残響の足りない部屋

同人DTMとか模型庭園とかエロゲとかの日記

Krik/Krak試論(2、後編)

【Krik/Krak試論、後編】
 
※なお、この文章は、twitter(2014/1/10)の実況大連投レビューのログになります。
文章がいまいち繋がってないかもですが、そのままコピペしました。御容赦ください。
また、前編で書いた章立てですが、この回でごっちゃになってます。こちらも御容赦ください。
 

●楽曲分析

 
(オフィーリアの涙分析のつづき)
(音源はこちら
 
さて、この前までくどくど語ってた「オフィーリアの涙の音形」だけど
(二音下降→上昇→飛翔→展開)、
よく調べてみたらこの曲、Krik/Krak結成のときに生まれたメロだという。
 
それ聞いて、納得。なぜならこのメロに、作曲者が確信を抱いていたということを、聞いてて何度も思ったから。
何度も、というのは誇張ではない。実際に曲に何回もこの音形がでるのだ。具体的には
 
・イントロ
・ギターイントロ
・ブリッジ
・コーラス
・ギターソロ
・ラストブリッジ、コーラス
 
このメロはいくつも転調したりアレンジ変えたりして、何度も「オフィーリアの涙」の中で出てくる
。それは彼女らの確信によるものだと思う。……つまりは、このメロが生まれ出たとき、彼女らは、ひたすらに嬉しかったのだろう。
 
 
ギターが終わって(これも同じ音形)、小刻みなベースラインが入る。この小気味よさよ。
そこのバックにこれまた小刻みなドラムが入る。Krik/Krakのある種のシグネチャーであるこの小刻みなドラム、ロック的視点だと「重さ」がない、といわれるかもしれんが、民族・民謡志向なら明らかに正。
 
1stヴァースの終わり(ブリッジ)第二パートで、非常に不安定にあの音形が入る。
……というか、ポップスの方程式では、ここでドミナントを用いてコードを進行していくのは常套だが、しかしその肝心のメロに「オフィーリアの涙の音形」を持ってくるか!
明らかに禁じ手。だが……それが才能!
 
ここで思いきって
「不安定に嘆くように歌い、【落とし】て、コーラス(サビ)の明朗(しかしか細さの両立)に繋げる」
……これは「語り→最終ブリッジ→ラストコーラス」でも同じアレンジをしているのだが、
これは個人的にこの曲のキモだと言いきれる。
 
はっきし言って「くどい」アレンジなのだけど、届く。
心に届く。
いやらしさじゃなくて、切実な思いが届く。
そんな繰り返しの音形。
それは、ミュージシャンが「この音形を届けたい!」という現れ。だからこそ、わたしは確信した。「この音形はよろこびの音形であったのだ」と。
 
それを、くりくら初期のアレンジメントの練り込み不足、と捉えたくはない。
「稚拙だがメロがいい曲」の領域ではない。
…なぜなら、「世界」がすでに確立されているから。
オフィーリアの物語を下敷きに、色彩と童話イディオムに彩られた、清冽な森の中をわけいっていく感覚。世界没入感覚
 
それは、日頃「歌詞をあんま聞かない」わたしにして、Krik/Krakの歌詞が「すっと入ってくる」ことからもいえると思う。
アレンジ、メロ、それらが物語を軸にしているがゆえに(メロを重視してない、というわけがない。これほどのメロディメーカーが!)、
物語を殺す音形をしていない。…まさに吟遊詩人!
 
 
 
ーーーーーーー
 
 
 
……さて、モードを変える。いま吟遊詩人というたが、これは誇大広告ではない
 
…むしろ、ことさらに現サンホラが「ビッグバンド=楽団」志向になってってるのに対し、くりくらは、姉妹によるプロジェクトということもあろうが、サンホラよりも「小さな」世界を志向する……
すべての面において……
 
例えば音響。
サンホラにもたらされるバジェットの増加(紅白にもでましたからね)にともなって(とくにmoira以降)「戦記」「神話」の方向性にサンホラの世界叙述は移っていった。
それは大仰にリバーブを聞かせる「叙事詩」である……しかしくりくらはそっちには進まなかった。
 
Krik/Krakの「童話志向」「密室志向」は、偶然にもサンホラは「Märchen」で軌を一にした……歌詞内容だけみたら。
しかし、である。
その高尚さ、音楽的レベルの高さは、ここではKrik/Krakに軍配があがると言いたくて仕方がない。
それは、音響ひとつにも現れている
 
