残響の足りない部屋:HP百合機械別館

現在主戦場運用している「ホームページオブ百合機械」の別館ブログ

続々々・BOYAKI about Music ’09(日記)

BOYAKI about Music ’09(4)

<<9.>>

コンセプト・アルバムの留意点

(1)
コンセプト・アルバムは有機的存在である。
常に総体的に、その曲が全体の中でどのような意味/意義を占めているか考慮すべし。

(2)
コンセプト・アルバムにおいて一見無用な曲は、実に「無用の用」の相を持つ曲である。
その曲があるからこそ、そのアルバムが成り立っていることを忘れてはならない。
……あるいは、いつか反転して、その曲がどうにも忘れられなくなるかもしれない。
村上春樹氏は『ペット・サウンズ』の表題曲「ペット・サウンズ」について、
そのことをジム・フジーリの翻訳本のあとがきで書いていた。

(3)
コンセプト・アルバムにおいて歌詞は非常に重要である。
それは、そのアルバムが体現している「世界」を表象していると同時に、その世界への入り口でもある。
この歌詞も同様に、総体的に考えねばならない。
アリストテレスのポリス論を述べた歌詞と、ベッドからなかなか抜け出せない心情を述べた歌詞は、確実に繋がっている。

(4)
もう一度言おう、コンセプト・アルバムは総体的に考えねばならない。
曲と曲は確実に繋がっている。
だがしかし、それを発見するのは「君」でなければならない。
君自身がそのアルバムの中に流れている「物語」を読みとらねばならない。
ひとつひとつの意味を自分なりに解釈し、積み重ねていって、全体像を把握しなければならない。
それが正しいコンセプト・アルバムの聞き方である。
それを何回も何回も繰り返したあとでいい、他人の評論を読む/聞くのは。
コンセプト・アルバムの「コンセプト」は、絶対に自分で探り当てないと駄目なのだ。
そうでないと、そのアルバムが語りかけてくるメッセージは、「君の物」ではなくなる。
これは孤独で困難な作業だ。
しかし、そうしてアルバムの真意を、ひとり知ったときの感情、これは、本当に、味わった者でないとわからない。
そしてそこにこそ、コンセプト・アルバムの持つ最大の特徴、「聞き手への親密さ」があるのだ。

(5)
そのミュージシャン/グループがコンセプト・アルバムを出し、
その次作がコンセプト・アルバムではない普通のアルバムだとする。
すると我々は不思議にも、そのアルバムは前作に比べてたいしたことのない、格下のアルバムのように感じてしまうのだ。
コンセプト・アルバムのすごさを知れば知るほど。
そのアルバムに魅了されればされるほど。
しかしそのように次作を軽蔑するのはリスナーとして間違った行為だ。
我々は、コンセプト・アルバムが至上のものと思ってはいけない。
それ以外にも「芸術性」というものはあちらこちらに存在しているのだから。

「僕らは太陽のほかに、月も星もある事を知らなければならぬ。
ゲエテはミケル・アンジェロの『最後の審判』に嘆服した時にも、
ヴァティカンのラファエルを軽蔑するのに躊躇するだけの余裕があった」――芥川龍之介

たとえその次作が、曲どうしの連結に不備のある構成だったとしても
(あるいは、そんなことを全然考えもしない、寄せ集めのアルバムだったとしても)
――構成面の不備を責めるだけなら良いかもしれない。
しかしそれのみによってそのアルバムの可否を断ずるのは狭量に過ぎる。
我々は曲の粒というのも見なければならない。
そして、「コンセプト・アルバムではないが、マスターピースクラスの名曲が何曲か入っている」ならば、
そのアルバムは成功、大成功と見なしてよいのではないか?
無論、マスターピースクラスの曲がゴロゴロ入っているコンセプト・アルバムがもしあったとしたら、それこそ真に恐るべき存在である。


以上のことを100sの『ALL!!!!!!』を聞きながら思った。
このアルバムは(5)で言った「コンセプト・アルバムの次作」である。
このアルバムは好きだ。とくに1曲目の「そうさ世界は」は中村一義の曲の中でも抜群に良い。
あくまで個人的なコンセプト・アルバム観なので異論はあると思うが、
こんなリスナーもいる、ということで、ご寛恕願いたい。


<<10.>>
君がそのミュージシャンを好きになったきっかけ(の曲)は何?
君は今もそれを聞いている?

今でも最高さ! という人もいるだろう。
もっと好きな曲を発見した、という人も当然。
そして……そのミュージシャンの真価を知れば知るほど、はじめに聞いたその曲の価値が、君の中で薄れたとしたら?
往々にして、人がそのミュージシャンをはじめて知るのは、そのミュージシャンの曲の中でもコマーシャルな曲なのだ。

感受性の変化は人間として仕方の無いことだ。
より「深み」を、とは当然のことだ。それでこそ正統派リスナーだ。
だが「きっかけの曲」がコマーシャルに聞こえるとの理由で、君の中で価値を薄めてしまったら、
それは案外にして不幸なことかもしれない。

初期のスーパー・イノセントなビーチ・ボーイズと、『ペット・サウンズ』以降の、音楽的に深みを増したビーチ・ボーイズ。
世の人はおそらく後者にこそ軍配を挙げるであろう。
わたしも基本的にはそれでかまわないと思っている。
だが、初期のビーチ・ボーイズが無価値とまで言うのには断固として反対する。
丹念に「ファン・ファン・ファン」を、「アイ・ゲット・アラウンド」を、「ドント・ウォリー・ベイビー」を聞いてみろ。
そこには後期ビーチボーイズに劣らない音楽性がある。
ハーモニーの天使的美しさ、グルーヴィーな曲調、これこそオール・タイム・ベストだ。
ビーチ・ボーイズを知るきっかけになった曲は、決してレベルの低い曲ではない。
レベルの低い曲ではないからこそ、君も夢中になったんだろう?

