残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

引用論「4。みつみ・甘露系美少女絵の10年――フォロワーと業界と時代状況――」

※連載です。古今東西の「引用」をめぐっての読み物です。

全部で44000字あります。今回は11000字です。

……明らかに、偏見だらけの見方になります今回。でも、これがわたしのオタク史です。批判は甘んじて受けます。

 

4ー1。「我々」

 

 これは、一つの爛熟の記録である。が同時に、一つの滅びの記録と目すことも可能である。

 それでも「我々」――二次元美少女オタクという人種である――は、この方向性しか、「あの時代」では選びようがなかったこと。

 もちろん、「この方向性でいいのか?」という懸念は、2000年代初頭から議論されてきてはあったし、「よくはない」というムードもあった。10年前の時点でそれは「飽き」があったのだから。だが、それでもこの方向性で10年やってきてしまった我々(オタクたち)!

 この記録は、クリステヴァの自伝/フランス現代思想黙示録たる「サムライたち」を認ずるものではない。ただの、ごく平凡なオタク消費者たちと、無数の絵師(イラストレイター、原画家)たちの、生きた証である。

 

 

4ー2。みつみ美里甘露樹【以前と以後】

 

こみっくパーティー DCE 初回版

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 一気にわたしは、非常にディープでキッチュで、現代表象文化シーンにおいて、現実世界においては覇権を握っているものの、しかし論壇や、「オトナの世界」では、まだ過小評価、ないし蔑視のある世界の話に移る。

 二次元美少女の世界。オタクの世界。

 かといって、わたしがここで言うのは、どのキャラクターが萌えとか、そう言う話ではない。そこは安心していただきたい。

 して、今貴君らがみている二次元美少女……何でもいい。とりあえず思い浮かんだものでいい(とりあえず、筆者がこれを書いているとき、世間では「まどか☆マギカ」の映画上映&テレビ再放送があった:2013年秋)。こう思ったことはないだろうか?

「なんでこの娘さんたちは、やたら肌や目がのっぺりしていて、鼻があるんだかないんだかわからなく、大抵童顔で、目が……なんでこんなにでかいのだろう?」

 と。

 いい意味で思わない方は、現行のオタクだろう。悪い意味(興味ない的な)で思わない方は、オタク文化に興味のない方だろう。

 ただ、この「絵」……いま流通している絵が、何十年も前の(萩尾望都とか)の「少女漫画絵」とは、相当違うことは、まず認識される、と思う。もっと時代を下れば、まだ「今」とはリンクの度合いはあるが、竹本泉。わたしはこの作家を世界一崇拝しているが、それを差し引いても、いささかの「古さ」を感じさせるところは否めない。まどか☆マギカの作家の母艦的な雑誌(きららキャラットのこと)に竹本泉は作品を載せているので、かろうじてコンテンポラリーな少女絵であることは確かだが、しかしおおかたの識者がみるように、「浮いている」

 この絵の古さはどこからくるのか? 逆にいえば、今のモダン美少女絵のモダンは、どこに発端があったのか? 

 今にして思えば、だが、その里程標は、99年に発売され、その後二年くらいかけてメディア展開をされた、Leaf「こみっくパーティ」のような気がする。 

 あくまでこれは、わたしの「気がする」である。が、この回想も、結局は残響の回想であるから、主観で物事を進めることは否めない。

 しかしオタクたちの中で、2000年を迎えて、「いわゆる二次元美少女絵」が変わっていっているようだ……という、認識はあった。少なくとも、新たなるムーブメントがきている、という。

 駆け足になってきている。まずは図面をみていただきたい。(1)から最後まで、一応はすべての図面に目を通していただきたい。お手数で申し訳ない。「さっと」でかまわない。

 

 3分眺めてみて、いただきたい。

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 どうであろうか?

 まず、(1)からしばらく話をしていきたい。まずあなたはこう思われたのではないだろうか? 

