残響の足りない部屋

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DEKU音楽レビュー・ディスクレビュー1

DEKU音楽レビュー・ディスクレビュー1
「SUGURI THE BEST」

●ほとんどライフワークのように化している

またまた前回から日を開けてのDEKU音楽レビューであります。
もうここまでしつこく何回も筆を重ねると、ライフワークじみた形相を帯びてきますが、
うん、確かにわたくしが音楽レビュワーを志そうと過去、ぼんやり夢想していたころも、
「いつかは上海アリス幻樂団やDEKU氏らの音楽を全曲レビューしたいものだ」
みたいに思っていましたから、本望といえば本望。

(だったらもっとフレキシブルに更新しろよ……)

さて、前回での予告のとおり、ディスクレビュー、キラーチューン紹介、に移ろうとして、
さあクロノロジカル(時系列順)に、まずは「TRANCENATION OF SUGURI」からはじまって……
と思ってはいたのですが、

「しかしやはりDEKU音楽の全体像を一見さんに知ってもらうためには、
SUGURI THE BEST
から、氏の楽曲の特質をざっとレビューしていったほうが得策か」

と思い、今回はこの盤のレビューからしたいと思います。
「各論」……各盤のそれぞれのレビューはそれから。なんといっても、スグリシリーズだけでも相当ありますから。
曲数の多さ……は、東方のような100曲超えレベルではないのですが、
DEKU氏のなんといっても的な「アレンジャー/リミキサーとしての冴え」により、スグリシリーズの楽曲は、バージョンが結構あるのです。
そこらのリミックスなら「こことここがこんな感じで違いますよ」ですむのですが、
「アレンジャー/リミキサーとしての冴え」とわざわざ明記するのですから、各アレンジ/リミックスの、それぞれの様相・相貌が、
違うのですよ……さながらクラシックオタクが、指揮者演奏者によって曲を聞き分けるのと同じくらい。

前置きが長い!


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1.Daedarus
http://www.youtube.com/watch?v=EQ2l2tKwlpo
「ソラ」のメインテーマ……なのですが、なのですが……すいません、早速の苦言です。
このバージョン、原曲ほどには高評価してません。
ああ、のっけから勢いをくじくレビュー。もっとも、それは「ゲームのPV」と「盤のOP」としてのファンクションの違い、
によるものなのですが。

それにプラスして、原曲があまりに神曲すぎる、というのが。
神曲神曲、とニコニコ界隈で言われすぎですが、この曲こそ、残響さんの定義では「神曲」の定義です。
「わおすげえ! 神!」だけでは、わたくしの認識では「それってただすごい曲なだけやん」
と突っ込みたくなります。
が……
「Icarus」そしてその姉妹作である「Daedarus」に限っては、もうなんといったらいいのでしょうか、
「人知を超えている」感すら見受けられるのです。


とりあえずこれ聞いてみてください。
イントロの、どこまでも空に浮遊していく感覚。翼なき人間ですら、鳥の飛翔をリアルなものとして感じせしめるくらいの、
アトモスフェリックかつ、圧倒的な「物語のはじまりの胎動」を感じさせ……
前の回で「知識ではない、オベンキョーではない、知恵なのだ、自然児なのだ!」とウザイくらいに連呼したのは、
この音楽世界があるからなのです。
アグレッシヴでありながら、地すべりするかのようなトランスメロが疾走していきます。
決して攻撃的でないにも関わらず(耳障りなノイジーさがないという意味)にも関わらず、こころを、臓腑を、全身を、
音の疾走が抉り取っていきます。
殴られる衝撃、といいますが、もうDaedarusの場合、体内にランドリー突っ込まれてグルグルまわされている感覚というか。
どこも下品でないのに、「あざとい悲しみ」がないのに、聞き終わったとき「あとにぽつんと残される」感覚……それは悲しさをも内包した無常(情がない、ではなく、常がない、の意味)。
「たったらったら……」の最後のトレモロ。もっともっと聞いていたいのに、曲は二分で終わります。しかしその間の圧倒的な体験といったら。
そんなOP曲が用意された物語とは……(このpvがまたいいんだ)

