残響の足りない部屋

「ホームページオブ百合機械」の別館日記ブログ。毎日更新。今日も世界と逆向きに。

何故このブログをはじめるに至ったか

あいさつ:極私的妹考

しかし出会い頭に、出し抜けにキンキンのアニメ声で「お兄ちゃんっ!(はあと)」と言われても、こちらとしては困るというか、引いてしまうのですよ正直な話。
引かないのが本職のオタクさんですか。うん、そうだな。
きっと何かしらの抗体が出来ているのだろう。
わたしにもそういう時期があったでしょうか……あるいはあったかもしれない。
しかし時は流れた。わたしという人間存在も多少の変化をした。そして今は抗体を持ち合わせてはいない。
まあ何はともあれ、各人が幸せならそれでいいのではないでしょうか?
わたしは何か主張したいと思っているわけではないのですから。
ドント・ウォリー。お気になさらず。ゆっくりいきましょう。
ただ単に、わたしが周りのオタクさんたちについていけないというだけのことです。

理由を説明してみよう

さて、何故わたしがこのブログをはじめたか、そのことを説明しておいた方がいいかなあ、と思いました。
空を行くとんびが、ふとしたきっかけで、地上を走るウサギに対して興味を(食欲を、あるいは蹂躙する衝動を)抱いたように。
というよりもむしろこれは説明責任(アカウンタビリティー)の範疇に入るでしょうな。んな大げさなもんじゃない? 確かにその通りだ。
でもわたしは語ることにします。理由を説明することは、地中に向かって根を伸ばすようなもの、船の碇を下ろすようなもの。つまりは基盤を確かにするということです。
あるいは……今のわたしのおかれている状況を鑑みれば、それをすることは相応に重要なことなのかもしれません。

実はブログを作ろう、と決めたのは昨日の朝なのです。ええ、その日のうちに作りました。
ずいぶんな突貫工事だなあ、と自分でも思います。そうなるに至った理由を説明するには、当時の朝の心境、並びにわたしの混濁した状況について語る必要があります。
朝目覚めたとき、どういうわけだか「何かをしなくちゃ」と強く思ったのです。
夢のせいもあったでしょうか? どんな夢を見たかというと、昔の(高校時代の)友人と一緒に何か企画を動かしている、という夢でした。
かつて、わたしはその友人に「同人を一緒にやらないか?」と誘われたのです。
しかしわたしは一人でいろいろやりたいこと(小説を書くこと、大学に行き本を読みまくること)があったので、その話を蹴ってしまったのです。
そのことを今に至るまで、折に触れては思い返し、何回も悔やんできました。あのとき彼と同じ方向に行っていればなあ、と。高校以後のわたしの悲惨な状況を見るにつけて。

それはともかく、久しぶりにその友人と一緒に何かをやる、という「可能性」を思い出し、何かをやってみるか、と思い至るようになりました。
「何かをやってみるか」……いやむしろ、「何かを今すぐにやらなくてはならない」という強い思いでした、それは。
ほとんどせっつかれるように、追い立てられるように。
その頃(ここ最近の)自分は、本当にぐだぐだで、何もしていませんでした。出来ていませんでした。
というのもわたしの持病が再発し、実家で静養を余儀なくされていたのです。
何かをする(小説を書く、本を読む、音楽を聴く)という気が、準備されてはいるのですが、動いていかず、日々ぐだぐだと寝ていました。
もっとも、病状が結構悪かったので(主治医には何もせずにただ休むことを強く勧められました)、そうせざるを得なかったのですが、それにしてもな、と思うものでありました。
フラストレーションは溜まる一方です。何も出来ていない。
とりわけ、小説が書けていない。
頭の中には書くべきものがあるのに、エネルギーの枯渇によりそれは放出されていかない。
一体わたしは何をしているんだ? 
友人たちに書いている連作短編小説の「お試し版(体験版)」を送ると言っておきながら、この有様。
周りの人たちは何かをなしているというのに(仕事を、趣味を、そう、「人生」を)、自分だけ何も出来ていないというこの状況に、ほとほと嫌気がさしていました。しかし病気により何も出来ない。