「この業界の10年、というのは、これほどまでに変化がないものなのか!?」

 ……別にわたしは、オタクを代表してそれに謝るつもりはさらさらないが(オタクの代表者? 恐気がする)、貴君のその思いは、妥当なものであると思われる。

 大きな目、鋭角的なライン……そのような特性、あるいは媚びたようなデザイン。いわゆるオタク絵。そう、これらが「我々」の絵なのだ。

 そしてわたしは、これを上から、おおよそ時系列順に並べた。まずここでその正体を明らかにしておきたい。

 

(1) Leaf「こみっくパーティ」(1999)

(2)上段:オーガストPrincess Holiday ~転がるりんご亭千夜一夜~」(2002)、下段:同「夜明け前より瑠璃色な」(2005)

(3) 上段:ケロQモエかん」(2003)、下段、一枚絵:同「素晴らしき日々~不連続存在~」(2010)

 LeafTo Heart2」(一般向けコンシューマ版:2004、18禁アダルトゲーム版(「ToHeart2 XRATED」):2005)

 クロシェット「スズノネセブン!」(2009)

 

 ざっとこのようなものである。

 では上から解説していくと共に、このシーンの十年を、主観的に俯瞰していってみよう。駆け足で。

 ――本当は、駆け足でなんて、踏破していっていい道でないことは、オタクたるわたしが、重々承知している。この道は……オタクたち(受け手、作り手)の、修羅の道だ。(1)のこみパにはじまって、(3)の素晴らしき日々の2010年に終わるこれらの道程も、その間、幾人もの【死者】がいた。業界を去っていった者、そして、本当に死んでしまった者。

 オタクも十年も続けていれば、そのような局面に出会うこともある。

「それはどのようなところでもそうではないか?」

 そうだ。その通りだ。たまたまわたしは、十代後半から、二十代後半に至る十年を、たまたまこの業界を見ながら、時を一緒にした。ただそれだけのアドバンテージでもって、いま語る、にすぎない。

 だが、その10年でも、いろいろあったのだ。

 閑話休題

 

 (1)であるが、上記「こみっくパーティ」(以下こみパ)のキャラであるが、これは10年以上前に描かれた絵である。しかし、「それほど古さを感じさせない」(わたしがロートルになっていっている、という事実を抑えたとしても)という印象は受けないだろうか?

 それは、業界屈指であった、Leafのグラフィッカー(CG着色チーム、という意味)たちによる仕事の現れでもある。なんといっても、この色彩で、これは「フルカラー」ではないのである。ゼロ年代も過ぎ去って、「フルカラー」という言葉の説明をしなくてはならない時点で、90年代は遙か遠くに過ぎ去ったのだな、と思うが、大ざっぱに説明すると、フルカラーとは、「コンピュータで扱う1677万7216色」のことである。現在、特別な理由がない限り、我々が見ているCGデータ、デジタル画像データはフルカラーである。

 そして、こみパは「256色」である。フルカラーではないのである。それなのに、この色彩感覚!「縛り」の中で試行錯誤、といえば聞こえはいいが、現代にまで通用する「塗り」を、256色で完成させていたとは、まさに恐れ入る。

 だが、それを踏まえた上で、このイラスト群が現在に生き残っているのは、原画家イラストレーター、とこの場合呼称するのは妥当ではないが、このふたつの区別を論じるだけで小論がひとつできてしまうので、この論考では、ふたつの呼称の使い分けに厳密な定義を設けない)・みつみ美里(みさと)、甘露樹(あまづゆ・たつき)のふたり(以下、みつみ、甘露、と呼称する)による、キャラクターデザインの強度と未来性によるものであった――わたしは、そう結論づけたい。

 

 みつみ・甘露絵とは何か? そしてその後起こった「みつみ・甘露系の流行」とは?

 ざっくばらんに言えば「こんな感じの絵ばっかりになったのだ、オタク業界が」ということである。

 これは絵のひとつのスタイル……みつみと甘露のふたりが完成させた、シグネチャーとしてのスタイルではないか? それだけにすぎないのではないか?