それに比して。
この盤でのバージョンは、メロは同じです。はじめの方で「いかにもトランス」なベースラインで、「盤のオープニング感」
を演出します。そこから原曲に似た浮遊感アレンジ、浮遊感メロ。
そして途中、DEKU氏お得意の「チップチューンっぽさを内包した単音エレピメロ」で、ビートダウン
ラストに向けて原曲のように疾走……
ここまで書けばよい曲のように見受けられますが、しかし……原曲ほどの感動はありませんでした。

わたくしがこのver.で感じたのは、「OP向けにチューンされたのだな」ということ。
盤の導入を「入りやすく」するための。
より一般的な聞きやすさのチューンにして、「SUGURI THE BEST」という盤に入りやすく……
その手法は間違っていません。だいたいのアーティストだったらそうします。聞き手のことを考えた手法だと。
そしてその役割を担うのは、DEKU氏のチューンだったら、DaedarusかIcarusでしょう。

それをわかったうえで、踏まえたうえで、しかしやはり、このアレンジに「良」「是」の判断をくだすことができないのがわたくしです。
それはひとえに、「機能性」を高めるために、原曲の「崇高さ」「神性」が失われていると感じるから。
アレンジが「原曲に寄っている」からこそ、逆に「原曲から離れている、微妙に」の「微妙(トリビアル)」感覚が、気になってしまうのです。
誤解してほしくないのは、この曲(このver.)が完全に「駄曲」に化していたら、ここまで言わずに切り捨てる、ということです。
「盤の導入」としての機能性を保持しているからこそ、切り捨てられない。
が、原曲の崇高さは……2割、減ってしまった。それでも、メロの美しさは健在で……
どちらをとるかです。アルバムの導入としてのファンクションをとるか、「それでも」曲の美しさの絶対性をとるか。
ただの曲だったら、ここまでいいませんて。

2.Menu

のっけから出鼻をくじくディス……
なんてレビューだ、と思うのですが。しかしな。

さて、スグリシリーズにおいて、シューティングゲームBGMという出自上、いやっちゅうほど聞くことになるmenu曲。
で、ここでは「ソラ」のmenu曲ですが……
さすがですね。ほとんどのゲームでは、こういった曲は、楽曲重視的視点で聞くと「捨て曲」なのです。
何度もループすること前提のコード展開、落ち着いたリズム、メロ(ともいえん、単調なメロ)。
そうでなくてはmenu画面のbgmたりえない、というのなのですが(装備変更画面でカオティックコアとかヘヴィメタルが流れていても困る)。
が、DEKU氏のミュージシャンシップは、職人性を発揮しながらも、menu曲に、以上の要素を遵守させながらも、
単音エレビによるメロを、アトモスフェリックなバックに合わせて、無機質でありながら、間を縫うような叙情性を表現します。
上手い……!
さながら近未来の兵器格納庫というか、あるいは飛行場の殺伐にしながら「しかし空へと繋がる」的感覚といいますか。SFですねえ。

……ぶっちゃけ、これを一曲めに持ってきて、二曲目でdaedarusでぶちのめしたほうがよかったんじゃね?とかいっては駄目か。
駄目だろうなぁ。さすがにアルバム展開として、プログレッシブすぎだもんだなぁ。キャッチーじゃないもんなぁ。

3.Green Bird

DEKU氏の代表曲。
これも、ベスト盤に合わせてリアレンジ、リレコーディングされたもので……といったら、また残響さんディスるんじゃないの、と目されそうですが、大丈夫、これは「べね」です。

もっともいささかの「早急さ」の感じられるアレンジではありますが……
この曲にもいくつかのアレンジがあって、
原曲

「ホシノカケラ」ver(ボス曲との合成版)

このアレンジはオリジナルアルバム・Realism.でのverに(部分的に)近いかなぁ。ストリングス的に


この曲は、
1、ピアノ部分
2、トランスリフをバックにしたサビ
3、浮遊感あふれるトレモロブリッジ

おおまかに分ければこの三つの流れなのですが(もっといえばラスト付近の「今までの要素が折り重なるように」の丹精な盛り上がりにも言及したいのですが、話が乱雑になるので略)、この三つのバランスは、どのアレンジでも変わらないのですが、全体のタッチ(音像)とBPMの設定により、微妙に「感じ」が変わってきます。

……しかしですね、そういう重箱の隅をつつくようなまねして、いったいどれくらいのひとが、新たにDEKU音楽に触れるのか、といま自戒しまして(おそいよ……)、じゃ、この曲のすばらしさ(どのアレンジにも通低する要素)を言祝いでいこうと思います。

