読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

残響の足りない部屋

同人DTMとか模型庭園とかエロゲとかの日記

ガンダムビルドファイターズ第20、21話(アイラ回)感想

模型を作る日記

●ムナクソ悪いのはどこにあるのか

 

アイラ回ですが、最後「王子」レイジが決めてくれたといえ、胸糞悪いのが全体の大勢をしめていたと思います。感覚的にはプロットの2/3

もちろん胸糞悪いからといって、それが駄作で在る理由でなく。その「胸糞悪さ」を描くことこそがアイラ回だったのですから

 

この胸糞悪さはいくつかに分割できます。

1)アイラの人権を無視したエムボディシステム

2)フラナ機関=ネメシスのスポーツ/ファイター精神とは無縁のエゴ

3)アイラの「戦う意志」の不在

4)結果、スポーツマンシップにおおいに欠けるフェニーチェめった刺し

5)「改造選手」という、ガンプラバトルに対する禁じ手

 

さて、これらの図式は、だいたいスポーツ競技における「ドーピング問題」と同じところにあります。すなわちアイラ戦の胸糞悪さは、「なぜドーピングが悪いのか」の説明になります。

 

●勝つために手段を選ばないこと

 

それは、うん、確かに正義です。それはね。

勝利とは残酷なものです。勝てば官軍。実際金星を取ってしまえば、上記メソッド(手段選ばず)も「智将」のそれになります。信長とかね。

裏を返せば、「負けたらクズ」なのですが。

わたしがスポーツでやはり嫌いなのがここであって(スポーツで嫌いなとこ多いな!)。もちろん勝負の結果――敗者のくやしさが、勝負のモチベになるのは理解しますが、しかし勝負は「ひとvsひと」です。お互いの魂と技と肉体をリスペクトしてぶつかることに意味がある――とわたしは考えます。

だからこそフェニーチェvsスタビル戦は熱かった!お互いのすべてを出し切って、「思惑」なんか遠いところで「ファイターとして」戦いきったその姿!

 

しかし現実はいかがか。この連載記事の(1)で書きましたが、「勝てば官軍、負ければ国賊」という、あまりにあまりな大衆型スポーツ観戦よ!

この「一気に国賊にまで落とす」というのは日本だけでしょうか。そうでないことを祈りますが……。

税金泥棒までいいますかね。ただ、調べてみたら、この手の「日本選手の持ち上げと落とし」は、過去のオリンピックでも同じなのですね。

マラソンのレジェンド・瀬古俊彦氏の本(「すべてのマラソンランナーに伝えたいこと」)や、村上春樹の「ニューヨークオリンピックとはあまり関係ない日記」(「スクラップ」収録)や、「シドニー!」を読んでると、それがまざまざと思い知らされます。

 

すべてのマラソンランナーに伝えたいこと

すべてのマラソンランナーに伝えたいこと

 

 

 

‘THE SCRAP’―懐かしの1980年代

‘THE SCRAP’―懐かしの1980年代

 

 

 

シドニー! (コアラ純情篇) (文春文庫)

シドニー! (コアラ純情篇) (文春文庫)

 

 

 

シドニー! (ワラビー熱血篇) (文春文庫)

シドニー! (ワラビー熱血篇) (文春文庫)

 

 

瀬古氏(当時は選手)は、選手として決死の努力をしている最中、マスコミの異常な加熱に辟易したといっています。で、その瀬古氏が負けたとき、村上春樹は危惧しています。「きっとこれから瀬古は叩かれることになる」と。その決死の努力はマシーンのようだった、みたいにマスコミは書くだろう、非人間的だ、人間味がない、だからその努力には意味がない――「今日の瀬古」みたいな特集までして「機械的練習の良さ」として持ち上げた瀬古選手を、負けたらそこまで落とす。

これはやはり日本の民族性でしょうか。「叩ける人間はとことん叩く」。村社会的といえる。……この20年以上前の時点でそうなのですから、現代はよほどでしょう。インターネッツというものがありますからね。

それを考えればtwitterソーシャルメディアというものは、ことスポーツにおいては役にたっているのか否か……いえ、それは話が先に進み過ぎました。

 

さて、ここまで「負けたらクズ」というスポーツの残酷さについて語りましたが、これを「スポーツマン側」が解決するには、簡単。

いかなる手を使っても勝てばいい

手段を選ばない、と書きましたが、この屈辱、この絶望を与えるシステムの前には、手段を選んでいるには、恐ろしすぎるのです。

「所詮はひとの評価だろう」という人はいるでしょうが、無限のマス(広域質量)でもって批判・非難がくるってキツいですよ。わたしもこうやってブログなりtwitterなりでものを書いてますが、批判きます。ものによっては、あからさまなヘイトだってきます。明らかに筋通ってないだろう、みたいな。遠距離射撃でクソぶっつけてくるみたいな。

ましてや国家の威信をかけてオリンピックに望む選手……ああ! この時点で「スポーツを楽しむ」という精神状態に、どうしてなるものでしょうか!

