残響の足りない部屋

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読書について

近況(業務)報告


あ、ありのままに今(おととい)起こったことを話すぜ!
「十月締め切りの小説を1/3書き終わったと思ったら、その後十日で中編小説一編書きあげて、他の十月締め切りの新人賞に投稿していた」
な、なにを言っているのかわからねーと思うが(略)
……いや、この中編は後々書こうと思っていたのですが、急に書きたくなって、で、一気に書きあげて、って具合で……人間やってみるもんである。
というわけで、締め切り半年前に送る、という暴挙をしました(笑)。
の割には達成感がないなぁ……なんでだろ?ここんとこ達成感というものが希薄で……。
と言いつつも、さっきの1/3書きあげた小説の続きに取り掛かってるわけなんですけどね。
まあ、後は結果待ちですねぇ……気の長い話で。お粗末。


考えてみたら(本日のテーマ)


あまり自覚はなかったのですが、よく考えると、何だかんだで「本を読んでる人」になるんだろうな、って自分では思います。知人が自分の部屋に入ってきたとき、大概本棚の惨状に引くくらいには(苦笑)。ただまあ、自覚がない、って時点で、もう引き返せないくらい本に漬かってる、とも言えますが(苦笑)。
というのも、前に「ひまわりさん」を読んで、それから今度は山名沢湖レモネードBOOKS」を再読して(もう何十回目の再読でしょう。シリーズものの山名氏の著作の中では未だにこれがベストだと思ってます。作品単品で言ったら「なつくさ万歩計」ですが)、自らの読書ライフというのを考えるようになったからです。


ただまあ


目を酷使していることは事実なんですよね。
本を読む――活字を読む――ようになったのは中学のときから。それまでは漫画や資料集や図鑑ばっか。それが文学青年ってやつですか? そんなのになっちゃいました。
まあ、それが与えてくれた恩恵というものは計り知れないものがあるわけですよ。本を読まない人生が自分にあり得ただろうか、って考えると、空恐ろしいものがあります。それくらい本は自分の中に入りこんでいます。
ただ、やっぱり視力は落ちてるんだと思います。中学・高校のころはそうでもなかったんですが、大学に入ってから「あれ? 何か落ちてない?」と思うように。
そしてここ一年に至って、一気に落ちましたね……前にも述べたように、2.0から1.2へ。
これはパソコンの影響も大ですが。


●パソコンといったら


自分の読書ライフにパソコンが入りこむようになって久しいです。作家の情報を調べたり、レビューを読んだり、作家の私生活を知ったり(ブログ)、新刊情報を漁ったり、通販したり。
まあ、何の分野においてもそうだと思いますけどね。音楽にせよ、映画にせよ、料理にせよ、パソコンが入らない部分って、今はないでしょう。ユビキタスなんて言葉は古いですが、もう水のように当たり前になっているのが現在なんだなぁ、と考えると、時代はSFであります。そんな時代なんだなぁ、って。時の移り変わりは早い。


パソコン(電子書籍)の台等により本(紙媒体)は駆逐されるか?


ま、あらかたは駆逐されると思ってます。CDが今のような配信中心になったのを見ると、紙もやがてはそうなるんだろうな、と。
少なくとも、ネット世代の人間は「紙をめくる」読み方から「ページをスクロールする」読み方へとシフトしていくでしょう。今は過渡期のはじまり……やがて過渡期もMAXになっていって、「紙で読む」ことが希少価値になるでしょう。


じゃ紙文化が完全に無くなるか、というと、そうではない、とかなりの確率で断言出来るところがあります。
何故か、っていうと、こんだけ「同人誌」を皆が作っているからです。
ただ「見せたい」「読んでもらいたい」だったらネットにアップすればいい話なのです。けれど皆「本」にしたがります。
やはり、紙の本と言う文化に対する執着というのは、人間捨て去ることが出来ない話です――まあこれも時代の変化によって、電子媒体優性になるのは間違いないですが、「本がなくなる」ことはないんじゃないか、って思います。皆がこうして同人誌作ってるのを見ると。
やっぱり「形」に対する思いですね。これからの世代はどうなっていくかはわかりません――最初からデータの方がいいよ、という感じなのかもです。


となると、本(紙媒体)の位置づけは、どんどんラグジュアリー(豪華品)なものになっていくだろうな、という予想がつきます。旧来の「一般流通メディア」ではなく。
CDがそうです。配信に対して、CDは「デラックス・エディション」という形でリスナーの取りこみを図っています。ボーナストラック、ライヴ音源、DVD映像、豪華ブックレット……。
これを考えると、「本」というものも、こういう形でしか残れないんじゃないか、って思います。いわばファンアイテム。
恐らく、二度と紙が「世界共通メディア」として扱われる時代は来ないでしょう。もう「データ」というメディアがあるのですから。
何も、紙好きな人を否定しているわけではありません。紙文化が無くなってしまえばいい、なんて考えてる人こそ真にわたしの論敵です。
ただ、効率面・環境面を考えると、データに移行せざるを得ない。
本は、あくまでラグジュアリーとしての機能を満たすものでしかない。
そのへんの割り切りが必要な時代になってくるんでしょうね……。


●つれづれと書きました


こんなことを最近考えております。
当たるかどうかなんてわからないですが、少なくとも覚悟は決めておいた方がいいかな、なんて。
本との関わりかたにせよ、視力にせよ、電子書籍にせよ。
ま、何だかんだ言って活字は好きですし、本も好きですし、あとはいかに目をいたわるか、ってとこですね。何だこの結論。お粗末。


本日のBGM:紙の音……なんて書いたら洒落てますかね? でも実際はキーボードを叩く音でしかないのさ。