残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

しばらく潜ります&アニソン考


事務連絡


何かはてなダイアリーって、改行を頻繁にすると、スカスカな見え方になるな……。今まで普通のブログだと、掲示板と同じように、改行を頻繁にしないと(短文的にしないと)読みにくかったものだけど。はてなでは逆に、普通の文章書きのやり方の方が見やすい画面になるみたいです。というわけで、気づくのが遅かったですが、改行などの書き方をここらで変えてみることにします。何か今まで自分のブログが他のはてなダイアリーに比べて妙に一行一行の間隔が開いてるなー、と思っていて、何でかなー、と感じていたのですが、まあ、そんな具合だったみたいです。ううむ。


で、今回の更新ですが、例の「アニソン論」の前に、ちょっと事務連絡を。えー、このブログ、2月終わりあたりまでちょっと更新が手抜きになります。「週一」ペースを崩します。理由は、以下のmixiの日記からの転載で……。


↓以下mixiの日記から


これからしばらく、ブログの方も、このmixiの日記の方も、更新が手抜きになると思います。
体調面と、お仕事をこなすのと、そして何より、今書いてる長編小説(連作短編)の最後の追い込みに入るからです。
ようやく完成が見えてきた……長かった。
原稿用紙400枚程度の何てことないお気楽小説なのですが、構想からはじまって、きっかり一年半かかりました。
その間、幾度となく書き直しをしましたから……ほんと、何回書き直したでしょう?
しかしその分、今まで書いてきたどの作品よりも、愛着があります。
余計なエピソード/サブストーリーがいくつもいくつも書いてる最中に出てきたので、やろうと思えばこれらを拾ってまとめるだけで次作が一作仕上がってしまうほどです。
まあ次はまったく新しい設定で書こうと思ってますが、いつかこのエピソード群はまとめて書きましょう。


……プロットにもう迷いはない。
あとは演出面をどれだけ磨き上げていけるか。
さあ、最後の正念場だ。


二月半ば〜後半を目処に、完成を目論んでおります。
その間、それに一気に集中するので、更新がおろそかになりますが、ご容赦ください。
まあたまには生存報告の意味でも書くと思いますけど〜。twitterもありますしね。


小説を書くという、孤独な旅も、あと少し。
けれど、書ききったら、また新しく書きはじめる――孤独な旅に再び出ることになるのです。
きっと、それをこの先も延々と続けていくのでしょうね、わたしは。


――転載おしまい。


まあ、こんな理由で、ちょっと更新を抑え目にしたいと思います。2月末までには、何とか結果を出したいものです。てゆーか出さなかったらいい加減狼少年も過ぎますし。そんなわけで、ちょっとしたことはtwitterにでも書いてみようとは思いますが、原則それ以外では更新控えめになると思います。突発的にどーしても書きたいことが出来たら書くかもしれませんけど、書かないかもしれません。そう、この世のすべては、ただひたすらに「God only knows」。カール・ウィルソンの天使のように甘いヴォーカルがね……ってなことは完全に関係ないですね(笑)。


うーん、何を言っても、あとは結果を出すだけなので、何も言えませんが、ひとこと。……まあ、がんばります。はい。事務連絡、以上です。では「アニソン論」開始!


アニソンとわたしの(悪い)相性


こないだtwitterでも書きましたが、清水の舞台から飛び降りる覚悟で『放課後ティータイム』を買ってきました。実に数年ぶりのアニソン購入です。……出来に関して言えば、実にしっかりと作られたポップ・ロック・ミニアルバム、といった感じでした。「ロック的エッセンス(というか「ネタ」?)」を随所に散りばめたサウンド・プロダクツは、アニソンとしての機能性を保ちつつ、ロックファンにもニヤリとさせるギミックを仕込んだ、「一流の職人技」を感じました。そこに付け加え、「架空のバンドの音源」という形でコンセプチュアルに作ってあるのも面白いです。そんなわけで、アニソン嫌いのわたしでも聞けました、このアルバム。


……だけど、だけど、やっぱり「アニソン」という聞こえ方をしちゃうんだよなぁ……わたしの耳が。そこで、若干の居心地の悪さを感じてしまう、という。それを思うと、やっぱりわたしとアニソンの相性ってつくづく悪いんだなぁ、と思いました。しつこく付記しますが、『放課後ティータイム』側には何の落ち度もありません。すべてはただアニソンと相性が悪いわたしの耳/感性の問題です。


何でこんなにわたしとアニソンの相性って悪いんでしょう? ……正直、巷で話題の、「音楽として実力派」と言われているアレやコレ(あえて名は秘す)も、食わず嫌いはいけないな、と思って聞いてみても、「ああやっぱりアニソンか」と一聴してわかってしまってげんなりしてしまう、というこの事実。……結局、それは「アニソンらしさ」がいけないんだと思います。演歌とか歌謡曲が嫌いな人(洋楽志向の人でこういう人結構いますよね)の回路……村上春樹氏が言うように、「どんなに新しい衣に包まれていても結局は歌謡曲じゃないか」と感じさせてしまった時点で聞く気が失せてしまう、という思考回路。それと同じ回路がわたしのアニソン嫌いにあります(付け加えると、わたしは演歌も歌謡曲も嫌いです)。もうこれ、仕方がないんですよ。匂いといっしょで、一度鼻についたら離れない、という。


