●原則その1:自分が買ったもので、何か考えたことを書き残さないと、それらの文物に申し訳がたたない
●原則その2:これから先の自分の人生(あるとしたら)を、きょうの自分よりマシなものにするために、得られた知見を書く。もしくは得ようと努力する。
●原則その3:完全に備忘録。最近、冗談抜きに記憶喪失が激しくて(記憶の薄弱のヤバイ版)
●はじめに
いろんなとこのブログ論を読んでいて、急に「いま、自分はブログをどう運営していきたいのか」を書きたくて、夜の青い衝動でもって書き殴ります。
衝動で書きなぐっているので、こないだ読んだ、ブログは何文字が望ましいかについての素晴らしい記事のメソッドをガン無視です。
ブログは何文字で書けばいいのか? - デマこいてんじゃねえ!
わたしは、Rootport氏がこのような知見を残してくれたことに、万巻の感謝をささげたい人間です。これは「かくあるべし、の科学的知見」であると同時に、各々のブログをシェイプアップするための、一番手っ取り早い手段であると思ったからです。この知見は、あまねくすべてのブロガーにやくに立ちます。
……プロットがある場合には。
わたしの場合、これ、わたしの長所といままで思ってたんですが、
「論理展開のプロットを大して考えないまま、ジャズのアドリブ(インプロヴィゼーション)のごとく、即興で長文を書いていく」
これ、「読みやすい、わかりやすいブログ」にとっては、罪悪っすよね!!!
アーティスト気どってるんじゃない。
とはいいつつも、この歳まで培ってきたメソッド以外のやり方で書いてたら、まあ肩がこる肩がこる。ですので、今日も衝動にまかせて、一気書きです。でも、ジャズメンを気どるだったら、最低限のコード進行くらい考えたほうがいいと思うんだ……
よし、今考えよう(ひどい)
……考えました(この間8秒)(ほんとう)
・CDレビューでなにをやりたいのか、を、いままでのレビューメソッドと、これからのメソッドを比較検討しながら考える
・エロゲレビューで何をやりたいのか、を、以下同文
・物語・思想の読み解きは、自分にとってどういう意味をもつか
では、残響、いっきまーす!(変なノリ)
今日は音楽編!
●レコード(CD、ネット音源)編ーーどうやら自分の音楽遍歴は妙らしいから
最近、ずっと、音楽関連の記事ばっか書いてる自分です。
というのも、「何のためにブログを書くか」という観点からしたら、これは格好の題材になるわけで。
ときに、ブログを書くべき論で、大概は、
「オリジナリティとか考えずに、書きたいひとは書いたほうが、自分の人生のためになるよ!」
って考え……ポジティヴな考えが、最近勃興してきて、なんだか好ましく思っています。皮肉とかそんなん一切抜きに。
そうやって、自分の人生のQOLを高めていくことに、なんの異議がありましょうか!
このあたり、以下のブログの、ブログ論を語るときの基本的な精神になっているようなので、最近、これらのブログを読むのが凄い楽しいです。
で、ですね。
これは「オリジナリティに悩む人間」というのを前提としていて、「オリジナリティを獲得するには、日々のブログクンフー、記事を書きためる鍛錬しかないのだ」という観念と表裏一体なのですが。
それのさらなる最前提として「オリジナリティ持ってるひとは、もうとっくに出してるんだしさ」
というのが、あります。
……ここだけは、わたし、反論したいのです。
というのも、わたしが音楽レビューするのは、「どうやら自分の音楽常識は、他のひとの常識と、大幅に異なっているみたい」
というのが、あるからです。
まず、ここから嫌な気分にさせることを、お約束します。すいません。でも、正直にいきます。
これが、半年前のわたしのCD保有状況です。
結構ありますね。
数えてみたらーー自分は、計算障害という、ある種の知能障害のようなものを持っているため、「数える」ということをすると、比喩とか冗談ぬきでゲロをはきそうになるのですが、それでも懸命に、ざっくり数えていって、
とりあえず、1000枚は越しているらしい
ということを、発見しました。
で、自分は、世の中のひとは、ふつう、これくらいCDを持ってるもんだと思ってたんです。
むしろ、自分は、音楽を聞いている絶対数が少ないんじゃないかと。
だって、
・数年前から聞こうと思ってる、ブルガリアの結婚舞踏曲(イヴォ・パバゾフとか)の音源蒐集が一向にすすまない
・いまだにジョイ・ディヴィジョンもニュー・オーダーも聞いてない。
・ボカロに手をだそうと思っていながら以下略
・9mmのアルバム一枚しか持ってないよ
・少なくともマイルズ・デイヴィスの経歴を語るには、まず電化……いや、モード入るまでの経歴で、10枚は買いたさなくちゃならないし
・全然EDMもエレクトロもアンビエントも弱いし……ダフト・パンクの一連の作品を探るんでも、リミックスから全然掘り下げられてないし
・クラシックの指揮者別の聞きこみなんか、全然不得手だし。トスカニーニや小澤征爾の系譜的聞き方ぐらいは、ある程度モノにしときたい
・相変わらず現代音楽にあんま行ってない自分が嫌になります。いつになったらクセナキスとか聞くんだ。第一メシアンすらロクに聞いてないだろう
・アフリカ系が弱すぎる! ちゃんと真面目にアフロ・ビートのアルバムを蒐集しなさい! フェラ・クティを語るならアルバム7枚くらい聞かなくては……そうじゃなきゃ、その息子たちの音楽も聞けないだろう
・中南米も弱すぎる! 早くアルゼンチン音響派聞かないと……それからボサノヴァのルーツ発掘的な……
・メタルにしても、そもそも今メイデン聞いてるけど、そこから派生していく……
……ええいめんどくせえ! 詳細に言ってくと、ざっくりしたカテゴリだけであとこの30倍はあるのですが(各ミュージシャンの各盤の検討になると、この100倍)、これだけ、わたしは音楽レビュアーとして未熟!