 ――そのはずであった。そして、いま(現代)という視点から見れば、「みつみ・甘露系の流行」に一喜一憂、業界全体が渦を巻いていた【当時】なるものの、視点・視野の狭さが、改めて浮きぼりになる。

 でも、結果として、業界は、「このような絵」ばかりになった。

 図面がその証拠である。99年のこみパ以降、「この絵柄」の研究――という名の、模倣である――は、業界総出で行われた。赤松健は、そのようなムーブメントが起こりだすはじめの時期あたりで、さすがの卓見・状況分析を見せていた。当時のweb日記(2001年11月29日)で、「この一年あたりの、美少女イラストの流行を設定したのは、こみパのイラストレイターだ」的な評を下している。(もちろん、それを認識しつつ、みつみ・甘露の安易なフォロワーにいかなかったのが、赤松の優れたところである)。

 なぜに、ここまで模倣が行われたか?

 簡単である。

 売れるからである。

 

 売れれば何でもいいのか? という議論に対して、「売れなきゃやってられねぇよ!」と、血が滲むような無言の呻吟が聞こえてきたのが、当時であった。

 今、という時代。冒頭でわたしは、サブカルとしての、「ユース・カルチャー」としての、圧倒的覇権を握った、という意味の文句を書いた。

 だが、当時は違った。Youth=若者文化、の中でも、オタク文化は侮蔑的なものであった。

 宮崎勤事件あたりからはじまる【おたく】なるものに対するマイナスイメージ、という、通奏低音にも似たムード。それは、インターネットという次世代の文化状況インフラが規定されて、オタ業界が発展していくにつれ、その発展に対する風当たり――居心地の悪さ――は、かなりの形で先鋭化されていったように思える。

 それは、オタク側にも問題は抱えていた。自分たちの享楽を第一と考える(世間から非難を浴びれば浴びるほどよけいに、というある種の隠れキリシタン殉教者めいた)オタクたちは、世間とのすり合わせを考えてこなかった。俗に言う「キモオタ(キモいオタク)」像が、はっきりと形を成し、今あるような形で蔑視されるようになったのもこのあたりだ。……実際、そういうキモいオタクは、いた。わたし自身が、そうであった。青春の限りある時間を、この成長しつつある分野に全面投資した。ある意味では、人格的成長とか、人との交流スキルの勉強とかも、無視して。――そう、「キモオタ」として。

 たしかに、キモオタのそういう熱中は、やりすぎではあった。わたしたち「キモオタ」は、もっと社会との折り合わせをつけるべく、適応の技法(精神科医・熊代亨氏がいうところの)を学ぶべきだったのだろう。「リア充」になれとはいわないが、彼らのバランス感覚を学ぶべきだった。だが「リア充」という言葉すらなかった当時は、そのような存在(リア充)たちを、コケにしたり、逆に嫉妬したり、という反応しかしてこなかった(もちろんこの行為は本質的にコインの両面であり、たいして変わらない)。

 だが、享楽に忙しすぎたのだ、我々は。

汎用適応技術研究 index

シロクマの屑籠

 

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)

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ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く

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「いいね!」時代の繋がり―Webで心は充たせるか?―

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 今のオタクたちは、そのような「我々」を尻目に見てきたのか、ごく自然にコミュニケーションスキル/バランス感覚でもって世渡りしているように思える。最近わたしは、わたしたち「ゆとり世代」に対し、そのような次世代を「さとり世代」と呼称されていることを知った。空気を読む(さとる)のを第一とする、コミュニケーション第一世代。ソーシャル世代といってもいい。twitterFacebook、Line。なるほど。彼らからは、以前我々が抱いていた「暗い瞳」は、ない。あるのは「オタクもCOOLだ、リア充なるものもHOTだ」みたいな、いっとき前の外国人じみた……ああ、また、ここで、わたしは、新世代に対する暗い瞳がでてきている――

 そういうわけで、新世代は、「あの時代」を知らない。256色を知らないように(逆にネタ画像やニコニコ動画でのネタ動画などで、16色グラフィックを我々の知識量と同じくらい「勉強」している世代かもしれない)、あの時代の屈折と闇……そしてそれをバネに、異常な熱と磁気を帯びて胎動していたあの時代を知らない。

 そしてこのパラグラフの先頭に話を戻す。

 「売れなきゃやってられない」

 この叫びは、当時の胎動――今から思えば、視野が狭くとも、ある種の修羅道めいた自己規定と強化の連続という、オタク業界は、自らの自己変革を……

 ……自己変革? だがそれは、欲望に根ざした欲望体系のよりよき充実である。後に述べるが、ケロQのすかぢ(当時、名義はSCA-自)はそれを「快」原則、の名の下に説明した。十年前に、すでに。