しかし、昨日の朝、「何かをしよう」という強い気持ちが芽生えました。
友人の夢を見たからか、あるいはその前の日、村上春樹氏の『国境の南、太陽の西』を読んで、読書の喜び、一人で何かをなすことの喜びを再び感得したからか、あるいは病状が少しずつ快方へと向かっているからか、あるいはこの状況にいいかげん嫌気がさしたからか。
それとも……わかりませんね。しかし、何か歯車が「かちっ」と合ったのでしょう。
そういうわけで、日ごろやる気が極めて見られない自分にしては珍しく、アクティブに動き回りました。
まず、数年前ほんの少しだけ登録して、すぐに脱会したミクシィに再登録して日記でも書いてみようと思いました。
何で止めたかというと、いろんな人の、ブログ以上にどーでもいい日記・コメントの数々を見て、「こんなんやってられるか」と思い、嫌気が差してやめてしまったのです。
(今になって思えば、もう少しだけねばって、価値ある記事を探してみるべきだったと反省しています。好きな作家がミクシィの中にいた、とあとになって判明しましたし。ZUN氏とか、上野顕太郎氏とか。第一Nagaleさんがいたと知っていたらやめませんでしたよ(私信))
それに、「コミュニティー」というものにわたしがまるで価値を見出していなかった、というのも大きかったです。群れるのを本質的に嫌うタチなので……。
でも、とにかく何でもいいからやってみよう、そのあり方に疑問があったとしても、大事なのは行動を起こすことだ、手段を選んでいる場合ではない、と思い立ち、ミクシィに登録を申し込みました。
ところが、そこでわたしの前に立ちはだかったのが「携帯規制」。
登録の際に、携帯からも登録をしなければならないのです。しかし、わたしの携帯は古すぎたので(mova)、登録が出来ませんでした。
どんな携帯でも登録できるように、普通はするだろうよ、とかなり腹が立ちました。どこら辺を「一般」のオーダーとしているか、見込みがおかしいんじゃないの? と。
そういうわけでミクシィはあえなく駄目になりました。くそぉ。
ならば次善の策です。プロバイダにブログ作成サービスがあったということを記憶していましたから、それを使ってブログを作ろう、と。
昨日も言ったとおり、わたしはブログに対して批判的な人間でした。いつか自分のホームページを作るのならばHTMLを書いて作ろう、と思っていました。
しかしそんなことを言っている場合ではないのです。……もはやこうなってくるとパンク精神ですね。まず行動を、成果はどうあれまずは行動を、ってね。
そんなこんなで慣れないながらもブログのデザインを決め(無愛想なのは、そうしたかったからです。ぶっちゃけた話、テキストデータだけをばっと貼り付けた、みたいなデザインが理想)、記事を書き、めでたく電脳世界に我が城を築くことができたのでした。ぱちぱち。

こう書いてみると、わたしの今回のこの行動には、「なんだかわけのわからない衝動」が大きく作用している、と言えます。
っていうか、思いつきで行動しているんじゃないの? うん、そう言われれば返す言葉がない。
なんだか三日坊主で終わりそうな気がしてならない。それはいつもわたしが繰り返してきたパターンです。
しかし……今のわたしには何だか妙なやる気があるのです。小説を書く気もガンガンです(日本一元気な……って、わっかるかな〜?)
昨日の夜も、小説があとどれくらいで「お試し版」完成にまで至るか、ということを計算しました。うん、そんなでもない。結構大丈夫そうな感じがしてきました。
今日は病院に週一回の診察を受けに行ってくるので、それほど書く時間はとれないと思いますが(なにしろわたしの実家は田舎なのです。病院に行くにあたって時間が……)、それでも少しは進めたいと思います。
というか、ここにその進行状況を書いてみてもいいかもしれませんね。そうすれば張り合いというものも出てくるでしょう。
森博嗣博士(わたしは敬意を込めて氏のことをこう呼びます)が欠伸軽便鉄道を「経営」するにあたって、「A&Bレポート」をアップしたことが、日々の「経営」の励みになったと述べているように。
一体、なんなんでしょうね、このやる気は? ブログまで立ち上げたこのやる気は? 
立ち上る雲気のようなそれは、体調の回復から来ているのか、消えかけていたエネルギーが知らず知らずの間に充填され、一気に噴き出したのか。
うん、確かに妙なテンションになっているのは認める。でも、今までがエネルギーなさすぎだったのだ。少しはテンション高くたっていいじゃないか。
少なくとも、わずかでも前進していることは確か。
そして、わたしは前進しなければならない。
もうぐだぐだしている暇はないということをはっきりとわが身に刻み込ませましょう。
そう……結局わたしは、ぐだぐだ低いところで停滞しているのが嫌だったのです。そのぬるま湯の感覚が。
あえて詩的な表現をすれば、天に架かった梯子を登らなければならないのです。
上空は硬質な風が吹きすさび、身体を厳しく突き刺していくことでしょう。
それでも。
村上春樹氏の『ダンス・ダンス・ダンス』の冒頭で、主人公「僕」が、一人だけの空間から、社会へ、世界へと再び参入していくのと同じように。
孤独、それはリルケが繰り返し言うように、素晴らしいものです。
しかし、それには何らかの行動が伴っていないといけない。ただ怠惰な日々を過ごしているだけでは駄目だ。
わたしは強引にでもコミットメント的世界へと身を投じないといけない、結局はそのことに気づいたのでしょう。
結果はともあれ、というパンク的捨て鉢さとともに。

説明してみた

ずいぶん恥ずかしいことを書いたと思います。
若さにまかせた(自分で言うかな)発言がそこかしこに見えますね。
けどいいのだ。
少なくとも、何も書かずに一日を終えていた日々よりは格段の進歩だ。
しかし文章が長いな。ナイル川くらい、とまでは言いませんけど。

追伸:文頭に見出しを付けてみたり、色を付けたりしてデザインに手を入れてみました。昨日はこれをやるのを忘れていました。
あと、リンク集をつけてみました。これからここにも手をいれていきたいと思います。

本日のBGM:ニック・ドレイク『ブライター・レイター』(ブリティッシュ・フォークの素晴らしい奇蹟の結晶。フェアポート・コンヴェンションのリチャード・トンプソンのギターが聴けるところなんかわたしにしてみたら「おおおお」な感極まる感じなのですが、一般的でない(あるいは、一部筋にしか伝わらない)のは認めよう)