残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

盤派だが……PCで聞くのが楽すぎる

「音楽は盤(レコード、CD、あるいはMDとかテープ)で聞くべき!」と、この十年間かたくなに信じて来た系リスナーの残響です。

 

今回のおはなしは……そんなオレがヤバいと思ってることなんだよ

 

●序 オレのPCリスニング状況

 

・音源再生用PC:ソニーのvaio2010年モデル。一体型

・スピーカー:そのPCにもともとあるやつ。これが案外バカにならなくて、普通に響きがいい

・データ保存媒体:外付けHDD、2T

・再生ソフト:ソニーのXアプリ

・携帯オーディオその1:MDウォークマンが現役(録音も出来るよ、使ってないけど)

・携帯オーディオその2:PSP(3000とかいう品番の)にATRACファイルぶちこむ

・MDデータ吸い出し:ソニーのこれ

・オーディオインターフェイス:タスカムのこれ(でも結局DTMは挫折した。今はスカイプとかLP盤データインポートしか使い道がねえ)

 

こんな感じ。

ソニーが多すぎるが、べ、べつにソニー信者なわけじゃないんだからねっ! たまたまなんだからね! 基本的に文字書きはポメラだからね!

 で、でも今書いてるのは……そのぅ……ブログ編集画面直書きだけど……

 

 

●破 盤が好きだった

 

 

 

いやだって、そもそも、オレが「モノをスロットにいれずに、デジタルデータだけを持ち歩いて、音楽を楽しむ」ってスタイル……要するにipodのあれだけどさ、そういうふうになったの、今年に入ってやっとなんだぜ?

 

それまで、オレはかたくなに、盤でもって音楽を聞くことこそが、リスナーとしての(あくまでオレの)正しい在り方だと思ってた。

 

まあ、それまでのPC再生リスニングが、ノーパソのペラい音で、真面目にリスニング出来るかいな、ってのもあったし、再生ソフトのもたつき……いちいちクリックして、再生されるのが、十秒くらいたつ、っていうのもイライラしてた。

 

なにより、オレは盤が好きであった。円盤が。

ターンテーブルに載せるという行為が好きだった。

デーモン・アルバーンが「音楽には儀式性が必要なんだ。ターンテーブルも、そのひとつだ」

というのを、金言にして、これまでやってきた。

 

……で、いま、XアプリのEQを、ローミッドを押す感じで調整して(これが一発で決まるでやんの)、リー・モーガンの「サイドワインダー」を聞いてます。

かっけー音ですね……じゃなかった! つい聞き惚れてしまったが、今回の記事はオレの危機感について語る……

……もんなんだけど、PCリスニングで「かっけー音」と素直に認識出来てる以上、オレ、これ以上、盤にこだわる必要あるんかいな?

 

●急 CDの致命的さと、「贅沢」と、店の記憶

 

はっきりいって、盤であることの、メリットは、客観的に見て、ない。

アートワークにしたって、レコードの大きさ(これ今のリスナーに通じるのか。シャレオツ系喫茶店のアイテムにすぎんしなぁ)をダウンサイジングしたもんでしかない以上、手に取ったときの「おぉ……」感は、相当薄れますわな。モノとして、CDは面白くない。トレント・レズナーもそういうとった。

 

致命的なのは、盤は、デジタルデータであるということ。

これは、ひとことで言えば、コピーし放題。つべを見よ。

だからこその10年前のCCCDなんだが、悪名を轟かすことだって、レコード会社はわかってたはずだ。

でもな。「聞ければいい」なひとにとって……

友達が一枚盤を買ったとする。それを、10人の友達が、借りあって、IPODにコピる。PCにリッピングする。

それがネズミ講式に、どんどん際限なく。

これじゃ、どう考えても……

 

だから、アナログ盤って、ある意味、究極のセキュリティだったわけ。

デジタル複製が出来ない。物理的に。やろうと思ったらエライしんどい。その「しんどさ」が、最大のセキュリティになる。

セキュリティってのは、「事実上不可能」なガードもあるけど、人間の行動心理にもとづいた「めんどくささ」を利用したガードもあるってのね。

で、「めんどくささ」を綿密に計算したガードっていうのは、人間心理に基づいているがゆえに、強い。弱いようで強い。

ギーク的発想だと、「やれば出来る(コピー解除は出来る)から、はい、このセキュリティ破った!」ってなるんだけど、

もっと頭のいい……スマート、というより、あくどい人間が考えるセキュリティってのは、「クラッキング的に破ることは可能だが、極めて面倒、しかもバックには国家権力もついてる」みたいなの。……なにしろ、オヤクショは「めんどくささ」を作ることに関しては権威中の権威だしな。オヤクショ自体がめんどくさい組織なんだから。

 

はなしずれた。

「モノ」としても面白くなく(だからそういう意味では、こないだ出たColleenの新譜は、これっぽっちもCDらしくない、シングル盤レコードみたいなデザインで、手にとってすげえ楽しかった)、「デジタルセキュリティ」に穴開きまくり、のCDちゅうのは、ここにきて、もう致命的なんである。

 

さらにいえば、

「CDは音がいい」っちゅうのも、じゃあハイレゾの件はどうなんの?ってことになるし、ototoyの高音質配信、っちゅうのもある。

 

あと、これいいたいのだが、紙ジャケ、オレ好きだけど、もともとの裏面のライナーノーツ、これ文字が超縮小されて、読みにくいねん!

