ドラム音源のビート系PAD、パソコンによるDAW編集、そしてボイスロイド。機材の研究のなかにインスピレーションを求めている。アメリカの中には求めていない。もっとも、現在のアメリカが表明する「米国ファースト」に対するアンチ視線をナチュラルに持ち合わせているくらいの反骨的な魂は当然持ち合わせているだろうと思う。
そんな詩人だ。この詩人は反骨と屈折、屈託と、綺麗で透明な風景に対する憧憬と、穢れていく人間の精神へのまなざしと、それでいて「やっぱり何かを諦めきれない」詩を書く。それをメロディ(歌)にしようとしない。ポエトリーリーディングで行う。ベースとドラム音源の轟音リフにのせて。それが、非常に、クる。

 

以上のことを端的に述べれば、カナリヤさんのこのツイートになる。自分はこんなに文量を稼いで何をやってるというのか。コントラスト。それも、ぢゅくぢゅくしている傷口から放たれる、折れそうな精神の、それゆえの強靭なメッセージというか。何を自分は書いているのか。意味がわからない。でも、「もうぼくは…消えてしまいたい…」という方向性じゃないんですよ。しっかり考えているっていうことがわかる詩。こちらのリスナーをアジテート(煽り)しながらも、煽って終わり、という下衆な感じはぜんぜんない。いつもこの人の音源は、冷徹な語り口で、完結していて、ドライで、だからこそどうしようもなくエモーションなコントラストなんです。この人の語りには、襟を正して耳を傾けたくなる何かがある。ボイスロイドなんだけど。

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最近の音源では、お手の物だった轟音ベース&ドラムよりも、落ち着いたエレクトロニカ的なバック音源に乗せて、やはり冷徹で、完結していて、どうしようもなくエモーショナルなボイスロイドのポエトリーリーディングを載せている。だから、ベース歪みだけの実験音楽なだけではないのだ。この人の本質はこの報われないエモーションなのだ。誰かに自分の声を聞いてもらえる(そしてヤンヤと共感喝采される)ことをハナから期待してはいないけど、こっち(リスナー)はこっちで、この人の言葉に耳を傾けてしまう。向井だ、わたしたちが向井秀徳の「自問自答」を夜中延々歌詞カードを読みながら自分の人生を投影していたあの感覚だ。

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どうしてもベース歪みでないといけないのか? 
おれら機材マニアは、こだわりっていうものからインスピレーションを得る。そして楽曲を作る。その意気っていう。自分も、歪みベースについてはさんざんやりました。ベースから音をパラって片方をファズにつないで、片方のドライ音をベースアンプにつないで、ミキサーを使ってローカットして…。「そこまでして」っていわれようが、こうして機材をいじることがとにかく楽しいんだから仕方がない。ある程度それが逃避めいたことであるのも自覚はしているんだけど。

しかし、この人の動画(写真と文字を多用)を見るのは楽しいですね。機材トークももちろんですが、この人は音楽を作ることを、日常の中に取り入れている。地獄の日常から詩をひねり出す、っていうのよりも、冷凍都市であるけども、時たま透き通って見える風景であったりの日常ってものを、見捨てきれないというか、やっぱりこの日常だって美しく見えて、そして機材をいじってるのが楽しい、っていうのが伝わってしまう。機材をいじることは、やっぱり楽しいんですよ。そして、音楽を作るっていうことも、楽しいんですよ。研究するのが楽しいんですよ。この人の音世界の透明な殺伐なのに、現時点での結論それ?と思いますが、この人の作品、音源から見えてくるのが、そういった「音と共にある生活」のささやかな愛しさみたいなものなんですね。まるでルインズ(日本のプログレデュオ。変態変拍子ドラムと歪ベース。この人の音源に一番近い音像かもしれない)みたいな音ですが、どこかに生活日常への目線が紛れ込み、絶望をこの人は日常的に感じながらも、「孤独に音を楽しむ生活」っていうスタイルに、なんか良いなぁ、と勝手に感じているんです。だから「誰をも幸せにしない実験」な音だけをやってるわけでなく、この人はこの人で、音楽を楽しんでいるんだぁ、という風通しのよさがあるわけなんですね。そんなことをまず思っております(たぶん続く)

職業倫理としてのゴブリンスレイヤー

ゴブリンスレイヤーは辺境都市社会に必要な人材である。だが求められる形は、勇者でもなければ、英雄でもない。王でもなければ、騎士でもない。求められる形、それは実のところは冒険者ですら、ない。
この場合の冒険者、とは「富と名声、そして浪漫(ロマン)を対価として、荒事を解決する便利屋」といったものが、四方世界中世における役回りだ。
そしてゴブリンスレイヤーのやっていること、ゴブリン退治が、「冒険」の名に値しないのは、散々、作中にて妖精弓手が糾弾しているところのものなのだが、本考ではそこのとこをもっと話していきたいと思う。

この記事は、ゴブリン退治の汚濁についてと、ゴブリンスレイヤーを認める人たちを踏まえて、社会整備・職業倫理について語る。

ゴブリン退治に求められているのは、都市における社会インフラの整備である。
ゴブリンは定期的に沸いてくる。とくに訳もなく生まれ、善陣営(プレイヤー)側に迷惑をかける。ゴブリンを退治することは、けして不可能事ではない。レッドドラゴンを殺す(バスター)事に比べれば、ゴブリン退治単体の苦労など、非常に低レベルだ。
だがそれを継続して行っていくことは、これもまた難事であることは、小説本文中において、ゴブリンスレイヤーの数年の営みとして描かれている。
それにしても、「汚濁」に対峙し続けるということは、当たり前のことをここで言うが、とても疲弊するのだ。

どの社会でもゴミは出る。ゴミ処理業者の話をする。
ゴミを出すことは、一般人にとっては、特に問題なく毎週行われることだ。そして、回収業者は各家庭から出たゴミを、毎週2回は回収しなくてはならない。生ゴミは腐敗するからだ。そして、このようにゴミを処理することは、とくに大したことではない。物理的な仕事としての意味合いで。この、人がやりたがらない仕事であるゴミ処理。これを率先して行う者は、家庭でも、社会でも、ありがたい存在である。だが、社会的に「高い価値」のある仕事と、率先して称揚はされていない。下水道管理や浄水槽管理も同じようなものだ。
ゴブリン退治の本質はここにある。社会インフラの整備は誰にとっても大事で、誰もが重要性を訴える。にわか大学生のレポートから、ごみ処理業者に「もっと回収に来い」と促す町内会の議事録まで。だが、率先してゴミ処理業者になろう、という者は少ない。家庭で出る生ごみの処理すら、疎ましく思うのが大半である。


ゴブリン退治においても同じことだ。ゴブリン退治は雑魚狩り。誰にでも出来る。しかし、汚い。見返りは少ない。もっと実入りがあって、もっと「カッコいい」英雄譚がある。誰もが必要としている仕事ながら、汚濁ゆえに、誰もがしたがらない。ようは、汚い仕事の押し付けである。