 受け手も、作り手も、生き延びるのに必死であった。そして受け手も作り手も、異常な速度で分析・細分化を進めていった。

 

 図面を次に進めてみたい。

 次の(2)(3)は、それぞれ別メーカーが、みつみ・甘露フォロワーだった時期の絵である。

 そして注目していただきたいのは、顔や全体のラインの鋭角さよりも、塗りのレベルの高低よりも、小さくて申し訳ないが「目」である。

 「目」の比較検討であるが、小さい図面(立ち絵)ではなく、大きい図面(一枚絵)で見てもらった方がいいかもしれない。ちなみに、「立ち絵」とはエロゲ/ノベルゲームにおいて、「紙芝居」「人形劇」めいた動作をさせるときに使う汎用的なキャラ絵で、「一枚絵」とは、重要シーンで大々的にキャラを絵画的に表現する際に使われる、特殊的(かつ、イラストメディアたるエロゲの一番の醍醐味)な「イメージビジュアル」である。

 さて。

 これらの「眼球表現」であるが、塗りを別として、ラフ画・線画あたりで見たら、おそらくオタク以外の人間には、これらがすべて同じ作家(絵師)によって描かれているものだと即断するだろう。

 これが「時代状況」であった。みつみ・甘露系の流行とは、畢竟「この眼球表現の流行」であった。

 もちろんよりトータル的な面もある。上記のように、タッチ……線の処理が、より鋭角的・神経症的になっていった、と。それによる、美少女絵の肉感性の減退、と。だがそれらの反論は、後で述べるフォロワーの脱典型=個性獲得(シグネチャー)によって、克服されていった。

 だがそれは後の話だ。少なくともこの時点では、みつみ・甘露絵(眼球)に覆われていた。数多くの二次元美少女たちの目に見つめられていた我々(受け手側オタク)。しかし見つめられていたのは、案外、絵師たちのほうだったのかもしれない。

 

 みつみ・甘露系、とひとくくりにしたが、実はこの二者の間でも、業界の中では、信じられないだろうが、区別があった。

 まずこみパの図面をもう一度。このうち、右に座しているのが、みつみ。左が甘露。さて、どう見比べるであろう? 見比べられるであろう?

 ――まあ、これは、意地悪な質問である。当時(こみパ発売・展開当時:ゼロ年代初頭)にしたって、「この時期の」みつみ・甘露の明確な区別を、オタク全体が明快にしていたわけではなかった。「みつみと甘露の区別なんてつかんし(笑)」というのは、ネタでもあった。「かっこわらい」付きの。

 しかし一応定義するとしたら、やはり目を見つめていただきたい。より「横幅」が広い、というのが、甘露のほうである。

 だが、大同小異な絵である。もっとも、このあたりまでのみつみ・甘露のふたりは、「この絵柄」を獲得するまで、ふたりで相互に研鑽をしていたのだ、ととらえることも可能だ。

 これにもっと正確な叙述を期すならば、彼女らの元職場だった「F&C」というメーカーについて言及する必要がある。詳しい経緯は省くが、もともとみつみ・甘露の両氏は、業界最大手のF&Cの原画家であった。そこで、彼女らのリーダー的立ち回りであった鷲見努(彼も原画家であり、やはりみつみ・甘露系統の絵である)を筆頭に、異常な速度で成長を遂げていたLeaf(「To Heart」以降、事実上、オタクたちの間では若手ナンバー1として、中堅グループ二位以下を圧倒的に引き離し、認知度・ファンの盛り上がりでは大手とすら言えた)が「東京開発室」という、別制作ラインを設けてまで、【彼女たちを引き抜いた】。