 

そして、その条件(負ければクズ)の前に、出てくるのが、ドーピングという甘い罠です。

 

●誰がドーピングを与えるのか

 

選手が望んでドーピングを求めるのか……? 

実はわたしは過去、そう思っていました。選手の甘い心だと。ですが、今回のアイラ戦を見て、必ずしもそうではなく、むしろ環境自体の「狂い」こそが、選手をドーピングに誘う決定をするのだ、と思いました。

アイラはフィンランドで孤児として、ストリートチルドレンというか、まあようするに貧民として「幸せ」「栄光」「安らぎ」とは遠いところにいました。

彼女は「プラフスキー粒子が見える」という特性でもって、フラナ機関にスカウトされます。そうすればあの貧しい生活から脱することはできる、と。

でもそこにはスポーツマン精神の介在する余地はありませんでした。彼女に求められるのは、エムボディシステムを用いた「勝利」……というか「撃滅」。スポーツマン精神、ファイター精神などどこふく風。

そこまでして勝利を求めるフラナ機関の目的は……金と栄誉ですね。

さて、それをどこが狂っている、と断言できるでしょうか? 2020東京オリンピック誘致を成功させた日本人に?

同じ穴のムジナ、と表現したらキツすぎますが、しかし「選手をいけにえにして、自分たちの栄光と利益を得る」という図式自体は、変わりはないのです。もちろん、選手というものには、そういった「栄光と利益のいけにえ」としての価値があるから、選手たりえるのですが……

ですが、それは理解していても、やはり「スポーツマン精神から遠い」ことだけは事実です。

 

ただまあ、フラナ機関がアイラに強いたのも、理由あってのこと。

この勝利もたらさねば、やはりフラナ機関も意味をなくしてしまうのです。機関……ガンプラに関わる組織・企業としての、敗北。それは、その会社組織が行き立たなくなることと同義です。だからこそあの医者はいうのですね。「お前には金がかかっている」。

この言葉、すべてのスポンサー&選手の「周り」がいうことばです。とにかくひとりあたりの選手には金がかかる。だからこそ、心ないクズはそのあたりを逆手にとって「税金泥棒!」という。

 

もちろん、その金があってこそ、第一級のトレーニングを得ることはできますが……ああ、どこかに消えてしまった! あの日の選手がもっていた「ただ、ただスポーツを楽しみたい! 勝ちたい!」という気持ちは!

フラナ機関を笑うことは可能です。さげすむことも可能です。ですが、我々とて、同じ穴のムジナです。

スポーツで、われわれがどれだけ利益を得ているでしょうか? 例えばスポンサー企業に勤めているひと(器具メーカーだけじゃなく……そう、飲料メーカーでさえも)は、そりゃあ利益を得るですよ。

そして、ただ応援するひとも、これを通して、いま流行りの言葉でいえば「承認欲求」を得るのです。彼らの勝利は我らの勝利だ、日本の、民族の、国体の勝利だ……ああいやらしい。

 

わかっています。それが「オリンピック」だというのは。それが「国際競技」だってことは。そのいけにえ的経済投資あるからこそ、スポーツは、「スポーツ」としてこの世に在ることができるのだということを(意義と金がなくては、なかなかこの世に物事は存在できません)。

 

……しかし、胸糞わりい。

さて、ここで「確実なる勝利」を得るには……そう、この記事で何回か書いてる「勝負の神聖さは、不確定さにこそある」という精神に対する、最大のアンチ。つばぶっかけ。……勝負の「賭け」性を、薬というものでどーにかしようという人為

それが、ドーピングです。

しかしここで疑問がわきます。そも、ドーピングのリスクはみな解っているはず。露見したらそれこそクズあつかいです。それでもするのはなぜか?

というか第一、ドーピングで底上げするような技量の選手は、そもそもたいしたことないのでは?

ドーピングに対する一般的な反応はそういったものです。わたしもそう思ってました。

そこでアイラを考えてみましょう。アイラの戦闘技術は、レイジとアイラのビルダー目覚め回(18回)で描かれたように、あのようにコマンドガンダムをレイジとアドリブで合わせて戦いきることができるくらいに優秀なものです。

ところが、実際のガンプラバトル(公式バトル)においては、透明(クリア)ファンネルを使った一方的な虐殺。

今回わかったことですが、キュベレイパピヨンの異常な反応速度は、エムボディシステムによる過剰付加をかけることにより、アイラの能力を底上げすることによるものだったのですが、それはそもそもアイラのもともとの能力あってのことというのは、いうまでもありません。

アイラは、ふつうにやってても、勝てる。

なのにフラナ機関/ネメシスは、それを許さず、エムボディ=ドーピングで、廃人すれすれにいくまで酷使し、アイラを勝たせようと……自分たちの勝ちを得ようとする。

そう、「選手の勝ち」ではない。機関の、企業の、勝ち。

発想が逆転しているのです。選手はそもそも駒。ネメシス会長がいってましたね「代わりはいくらでもいる!」。ああ胸糞悪い。

つまり、スポーツマン/ファイター精神も、全然奴らはリスペクトしてないのです。ただ己の利益のため。なにか崇高なものに賭ける、という精神の欠如。

選手の勝ちではない。選手は駒である。ドーピングは本人の意思の弱さ……というよりは、むしろ選手の「力関係の弱さ」ではないでしょうか。だから選手を責めるよりも、このあたりの構造を暴かない限り、ドーピング問題の根絶は不可能ではないでしょうか