ゴミが臭いと同じように、ゴブリンは臭い。獣の話をする。
賢明なる読者の方々は、獣が檻に入れられて、刃物や猟銃にて処理される時。とくに獣がいきり立って、泥まみれの上に糞まみれになって檻を体当たりでこじ開けようとしている時の、あの臭いをご存じだろうか。筆者はとある機会があり、こういう場面に出くわしたことがある。凄く意外なことに、ここまでの激臭だと、リアルに「甘い臭い」すら漂ってくるのである。泥、草の臭いと、糞の臭い、獣の臭い。そして死を前にした獣が放つ殺気とタブーのオーラ。それらが混じりあって、異様な「甘い臭い」を感じてしまう。ラディカルナチュラリストは「いのちをだいじに」と言うが、気を抜けばこちらもやられかねない、獣との対峙なのである。緊張は常に抜けない。そして、やがて、血は流れる。その臭いに蝿がたかる。忌まわしい虫が、自分たち人間の頬にも触れる。それを払い……

こういう「獣の処理」に、多少の対価はあれど、社会的意味付けはあれど、「率先して称揚」はされない、という話である。とくに、この臭いにまつわる場面は称揚はされない。

都市というものは、人工なる清潔を尊ぶ。「自然」から、あらゆる手段を用いて、「汚れ」「臭さ」を脱臭したものが、都市なのだ。

そういうあたりの「汚濁にまつわる身体性」という観点からしたら、ゴミ処理は、いつだって都市の中心たりえず、いつも周辺・周縁の位置にある。バッチいから、なるべく遠ざけたく、目に触れたくないのである。

四方世界中世においても、おそらくそうだろう。中世都市とはいえど、その本質が都市の人工の清潔志向である以上、臭いは排斥されなくてはならない。そのレベルは現代の清潔レベルとは低いレベルで段違いといえど。臭さ、汚さ、野蛮、それは都市から排除されなくてはならない。だからこそ、再三ゴブリンスレイヤーの鎧のみすぼらしさは、文中において強調される。あの鎧の描写こそ、ゴブリンスレイヤーが都市において「異物」である証拠だ。


だがそれもおかしな話だ。誰にとっても必要な仕事をしているにも関わらず、ゴミ処理業者の制服や、ゴブリンスレイヤーの鎧が、率先して称揚されることはない。本当は、これは論理的に言っておかしな話なのである。人間にとって、衛生とは非常に大事な事柄だ。そしてその大事なことがらの処理を、わざわざ率先して行ってくれる者を、どうして「汚物として排斥」するような真似をするのだろうか。マルクス社会学的な疎外論に入るとややこしいのでここでは匂わせるに留めるが、しかし人間社会において、どう考えても「大事」な仕事を、その仕事の汚濁性ゆえに排斥する、というこの奇妙(と筆者には思える)構造。大衆社会が清潔志向をするということは、汚濁の存在を「忘れよう」と封殺することでもある。それは、ごみ処理業者やゴブリンスレイヤーのような存在に、汚濁を「押し付ける」ということだ。

かくして、ゴブリンスレイヤーは辺境都市社会に「必要」な存在である。だがそれは、辺境都市社会において「冒険者」としてすら称揚されず、「処理業者」として便利な存在である、という、仕事の押し付けなのである。

ゴブリンスレイヤーのゴブリン退治に、終わりはない。ごみ処理に終わりがないのと同じように。獣が田畑を荒らし、沸いてくるから狩る。その遺体を処理するのと同じだ。終わりがない、という営為は、簡単に人を殺す。持久戦こそが最も過酷な戦である。一時期ゲーミフィケーションという言葉が流行ったが、あれは仕事のタスク管理において「ゴール(達成)」を持ち込んだものだ。短期的であれ長期的であれ、ゲーミフィケーションを導入したならば、仕事のタスクは点数化され、数値化され、その果てにゴールがある。工夫を行い、競争をし、ゲームとして仕事を楽しんでいく。
そして、いわゆる冒険者の「仕事」もまた、非常にゲーム的だ。金やアイテム。それはまさにわかりやすい点数だ。
それに引き換え、ゴブリンスレイヤーの点数化とは、単にゴブリンの殺害数をカウントしているだけ。しかも、「討ちこぼし」がないか、という非常に消極的なものだ。ゴブリンを100匹殺しても、次の1匹がいる以上、その殺し(スレイ)にかからねばならない。

ときに、ブログやweb小説の更新において、ゴールを設定していなく、小説を延々と更新していって疲弊しきって、やめてしまう、というパターンをよく見る。
終わりのないゴブリン殺し、ゴブリンスレイヤーを支えているのは、狂気の妄執だ。彼は、それを昏い悦びとするまでに至ってしまった。ブログやweb小説の「目的なき、終わりなき更新」に疲れるのは、むしろ健全なのかもしれない。ブログやweb小説に取り憑かれ、ゴブリン殺しをするかのように更新していっては、誰も救われない。

役にはたっているが、ほとんどの人は彼に感謝をしなかった。彼はひたすら、己の妄執にのみしたがって、人生を費やそうとしていた。
ところが、彼を認めている人たちがいた。メインキャラたちのことを語ろう。

女神官(弟子と信仰者)

女神官はゴブリンスレイヤーの弟子である。

師匠と弟子、という関係性において、何にも増して重要なのは、弟子の自主性だ。師匠に「教えてもらう」ばかりのみだったら、弟子はあっさりとその後しんでしまう。弟子は自ら学び、発見し、己の道を進んでいかねばならない。将棋界において、師匠を負かすことを「恩返し」と呼ぶのも、そのあたりだ。

ゴブリンスレイヤーは、誰をも弟子にとるつもりはなかった。しかしたまたま、女神官が弟子になった。それは、女神官がゴブリンスレイヤーの「行っていること(営為)」すべてに、何らかの意味を見出し、そのスキルは絶対に必要なものだ、と判断したからだ。
もとよりゴブリンスレイヤーは、この終わりのないゴブリン退治(殺し)の修羅道に、女神官を誘うつもりなどない。終わりのなさは、彼自身がよくわかっているからだし、なにより女神官にゴブリンを殺す理由(妄執)など、基本的にはないからだ(恐怖こそあれ)

女神官が、ゴブリンスレイヤーの営為に見出しているものは、ただひとつではない。慎重さ、装備を整えること、撤退の見極め、決断力、情報収集、及び知識に対価を払うこと、風土への知識、裏社会の作法、持久力の配分、などなどなど……あまりにも多い。

それは、ゴブリン殺しを経てでないと、得られないものか? いや、レンジャー職を志せば、それは得られるものだ。
だが、彼女には「信仰」がある。彼女の地母神信仰は、ゴブリンスレイヤーの「知」と「力」を求めるべきだ、と判断した。ゴブリンスレイヤーの行っていることは、汚濁ではない。汚濁を処理しているが、汚濁ではない。見せかけの汚さなど、地母神の教えにおいてはメッキに他ならない。「本質を観よ」それは地母神的であり、まさにそれこそ「信仰」生活そのものなのだ。

この視座は、牛飼娘では持ちにくいものだ。彼女は、「彼」であるが故に彼を肯定する。だが、彼の仕事そのものへの知識はまだ、薄い(当然、ゴブリンスレイヤー自身が、牛飼娘を「汚濁」の存在から遠ざけ、なるべく知らせることのないように努めているからである)

ゴブリンスレイヤーの仕事の「本質」を、女神官は把握し、了解し、尊敬している。そしてゴブリンスレイヤーの行っていることを肯定し、職業は違えど、本質を継承しようとしている。自分なりに。それは、巡りまわって、ゴブリンスレイヤーの存在の肯定であるのだ。師匠は弟子をとるのではない。弟子が、師匠を師にしてくれたのだ。人間に、してくれたのだ。

受付嬢(職業評価)