もう一度、丹念に、「きっかけの曲」を聞いてみよう。
そうしたら、君がそのミュージシャンを溺愛する理由が見つかるかもしれない。
それらの曲に、君が興味を失ったとしても、その曲の持っている価値は失われない。
そして多分、「きっかけの曲」と君は、いつかまためぐり合うかもしれない。
それを懐古と思わずに、また「新たな出会い」ととらえよう……そうわたしは思う。
自戒の念を込めて、ここに記す。


<<11.>>
昔はダイナソーJr.の重要性は承知していても、敬意を払うことは出来ても、正直ピンとこなかった。
昔はウェイン・ショーターのフレージングの独特さを理解はしても、敬意を払うことは出来ても、正直ピンとこなかった。

今ならわかる。
両者とも、今なら、しみじみとわかる。
その良さが。心の奥底にまで染み渡ってくる。
あまりに深く来すぎて、しばらく口がロクにきけなかったくらいだ。

昔はロックンロールという音楽にノることが出来なかった。
どんくさい音・グルーヴ、とまで思っていた。
音楽史上の重要性は理解していた。
だが縁遠い音楽だと、「わたしの音楽」ではないと思っていた。
ところが今はどうだ、あのベースラインに、ドラムの叩き方に、
自然と満面の笑みがこぼれてきて、この上ない快楽を感じるではないか!

今ならわかる。
ブラック・フランシス(フランク・ブラック)があの方向性に行ったということの理由が(そしてその成果の素晴らしさ!)。
ローリング・ストーンズがこれほど世界中で愛されている理由が。
ビートルズが四人一丸となって叩き出すグルーヴの魅力が、
今ならしみじみとわかる。
ロックンロールとは、こんなにも素晴らしい音楽だったのか、と。
ロックという音楽が、ハードロック、プログレ、メタル、パンク、と進化していく中で、置いていってしまったもの。
そして、それに目を向けなおし、耽溺する人たちの気持ちが今なら良くわかる。

最近、こんな経験が多い。
いったい、わたしの中で、なにが起こっているんだろう? どうしちゃったんだろう?
昔から、音楽は幅広く聞こうと思っていた。
その結果、音楽の趣味の幅は広がった。野放図なまでに。
でも、真に野放図になったのは最近ではないか、とふと思う。
今まではピンとこなかった音楽があった。努力して、好きになろうとしてもピンとこなかった。
ところが今はそれの良さが自然とわかる。
この差はなんだろう?

もしかして、これが「歳をとる」ということかもしれない。
そうしてはじめて知ることの出来るもの/世界があるのかもしれない。
わたしはどこかで、知性と感性を研ぎ澄ませば理解できないものはない、と思い上がっていたのかもしれない。
……や、そう思うことは大切なんだよ、そうしなければ努力しようとしないからね。
けれど、どうしようもないことがあるんだ、ということを、いつからかわたしは知るようになった。
努力では、個人の力量では。
その場の流れとか、天の運とか、時間の積み重ねとか、
そういうものによってしか得ることの出来ないものが、存外多いということに、わたしは気づきはじめた。
そして、それが理解できるようになっただけでもよかったと思うし、
案外、歳をとるってことも悪くはないのかな、と思うようにもなった。
わたしは「いつまでも子供のままでいたい」という願望と、
「早く大人(いっぱしの人間)になりたい」という願望と、
矛盾した願いを並列して持っている。
けれど、歳をとるということがそれほど悪くはないのだったら――や、そりゃ悪いこといっぱいあるよ?
だってそれはイコール「老いていく」ってことだから。
けれど、大切なもの(感受性とか)は残したまま、加齢により学べるものは学んでいけたら、これは結構いい生き方ではないか?
どの道わたしは老いるのだ。
だったらいい老い方をしたい。
そして、その「いい老い方」を準備しておくには、
20代という今は、まだ遅くはないはずだ。

……あー、何か音楽の話から脱線しちゃったじゃないかー!(笑)
ま、ひとつ言えること。
この経験があったということは、これからも愛好できる音楽が増えるということ。
どんどん野放図に。
それは、この上ない幸せだと思う。

(おしまい)

●本日のBGM:ポール・ヴァン・ダイク『イン・ビトウィーン』(最近テクノ・ハウスに再入門しようかという状況です。こういう音楽をよく聞いていたのは高校生のころです。今なら、また違った聞き方が出来るでしょう。だってあの頃はメロディーしか聞いていなかったからなぁ〜。シーンの流れが速すぎて、追いつくのが大変ですが……まあ、のんびり行きましょう。次はBTかロバート・マイルズかゴールディーかな)