残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

これからのブログの更新のやり方、2014年夏編

一応、最近模型日記ばかり更新してますが、このブログはあくまでメインコンテンツは
「音楽」
「音楽や物語、哲学にインスピレーションを得た思索(哲学、と呼ぶときもあり)」
です。
 
で、去年から今年のM3直後にかけて、結構な勢いでCDレビューを更新してきたわけですが、その「1記事1枚レビュー」の形で、この先やっていっていいのかなぁ、という思いが、ふとしたのです。
 
どういうことか。
「1記事1枚レビュー」は、自分にとって、概略と感想を書くだけにとどまらず、「アルバム全曲実際にリスニング実況ふうに書いてみて、そのうえで統括」という、今考えたらすげえ手間のかかることをしてたのです。
 
いや、それだからこそ、自分はすごいやりがいがありました……が、毎回それをすると、疲れる、っちゅうのもあります。
 
疲れるからそれをやめる、っていうのも、いささか問題なんですけどね。
そのやり方こそが、自分にとって(あくまで自分にとって)「音楽をよりよく聞く」手段だと思ってやってたわけなんですし。
 
ただ。
自分、いまのレコード/CD保有状況として、よくこの図を持ち出すのですが、

http://f.st-hatena.com/images/fotolife/m/modern-clothes/20131106/20131106194001.jpg

 
こんだけの量、ぜんぶこの形式でやってたら、いつまでたってもおわりゃしない!
いや、世の中には「悶絶メタルのページ」http://mmpk.web.fc2.com/さんのような、一枚一枚、全曲レビューして、それが膨大な数になってるとんでもないバケモンみたいなひともいますが……まあ自分もそれにあこがれて、全曲レビューやってた、という意味でもありますが。
 
しかし。
そもそも……自分は、全曲レビューをこそ、やりたかったのか。
手段と目的が入れ替わってはいないか。
 
なんで自分は、音楽、そして思索というものを、ブログのコンテンツとしてやっていこうと思ったのか。
悶絶メタルさんや、物語三昧さんの金魚のフンみたいに、柳の下のドジョウみたいに、おんなじことして、それに汲々としてるのが本懐だったか。
 
違うだろう。
 
あくまで自分は、自分の音楽観というものを、世に提示していくことが目的だったはず。
あくまで自分は、自分の思考体系というものを、世に提示していくことが目的だったはず。
 
いつしか、義務っぽくなってた「1記事1枚形式」。
もちろん、今もなお、「1記事1枚」の熱量でもって、盤に相対することは、間違っていないと思っている。
 
が、自分は、なにをすべきなのか。
そう、なにをすべきなのか。
 
「残響の足りない部屋」は、一日の短い時間(だいたい仕事終わりの夜に更新してますが、これからは逆の、仕事はじめの前の朝に更新したい)に、合間を縫うようにして更新してますが、だったら、何をやるかを明確にしたほうがいい。
 
で、逆算して考えてみましょう。
自分は、音楽シーン、あるいは「物語」をめぐるさまざまのシーン(論壇)に、どのような「もっとこういった知見があったらいいのに……!」を抱いていたか。
 
音楽に関しては、わりと答えるのが楽。
「もっとワールドミュージック聞こうぜ!」
「ジャズってのは自由な音楽なんだよ!」
「方程式に沿ってるだけじゃいい音楽はできっこない、ましてやテクニック至上なんざ……」
「あの音楽とあの音楽だけど、一見かけ離れているようだけど、こういう見方を取り入れたら、案外近いぜ?」
 
……とか。
いわば、比較音楽論、民族音楽論、といったところです。
今まで自分が「当たり前」で「自分なりのたのしい聞き方」をしていたものを、披露してみたい。
それが、このブログをリスタートして、やってみたかったこと。
 
物語については、ちょっとムズいな……
 
・たとえば、橙乃ままれの諸作における「個人と世界のマクロ的変革」を通して、世界が変わるとはどういうことか、とか、
・色々な物語を比較して、その差異において共通の法則を見出すとか(「陰陽論」でそれはすこしやった)
・古典ってオベンキョーだけのもんじゃないよ、特に平安文学と漢文! とか
・創作の秘密……理論だけで解決できない、「物語的ダイナミクス」のこととか
 
こういった「物語の裏」みたいなもんと、物語を実社会にどう活かしていくか、実人生でどう活かしていくか、とか……まあそうかいたらライフハックみたいだけど、そんなことをやってみたい。
 
で、音楽と、これら物語思索パートは、そんな変わらない。
だって、メソッドが変わらないわけだし、ことさらに音楽音楽と、こだわる必要もないのかもしれない。
 
そう、実際に重要なのは、音楽を通して「何」がみえるか。
物語を通して「何」が見えるか。
 
音楽も物語も、同じ人間の表現(表象)だもんねぇ。
 
しっかし、こういったことを、いまさら書きますかねぇ。
ブログのはじめで考えておくべきことのような気がする。
 
 
……さて、こうやって逆算してみて、やっと自分のやりたいことというのが見えてきた。
自分は、音楽そのものを、分析的に語って、「それでよし」としていたのが愚であった。
問題は、より多くの知見を、より新しい知見を、そして自分を語ること、だった。
 
日々、考えることは多くある。
どうも自分は、実生活でリアルを充実させるよりも、音楽や物語や模型といった「仮想世界・非現実世界」での充実を求める人間のようで。
だったら、いかにそこで自分が充実たる議論を重ねているか、を書かねばならない。
 
だって、そうしないと、自分の灰色のノーミソの中だけだもんね。
 
あ、そうそう、模型日記だけど、これも続けますよ。
だって、模型から学べることは非常に多い……
例えば、模型を作るときに、自分は「ヘイキンテキ」ということをよく考えます。
これは「ニンジャスレイヤー」の用語なのですが、常に精神の安定を保ち、揺るぎない精神で戦いに望む、ということなのですが(まあそれを、忍殺語独特の変な日本語で言い表してる)、模型を作る上において、よく自分は「ああああーーーーーーーーーー!やーーーっちまったーー!」
とかって喚くわけですが、そこにおいて重要なのが「ヘイキンテキを保て……」というマントラです。
落ち着いて、落ち着いて。いかなることがあっても、模型の最終的な完成のために、落ち着いて……とセルフコントロールするのです。
すると、それが楽しくなってくる……自分を御するたのしみ。それもまた模型道……ってな具合、に、模型からも学ぶところは多いのです。
 
というわけで、残響の足りない部屋の更新メソッドが見えてきました。
「思索」「日々の備忘録」「想像の翼(イマジナリーウィング)」
このブログにおいては、みんながググって必要とされる、各種データではなく、あくまで自分の思索を書いていこう、と決意を新たにしたのでした。まる。
 
とすると、あまり「評価」ってことも考える必要はないわけね。レビューサイトではない。
あくまで、自分がどう考えたか。それがもしクソな題材(作品)だったとしても、ノープロブレム。むしろプロブレムなのは、自分がクソな考えをしてたとき、っちゅう寸法。
 
というわけで、がんばっていきたいと思います。朝早く起きて更新だ!