上記で、「職業倫理」という観点からゴブリン退治を語った。この職業倫理を、最大限に肯定しているのが、この受付嬢である。個人的な好感もあるけれど、それ以上に彼がここまでゴブリン退治という職業を、誠実に行ってきたからこそ、彼女の「ストイック」の評はある。
職業、仕事は、相手(評価する者)がいないと、成り立たない。人間社会のなかで在る以上、それは当たり前のことだ。そして、上記でさんざん、このゴブリン退治の仕事が「評価されにくい」ものであるのは語った。
それでも見てくれる人は見てくれるのだ。彼は社会において、公正に扱われてはいないだろうが、しかし最も公正に扱うべき職業人(ギルド)は、、きちんと彼を認めている。というか、社会そのものが、彼に感謝をしている、というのは言い過ぎだろうか。いや言い過ぎであっても、それは構造上、彼には伝わりにくいものであることは、秋祭りの時の受付嬢の「伝わってほしい」という願いに表れている。だからこそ、受付嬢は常に、ゴブリンスレイヤーに声をかける。諦めないで、と。

牛飼娘(存在肯定)

しかし仕事のみが人生ではないことは明白である。それ以前に、人は、一個の人間として、その存在をどうにかして肯定せねばならない。自分自身で、時には人の存在を借りて。

ゴブリンスレイヤーこそ、牛飼娘という幼馴染の存在に救われている者だ。全て無くなってしまった(虐殺された)過去。しかし、幼馴染は生きていたのである。同時に、彼女は彼女なりに、あの虐殺された日々から立ち直り、自分を肯定しようとしている。そして、その肯定度合いは、「自分ひとりで精一杯」な彼よりも上手をいっている。なにせ、彼をも肯定してしまっているのだ。

「わたしには君が必要なんだ」と何のてらいもなく言ってくれる人がいるということ。これは奇跡だろうか。「君が生きてくれることがうれしいんだ」と言ってくれる人。
彼の姉は死んだ。だから彼は、もう二度とこの言葉をかけてくれる人は、この世には存在しないと思っていた。ところが生きていた。だからこそ大事にしたいと思う。

ところが、すべてを牛飼娘に捧げ切ってよし、とするには、彼の人生は虐殺されているのである。どう生きていったらいいか、彼にはまだわかっていない。
そこのところで、ゴブリンスレイヤーの、「先生」や、牛飼娘の伯父に対する、報われない尊敬、というのが筆者には痛ましく映る。ゴブリンスレイヤーは、亡き「父性」の代替えの存在を求めている。「こう生きていけばいいんだ」というロールモデルを。だが、これは非常に難しい。この父性は、即座にマッチョ思想に結び付く。そして、そのマッチョ思想のもっとも悪しき形が、ゴブリンによる凌辱なのであるから。あまりにも、このマッチョの抜き差しならない問題に、彼は骨まで漬かってしまっているのだ。


一党…妖精弓手、鉱人道士、蜥蜴僧侶(余裕、誇り、可能性)

そこから救うのは、余裕(ユーモア)である。この三人がとにかくユーモアの達人であることは言うまでもない。まして、男二人は、初見でゴブリンスレイヤーの特質と美点を見抜いた。人間社会=都市社会、とはいささか異なる「職人」あるいは「蛮族」の流儀社会では、ゴブリンスレイヤーの美点は、明確に見いだせる。

鉱人導士から話そう。一党の中で鉱人は、ゴブリンスレイヤーに「余裕」を持つことを進める。ゴブリンスレイヤーがそれを素直に聞くのは、相手が職人であるが故だ。それも「物を作る」職人であると同時に、「術士」という、理に長けた者であるという、モノづくりと理屈の両方の説得力があるのだ。その両面から「余裕」を諭されては、ゴブリンスレイヤーに返せる言葉のあろうものか。

ましてや、鉱人は人生を楽しもう、という享楽的な面を持っている。それは「善し」としてよし、なのだと。これこそがロールモデルのひとつである。父性にはなれないけれども、先達として、ゴブリンスレイヤーが人生を正当に楽しむのは、肯定して良いものなのだ、と。

蜥蜴僧侶はもっとわかりやすい。あの堂々として、知性豊かな僧侶こそ、見事に「信仰生活」を行っている「大人」なのだ。自分を安定させているという余裕である。ブレていない。すでに彼の「悩むべき物語」は、ゴブリンスレイヤー本編では終わっている(だからこそ、蝸牛くも氏は、蜥蜴僧侶の裏設定がやたらにある、と言っているのだ)
その存在そのものの重みが、彼に「余裕」と「信念」の大事さを教える。自分が持っているもの(ポケットの中には何がある!?)を大事にし、感謝をする。そして、たとえ死ぬことがあっても、自分が納得しているのであれば、それでいい。蛮族式になる、ということではなく、己が立つ誇りこそが重要なのだと。ゴブリン殺しに誇りなぞ求めるべくもないが、だが女神官、受付嬢、牛飼娘と、ゴブリンスレイヤーを「誇り」と思う人たちはいる。なら、そこからまた考えられることはあるだろう、というのが、蜥蜴僧侶の存在そのものの重みである。蜥蜴は背中で語っている。

最期に、妖精弓手
ゴブリンスレイヤーの生き様は、ゴブリンの巣穴に似ている。「それ以外の世界(可能性)」が実に見えないのだ。なにせ、ゴブリンを殺すばかりの生活。ほかの土地、世界に行ったこともないのが、彼だ。
というか、場所というより、精神的な立ち位置の問題なのだ。なにせ、ゴブリンしか見えていないから。

そんな狭い視界から、強引に彼を引きずりだそうとしてくれる「光」が、まさに妖精弓手なのだ。冒険!冒険!とうるさい金床であるが、放っておいたらどこまでもダメな意味で先鋭化(つまり袋小路)に陥ってしまうのが、小鬼殺しの生き様なのである。

賢明なる読者諸賢においては、社会人になって、突然「なーなー、あれやってみようぜ!あそこ行ってみようぜ!」と誘ってくれる友人の存在が、自らの閉塞しつつある生活に、新鮮な風を吹き込んできてくれた経験はないだろうか? あの理屈である。

ゴブリンスレイヤーは、牛飼娘が秋祭りで云ったように「小鬼殺しだけの男じゃないんだよ」ということ。妖精弓手もそれを理解している。もっと楽しいことがこの世にはあるんだよ、ということを、この偏屈な若者に教える2000歳なのである。

と同時に、この一党に居るということは、言うまでもなく、ゴブリン退治の重要性を、骨身にしみてわかっている妖精弓手である。彼女もまた、社会の中で生きている。
だが、その反面、どこまでも彼女は自然児だ。自然は汚濁で、汚くて、臭いかもしれない。でも、光輝いている面も確かにある。彼女がいつも天真爛漫に美しいということは、自然が美しいということを証明していることでもあるのだ。

だからゴブリンスレイヤーもいつか、世界を見続ければ、虐殺された自分であっても、この世界と和解できるかもしれない。そんな途上の路上で、今日も彼はゴブリンを殺す。自分に出来ることを着実にこなしていく、それが小鬼殺しの職業倫理だ。