じっと見てたら、いくら目がいいオレでも、吐き気してくるわ! あれ「読ませる」フォントじゃねえよ!

(そう、LP盤は、「読む」楽しみがあった。確かにCDは、ブックレットというのがあるが、しかし……「読ませる」ブックレットの絶対数の少なさっちゅうのはどうよ? はっきりいうと、ブックレットの情報量が、唯一CDが配信音源に勝っているが、ここで、ブックレットに、ブログ記事以下のしょうもない思い出話しか載ってなかったら、ブックレット/ライナーの意味もなくなるわ)

 

どんどんCDディスになってる。

整理しよう。

・「モノ」としての面白さのなさ

・セキュリティがザル

・音源以外での情報量にも欠ける

 

じゃあなんだ? デジタルデータは保存性が欠けるとか、データロストしたらおしまい、とか。

そりゃ確かにそうなんだが、CDも傷がついたらなぁ……

 

 

じゃ、どうしたら、CDは生き残るか?

ひとつは(まず最前提として)「モノ」として、すっげえ面白いモノにすること。

こうなったら、デザイナーを総動員しないとムリ。だってよ、AKBの握手券販売って、数売っても、どうせ中古屋で投げ売りされるでしょ?

それこそ、Colleenの新譜のような、面白さが必要。あるいはサンホラの盤のように、歌詞カードがやたら面白くて物語性があって、仕掛け絵本みたいな、感じにしないと……

 

 

もうひとつは、「贅沢に音を楽しむ」という文化を作ること。

これは完全に時代に逆行するのだが、ターンテーブルに盤を載せて、音楽がはじまるまでの時間を、じっと待つこと。

簡単にしないこと。音楽を安易にしないこと。

いくらでも聞き返せる音楽であるがゆえに、逆に、一回一回の聴取を、ガチで望むような、リスニングスタイルを広めること。

 

「簡単さ」では、ipodにはかなわんよ。

第一、あんま評判よくないXアプリにしたって、こうしてHDDにぶち込んで、音質結構よくして、ソファにでも座って、のんびり聞くぶんには、充分事足りるんだし。

 

ここまで……この2013年に至るまで、盤を買い続けてきたオレでさえも、もう、「それでも盤でなくてはならない」という、理由が、見当たらなくなってきている。

 

それよりは、持ってる盤を全部HDDにぶち込んで、リストを整理して、聞いたほうが、いいのではないかと。少なくとも、「あの盤持ってたっけ?」みたいなバカさは、これでいくらか解決されるだろう。

 

……それでも、それでも、やっぱりオレはモノが好きだ。じゃなかったら、模型ブログやってねえよ。

モノが手に取れることが好きだ。だから部屋はいつまでたっても散らかっている。

 

でもよ……限界かもしれんのだよ。PCリスニングが、オーディオリスニングと同等の聞き方ができて、しかもこっちのほうが整理もしやすくて……って考えると。

 

オレ自身の意識改善だけじゃ、もう限界がある。

 

……ああ、CDショップが、近くにあって、毎日通えば、こんなことは考えずに済んだ。

奈良にいたころ、オレはジャンゴというCDショップに通っていた。そこには「文化」があった。ひっそり構えていた店だったけれど、そこには世界中の音楽が息づいていた。

 

そういう店で、熱いビートを感じられれば、オレだって、喜んでCD定価で買うよ。

そういう店でしか手に入らない「モノ」は、宝物なんだ。

店で過ごした時間と、

そこで鳴ってた音楽と、

店主との会話と、

「自分が音楽を探している」という明確な意志でもって中古盤や店主のおすすめをdigするのと、

店を通してイマの音楽のビートを感じることと、

店主に善き音楽を教えてもらうのと、

そして歴史性を知るのと……決して「オベンキョー」じゃなく、智恵としての音楽歴史を知ること。

 

だったらオレだって、オレだって……

いま、オレは僻地に住んでる。レコ屋がないわけではない。けど、そこまでいくのに、車で相当かかるっちゅうの。

そんなリスナーは、多分多いと思う。

さて、どうすればいいんだろう?

 

●PCオーディオどうするか話、おしまい