まず1。
浮遊感のあるトレモロを奏したイントロから、大地……草原に満ちた、豊かな緑一色の風景が、脳内にさぁーっと広がっていきます。なんという情景喚起力。
そこから繋がるピアノは、そう、「緑の鳥」の、小さな羽ばたき。
ピアノには、極端なエフェクトがかかっていません。ひょっとしてコンプもリバーブもかかってねえんじゃないのみたいな。
そんなあけっぴろげなピアノ。それも難しいフレーズではありません。
そんな「単純さ」が、どれだけの健やかな叙情性をつむぎだすか。
あるいはわたくしは、この曲に、「スグリ」初プレイ時の思い入れに浸りすぎているのかもしれませんが、この曲全体に満ちている「これっぽっちもあざとくない幸福感」「清涼さ」「押し付けがましさの皆無さ」は、素直に、すっ、と、わたくしのこころに染み渡ってくるのです。
第一番目のメロが終わってから、サビに入るまえの、ストリングスがブリッジ部分にすうっと入ってくるときの、「歌」を高らかに、しかしわざとらしくなく歌い上げる、ひそやかな高揚感といったら!

そしてサビ。2.
明るいメロです。しかしのーてんきではない。単純なメロですが、ひとつひとつの音に意味がある。超絶技巧のピアニストは笑う単純さかもしれませんが、そんなやつはいつまでたってもグールドやリヒテルの境地には至れない。
憐憫を感じさせず、絶望を感じさせず、ただ喜びを歌う。「過去になにがあったか悟らせない、微塵も」……そんな、強ささえ。
そこまでの深さを(こちらが勝手に思ってしまう)味あわせるメロを、「単純だから弾けるさwwwwww」なんて言うやつは音楽家じゃない。そういうメロをこそ、そういうnoteをこそ、意思をもって弾ききるのが音楽家だろう……!

思考している音、といったら、3.もです。
ここにきてコード進行がドミナントに入りますが(ようするに3.でのドミナントから1.へのトニカへの移行、という意味でのドミナントモーション)、それは決して不協和音にならず、かといって、耳なじみがよいコード進行では断じてなく。
思慮深さと「先を見据えることを忘れない」音の配列……「幸福を抱きながらも」みたいな、若干の留保のような思いが伝わってきます。
これだ、これこそドミナントの真の意味。
通常ドミナントといったら、「ルート音などの一般的コード進行に、多少のブレを入れて、単調じゃなくする」といった、楽理上の「効果」しか語られませんが、しかし音楽とはなんぞや。
音楽に過剰にメッセージ性を入れ込むことはむしろ罪悪です。
が、「音自身」がなにを伝えようとしているか、それを考えることは、無益ではないはず。
ましてやこの曲のように、単純でありながら、しかし背後には言葉にならないメッセージを抱えているような感じがする曲については……。
ドミナントは、楽曲に「揺れている」「いっとき、不安にさせる」効果があります。
しかし、ここまでの楽曲の流れで、ここでドミナントが導入されるということは、この楽曲自体が「思い悩んでいる」。ひいては作曲者自身が「揺れている」。それが、見事に表現……違う、導入されたんじゃない。曲が「自然にドミナントを呼んだ」のだ。
じゃあこの曲が、不安になってわけわからん状態になってるか? まさかね。
緑の鳥は、前へ前へと進もうとしています。
その強さよ。

ざっと簡単に分析してみました。
構造はこんな感じです。だからこそ、各バージョンの「微妙な音像とbpmの差」が、このような哲学性、思考性を持った曲だからこそ、際立ってくるのです。思考のテンポや語り方の違いが、「こいついつもの考えとちょい違うような気がする」って直感的に思うことないですか? そんな感じです。
付け加えていうならば、ある時期移行、この曲は「より生音らしく」の方向へと進んでいっています。それは全面的に肯定したいです。いや、デジタル音を否定しているわけではなく、「オーガニックな風景」「しかし繊細で強靭な思考」を体現するには、やっぱピアノとストリングスかなぁ、と。
そう考えてみれば、DEKU氏の代表曲ですが、案外異端な曲なのかなぁ、とか。
しかし、それにしても、こういう曲作るひとが理論知らないってのはねえ……いやはや。

(つづきます。あんまり長くなってしまったので)