やがて来る自分の臨終時プレイリスト

自分は、自分がしぬとき(臨終)に聞きたいプレイリストというもんを、しばしば考えます。だいたい、自分はよくしぬ覚悟をする人間です。そういう人生でした。今生きてるのは、たまたまです。これを書いている今まさにこのとき(2020/4/3)だって、今日、なんかの事故に巻き込まれてしんでもおかしくないな、って本気で思っています。そりゃあすっごく困りますが、可能性として考えられないってほどではない。いや、今すぐの衝動的自殺を、今考えてるって話じゃまったく無いです。以下の文章をお読みになられれば分かる通り、自分は自分自身をぶっ壊すプロですが、それでも幻想とか芸術を信じたり愛したりして、なんとか自身を奮い立たせようとしちゃったり。てへっ(照)。

ともかくも、自分は、しぬってことが、意識の上で、ひどく身近に感じていますし、たびたび思考(想定・覚悟)しているタイプの人間だっていうことです。だから、悔いを残さないように生きたいと思っています。ただ、この「後悔したくない」っていうので、ちょっと現実で「やりすぎ」なこともしでかしてきて。それに、何であれ臨終のときは、ある程度何かを後悔はするだろうっていうこともわかります。ていうか、「アッもうダメだ」とこころから悟ったときは、案外後悔思考もしないってことも、実はわかってるです。ていうか体験しました何度も。この数年、何げにリアルに臨死体験を何度もしてるんですよ。誰にも言いませんでしたけど。

だからこのプレイリストは、「ああ、本日、自分はしぬんだろうな」ってことが自分でわかってるくらい、余裕のある臨終状況を想定してのリストです。肉体の崩壊はもう留めようもなくて、でも思考と聴覚だけはまだ残っている。そして聞こえてくる音楽で、美しい風景だったり、誇り高い思考だったりを、幻視出来るくらいの余裕がある、っていうことを前提しています。事故にでもあわん限り、自分の臨終で、それくらいは許されますよね。許されん?そりゃもうしわけないです。

というわけで、臨終時プレイリスト、元気にいってまいりましょう!(それもそれでどうよ) spotifyには絶対できないプレイリストだぜ!(そりゃそうだ)

#1 DEKU「Daedalus」

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橙汁「ソラ」のOPのver. この音の響きこそがサラウンドで、音が世界に鳴り拡がってるということです。空気振動のエモーション代入、幻想幻視、それが音楽、それこそを求めて、世界中の音楽を聴いてきました。

#2  みゆはん「ぼくのフレンド」

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そして前曲#1からこの曲に繋げていく自分の音楽センスが心から大好きだ!アニメ「けものフレンズ」のEDで、アニメ本編では、考察派を注目させた「廃園となったゆうえんち」をバックに鳴らされたこの曲。のっけからの轟音ギターと切ない歌詞と心細い声のメロディ。「泣き笑い」ですよ。すべての人工物(非物質も含め)は、精神的な廃墟に他なりませんよ。だからこそそこに幻想のエモーションは残るのですよ。


#3  ジョー・ストラマー「Redemption Song」(ボブ・マーリーのカバー)

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臨終といったらこれを思い浮かべるなぁ。抑圧からの解放、しかし最も自分を抑圧しているのは、自分自身がおのれ自身を精神的に抑圧しているんだ、っていう話。自分の自信を失わせるのは、自分自身だっていう救えない話です。


#4 the Clash「叛乱ワルツ」

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続けてストラマーのもともとのバンド、クラッシュ。「この戦争には勝てってこないって知る」。あらゆる人生は「永遠の撤退戦」かもしれません。だから、臨終の瞬間まで「生きた」ってことは、見事にその戦(孤軍でシンガリっていうのもどうよ)を潜り抜けてきたっていうことです……よね?

 

#5  UNISON SQUARE GARDEN「シャンデリア・ワルツ」

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田淵がねぇ。この動画で「わからずやには見えない魔法をかけたよ」って歌ってるんですよ。マイクは拾ってないですけど、その声は聞こえるんですよ。わかってるのか、いやわかってるはずだ、お前の人生の日々は、本当はいろんな見え方が出来るってことを。

 

#6 人間椅子「三途の川」

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※歌詞

http://j-lyric.net/artist/a04d69b/l0394ff.html

このセトリの中で、(他人の曲で)一番知名度がない曲ですが、死後の船出、三途の川の存在のまえでは、そんな人間社会の「いいね!」獲得競争など、まったく意味のないものです。そして、この「妖怪そのもの」のバンドは、人間社会のニーズなんてどこ吹く風で、三途の川の前に立った人間の姿のすがすがしさを、ありのまま、見てきたように描きます。こう生き、こう死ぬるべきなんだと。和嶋(gt)は「美しく生きたい」と悟りました。自分も、自分の生き方と死に方を悟りたいのです。

#7 My Little Lover 「Hello,Again ~昔からある場所~」

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歌詞もメロディも音もすべて、この曲が自分の「涅槃」とか「えいえんのせかい(ONE的な)」のイメージに一番近いなぁ、と。この世の曲って感じがしません

#8 自作曲(同人サークル・8TR戦線行進曲)

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いやぁ、ここでこういう風に自作曲を持って来れるっていう創作人生を送れただけで、もう満足じゃありませんかカッコイーッ。

とりあえずは現時点最新アルバム(2019年作)を持ってきていて、出来も良いですし、この作品のサウンド傾向が「この世の音とは思えない」って類のなので(ホワホワシンセとギター)、ぴったりはしています。特に最初の曲「極東シンセサイザ」と最後の曲「アドヴァンスドウィッチ」。

でも、まだまだ自分、これ以上の曲を書きたいですし、書けると思うんですよ。だから、ここでは暫定的に最新アルバムを入れてますが、この先の人生で、このアルバムを良い意味で更新していきたいですね!それが臨終までの願いです。

#9 スピッツヒバリのこころ

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歌詞の幻想。白くまぼろし舞い散る丘の上の風景。「目をつぶるだけで遠くへ行けたらいいのに」という、俗世を否定し、幻想を肯定するその態度。カネなんて何だというのだ、モテたいなんて何だというのだ。夢を視ていたいんだ。

 

#10 なるけみちこ「distance」

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ワイルドアームズヴォーカルコレクションより。ずっと人生な旅を続けてきまして。その「路上(途上)に在った」という、道の遠きを思うだけで充分なんだと。

 

#11 光田康典「盗めない宝石」(ゼノギアスより)

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何か、ずっと遠い記憶に戻るっていう感じがする。故郷っぽいけど、もっと遠い。忘れているけれど、けして忘れていない記憶に。

 

#12  NUMBER GIRLOMOIDE IN MY HEAD

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この曲を「人生最後に聞きたい」って人、大杉問題。なんででしょうね?自分もそうなんですが。この曲で歌われている、徹夜で朝を迎えての、透き通った感傷っていうのを、とにかく忘れたくないし、裏切りたくない、っていう気持ちです。

#13  Fairport Convention「Farewell,Farewell」

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さよならですよ。さよならだけが人生ですよ(by井伏鱒二

うまくさよならを言えただろうか。いいや、いつだって上手く言えやしないのだ。立つ鳥後を濁しまくり現象なのだ。だからこそ、いつも機嫌よく生きようと思いたい。いつ、自分が陀仏になるかわからない。だからこそ、機嫌よく生きていれば、臨終の瞬間に後悔まみれの汚濁にならないで済む。何かを人生で達成できて「いいね!」をもらったかどうか、ではないのだ、人生は。なんだ人生って、採点ゲームじゃないんだぞ、と。自分は自分と和解するぞ、暇つぶしに何かを描いてみるぞ。そして、そして、やがてさよならですよ。