 また、今でこそ呼ばれはしないが、誰が呼んだか、このころの彼女たちは、一般的な呼称でこそなかったものの、目の肥えた玄人オタクたちの間では「中村一門」という別名があった。これは、彼女たちのF&Cでの師匠筋、といわれるなかむらたけし(中村毅・図面では(4)の黒髪の少女)によるものであり、彼もまた、後にF&Cを離れ、Leaf東京開発室に合流する。なかむらももちろん「師匠筋」と呼ばれるだけあって、みつみ・甘露系の絵である(これについては、オタク間でも意見が分かれ、「みつみ・甘露はある種のネタ的要素でもってなかむらを師匠と呼んでいたのだ」という説と、「実際に師匠だったのだ、原画家としての活動経歴においても」という説、また、なかむら自身の、作品(イラスト。とくにデッサン力)のレベル的に、良し悪しのブレの極端にまで激しい作風もそれに寄与している、といったら言い過ぎか)

 大きく話が脱線したが、彼/彼女ら中村一門・東京開発室は、この後、初期メンバーの脱退や、オタクを離反させるような行動など、迷走を見せたLeaf本体(大阪)を立て直すがごとく、2002年の傑作「うたわれるもの」で評判を挽回、大阪本体も力作「Routes -ルーツ-」(2003)を出し、「やはり葉(Leafの俗称)はなんだかんだいって力がある」と、オタクに証明してみせた。

 そして、満を持して放ったのが、「To Heart2」である。

 

 初期メンバーの名作にして、エロゲ/ノベルゲームにおいて、いや、ラブコメ……いや、全オタク文物において、決定的な影響を果たしたTo Heart。この影響たるや、ある意味では「エヴァ」以上であった。東浩紀によるエヴァ読解は、現代思想とユース・カルチャー研究の関連性のその後10年を決定づけたが、オタクの恋愛観、ラブコメなるもの――現代オタクシーンの主流において、ラブコメのない文物などほぼ考えられない――の、ほとんど定義にも等しいものを、「To Heart」は、ほぼ独力で成しえてしまったのだ。ある意味では、エヴァ二次創作のラブコメパートにおいても、To Heart東鳩:俗称)的なテイストがなかったと、断言できる当時のオタクがどれだけいるというのか。結局To Heartの焼き直し、というのが、当初のコンセプトであった、Keyの出世作「ONE」の存在を、To Heartなしに語ることなど、どれだけできるというのか(Keyのゲームが業界に落とした様々なる影響は、それだけで小論になるので、ここでは省く)。

 それだけの傑作の、初期メンバーの手ではなくして作られる「2」。続編。発表当時から、毀誉褒貶はあった。

 だが、いざ発表されてみたらどうであろうか。この一作でもって、Leafは完全に第二期黄金時代を迎えてしまった。

 作品内容の細かい検討については、本論の対象ではないのでさておくが、グラフィック面において言うならば、2005年のこの絵が、2013年において、今なお「新しく」写る事実をふまえてみよう(図面(4))。

 このレベルの絵に至るのは、生半可なオタク文物では、成し得ない。それだけの気合いの入りぶりであった。

 また、特筆すべきは、それまで大同小異と言われてきた「中村一門」も、ここにおいて明確な描き分けをしてきたことだ。図の(4)の、とりあえずは目だけでもご覧いただきたい。ついでに言うなら、全体のラインの流れも。 

 かてて加えて、従来Leafにおいて、大阪ラインの原画家として、地味な評価しか受けてこなかったカワタヒサシ(旧PN:ら~・YOU、図面(4)での白髪の少女)が、ここにきて格段のモダニストぶりを発揮して、従来のみつみ・甘露なるものの影響を取り入れつつ、独自のタッチ(シグネチャー)をここで披露したこと、これもその流れで特筆したい。

 ここで、Leaf原画陣は、

 

【その後5年の、みつみ・甘露系の拡張発展形式の青写真を自ら描いた】

 

 と呼ぶことができるくらいの仕事をしたがゆえに、2013年の今でも、「To Heart2」は、未だにグラフィカルな面でモダンであり、同時にポスト「To Heart」世代のリスペクトを集める同時代作品、となり、その世代がオタ業界においてヘゲモニーを握った今において、クラシック(古典)の地位をなんら遜色なく飾ることができるようになったのだ。当時の毀誉褒貶などどこへやら、である。

 