必然的にビッグバンドとコンボ(ここでは、バンド編成、室内楽編成、民謡の一般的編成、と捉えてください)編成の違いに、それは集約される。
サンホラが選んだビッグバンドは……結局、親密な空気を描く(小ささを、もっと小ささを、狭さを!)には、逆にエモノが大きすぎるのだ。
 
これはオケ編成/ビッグバンドの仕方なさだと思う。
…が、サンホラが第二期に移っていったのも、結局はそういうことではないか?
「恋人を射ち落とした日」の方向ではなく「雷神の系譜」の方向を選んだこと。
それの現時点での結果が「紅蓮の弓矢」だろう。
 
あるいはRevoが「すべて作品世界を【己の手で】プログラミングし、調律する」方向が、Elysionが最後だったのだと。
少なくとも地平線においては。
(実際、彼が調律まですべてこなしたであろう、ブレイブリーデフォルトサントラでは、この密室性、調律性が戻ってきている)
 
 
半ばにおいてKrik/Krakはその方向を選べなかった(バジェットというかプロジェクトの規模的に)。
しかし半ばにおいてKrik/Krakは「選ばなかった」。
広がって広がって広がっていく世界を、彼女らは選ばなかった。
それよりもひとつの物語の中で密室的に完結することを選んだようにすら
 
ビル・エヴァンズが結局は本領をピアノ・トリオに集約したように?
ガブリエル・フォーレニック・ドレイクが大々的な編成を好まなかったように?
(事実、ビッグバンド的傑作はフォーレはひとつも書かなかった)。
(正確にはニック・ドレイクはオーケストラアレンジのアルバムを残してはいるが、それは「アレンジ」に留まるのであり、ドレイク自身が大編成の方向を自ら向いたことは一度としてないと思う。そういった曲を書こうとしなかったことからも。どのような見地からみても、アコギ弾き語りの「ピンク・ムーン」こそがドレイクの本領だろう)
どうやら、個人には個人の傾向というものがあるようで。それはある意味では「限界」
 
だがリスナーのわがままを言えば、そこに傑作が存している限り、それは幸福だったりもする。
……よって、Krik/Krakがビッグバンド的編成をしていかなくて、よかったと考えるわたしでもある。
それが結果的に「閉じた」プロダクツ/音響になっていって、よかったとも。
それが「黒い森」だ。
 
 
 
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●補論にしては重い補論
 
「黒い森」分析の前に。Krik/Krakのコーラスワークの素晴らしさについて触れなければ嘘だろう。まるでワルツを踊るかのようだ。例えば轟々と唸る低音に、高音がメタルギターのように乗るコーラスではない。むしろ室内楽における、ヴァイオリンのメロに対し裏打ちしていくかのようなヴィオラ
 
「裏側」のコーラスは目立たない。むしろ倍音的。影に隠れるように。時にそれは妹の活躍を見守る姉のように。支える母のように。だがそれが、メロにこれ以上ない説得力を与える。メロの重層性。コーラスはなくなったアレンジになったとしても、常に「姉/母/彼女」の存在は、すぐ近く
 
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いまKrik/Krakの繭木氏 @kkmayukiにリプを頂いて、
「歌詞が音よりも遅くなってはいけない」という作詞家としての哲学を聞き、
これからどうやって論まとめようか…と思ってたのが、急に霧が晴れたので、Krik/Krak試論再開します。15ツイートくらいで収めたいです
 
 
あ、失礼しました。
歌詞は曲のスピードを殺さないのが命」でした。コンポーザーの曲の「ことばにならないことばに沿ってさらに遠くへ飛ばしていくのが私(作詞家)の役目
と仰っていました。
 