#14 上海アリス幻樂団「蓬莱伝説」

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結局、最後はこの曲よ。上海アリス幻樂団よ、zun氏よ。アナタが自分に「幻想」の瞳をひらかせてくれてから、ずーっと創作だったり、音楽幻視だったりの人生を送ってきましたよ。迷いに迷いまくったし、結構つらいこともありましたし。でもね、この曲聞いて、かれこれ15年は経ってますけど、見る風景が変わらないんですよ。そしてその風景に嘘なんてひと欠片も存在していないし、未だに幻想風景の美しさに泣いているんですよ。そういう自分であってよかったと思うし、そこにおいて自分を肯定出来てるんです。ありがとう。もう少し頑張って&楽しんでまいりましょう。

 

私信連絡&近況テンション用(4/6 月曜)

3月23日、リアル仕事の大ポカミスにより、一気に不肖残響パニックに。混乱鎮静後、テンションがダダ下がりです。体調も悪くなりました。

なので、ネット活動(ホームページ更新、創作発表、同人私家通販ページ整備)を、安全のため、しばし控えます(沈没)

テンションと体調が戻るまで、残響の調子を、この記事に書き残します。ついったーがあれば、それですんだ話なんですがね(苦笑) また、各位への連絡もこちらで。残響に何か伝えたいことがあれば、この記事コメントに書き込んで頂ければ、やりやすいのではないか、と愚考します

 

●3/24火曜~3/25水曜

twitter小説を久々に更新しました。ちゃんと話を纏められてよかったです。

togetter.com

明日26木曜は、休日外出して、ショッピングにでもしゃれこみたいと思っています。

そして来週月曜→火曜で、ソロキャンプに行ってまいります。さがさないでくd(ry

毎日仕事は続きます。あのミスやらかしも過去になっていきます。しかし、注意力の欠如のままでは、またやらかしてしまいます。変えないといけません。

もうひとつ怖いのが、鬱屈心情が、反転してアッパーテンションになってしまうことです。丁寧にまいりましょう。 

●3/30月曜→3/31火

予定通り、キャンプに行ってきます。荷物の用意も出来ました。天気は、雨になるのは無いようですが、急に寒さが強くなりました。特に夜更けから朝にかけて冷え込みます。まあ今回のキャンプ場は、自宅(山奥)からわりに近い場所なので、危険性は無いようにはしています。「寒くてイカン!」だったら、さらなる次回キャンプの最改善点にします。

キャンプと表面上は関係ありませんが、いま(午前4時)、すごく早い朝食(ほぼ夜食)をすべく、冷凍ピラフをレンジにかけました。そして皿を出すとき、手元がすべって、床にピラフをオール完全エヴリシングブチマけました。大変へこんでおります。ですがキャンプ的には、真に危険視すべきは、この「注意力の不足」です。同じような勢いで、刃物で手を切ったりしそう。火の取り扱いも。テンションを上向きにするキャンプですが、わざわざ危険になる必要はありませんから。アッパーも怖いですが、不注意怪我も怖い。少なくとも、ピラフはしんだ。

 

●4/1(水)

キャンプより、無事帰宅しました。とても静かに楽しかったです。自分自身との対話をしてまいりました。野営中、ご返信が遅れてすいませんでした。これからレスを行ってまいります。

・帰宅し、部屋に戻ったら、花粉症が酷くなりました。へ、部屋にこんなに埃&花粉が溜まっていたというのか……!

・アナログホームページ(本家サイト)更新しました。ほとんどtopページの帰宅報告と、誤字訂正だけですが。

redselrla.com

4/6 月曜 NEW

キャンプをし、ようやく復調してまいりました。よかったです。あの仕事ミスも、だいぶ前の事として、話題にものぼらなくなり。しかし、自分はミスをする人間なのです。

そいから、このブログの更新のやり方についても、考えていかねばいけませんね。今のところは、コメント機能を使った掲示板ライクなご連絡と、音楽についての雑文、それからふと思いついたネタの長文を書く場として使っておりますこのブログでござい。

本館webサイトは、何度も申している通り、アナログホームページなんですが。なるべくねー、引きこもっていたいんですよ。そして、自分が納得できるエッセイ文章を書きたいんです。自分で何度も読み返せるような。文章の量の多寡は問わず、自分がしみじみと「良いなぁ……」と思えるような、自分自身をいやし励ますような、それでいて時の経過にも耐えるような。おお、結構難易度高くねぇか

長文そのものに意味があるのではないんです。自分をいかに癒し肯定できる文章を作れたかってとこなんです。そして自分の日本語を面白くしたい! ルー語を加速(アクセラレイト)したい! ブロント語を継承するのですよ!(本気)

iso-labo.com

dic.nicovideo.jp

●各位へのご連絡(4/6)

・カナリヤさん、またも非常に丁寧なコメント、ありがとうございました。この音楽話題のやりとりこそ、自分が愛していたインターネットです

・カナリヤさん、この記事への励ましメッセージ、ありがとうございました。正式なレスは、帰宅してからにさせてください、すみません。
※→レスさせて頂きました(4/7

・feeさん、連絡お待たせしております。慎重にテンション回復に努めております当方ですので、しばしすみません。
※→メールさせていただきました(4/7

わたくしの音楽人生の最初の4,5年に起こったこと(基本的音楽観の確立の昔話)

●最初に自分で買ったアルバムはmove「OPERATION OVERLOAD 7」

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深夜放送でmoveの「Gamble Ramble」のPVを偶然見ました。なんつーカッコのよろしい連中だ、と衝撃が走る。受験があったので「趣味のもの購入禁止令」が出ていたので、即座にCDが買えず、1カ月ばかり悶々と我慢し勉強。晴れて合格し、即座にCDを買う。「暗記するほど聞き込んだ」とは常套句ですが、これに関しては本当に暗記した。

 

●鍵ゲーとMy Little Lover「Hello,again」

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まあそりゃそうだわな、って感じでオタクになる。そしてなんとなくマイラバを聞き出す。これがあまりにKeyの「Kanon」と相性が良すぎた。特に白いカイトとハローアゲインの親和性が強烈すぎた。「音楽は情景だよ兄貴」と悟る。以降、音楽を聴く一番の楽しみが「脳内情景展開」になる。多分ここで、音質重視派にいくルートが消えた。

ユーロビートとトランス、美メロと打ち込み

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もちろんmoveの流れで。ちなみに、トランス(とくにエピック系ハウス)に関しては当時のkeyのスタッフ日記での麻枝准の音楽紹介記事も影響を受けている。、だーまえは、あの当時のサイバートランス勃興期における、エイベックスが海外トランスシーンの情勢をリアルタイムで紹介する仕事を、誠実に高く評価していた。これって結構すごくないですか。

今思うに、音楽における自分のツボ、「美メロのリフで疾走」はここで刻印されたようだ。

スピッツでバンドサウンドを知る

そんな「ヴェルファーレに行けない、一度もクラブに行ったことがないクラブ系地方学生」が、なぜかスピッツはスルっと聞けていた。ある時、「空の飛び方」収録の「ラズベリー」を聞いていて、ノリノリな低音が好みだな、と思った。その時「ベース」という楽器(の意味)を知った。バンドメン・田村の存在を知った。ロックバンド、という構成を知った。つまり、楽曲の成り立ち、というものを知った。

上海アリス幻樂団が自分の人生を根こそぎ変えてしまった

 