 さて。

 青写真を敷いた、とはどういう意味か、評価軸を少々移して考えてみよう。

 まず、図面(2)のメーカー「オーガスト」であったが、絵師、べっかんこう。彼の絵は、当時(2002~3年)、やはりみつみ・甘露系と目されていたが、その中でも、とくに「どちらかというと甘露インスパイアじゃないか?」という意見があった。ネット掲示板の一幕(当然歴史に消えゆく一幕)であった。それにさしたる反論もなかったことから、その発言は流された。

 が、わたしはそれを、昨日のことのように思い出せる。それが歳を取った証拠、というつっこみをしばらく閑却すれば、この発言が、当時、そして今この論考/10年史を書いているわたしに、それなりの影響を及ぼした発言であったからだ。

 まず、この「甘露インスパイア」という発言に、ことさらの、理論立脚性は、ない。ただ「そんな感じ」という、よくある感想のひとつにすぎなかった。

 が、当時のオタクたちは、このような談義を、今日も明日も明後日も繰り返していた。それは対象と、議論の枠組みが違うだけで、こんにちのオタクたちも繰り返していることだが。

 つまりは、「この手の絵ばかり」の状況を、いささかでも理論立てて、総体的・相対的に把握し、次へとつなげていきたい、というものであった。

 当時からあった危惧のうちに、「みつみ・甘露系ばかりになっていいのか?」というのは、あった。当然である。いくら新世代(当時)とはいえ、それまでの美少女絵も当然愛好してきた世代である。別にみつみ・甘露系の絵は、仮想敵ではなかった。問題は、安易なフォロワーが余りに増えすぎたことだ。

 もちろん、ここで出している絵師たちをけなす意味合いではない。図面の絵師たちは、「その後」を記載しているように、この時点でも必死の努力をし、その後独自のシグネチャーを身につけたBrightnessである。……彼らも生き残るのに、必死であった。それを、先行するブライトネスの研究/模倣に、己が若さをつぎ込んででも。そうでもしなかったら、業界では生きてこれなかった。

 このあたりの時代状況を、わたしのエロゲ/ノベルゲーの師匠こと、流 雷氷(ハンドルネーム:Nagale)氏は、10年前、同時代的に、次の論考を残している。

Nagale's Homepage「岳流」

「エロゲ業界、最近の絵柄均衡とその疑問」

 

 

 要点は

1。業界成熟に伴い、一定方向への画風の収束・総合的レベルアップ、及び無個性化による倦怠感

2。「似ているから買おう」ではなく「似ているけどこういう個性があるから買おう」とするのがオタクの矜持ではないか?

3。ひとつの画風がエロゲ/ノベルゲーのすべてのジャンルにマッチするわけではない。絵にはジャンルに向いた絵というものがある

 

 とくに2。は卓見であり、倫理を説いたものである。いやしくも趣味人・教養人を任ずるならば、安易な方向に流れずに、己の寄って立つ「美学」でもってオタクたれ、という。このように書くと教条主義的であるが、しかし当時のわたしがこれに、このように影響を受けたのも確かだ。

 当時の人間が、この「度量」を持っていたら今は……わからない。それは所詮「歴史にIF」の問題だ。それも、大して意味を持たないIFだ。それでも、時たま思う。もしこのIFがあったなら、と。

 

 さて、余りに状況説明・歴史について紙面を割きすぎた。ここからさらに駆け足になる。

 Nagale氏の議論を煮詰めて考えてみたい。まず、無個性=模倣であるが、フォロワーの彼ら(現在生き残っている彼ら)は、先述したように、2。で書かれている「個性」を努力でもって会得しつつあったからこそ、当時も埋もれなかった。

 べっかんこう氏にとっては、みつみ・甘露系の「安定性」をさらに研ぎすませた。かつ、その安定性の上に微調整を加え続け、みつみ系童顔とはまた違った童顔性(少女性)をシグネチャーとして獲得。結果、氏のセンスでもって調整された新たなシグネチャー(これをもって、さらなるハンコ絵に突き進んだだけじゃないか、という議論もあるにはあるが、シグネチャーとはそういうものではないか?)は、全体の等身/ラインに、キレキレなエッジーさを減退させ、人柄を感じさせる画風を構築した。一言で言えば「安定感」であるし、「いつものべっかん絵」である。だがそれは、みつみフォロワーを延々続けていては手に入らないものである。

