残響の足りない部屋

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ラブラブルプレイ日記(3)

プレイ日記の予定
mixiでラブカミのプレイ日記書いた時は全10回も延々と続けましたが、今思い返せばいくらなんでもグダグダと書き過ぎていたと今更ながら。というわけで、今回のプレイ日記はその半分くらい、まあ5・6回くらいで終わらせようと思います。
それはラブラブルがつまらないという理由では一切無く、むしろその全く逆で。一般的な萌えゲーとしての評価はさておき、個人的にはハマり度合というか親和性はラブカミの比ではないのです。ともかくも更新のフレキシビリティを上げるというのが理由です。……にしては前回も前々回も長かった……。

さつき&千夏ルート終了
それにしても最近の生活のラブラブルを中心としたあり方は異常。仕事や家事を早く切り上げてラブラブル。小説を書いたらラブラブル。パソコンに向かうのが疲れたら少し休んでまたラブラブル。共通パートが楽しいので、ついついスキップせずに何回も読みふけってしまうラブラブル。個別に入ったら破壊力が異常なラブラブル。
そんな感じでラブラブル漬けの生活を送っています。ヒャッホーイ、エロゲ、最高―!(店長風に)。で、ほんと自分にしては珍しく早いペースで、5人中3人までクリアしました。
何といってもデレてから(=個別ルート以降)の変化はすごく、このバカップルどもめいい加減爆発しろとすごいいい笑顔で眺めているという今日この頃。
さつきの無表情ボクっ娘がダダ甘になってくるところ。クール……ではないんですが、天然入っています。ただ行動があんまり読めない。そんな子がデレまくるという、何と言うか、度数というか濃度が目に見えて上がっていく感じ。人は恋をすると脳が沸く。
学園のヒロイン的だった千夏が地を出してきてどんどんアレになってくるところ。嫉妬しないとか言ってるくせにすぐ嫉妬する有様(と、欧州喫茶ジェラシーのネタ)に爆笑。ていうかごめん、第一回のとき千夏のことメインヒロインの沽券が云々と言ったけど、ルートに入ったら千夏は輝いていましたよ! まあそれでも花穂の待遇良すぎなんだけどな!(笑) あー、前回も書きましたが、ヒロインの魅力を活写しきれない自分の筆力の無さにうんざりします。

ヤマなしオチなしラブはあり
前も書きましたが、結局このゲームは女の子といちゃいちゃするのとバカなギャグを楽しむ以外のことはほんと放棄しているというか、それに徹しきっているというか。だから、萌えゲーは萌えゲーなんですが、玄人仕様の萌えゲーなんです。萌えゲー好きって、エロゲーマーの中でも「初心者」と目されることが往々にしてありがちなのですが、しかし萌えゲーといってもこういう代物があるだけに……いやラブラブルは極端な例なんですが。なので、わたしは大絶賛なのですが、それなりな割合で「話がないじゃん!」という批判が起こるのも重々承知の上です。
ですが、こういうゲームがあってもいいと思うのですよ。少なくとも、煮え切らない中途半端な出来ではないのです。コンセプトが徹底している。話のダイナミクスを求めるのだったら、それに答えてくれるゲームは他にもあります。ていうかそれだったらまどか☆マギカを見ればいいのではないかと(あいにく未見ですが評判からしてそう思うのです)。
話のダイナミクスを見るのも大事です。が、昨今の百合における「カプ萌え」の隆盛から考えると、このように「ひたすらいちゃいちゃしているのを眺めるのに徹する」というゲーム(コンテンツ)のあり方というのも、また大事なものではないかと思うのです。少なくともわたしはカプ萌え――ふたりのキャラによる掛け合いの妙、そしてそれをニヨニヨとした第三者視線で楽しむ――の徒ですし、そういう観点から考えると、「別に話がなくても……」と思うのです。最初から「シナリオなし!」と割り切って作られたゲームなのですから。まあ、この「話」を求める心理というのは人間としては(とりわけオタとしては)一概に片づけることが出来ない代物なのですが……。
それにさらにラブラブルを弁護するとすれば、シリアスな話こそないものの、カップルを暖かく祝福するようなシナリオの締めを最後に用意してくれているのが、また素晴らしいです。そこにおいてキャラはより掘り下げられ、主人公との関係性も掘り下げられます。そして我々はほっこりしたとても良い気分でルートを終え、次のルートに行くなり、延々と同じルートを繰り返すなりするわけです。ていうか……花穂ルートがあまりにも素晴らしい出来なのでまだ何周もしなくてはならないという幸福なお仕事。

主人公の叫び
主人公、愛沢晴樹は本作においていちいち叫びます。フォント拡大して。とくに女の子の可愛さについて叫ぶことが往々にしてあります。要するにいちいち悶えているわけです。何気ないことですが、これはよく考えるとすごく大事なことではないかと思うのです。昨今のエロゲ主人公は人間が出来てます。それは「いい人」ということであるのですが、反面「あんまり女の子にドキドキしない」ということでもあります。
我々は何のためにギャルゲーをしているのでしょうか? 女の子の可愛さに悶えるためであります。これを恥ずかしがるならともかく、きっぱりと否定するようであれば、その人はギャルゲーをする必要がありません。さっさとゲーテドストエフスキーボードレールを読みましょう(しかしさらに言えばそれらの文豪の作品の中にも女の子に対するときめきを感ずることなしには醍醐味を得られないという面もある事実。『ファウスト』のグレートヒェンを見るべし)。
そんな「無感動主人公」を多く見ていると、いい人なんだけど、せっかくこんなに女の子が可愛さを振りまいているのに―! と、テンションが下がります。晴樹の素晴らしさは、「あああああああああぁ! 可愛い! 可愛いすぎるっ!」と率直にほとばしりを表明することにより、我々の心情を代弁してくれます。それも登場キャラたちの可愛さがあってのことなのですが、このように「可愛さを認め代弁してくれる」主人公というのは、ギャルゲーに不可欠なのだとつくづく思いました。
(続く)

本日のBGM:クリーム『クリームの素晴らしき世界』(こんなことばっかりやってたらそりゃ早晩解散もするわな、という、3ピースロックバンドの音楽的殴り合い。なんか最近そんな「殴り合い音楽」ばかり聞いてないか?)