残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

DEKUの透明世界、あるいは震える賢者としての「とまどい飛翔する音」(2)

こんかいのおんげん
前回とおなじ


4、個人的DEKU体験 ……2)同人ゲーBGM、ゲー音界隈クラブサウンド概略、あと残響の昔語り


●2000年代中期同人ゲー界隈雑惑


思えばDEKU氏の音楽には、それなりに時系列的にふれているのでした。自慢するわけではないですが。
(もし批評において誇るべきモノがあるとすれば、それは解析能力と感受性であって、「みんなより早く知っているか」などの競争はおろかなことです……)
例によって、同人シューティングゲームサークル「橙汁」作品……そう、「スグリ」から、DEKU音楽を知ったものです。


当時……そうですね、もう七年くらい前になるのでしょうか。
当時の同人シーンは、「ひぐし」「東方」「サンホラ」の次はさて?な状況でした。
シーンは熟し、オタは新たなアイコンを求めていました。上の三つが「俺たちの手を離れた」というわけではないですが、「しかし大手になってもうた」の感はあったようです。
もっとも、同人における「次なるカリスマ」は、事実上、構造的に現れ得ない状況になっていたことに、当時わたしたちは気づきませんでした。
二次創作はもとより、オリジナル同人の多くは、基本的に「すでにあるものの二番煎じ」であることをよしとし、それを作り手自身が楽しんでいる風潮がありました。
2000年初頭の、「月姫ムーブメント」にあった、
「新しいものへの飢え」
「商業にはない、俺たちの文化」を求める心、
それでいて「伝統を自分たちなりに消化して、昇華する意志」。
まさしくDIY精神です。そしてそれは、東方、ひぐらし、サンホラといった、偉大な先達が叶えました。
ただそこにおいて、「いわゆる同人フォーマット」が作られてしまったのも事実です。
同人はこう作るべし、こうすれば商業にひけをとらない同人が作れる、効率的な同人活動……皮肉なことです。このころから「プロ同人」という言葉がでてくるようになりました。
クオリティの上昇に唾を吐くことなど、おろかなことですが、DIY精神、アマチュアの楽しみとしてのスピリットが、うすれていったことを嘆くのは、間違いなのでしょうか−−


橙汁は、そんななか、「オリジナルは厳しいよ」とささやかれる−−なんというシーンになってしまったのでしょう!−−同人において、


従来のシステムを洗い直し、操作性を煮詰め、独自の爽快感あふれる「ハイスピードシューティング」スタイルを作る


東方的でもない、ギャルゲー的でもない、さりとてキャッチーさを忘れない、独特のキャラ造形(殺伐さと狂気を背後に秘めながらも、同時にほのぼのさを忘れない、スグリ&シフブランズ&ヒメの造形が、いかに時流と異なったとこに居ながらも、排他的でないことか!)」


そして、世界観を表す「透明世界」としてのDEKU氏の音楽


これらを、誰かに、先行する何かに、おもねることなく、備えていました。
それがわたしを引きつけました。


これはわたしの持論ですが、「よきビデオゲーム」はジャンルを越え、語られる際には、


「キャラ・ストーリー・世界観」
「システム」
「音楽」


が、順繰り順繰りで語られる、という傾向があります。
マリオだって、FFだって、東方だって、そうでした。
いくつかの橙汁ファンコミュをみてきて、おおよそこの三つの議題が、繰り返し語られてきました。


「まったくもう、あのちんちくりんは萌えるなぁ。ヒメに踏まれたい」
「Hard以降いけないっていうけど、こういうやり方どうよ?リプレイあげとくぜ」
「さあBGMベスト5決めようず」


こんな話題が、繰り返しくりかえし、語られました。
それらは同位であり、「橙汁ゲーは所詮○○ゲー」なんて言葉は、きいたことがありません。
すなわち、トータルデザインの高位性。そのレベルにまで至ったゲームが、商業同人問わずどれだけあるでしょう……


長々と語りましたが、わたしからみた当時の同人の状況と、スグリシリーズに対するわたしの簡単なインプレは以上のようなものです。
その凛とした佇まい−−キャラも世界観も、システムも音楽も、「おもねり」がなかったこと。
いささか潔癖というか、孤立しすぎてはないかと思うくらい……とはいえ、当時のオタ界隈に、同人に、いささかの疑問を抱いていたわたしにとっては、橙汁のそんな姿は、とても新鮮にうつりました。


●同人クラブミュージック概論


右むけど左むけど東方……現在の同人のメインストリームは、いつからこうなってしまったのでしょうか?
誤解してほしくないのは、わたしは十年前から、東方音楽の熱烈なるファンだということです。
自分の人生にもっとも多大な影響を与えたもののひとつを、ヘイトすることなど……