 また彼は、従来みつみ・甘露絵において、「肉体性のなさ(肉感性のなさ、エロさの減退)」と言われていたものに、肉体性を付与した先駆、ともとれる。その流れはさまざまに後代に影響を及ぼし、クロシェットの御敷仁などは、To Heart2における甘露的なるものを過剰にデフォルメさせるとともに、この肉体性をさらに過剰に追求、現在のエロゲのメインストリーム「萌えエロ」の主導的立場を、同輩のしんたろーと共に、まざまざと見せつけている。その肉体性は、ここで(その露骨な)図面を引用しないことで、察していただきたい。これはNagale氏の議論の3。の発展/解決版、ともとれる。ついにみつみ・甘露絵は、ジャンルや向き不向きを越えたフォーマットともなった(このジャンル越境性については、次のケロQや、また一部凌辱系メーカーなどは、当時から取り入れていたが、「肉体性」の有り余る獲得までは、まだ時間がかかった)

 ケロQにおいては、当時において、新興・若手メーカーの中ですでに業界屈指の前衛、という名を得ていた。エログロナンセンス現代思想、あるいは時代劇やサブカル方面の知識など、ありとあらゆるものをゴッタ煮にした、真の意味での前衛は、一部好事家の熱烈な支持を得ていた。

 そのままケロQは「内に籠もる」こともできた。が、2003年「モエかん」以降、彼らは「外に出る」ことを選んだ。この作品発表当時「あのケロQが萌えゲーを!?」という旋風が巻き起こった。非オタクの方に「萌えゲー」を説明するなら、「ヌルいゲーム」と説明するのが一番妥当かと存ずる。

 その際、ケロQのリーダーにして、当時にしてすでに業界屈指の理論派だったSCA-自(現・すかぢ)氏は、モエかん以前からもみつみ・甘露系の絵を前衛的な内容と重ね合わせる離れ業を見せていた。しかしわたしが仰天したのは、このころの雑誌連載コラムで(ビブロス「カラフルピュアガール」、現在廃刊)、すでに自身がケロQ同輩の原画家たちとでメソッド化し、後進の原画家の育成法として利用している「みつみ・甘露系」なるものの、描き方を披露していたこと、である。その描き方をここで説明することはしないが、すかぢはその後、2013年の現在、この方法論を誰にでも出来るくらいの「美少女絵の描き方」まで進化させたくらい、理論派であった。

 徹底的にまで分析されたみつみ・甘露絵。プラス、ケロQは独自の画面構成、光の処理(光源とベタ塗りの解析的処理)を武器にし、現在にまで通じるグラフィックモードを「モエかん」で構築した。その流れは、ついに、ケロQの現在であり、ゼロ年代美少女ゲームの最後の金字塔である「素晴らしき日々」の、漂白さとエッジーさを高度なレベルで結実・表現させたシグネチャーである。図面の一枚絵をご覧いただきたい。この先鋭的な光の表現っこそがケロQなのだ。

 

 これが、この10年であった。

 さあ、貴君ら。先行する比較文芸・比較表象の学者が説く「時代状況に甘んじるクリエイターは凡俗」という評似対し、わたしは答えたい。

 「時代を生きる、とはこういうことだ。これ以外に道があったとでもいうのか?」

 そして、

 「引用の諸相、引用と学習の違い、引用とパクりの違い、は、どこで定義されるのだ? 現場で生きている作り手・受け手は、【オリジナリティの絶対正義】でのみでは生きていけない。そのようなオリジナリティ絶対視観は、ほぼ科学でいうところの【理想環境】に等しい」

 と、わたしは声を大にして言いたい。それを一笑に賦されるのは、我々のクリエイターの努力を笑うことであり、我々自身を笑うことであり、そして去っていった者、死んでいった者を笑うことである。それでもよければ笑いたまえ――少なくとも、わたしは、笑わない。

 では次章は、結論であるが、わたしは「翻訳」というものを援用しながら、表現者のモラル、作品実作のモラルについて語る。つまるところ、引用の善悪とは、モラル上の問題であるからして。