ここから考えてみます。
まず、くりくらのHPを見て、デザインにせよ色使いにせよ絵にせよ言葉にせよ思ったのが「トータルデザインが統一されてる」でした。
 
そしてKrik/Krakの曲を聞いて「これだっ!」とすっと入っていけました。この瞬間速度の確信は速かった。
 
なんか硬い評語になってしまいましたが、「そこにKrik/Krakの世界があった」と言い換えていいです。
 
流麗+差し込みの書体デザインにしても。まずそこからして。
 
で、歌詞ですが、いくつかの方面から言祝ぐことが出来ます。
 
まず物語性。童話などを引用しながら(えーと、隠しきれないシェイキーっぷりをそれでまとめていいのかしら)、
言葉を構築し、磨いていく手腕。
そう、構築性。
 
吟遊詩人然していながら、その世界は非常に構築されている。
 
では息苦しい?…ある程度は。
しかしそれは「甘美な閉じ込め」とでも言おうか…童話の残酷性に近しい概念。
 
曲にしても、先ほどのコンボ編成の密室性。全部相まって「ああ、これは【ふたり】が作っているのだな」とわかる。
 
【ひとり】の完全調律の世界ではない……が、セッション性……大勢のセッションではない。作者も演者も固定している。
 
だがそれが無数の万華鏡を生む。【ふたりだから】。
 
で、黒い森なのだが、まずはこれを見て頂きたく。サビのあたりを採譜ソフトでスペクトル分析したもの
 
 
 
ここで見にくいけど、黄色の楕円で囲んでいるとこ。
これはサビの極点たるソプラノ(ファルセット)の上昇音形。「月光さえも届かない」の部分。
 
ここの音を見ると、順々に駆けあがっているのだけど、
それぞれの音が♯6だったり♯7のテンションを加えられたビブラートで駆けあがっていく。
 
 
わたしがここを引用したのは、「あらまり歌唱」「あらまりファルセット」の体現…イディオムの体現、と思ってのことなのだけど。
 
ひとつ言えるのは、あらまりさんのあの張りあげの特徴性は、ただのドレミじゃなくて、音階の駆けあがりに「さらに微妙な音の倍音/テンションが付与されてる」というとこ
 
あと、ビブラート。
そういえば同人フィメール界隈において、「ビブラートの処理」はひとつのテーマだといえる。
 
もっともそれはあらまりさんに端を発しているのかもだが、
まずAsrielはそのビブラートを全面に押し出して武器とした。
Etherは逆に一気に削ぎ落としてストイックさを。
 
どちらがいいのではなくて、どちらもいい。
さてくりくらは、というと、初期サンホラ=あらまりの再現、ということなのだが、まさにこれはそれ、といえる。
 
では話をもとに戻して、それが「構築された世界観」「黄金のメロ」「物語性豊かな歌詞」「密室性」と合わさったらどうなるか
 
さらにプラスすると「コーラスの重層性」これもプラスすると…
 
常に構築性を志向しながらも、表現のひとつひとつの綾の部分において【震え】【揺れ】がある音楽表現
となる。
 
それは「自信がない」とか、そんなのとはずっと遠いところがある。
 
これほどまでに「音のつんざくような刺激」に頼らずに、丹念な音づくり・言葉編みによって
「心の歪み、惑い、暗さ、そして垣間見える夢」の万華鏡を、
メルヘンという乗り物に乗せて届けるのは……それが才能だ、吟遊詩人の
 
戦慄的なコーラスワークから入り、踊るようなベースラインに高音のヴァイオリン。
乗るメロは甘くも毒を含んだ一級品。
正直ここまでくると、サンホラとの類似性などどうでもいい。
トラッドチューンでヘドバンというのも変だが、サビに入るとヘドバンするよ!
 
「勢い」「グル―ヴ感」……
正直、Krik/Krakには似つかわしい言葉ではないが、しかしこの曲にはまぎれもなくそれがある。
善き音楽の印である。そして語りのテンション!
それは歌唱表現もだが、コーラスワークもだが、同時に歌詞/物語に裏打ちされた高尚さである
 
なぜなら、その物語は、音世界は――歌い手・曲の紡ぎ手・物語の紡ぎ手、Krik/Krakというユニットは、表現の精神において、何も偽ったり、欺いたり、隠したりしていないからだ。
聞けばわかる。
毒の甘さと「甘えのなさ」が、同じところにあることを。
…もしこのままいったら、ポキッと折れてしまうかも、と思わせないでもない。
けれど……彼女たちが音を諦めることなど、表現を、物語を諦めることなど、この音から、表現から、どこから導き出せるというのだ……。
 
 
願わくば、彼女たちが、自己の音楽に救われることを、ただ祈って。それだけの……Krik/Krakとは、それだけの音世界だと思う。
 
(Krik/Krak試論、おしまい)