 

●だがフラナ機関/ネメシスは、我々に他ならない

 

でも……前述したように、フラナ機関/ネメシスは、我々と同じ穴のムジナです。先ほどは「金と名誉」という点について同じだと言いましたが、「勝利のいけにえ」を選手に託す、という意味では、同じなのです。

我々は、どれほど「選手の勝ち」を望んだでしょうか? 先のオリンピックにおいて!(だからこそ、あまり注目されてないパラリンピックをわたしは最近好んで見ています。目論見や政治が働いていないシーンのように見えるから)

結局は「日本人の勝ち」を望んだでしょう。「善きスポーツ」を見たいんじゃない、「善き日本人」を見たいんだ、大衆は!!

こうなると、スポーツの祭典、というお題目が笑えてきますね。結局はこれは代償行為なのです。……戦争の代替え行為、と言われるオリンピックですが、本質はそれとは微妙にずれてると思います。本質は……どちらかといえば、大衆のマスターベーションに近い。選手をいけにえにして、我々自身の利益を奪取する。

わたしだってそうです。2020年東京オリンピックで、どれだけの金が動くかを今から予測して、仕事に対する「明るい気持ち」を抱いたのですから! 金が動く、金が動く。公共設備(インフラ)は動き、景気はよくなる。その波状効果が、わたしの仕事にまで及べば営業益は……ということを、こないだの誘致勝利で思いました。

それが悪か? いえ、それほどわたしは幼くはありません。ですが……それでも、「ファイター」たちにたいして、いまやはり、申し訳なさを覚えています。

もっとも、「彼岸の戦いの神聖さ」を絶対神聖視しすぎなのかもしれません。

でも……BF見てたら、やっぱリスペクトしたくなるでしょう!熱くなるでしょう! このアニメは、それが本質でしょう! おもちゃ販促アニメとかいう意味はどうでもいい!

 

だから……フラナ機関/ネメシスは、我々と遠いところにいるわけではない。やってることは、本質的には同じなのですから。

否……ドーピングは……我々の社会が、選手にたいして打ったのだ、と言い換えましょう。この問題は、そうまでして捉えないと、把握できない。

 

一番最初の問題提起に戻ります。

なぜドーピングは悪いのか

悪い、と断罪するのは――深読みかもしれませんが、メタファーの一種です。皆、この社会の皆は、ある意味でドーピングを受けているのです。経済社会という無限のメビウスの環から、無限の「なんかの薬物」を摂取しているのです。そうして皆、経済人間として、生きているのです。

ドーピングをうつ選手を断罪する我々が、ドーピングを選手に打って、なおかつ金と名誉とマスターベーションというドーピングを我々自身にうつ、という図式。

それを、皆、見たくない。

ワイルドアームズ2ndイグニッションというゲームがありますが、そこでこういう台詞があります。

「英雄なんて、いけにえみたいなものじゃないッ!」

我々はいけにえを断罪します。それになにかを託します。それが負けたら……我々自身の負けなのです。しかし……我々自身は、実はなにも賭けてはいないのです。

ノーリスクハイリターン。

それのイヤラシサを感じ取れればいいのですが……さて、どれほど感じた人間がいたことか。

我々に、どれほどドーピング選手を断罪できたものか。

そして……アイラを救えることができたのか。

「そんなものファイターとして情けないからさっさとやめちまえ」と、アイラにわれわれは言える立場にあるといえるのか。

勝ち続けなければ生きていけない」、と絶叫するアイラは……すべてのスポーツ選手……金のかかっている選手の叫びでもあります。

実は、スポーツ選手は、弱いのです。社会……経済のくびきを背負った選手は、負けられない。どんな手を使ってでも。アイラは、そのメタファーのように、わたしには映りました。だからこそ……アイラのとったフェニーチェめった刺しは、たしかにファイターとしての矜持ゼロです。

暴走してたんですが。意識なかったんですが。でも、あのめった刺しは……我々が行っている、なにかに似ていませんでしょうか?

 

アイラは、最後にはレイジによって、救われます。「セイの家にいけばいいじゃん」と。

あまりに簡単な結論、解決です。

でも……この世に、経済の世に、思惑の世に、それだけのことを言える「君子」は、どれだけいるでしょうか? わたしは言えません。

だから、開放されたアイラに花だって舞いますよ。……その救いは、現実のスポーツ(とくに負けたスポーツ……否、勝ったスポーツだって……)にどれだけあるでしょうか。でも……どこかにある、と信じないと、本当に現代オリンピックはディストピアに近い。健やかさをいけにえにした……なんかオブラートにつつまれた、見えない、ぶよぶよしたディストピア