残響の足りない部屋

同人DTMとか模型庭園とかエロゲとかの日記

連載コラム「21世紀の小説家(という仕事=ビジネス)」2

2.


●うだつのあがらないweb小説家


小説を手にとってもらうためには宣伝が必要です。
このコラムでは、その宣伝方法について、「小説家になろう」で半年ウダウダやってきた経験、並びに当ブログでウダウダ3年やってきた経験をもとに語ろうと思います。
一言でいえば、どの宣伝方法も失敗に終わってきました。マジで。
じゃお前人に何かを教えられる立場にないじゃないか、と言われそうですが、しかし負のケーススタディとして見ていただければ幸いです。


●そもそも


「何で小説家になりたいの?」と問われたら、作家志望の方々は何と答えるでしょうか?
おおむね返ってくる答えは「なりたいからなるんだ」といったものではないでしょうか。つまり、「小説家であること」が彼らの絶対目標であり条件なわけです。
「そういう生き方=小説家人生」を送りたいのだ、という。
ワタシもかつてはそう思っていました。いや、今も思っています。ただ「かつては〜ました」と書いたのは、少々の方針転換があったからで……。


しかし、小説家ほどワリに合わない職業もないと思うんですけどね。
ぶっちゃけた話、ワリに合う職業というのもそうはなく、みんなカツカツのところでやっていっている、というのが現状ですよこの大不況震災後。
ただまあ、小説家は別名ニート御用達(第一志望)の職業、と言われて久しいですが、「これでオレもひと山当ててやるぜぇ〜」みたいなワイルドな思考……小さな声で言い換えれば世間知らずの無謀野郎……ま、しかし、ニートにほど近い場所にいる(いた)人間として、この手の心理は察するに余りあります。
そんな簡単なもんじゃないんですけどね。
スコット・フィッツジェラルドはかつて手紙の中に、「私はいささかのテクニックをわきまえた文学的娼婦にすぎない」と自分のことを罵っていました。
そのころのフィッツジェラルドは失意の中にいて、生みだす小説は美しいものの、経済的には破綻、私生活も破綻……と笑えない状態だったわけであります。
また、フィッツジェラルドの独白によくありがちな「自己憐憫」の感覚もここには確かにありますが、それらはひとまず棚上げしとくとして、僕がほとほと感じいったのは、
「文学的娼婦とまで言うかね」
という「すげえ表現」という感心の念でした。
……が。
その後よくよく「文学的娼婦」という言葉を考えてみて、曲解になるのでしょうが、ワタシはこうも考えるようになったのです。
「娼婦とは、小説家のメタファーである」
……こんなこと方言したらあらゆる方面からフルボッコだってのはよくわかっています。
ですがあえて書きます。これもまた宣伝? 物議かもしんぐ? いやまあ、それはひとまず置いておいて、「娼婦」と「小説家」のあり方は、あまりに似ている、と僕は思ったのです。侮辱の意味合い抜きで。


●小説家にとっての「メタファーとしての娼婦」


1.客がソソるものを提供しなくてはならない
2.自分(自分の作品)という商品は客の思うがままにされるのみである。「こう受け取ってほしい」なんて言えない
3.金を払われた以上しっかりと客を満足させなくてはならない
4.パッと目の派手さが求められる
5.そして内容の奥深さも求められる
6.逆に、軽い内容なら軽いで、ささっと爽快、みたいな感じで済ませてもらいたい


など、など、など。
要するに「性的サービス業」か「文章的サービス業」かの違いであって、世にある「小説家=芸術家=偉大な人」幻想は、確かにある種の人々の心を潤しますが(文芸に携わるすべての人)、実際のところをひっぺがしてみればこんなもの、みたいに見えてならないのです。
そして自分がプロの小説家たらんとすると、ますますプロの娼婦のあり方に学ばなくてはならない……皮肉でなく、「そうしなければ生きていけない」という切実さでもってそう思います。
そして、そして、さらに思うわけです。
なんて過酷な環境だろう、と。


●ガチに構えたら負け


その上何ですか? 締め切りですか。
僕も一応(人前では名乗りにくいものの)文筆業的なセコセコした仕事でお金もらってるわけですが、この締め切りって、実に僕みたいなチキンハーツの神経を削っていきますね。
……実は明日締め切りの仕事を抱えていながら、こうして一銭にもならんブログ記事を書いてるわけなんですが、これがどう考えてもいかんことは明白。さっさと移れよ。自分の書きたいものばっか書いてんじゃないよ。
……そう、プロになる=自分の書きたいものばっか書いていらんなくなる、というのもまた事実。
先に述べた「娼婦としての小説家」の考えでいくと、下品な書き方ですが、自分だけイクわけにはいかないのです。客をイカせないといけないのです。自分だけイクのは「金返せ」であります。


一転。
「仕事」とは何か。
それは、自分が何か価値のあることを為して、その対価としてそれ相応の賃金が支払われることです。
抽象的でわかりにくい言い方ですが、要するに、必要とされないマスターベーションに人は金を払わない、ってことです。


以上を踏まえて考えると、プロになろう、として小説を書くということは、それが純文学だろうがエンターテイメントだろうが官能小説だろうがラノベだろうが、「求められるもの」を書かないといけないわけです。
(逆言えば「求められればなんでもオッケー」=結果オーライ、だったりはする)
往々にして「書きたいもの」と「求められるもの」とは食い違います。
むしろ「書けるもの」と「求められるもの」が合致したところに、文筆上の幸せがあります。
僕のように、小説家としてはうだつがあがらなくとも、一応は事務的な文筆仕事が舞い込んでくるみたい、に。
……と考えると、僕には「小説家としての莫大な才能」はないっちゅうことですな。残念ながら。
書きたい気持ちはあるのですが、ギラギラ光る才能があったらとっくに世に出てる。
むしろ評価されてるのが、事務文筆の方だという時点で……。


そこでワタシは諦めたというか、開き直ったというか。
小説は自分の書きたいものを書きたいように。
事務文筆は依頼されたものを忠実に。
分けるのです。
エロゲのグラフィッカー(塗り師)で言えば、会社の絵はプロとして塗って、好きなものは同人でやる、みたいな。
で、今「なろう」でこうして活動しているわけですが……。


しかしワタシは画策しています。
この趣味=同人としての「なろう」web小説を、金にすることは出来ないか、と。
そこで辿りついた方法がありました。
(つづく)