●東方の音楽こそ、我がすべて
はじめて東方の音楽を聴いたのは、高校生の時分。
曲は「上海紅茶館」と「明治十七年の上海アリス」。
【東方原曲】紅魔郷「上海紅茶館 ~ Chinese Tea」【高音質】.mp4 - YouTube
東方原曲 紅魔郷 3面ボス・紅 美鈴のテーマ 明治十七年の上海アリス - YouTube
……それまで、こんな曲は、人生のどこをとっても、聞いたことがありませんでした。
一気に別の世界へとつれていかれました。
連続する小刻みなフレーズ。
それでいて、横揺れ(スイング)感あふれるリズム。
圧倒的音数。しかし、それは東洋のフレージングを、大々的にゲーム音楽(だいたいにおいて、それは西洋音階であります)に持ち込んだセンス。
そんな音は、聞いたことがなかった。
それまでJPOPやクラブ系(ユーロとかトランス)しか聞いてこなかった人間には、この音楽的偏差値は、余りに膨大。
……いや、違います。
あまりにも、それは「世界観」に満ちみちたものでした。
ひとつの曲を聴いただけで、さぁーっと、情景が浮かんでくる。物語が、登場人物が動き出す。
そんな経験は、はじめてのことでした。
以来、10年以上、わたしは東方の……上海アリス幻樂団の、ZUN氏の紡ぐ楽曲に、恋をしています。
●ZUN's music collection vol.4
そもそも「上海アリス幻樂団」とは、ZUNという個人による、シューティングゲームを「たったひとりで」制作するために設立されたものです。
それは「東方Project」という、ひとつの架空世界(幻想郷)を描くためのソロプロジェクト。
……ですが、そもそも、このサークルは、音楽……姫神などのニューエイジ音楽と、ゲーム音楽、そしてジャズの要素をフュージョン(真の意味で!)さすことを、サークルの主眼としておいている側面もあります。
ですので、上海アリス幻樂団は、定期的に、ただの音楽アルバムを出します。
本作は、2006年に出された、コンセプトアルバムの4作目。そう、ZUN氏のアルバムは、どれもコンセプトアルバム……ひとつの物語を設定し、音楽を順列し、音でもってひとつの絵巻を語る。
重要なのは、それは全部「インスト」だということです。
サンホラと違うのは、「歌詞/歌」がないこと。
そして、ぜんぶ打ち込み。
だのに、メッセージ……否、情景は、びしびしと伝わってくるのです。
●卯酉東海道(ぼうゆうとうかいどう)~ Retrospective 53 minutes
これは、架空世界の近未来の日本を「東海道」という、ネオ・フューチャー・ジャパニズム(?)的な物語でもって語るものです。
なにしろ、最初の曲「ヒロシゲ36号」は、汽笛の音からはじまります。
駅のホームにたち、出発進行の音がなり、ガッシャガッシャと、蒸気機関車のロッドのの音が聞こえるのです。
そこからはじまるのは、どこまでも美しく、楽しげで、流麗なピアノの……ジャズめいたフレーズ。
しかし、一抹の哀愁があります。
ZUN氏は、よくピアノを用います。
そもそも、PC98でゲームを作っていたときの音源のときから(それは「幺樂団の歴史」シリーズで聞くことができます)、ZUN氏はピアノで「語る」ことを志向する人間でしたーーピアノの音そのものがなくても! 当時の音源で、ピアノの音をならすことができないにもかかわらず!
そのフレージングは、あまりに同人界隈でアレンジされまくっていますが、わたしは、上に書いた三つの要素こそが、ZUN氏の音楽の本質だと思っています。
1、姫神などの和風ニューエイジ
2、ジャズ(とくにジャズピアノ)
3、ゲーム音楽(テクノ系)
フレーズはどこまでも小刻みで、シーケンシャル。
でも、胸をどこまでも締め付ける。
で、この盤は、その前の3rdや、そのあとの5thよりも、解放感と、オリエンタリズムのあふれる盤です。
ZUN氏は、本隊であるゲーム制作において、BGMを大量に書きますが、その中でも、渾身の一作を、音楽CDに入れこんでくる傾向があるように見受けられます。
たとえば、名曲である「竹取飛翔」「千年幻想郷」「レトロスペクティヴ京都」など。
しかしそれは、ベスト盤的なそれではなく、やはり「コンセプトアルバムの物語」にマッチする楽曲だからこそです。
それは、曲からイマジネーションを働かせて、物語(コンセプト)を作るのか、「たまたま」この傑作曲が合ったから、なのかは判然としません。
しかしわかるのは、このコンセプトアルバムの中で、これらの曲が、また新たなる息吹でもって、息づいていることです。
アルバムの物語解釈は、ほかのところで結構されてると思いますので、ここでは控えますが、これを聞いていると、本当に東海道をーーそれも、虚実入り交じった東海道を、奇妙なファンタジックな新幹線で旅しているような気持ちになります。
それは、ひとつひとつの楽曲に、どれも固有の世界観を有しているからです。
たとえば海、たとえば森、富士の樹海、
あるいは古都の夜、あるいはこれからやってくる東京の爛熟……
曲だけみたら、どれも脈絡がないような曲調なのですが、トータルで聞き通すと、「ああ、ひとつの移動をした」という感覚を、奇妙にも得ることができます。
東方の楽曲は、結局は歌謡曲フレーズじゃないか、みたいな意見をよく聞きます。
ですが、個人的には、この東洋フレーズは、むしろ姫神に端を発する、「日本民謡ルネサンス」だと思うのです。
たとえば西洋クラシックのルネサンスがLove solfegeだということは、以前書きましたが、こと日本のそれにおいては、ZUN氏の右にでるものは、姫神に比肩するーーいや、極個人的に言えば、姫神愛好家たるわたしでさえ、この「様々な国籍の音楽を取り入れつつも、日本民謡のルネサンスを抜本的に行う」センスは、日本のどこを探してもいない、と断言できます。
なぜなら、結局ZUN氏のフォロワー……わかりやすいフォロワーというのは、ついぞ現れなかったからです。
イディオムの継承ならあります。たとえばカゲロウプロジェクトの、どこかオリエンティックでチープなピコピコ音のフィーチャーとか。あるいは、同人界隈での、和要素をもったプロジェクトのフレージングとか。
でもそれは、ZUN氏のような「露骨さと大胆さと繊細さ」を、全面に継承したものはありません。
そう、ZUN氏……上海アリス幻樂団は、どこまでもワン・アンド・オンリー。
このアルバムを聞いてみましょう。
幻想と、虚実と、理想と、屈託が混じった物語を、ジャズ的な横揺れ感覚(このグルーヴ感は、ほかの同世代ミュージシャンが得られなかったものである!)でもって、コケティッシュな甘いメロディーでもって、情景ゆたかに語るのです。
それは、無言歌。
でも、歌詞がなくても、雄弁に、ZUN氏は、世界を語っているのです。
それは彼の理想なのか、白昼夢なのか。
どちらにせよ、SFと民俗学が合わさったこの世界に、我々はただ浸るのみです。……サウンドプロダクツのどことないチープさも、これは、ゲーム感覚と、SF感覚と、ローファイな幻想感覚の表出としてとらえましょう。それだけの世界観なのですから。