じゃあ「アニソンらしさ」って一体何なのか。それを論じるのは簡単ではありませんが、「わたしがアニソンのここに違和感を感じる」という観点から洗い出してみましょう。


(1)アニソン的歌唱法:アニソンって、独特の歌い方をします。それこそ一聴すればわかるほどの。大雑把に分類すれば、ヒーロー・ロボット・特撮系の熱血系男性ヴォーカル、V系男性ヴォーカル、擬似ゴシック耽美系女性ヴォーカル、「僕は誇りを持っている」的性差越境系擬似ロマンティック女性ヴォーカル、合成着色料系ロリポップ少女ヴォーカル……てきとーに分類してみましたが、どーもこれら「アニソン特有」の歌い方に居心地の悪さを感じてしまうのです。何故か。……こんなこと言っちゃいけない/怒られるかもしれませんけど、どこかフェイク臭いのです。ロリ系は言うに及ばずですが、その「熱情」にしても、どこか作り物じみているというか……。


(2)歌詞の擬似/似非文学性:ボクはキミがセカイの最果てで、とか、青い薔薇は砕けたガラスに、とか、セカイ系文芸から引っ張ってきたようなフレーズや、ゴシック文学の表層をなぞったようなフレーズはもううんざりなんです。そしてそれをさも自分が「発見」したかのような面持ちをするのがどーにもアレなんです。そしてもっと嫌なのは、そういった一連の流れがすでに定着しきっていて、薄皮一枚のマイナーチェンジをしながら延々と生き延びていってるってことです。あー、もうこれは伝統芸として見るべきなんだな、と。


(3)サウンド・プロダクツの保守性:ロックといったら70〜80年代的HR/HM、ジャズといったら「ジャジーなムード」だけ、荘厳にしようと思ったら安易にストリングスを入れる? そーいえばダッチ・トランスが一世を風靡してから数年後、さも「最新のダンス・ミュージック」的なツラしてトランスを導入したこともあったな。そして、「和風」にしようとして、結局出来上がったのはペンタトニック・スケールをつらつら使った劣化(×5、と言ってもいいな)姫神……もう、アニソンのサウンドの作り方って、決まっちゃってるんですよ、聞いている限り。「新しい音楽的未開地」に突き進んでいこう、という気概が見えてこない。……わたしはそこに一番苛立っているのかもしれません。何か、過去の音楽的遺産の「データベース的抽出(東浩紀)」のように見えてしまって。……あるいは、アニソンって、前にも書きましたけど、伝統芸なのかもしれませんね。時代に合わせることはしても、本質の変化はしない、という。しかし、入れるべき骨は入れろよ、と思うのもまた一方で事実。


……以上がアニソンに対してわたしが「好かない」と思っているところです。う〜ん、全オタクを敵に回しそう。しかし、これらを裏返せば、「それで何が悪い?」と言えるわけで。そう、何も悪くないのです。それらを好む人からしてみれば、こんなにおいしいサウンドはありません。サウンドや歌唱法の擬似性や保守性に関しても、「安定度」という観点から見てみれば、なるほど求められるのも納得、と。……すべての人が「サウンドの革新性」を望んでいるわけではないのです。聞きたい音楽だけ聴いていたい人たち、そちらの方がマジョリティでしょう。……とすると、わたしがここで書いていることは、露骨に「時代に逆らう」愚かな行為だということになります。


あるいは、以上を「アニソンの個性」と言い換えれば、わたしはそれを聞き取ることの出来ない愚か者なのでしょう。愚か……しかし、わたしはわたしの感じたままに上の文章を書きました。嘘は言えません。……誰の耳が正常で、誰の耳がおかしいだなんて、一体誰に言えるでしょうか? わたしはアニソンを好きな人をけなすつもりはありません。しかし同様に、わたしが好きなジャズや70年代のパンクやトラッドやブルースについて、聞きもしないで「あんなのつまらんよ」と言ってほしくもありません。……わたしはアニソンの熱心なファンでないだけに、「聞き込む」ことはしない……というか出来ませんでした。しかしオタクとして生きていく中で、自然とアニソンに触れる機会は多かったです。で、以上の結論が出た、というわけです。


つまるところ、何度も書きますが、アニソンとは日本のサブカルチャーの中でも「伝統芸」になっているものなのでしょう。あるいは、海外の音楽好きからしてみたら、そのサウンドの独自性(フェイクによって成り立っているところが多くあるとはいえ、そのサウンドの「個性=アニソン的フレージング」が人に魅力を与える可能性をわたしは否定はしていません)に注目するかもしれません。あとは、「取るか取らないか」の世界です。で、わたしは「取らなかった」と。何度も言いますが、わたしはアニソンが好きな人を否定はしません。ですが、「聞くのがアニソンだけ」ではちょっともったいなくない? と思うだけです。せっかく「音楽を聞く喜び」を覚えたんだからさ〜。アニソン好きって、結構な率で「アニソンしか聞かない」って人がいるので、それはちょっともったいない……とね。


アニソンに未来はあるか? ぶっちゃけて言うと、オタクが存在する限り未来は明るいでしょう。マーケットもどんどん広がっていくでしょう。そして、サウンドのその本質も変わらずじまいでしょう。ですから、アニソン好きな人はな〜んにも心配する必要はなく、逆に、アニソン嫌いな人は……う〜ん、まあ、アニソン好きな人とは適当に話を合わせて、何とかやっていきましょう。処世術処世術。(結論はそれかよ)


本日のBGM:こんな回だというのになし。