このように、アルバム1000枚持ってても、まだ足りない!まだ足りない!
と、思い悩んでいるのが、わたしなのです。残響というリスナーなのです。
それを、数年前、ひとに言ったら
「頭おかしい」
と言われました。
普通は、そこまで世界中、全ジャンル、全時代の音楽を聞こうとしない、と。
でも、自分は頭がおかしいと思ってなかったのです。
だって「足りない! 足りない!」と認識しっぱなしだったのですもの。
自分にとって、音楽を聞くとは、世界を旅する、世界を知ることと同義なのです。
なので、「とりあえず全部の時代、全部のジャンル(表現)、全部の国」を知らないと、失礼にあたるんじゃないか、って。
それが、ごく普通の音楽の聞き方だと思っていたのです。
全然違うみたいですね。
高橋健太郎氏が15年前に書いていた(ミュージック・マガジンで)のですが、
「自分がかつて学生時代、知り合った女の子にレコードの総数を聞かれ、「300枚かな……」と答えたら、引かれた。それっきりその女の子とは疎遠になった」
みたいなことを書いていて、
「ああ、世間の見方はそうなのか……」
と思いましたね。
ああ、自分の本棚も、同じような状況なのですが(こっちはもっとひどいかも)、ひとに言わせれば
「本に押しつぶされそう」
「吐き気がする」
だそうです。こ、ここは書斎だよ? 怖くないよ?
なるほど。
自分は、異常なのか。
そこんとこを意識するようになったのが、実は去年の年末あたりだったのです。
なんと、28歳になって、二ヶ月くらいして、ようやく気づいたのです。
で、
「あ、自分、ひょっとして、このリスナー体験を書きつづったり、その見方でものを書いていけば、一応面白い記事になるんじゃない? それがオリジナリティなんじゃない?」
ということで、去年あたりから、積極的に音楽レビューをしていきました。
結果。
人との交流が、それまでの数倍に膨れ上がりました。
ブログの閲覧数が、それまでの数十倍に膨れ上がりました。
ありがたいことに、定期的にご覧いただいている読者のかたもふえ、ブログを、さまざまのみなさまご自身のwebサービスに登録してくださることも増え。
なんだ、オリジナリティ、ここにあったのか、的な、青い鳥的な感じです。
自分って、わからないものですね。
で、いまの自分が、音楽記事を書く理由は、冒頭に書いた三つというのと、
これがどうやら自分のオリジナリティみたいですので、誰かのやくにたちゃあ、それでいいかな、みたいな。
あと、重要なのが、自分を肯定するわけでもないんですけど、
「従来のメディアが報じてきた音楽史観は、ここにきてその意味を失いつつある」
みたいに感じていることがあります。最近。
具体的には……
・もう「パンク vs メタル」はいいだろ
・もうボカロは「異物音楽」の見方、いいだろ
・クラシックとアンビエントとエレクトロニカと現代音楽って、すっごい近いように思えるんだけど
・いいかげん「ジャズは大人のムーディな音楽」みたいなイメージ捨てようや
とか、いろいろ、わたし的音楽史観からしたら、
「それって、ナチュラルに変だよ!」
と言いたくなることが、結構あります。
その音楽史観を刷新したい……というわけでもないんですけど、
「もっと、いろんな見方があってもいいじゃない!」
って思いは、あります。
自分とか、他のいろんなブロガーたちが、それを盛り立てていけば、きっと、音楽をめぐるシーンは面白くなるはずだ、って。
そのためには、わたしのような、在野の「いままで自分はふつうだと思ってきた系リスナー」が、ペンを取る必要があると思うのです。
例えば、「ボカロでマタイ受難曲を再現してみた」系について、語れるひとは、それだけで、音楽の歴史に、また1ページを悠々と加えることが出来ると思うのです。
この「ボカロで再現してみた」系は、無数の読み解きができますから。音楽哲学、音楽史的に。
ほら、こんだけで、すぐに!
というわけで、書けるひとは、書きましょう! 音楽シーンの停滞に嘆いてる暇があったら!