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忘れもしない。MIDI着メロばっかり聞いていたころ、他と明らかに違う曲があった。すぐさま公式ホムペに行って「明治17年の上海アリス」「上海紅茶館 ~Chinese tea.」を聞いた。幻想が、脳内で爆発した。東方紅魔郷をプレイした。「亡き王女の為のセプテット」でジャズと、アドリブを知った。エンディングで「紅桜 ~Eastern dream...」の美メロに震えた。そして1stアルバム「蓬莱人形」をオークションで破格の値段で落とし(妖々夢が出たばっかりで再発がなかなか見込めなかった頃でした)、以来、このアルバムが自分の人生の1番に、15年以上経った今でもいまだに君臨している。全曲暗記なんて当然である。いまだにトラック1「蓬莱伝説」の静かなイントロを聞くだけで泣く。ということで今から一緒に極東幻想の風景に泣きましょう。

 

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ASIAN KUNG-FU GENERATIONでロックに入門し、スピッツを聞きなおす

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「これ以上オタクオタクしていても、なんか先はないような気がする」と思い、オタク関連から手を引く。そして、なんとなくロックというものを聞いてみたくなった。アジカンの「ループ&ループ」の奇妙な浮遊感がかなり好みだった。そして「ロック」という文脈でスピッツを聞きなおす。どうやら「ギターが歪んでいる」ということは、ロックの命だと認識するようになる。

 

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Number Girlからオルタナティヴロックに入門

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アジカンが影響を受けているから、ということで、「School Girl Distortional Addict」を聞く。酷い音、ノイズだらけ、爆裂する演奏が上手いとは思えない。ボーカルは歌っているというより叫んでいる。ギターソロはただの電気ノイズ。暴虐。荒々しい。……だけど、「ここには何かがある。これはただ捨てていいものではない。ここに自分の可能性があるかもしれないんだ」となぜか直感的に思い、何度も聞き返す。やがて、向井の目玉が切り取った、透き通った世界であるとか、早朝のインマイヘッドなOMOIDEであるとか、冷凍都市とかが、自分のなかで「わかる」。そうしてオルタナに入っていった。

●USグランジ/オルタナ、NYパンク、シューゲイザー

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 ニルヴァーナを聞いた。そこからソニック・ユースを聞いた。そこからさらにパティ・スミステレヴィジョンを知った。アリス・イン・チェインズを聞きなおした。ナイン・インチ・ネイルズを聞いて、初めて英語の詞を自分の手で訳したいと思った。少年ナイフからラモーンズを知った。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインを知った。そして、「こういうオルタナな連中がいるなら、多分、メロディアスとポップさと轟音を兼ね備えたバンドがいるだろう」と、「理想のオルタナバンド」を勝手に想定するようになっていった。そして見つけた。この世に居た理想のオルタナ。その連中の名はピクシーズと言った。

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村上春樹和田誠のコンピレーション「ポートレイト・イン・ジャズ」を聞いて、ジャズを聴く。最初まったくジャズがわからんかった。

村上春樹を読んでいた。特にエッセイばっかり。あの人はジャズのことをよく書いていた。古いロックやレッチリのことも書いていたけど。随分熱心にジャズのことを書いていた。ちなみに、同時期に土屋賢二のエッセイも読んでいて、この人もずいぶん熱心にジャズについて書いていた。そして、上海アリス幻樂団のルーツは、まぎれもなくジャズだった。

自分は、この音楽--「ジャズ」を、知らなければいけない気がする。ということで、村上・和田コンピを聞いてみる。何がなんだかわけがわからない。メロディがない。リズム感覚がロックと違う。アドリブの意味がわからない。音が古すぎる。

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スタン・ゲッツの「move」だけは、なんか上海アリス幻樂団に通じてるような気がしてよかった。しかしよくわからない音楽だ。でも、ナンバーガールの時、「頑張って聞いて、確かに音楽世界観が深まり広がった。価値観が更新された」経験があったから、多分ジャズでもそれが起こるはずだ、と思い、頑張って聞く。そのうち、なんとなくリー・コニッツのクールジャズ系のアドリブを聞く。確かサックスとギターとのデュオと言う、ジャズの中でも激シブな音源だった。でも、その時、唐突にジャズが「わかった」。アドリブが「魂の自由」を表現しているんだ、ってわかった。リズムは横ユレのスウィング(しなけりゃ意味ないね!)、音質の悪さの中にはジャズメンの本気の息吹が眠っていると知るからこそ、音質を突き抜けて耳を澄ませて音楽の本質を聞くように努めねばダメなんだと知る(明らかに音質重視派の対極)

 

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(音質の悪さとジャズ史上最高の天才が同居している例)

●(ジャズと同時期)the Clashをなんとなく聞いてみる。そこからワールドミュージックに射程を伸ばす

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「なんだこの古臭いロックは」とクラッシュを聞く。でも頑張って「ロンドン・コーリング」と「サンディニスタ!」を聞いて、そのうち唐突に、ジョー・ストラマーに対する親愛が止まらなくなる。こいつは弱者を絶対に裏切らないぞ!と思った。

そんな奴ら、クラッシュは、音楽マニアの集まりだった。あいつらは妙にいろんな音楽を聴いてるらしい。ということで、クラッシュの作品を遡る(いわゆる「ロンドン・パンク」の代名詞の時期)とともに、レゲエ、ダブ、カリプソ、スカ、古典ロックンロール、英国トラッド/ケルト、と野放図に、世界中の音楽に手を出していく。

●以降、ジャズ、パンク/オルタナ、ワールド系、が三本柱となる。

 もうこのあたりで、自分はいつしか「全世界・全時代・全ジャンルの音楽を聴こう」と心に決めるようになる。新しい音楽や、古い音楽を聴いて、もしそこに「違和感」があるのなら、そこにこそ音楽鉱脈、可能性金脈はあるのだ!と悟るようになる。この文章だけで、その金脈を掘りあてたことは何回も書きました。

ちなみに、オタク系のものから一時期離れ、自分のオタク関連ではブランクがあるのですが、ジャズを十分に自分に染み渡らせたあたりで、上海アリス幻樂団の音楽は、見事に自分の中で復活しました。「風神少女」一発で。

それからクラシックを聴いたり(特に、精神の病みが進んでいた頃、室内楽は自分のこころを癒してくれました)、ゲーム音楽を掘ってみたり。

その一方で、なかなか「打ち込み音楽」には戻れませんでした。「ユーロビートやトランスなんて……」みたいに、黒歴史になっていたのは事実です。アニソンもこのあたりで聞けなくなっていました。まあこれだけ「ロック、ジャズ、ワールド」にズブズブだったら、それもそうか、と今になってみれば思います。ただ、もし「ユーロビートやトランス、ゲーム音楽」をそのまま掘っていれば、「打ち込み音楽」をもっともっと掘っていって、その後違った音楽観を構築していたかもしれま……いや、これはわからない。ロックに進んだからこそ、「dig(掘る)」という音楽趣味に芽生えたのですから。

ともかく、この時期……大学生半ばのころには、モダンジャズ(特にビ・バップとハード・バップ)、オルタナロック(ロンドンパンクよりもNYパンク。ノイズ志向、ポエトリーリーディングにも手を伸ばす)、ワールドミュージック(奈良のジャンゴレコードで世界中のCDを漁る日々。ほぼ毎週通い詰めてた)、という音楽史観になっていました。