とはいうものの、じゃおまえさんにとっていまは、この世の春だろが、といかんとこが、悲しくもむずいとこです。


東方は、売れる。
そんなことがまことしやかにささやかれ、同人音楽で儲けようとするひとたちは、不可避的にそうなっていきました。
ちょいとしたアレンジをするだけで「曲」になってしまうのが東方です。
それは凡アレンジャーが優れているというわけではないです。東方原曲の強固さ……もっといえば、「黄金のメロディー」があるからなのです。


しかしこれは東方論ではありません。DEKU論です。
が、ことさらにDEKU氏が東方アレンジを拒むのをみるにつけ(そっちのほうがメジャー化するにおいて容易な道なのは一目瞭然です)、東方にあってDEKU氏にないもの、DEKU氏にあって東方にないもの、をポイントにして、なにかを探っていくことは無為ではありますまい−−


まあいいや。当時の音楽シーンについて語ろう。
はじめに断りますが、わたしは同人音楽についても、クラブミュージックについても、玄人ではありません。
ほかのジャンル……オルタナロックや、ジャズといった分野を、多少ひとよりも変質的に偏質的に聞き込んだからこその経験則で語っているだけです。
それでも語るとすれば……


●ユーロからトランスへとシフトしつつあった同人クラブ界


おおよそオタ音楽界(アニソン界)というのは、以前より、
「シーンの最先端から、数年、数サイクル経て「元ネタ」を取り込み、魔改造する」
の法則があります。
具体例1、I'veの「RE-Sublimity
ダッチトランスとロックサウンドの融合として、現在の同人で中核を担っているミュージシャンがこぞって影響を口走るキラーチューン。
当時わたしは、オタ界隈から離れていましたが、それでもこれはCD買いました。
あまりのキャッチーなメロ、情報量の多さ。疾走感。
……が、冷酷に分析してしまえば、「数年遅れのダッチを2004、5年の時点で「最新サウンド」面して出すなよ」と思ってしまったことも事実です。
ロックとの融合にしたって、DJ Ballonのテクノロッカーとか、あとヨージ・ビオメハニカ周辺でもいましたし。
んでもって、ロックとクラブの融合ってたら、前回ちろっと出したプロディジーとか、同郷のケムズとか。
いま思えば、ファットボーイスリムだってバリバリでしたし、第一98年の時点で、日本でもブンブンサテライツがバリバリでしたし(そう、ミュージックマガジンでも1stが拾われてました)


っていうかですね、この手のわたしの主張は後出しジャンケンバリバリだって気がしますが、「REー〜」がオタ界隈で最新扱いされてたときにすでにプロディジーは4thで、こういう音だして新機軸いってましたし…


具体例2)ナンバーガールが「SAPPUKEI」出した年代と、
岸田教団が「幻想事変」を出した年を計算してみてください。
つまり上でかいた「時差」は、ホントそれくらいあるのです。


それでもオタ界隈が、「ユーロビート(ハイパー系音源)」から「トランス(エピック系)へと移っていったのは、
key
これにつきます。あとアレンジャー/コンポーザーとしての、I've。
実は「時差」があるいうても、それでもクラブ教養は、一般に比べてオタ界隈は高かったのです。(当時のクラスの連中にシステムFの話を振ったときの絶望を思い出してください)
なんでかというと、だーまえ(麻枝 准)の存在でした。
日本屈指の音楽オタ兼シナリオライターにして、泣きゲー確立の、ストーリーテリングのカリスマ。そして名作曲家。
その人物は常にBTの影響を公言していました−−しすぎるほど。
かくいうわたしも、それに従って「E.S.C.M」きいた人間ですから。
当時のkey公式HPで、ふっつーに上に書いたようなミュージシャンのことが飛び交ってましたから。
当時のオタ……とくにギャルゲー、エロゲオタが、クラブ偏差値高かった理由の最大の一端がこれです。
……そして、その後の「オタク系クラブサウンド」は、ことごとくユーロでエピックで……な感じになっていくのです……
とりあえずこれ比較してみてください


ABみてないのですが、これきいたとき、
「をい、ゼロ年代すぎても、未だにBT好きかだーまえ
とつっこみましたね。ええ。


長々とかきました。
以上のようになる理由は結局ふたつ。
1)新ジャンルの浸透を、実はオタはそんな望んでない
2)まずメロありき、「歌謡」ありき
それが悪いわけではありませんが、音楽をBGMとしてしか享受しない傾向が、マジにあるのも事実です。
さて、そんなわたしがDEKU音楽にであって、どう思ったか。


……くっそ長くなってしまったので、それは次回。