……ふと思うのですが、すげぇ厄介な音楽趣味をこじらせた大学生ですネ、コレ(笑)。そこまで凝り固まらなくても、と思うのですが。とくにワールド系に関しては「純正主義」になってる面もあって。この当時からチーフタンズだアルタンだムジカーシュだ、って言っていました。大学で小泉文夫サウンドライブラリーを聞きこむっていうね。

でも、それもそれで非常に楽しかったのです。多分、あの当時に戻っても、同じことをするでしょう。自分は。本当に、音楽を骨身にまで染み渡らせていました。そんな時期が自分の人生の「青春」だった、ってことを、今頃になって(34歳)、ようやく解ったりするのです。

今も、まだ音楽の旅の途上です。聞こえているでしょうか、あの日の自分。今もまだまだ、音楽には飽きていませんよ……。

音楽の旅の路上にて ーー最近聞いている音楽、カナリヤさんへのお返事その2

※この記事は、以下の記事

modernclothes24music.hatenablog.com

の、コメント欄からの発展・続きです。

 

カナリヤさんへ


心よりのコメント、どうもありがとうございました。本来、この記事内容は、コメント欄ですべきものなのですが、こちらも返信に即して、ご紹介したい音源が結構ありまして、それはコメント欄よりも、はてなブログ本文の方が機能的に(とくに音源張り付けで)都合が良いのですね。なので、こちらの記事にて失礼させて頂くことを、まずお許しください。

 

明治時代の日本に、国木田独歩という小説家がいました。自然主義(明治時代のリアリズム文学)を志向していた真面目な作家ですが、自然主義の作家の中で独歩だけは「時折空中に舞い上がっている」と芥川 "Loser on the Real lifetime-edge"龍之介が評していました。

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独歩の小説の地味な短編のなかに、「牛肉と馬鈴薯」という作品があります。
小説は、人生論を戦わせる論者どものバトルな内容で、主に「牛肉派(現実派)」と「馬鈴薯派(理想派)」に分かれて議論をしあいます。そこで、最後に出てきたある人は、「僕はそのどちらでもなく、ちょっと不思議な願いを持っている」と話し出します。その願いとは、「僕はただ、びっくりしたい」のだ、という話です。事実や真実や秘密を知りたいのではない。死とか生とか宇宙とか音楽、それ自体にただ「びっくり」したい。という願いなのです。死に到る理屈、病理学を解明したいのではない。死ぬっちゅうその事実自体にびっくりしたい。
牛肉派も馬鈴薯派も、この「びっくり」派の男の発言に、非常に微妙な反応というか、「なんだそれ」みたいな反応しかしませんでした。だいたいこういう内容です。

カナリヤさんの「感銘を受けたい」というお言葉で思い出したのが、上の「びっくり」のお話です。そして、自分が音楽の旅に出るというのも、さらに分解するというか、真理を言えば、「新しい音楽にびっくりしたい、聞き惚れたい」というものです。だって、新しい曲に惚れたら、新しい音楽家の作品に惚れるかもしれないじゃないですか!(当たり前) 新しく惚れたバンドには、さらなる名曲があるかもしれないじゃないですか!(当たり前)


そう、当たり前といえば、当たり前。しかしこれは音楽人生をかける価値のある定理です。旅する己の人生を諦めなくて済む理由です。これだけで、我々は自分を破壊しなくても良い理由を拵える事が出来る。だからこれは陳腐と言えるはずがない。

「影響」ということでいえば、自分はカナリヤさんがオルタナであってよかったと思いますし、今もオルタナ道を歩まれているカナリヤさんの佇まいが、実に自分の緩んだ心と身体をキックし、襟を正してくれます。その存在感の自分の中の量と質は、変なたとえですが、気骨ある音楽雑誌のバックナンバー数年分と同じだと思っています。例えば、カナリヤさんはここでpillows、ART-SCHOOL、ユニゾンの3バンドから得た影響を端的に述べられています。それはカナリヤさんの私的な心象風景ですが、自分から見たら、「納得のいく人生」の重みをそこに見ます。

思えば自分はどうして「全世界全時代全ジャンルの音楽を聴こう」と大学時代に心を決めたのかは、実はいまだによく覚えていません。ただ確かなのは、その時にスピッツナンバーガールやZAZENを聞いて、このバンドメンバーたちは凄かったぞということ。ジャズを聴きはじめて、「魂の親友」「自由精神」どもはここにいたのか、と発見したこと。the Clashを聞いて、全世界の音楽はどうやら深く広いらしいぞ、と気づきワールド音楽に没入していったこと。そのどれもが、あまりにも嘘でなさすぎる。
なので、自分も今、まさに、音楽を聴き、嘘でない自分の実感の感動を、大事にしようと思いました。あまりにも単純な物言いですが、本当に、本当に、カナリヤさんの仰るところの「感銘」、独歩が言った「びっくり」を、世界の音楽の広さと深さを通じて、自分は本当に大事にし続けたいと思います。それが、残響が行う、ウィルス病理社会に対するささやかな反抗です。絶対自分は、自分のホームページを、コロナウィルスブログにしないぞ。のんきに音楽やおもちゃの話ばっかりをするぞ、と心に決めております。


そんなわけでその実証というか、お聴かせくださった音源に対する感想と、自分が最近聞いている音源の紹介をさせてください。よろしくお願いします。今やってるこれこそが、まさに音楽の旅路そのものであります。

●THE VOCODRERS(カナリヤさんのおすすめ)

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ポリシックスのPとは、基本的にピコピコ音のPですが、さらに分解すると、2つのPが見えてきまず。まず、バンドサウンド「攻撃性」。つまり「ピッピキピッピッピー!」のPです。逆に長くなってんじゃねえか。
もう一つのPは、「ポエジー(詩情)」のPです。例えば、残響がマジ好きな「Black out Fall out」

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のように。攻撃性だけでは説明のつかない、メロディを中心とした妙な哀感、ノスタルジー。これもまたポリの魅力のひとつです。
ある時期以降……おそらくカヨ脱退のあたりから、ポリは攻撃性のPを重視してきました。例えば「MEGA OVER DRIVE」のように。その攻撃性のPは、大文字のPというか、なんともマッシヴになり、圧があり、マッチョともいえ……ヘナチョコなポリが、かなり減退したのも、事実です。それの何が悪い?世界で戦うポリに弱さなど?
しかしもちろんカナリヤさんはご存じのわけです。ポリのヘナチョコさもまた愛しく、それこそがポエジーのPであると。


どうも、ポリシックス=ハヤシは、この2つの要素を、これまで「自覚していなかった」のではないか、と思ってしまう残響がいます。ハヤシの分析力は確かなものですが、しかし、無意識に見逃している部分が、時折見られると思うのは、自分の思い込みでしょうか。しかしそこはペンディング(議論保留)としましょう。ともかく、この「THE VOCODERS」ですが、ハヤシが「攻撃性」のPをポリシックス本隊に、「ポエジー」のPをこちらに盛り込んでみて分岐させてみた、という仮説を自分はとっています。だから、ポリ本隊とヴォコーダーズ版のアレンジが同じ曲で両方あるのではないか、と。
そして、ハヤシがこの2つの自らのバンドの魅力を自覚したのは、完全に俺得なのです。なぜなら、自分の一番好きなポリの曲は、攻撃的なサウンドの中に、ポエジーなメロディを盛り込んだ「Baby BIAS」だからなのです。

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アメリカ民謡研究会(カナリヤさんのおすすめ)

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おお、ブルーグラスとか、ミシシッピブルースとかのアメリカ音楽古典、あるいはライ・クーダーとかのアメリカ古典再発掘アプローチ、もしくは「アメリカーナ」的なルーツ音楽ごった煮か……と思ったら、全く、まったく違うのですね!w

それでも。これは、良い。とても、良い。
自分にしても、実はボカロを通過してこなかったのですが(ナユタン星人に関しては大ファンではありますが)、だからこそ「ここには鉱脈があるなぁ」と思っています。これから掘っていくのが楽しみです。そしてこうして紹介してくださって、自分は今すごい幸せなのです。
エフェクターと生演奏を使って、ループ・サンプラーでもって楽曲を構築していくのは、例えばMark McGuireやDustin Wongのように、1本のギターとエフェクターで繊細で壮大なサウンドスケープを描いていくのは存じておりました。

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しかし、このアメリカ民謡研究会で鳴らされている「ガチの攻撃的歪みバンドサウンド」というのは、衝撃でありました。Death from above 1979やRoyal Bloodのように「歪ませたベースとドラムだけ」のバンド編成がこの場合最小か、と思っていた歪系バンドですが、こういう方法もあったとは。というかこの歪みベースギターと各音の構築性がすごい。

ーーーと、ここまで書いて気づきましたが、自分、ボカロ(ボイスロイド)について語っていない!w しかし、ボカロの方までメロディアスになられてもむしろ困るかもしれません、この曲の場合。


ところで、カナリヤさんにこのボカロ曲をお勧めしてみたいと思います。自分がこの「リフの天才」作曲者の曲の中で一番好きで、あまりにもエモーショナルで、ポップで、疾走バンドサウンドで、最高の曲です。

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ナユタン星人のリフの天才性について語るとしたらすごく長くなるのでここでは割愛しますw

 

人間椅子EUツアー

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東北青森津軽にて産まれ、70年代ヨーロッパロック……ハードロック・プログレッシヴ・ロック、とりわけブラック・サバスに影響を受けて結成した幼馴染みコンビ(仙人ギターと怪僧ベース)。東京で90年代から活動を続け、怪奇・幻想・猟奇・屈託・ユーモア・コズミックホラー・土着のあやかしの文芸歌詞を、上記70年代ハードロック/ドゥームメタルに乗せて歌う3ピースバンド。その道のりは苦難の連続で、売れなくなってからはバイト生活。それでもバンドは一度たりとて休止せず。悩み、苦しみ、そして「美しく生きたい」と悟りを開き、いつしか古参ファンも、新たな若いファンも共に熱狂するように。さらには去年から海外のファンが急増し、この旅ヨーロッパツアーに出ることが出来たのです!(ドイツ×2、イギリス)
見てくださいよ、津軽の土着幻想が、51歳の3人が、なまはげが、三味線ギターが、ブラック・サバスの國を揺らしているんですよ!

 

●ザ・リーサルウェポンズ

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このところ、vaporwaveの発展というか、80年代リバイバル(バブル期レペゼン)の潮流が甚だしいですが、その真打ちというか。こないだ出たep、その名も「E.P.」買いましたよ。ジャケットは「E.T.」のパロですよ!(そういう意味)

音源のネタ度合いとさりげない(?)社会風刺、キャラの立ち具合。でもここではポイントを一つに絞って、「コールアンドレスポンスを最大限取り入れた楽曲」で。
なにせ、ライヴがこれです。

 

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こいつらのライヴは、ほぼ最初のワンマンの時からこれでした。ラストはステージに「2,30人くらいカモンプリーズ」で上げて、大合唱です。


コールアンドレスポンスがロックバンドの「大正義」とノータイムで言い切れるかは、大いに疑問です。とくにユニゾン田淵は、その論調にめちゃくちゃ反抗していますし、自分もその徒です。

ですが、ここまでコールアンドレスポンスを「取り入れ」た楽曲に惚れてしまったら、やはりアーニーキ!アーニーキ!

 

●パソコン音楽クラブ

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上記のようにvaporwaveの流れで、シティポップ音楽が再評価されています。このパソコン音楽クラブは、ホムペまで見て、初めて体験が完成されます。

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日常の中に、実は異界はある。あまりに当たり前に見過ごされていた風景こそが異界なのだ、と。ポリシックスより古いハード音源(ハードオフで10000円以内で買ったやつ)を駆使して、都会の夜のうっすらした空気の孤独の美を歌います。こんなに人がいるはずなのに、なぜか孤独な自分の不思議を。


●花譜

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Kafと読むバーチャルシンガーです。しかしカナリヤさんには「オルタナ」として勧めます。


いわゆるVtuber文化の中から出た、ヴァーチャルシンガー。自分は本当にVtuberには詳しくないです。いまだに「にじさんじ」が何だかはよくわかっていません。これはたぶんオルタナ聞いててナンバーガールを知らないレベルなんですよね……。

それでも、このティーンエイジャー・シンガーは本物だと思ってやまない。「いわゆる歌の上手い歌手」の定義からボロボロこぼれ落ちる「旨さ、真の表現力」をこの娘は15歳にしてすでに持っている。声は常に震えていて、かすれていて、泣きながらのよう。そこに真実があるんだと。その「弱さ」そのものを歌う。

どうにも自分は、この歌手を聞いていて、the Clashジョー・ストラマーを思い出してやみません。あいつ(ストラマー)は、歌は、「いわゆる」意味では上手くありませんでした。音痴の疑惑さえあります。それでも、ストラマーは、絶対に自分の親友になってくれる、と思わせる歌手でした。そして世界中の音楽を愛しきっていました。

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ボブ・マーリーの曲を歌うストラマー)


なんでこの15歳がこんなに傷つかなきゃいけないのか、と思うのは自分が歳をとったからか。それでも、この娘は、ボカロをナチュラルに「師」とし、ボカロに学び影響を受け、自分の歌唱をつくった。それが自分で、その自分に嘘をつけなくて、自分はここに居るんだ、と、痛々しいまでに青い感情を歌う。


カナリヤさんに受け入れられるかはわからないです。年齢や、時代感覚(アクティビティ)のこともあります。でも、個人的には、この娘の「オルタナ」を、カナリヤさんがどう思われるか、聞いてみたいです。

 

Creepy Nuts

えっこんなにリフが良かったのDJ松永のビート、&、えっこんなにフロウに歌心があったのR-指定のラップ(関西の出自が味をもたらしている)、という驚きで、最近よく聞いています。
卑屈&ひねくれが極まっている、情報量過多のトラックも素敵ながら、

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卑屈&ひねくれをシリアスに沈み込むようにラップするトラックもまたオルタナティヴ。

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それからこのライヴのDJプレイ&MC煽りが最高すぎて。

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フジファブリック「夜明けのBeat」

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後半部でバンドメンバー全員が無表情な理由は。シンガー・志村の映像を使っている理由は。
森山未来がここまで焦燥的な理由は。この曲が、どこまでもデモ曲でしかない理由は。

もう、10年になりますか。逝ってから。

 

●物凄いヴァイブスで魔理沙が物凄いラップ

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東方アレンジのビートに、高速ラップを載せるユーロビート。いや、自分は、音楽を聴き始めた一番最初がmoveでして、motsu的な煽りラップ口上が大好きでしょうがないのです。オルタナオルタナいってて、最後がこれ、というのはアレですが、好きなものは好きなのだからしょうがない!この表明こそがオルタナティヴ!