残響の足りない部屋

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レスター・ヤングのやさしい歌心

 

プレス・アンド・テディ+1

プレス・アンド・テディ+1

 

 

 
正直、今更レスター・ヤングということもないと思うんですけどね。このブログサイトのお題目であるモダン・ジャズということでいったら、レスターのテナー・サックスの吹き方というのは、明らかに古臭いというか。

 

 

あまり「チャーリー・パーカー以降」というカテゴリを絶対神聖視するのもどうかと思うのです。が、それでもこのパーカーが生み出した「疾走のもとメロディアスに、そして狂ったように吹き散らす」というスタイルが「ジャズ的かっこよさ」と見なされていることは事実。

 

その「チャーリー・パーカー以降」の見方は、ほぼこの現代に至るまで――いや、今だからこそ、この見方が鮮烈に響くのです。あの「ヒュイッ……」と一瞬ブレス(呼吸)がしたら、次の瞬間、まるで流れ星が疾走するかのような、この世のものとは思えない無言歌が流れるという、「ジャズ・サックス・ソロ」。これこそがジャズの魅力……これこそがソロの魅力。今のロックのギターソロと比較しても、なんら落ちることはないソロの戦慄、鬼気。そして圧倒的自由度!



そのこと、こっちで書いたんですよ。

「ジャズ? 古臭い音楽だろ?」馬鹿ヤロウ、ジャズほどアブナイ音楽はない


自分、音楽情報webマガジン「地下室TIMES」に、ちょっとばかり寄稿さしていただいているのですが、そこで「ジャズはアドリブの鬼気迫る勢いにこそあり!」と大言壮語したんですね。気骨あるジャズファンは「そうだ!」って賛同してくれると思うんですが、まあこのジャズ下火時代、この見方一般的じゃないんだよぉ(涙

 

そう、パーカー以降の「鬼気迫るアドリブソロ」という見方からしたら、レスター・ヤング……ジャズの大統領(プレジデント)、という意味合いをこめて、通称「プレズ」と呼ばれたジャズの巨人。それは、今の若いジャズファン(といってもこの記事の筆者29歳だけどさ。あいや、もうアラサーか)には、「なんかぼわっとした、スリルに欠ける演奏だなぁ」と言われるかも、というのは、重々承知です。



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ただまあ、それはやはりジャズを見るにおいて、一面の見方でしかありません。何しろ、パーカーが滅茶苦茶影響を受けたのは、このレスター・ヤングであるのですから。

 

パーカーはレスターの何に影響を受けたか。やはりそれは「歌心」であります。
ところで、パーカーをはじめとする「ビ・バップ」派は、この派閥(ムーブメント)が生まれたとき、「キ●ガイジャズ」と呼ばれたそうです。暗に。それだけ鬼気迫っていたということでもありますが、それだけ先達を「魔改造」したということでも。

 

でもそれは、先達を継承したということでもあるんですね。いつだってそうです。先達をそっくりそのまんまプレイしていたら、継承どころか、停滞です。ビ・バップは、明らかにジャズを成長させ、進化させた。

 

(その代わりとして、ビ・バップ以前のトラディショナル・ジャズを、半ばジャズのメインフィールドから葬った、とさえいえるんですが。言いすぎ? だって、今バップ以前のトラディショナル・ジャズ……ディキシーなりニューオーリンズスタイルなりを聞く人ってどれだけいるねん? おっと話がずれた)

 

先達を継承した、ということは、パーカーも先達のもとに、自分のジャズを磨いた、ということです。パーカーが先達に影響を受けたもの……それはいろいろありますが、大きなものが、レスターの持つ「歌心」です。もっと言えば、「やさしさに基づいた歌心」

 

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ひとは、どうやったらやさしい人になれるのでしょうか。
突然なんだ!? と言われるかもしれませんが、つくづく最近そう思うのですよ。わたしほど、「やさしさ」から遠い人間はいない、と思うのです。いや、リアルでは攻撃的な人間とは捉えられていないのですが、それでも「積極的に主張しないヘタレ、いや臆病」とは見なされているとは思います。

 

いわばそれは、他人に追従して、他人の顔色を伺って、「あはは……」と愛想笑いして、その場を取り繕うこと。ああ、醜い。情けないどころではない。醜い。

 

他人に追従することは、楽でありますし、何より場を荒立てずにすむ。それは、自分が平和に一日を終えることが出来る。

 

でもそれって、ほんとのやさしさでしょうかね?
少なくとも、わたしのような人間は、「代替可能」ではあります。いてもいなくても代わりはない。どころか、こういうおべっか人間は、いないほうがその場が健全に成長します。

 

こういう人間とは、レスターの「やさしい歌心」は、全然違うのです。
レスター・ヤングのテナー・サックスは、なんかまるでホルンのようです。
「ビャーーーーーーッ!」という、まるで裂けよぶちかませよ、みたいな、一般的な「ジャズサックス」じゃないです。それは、彼がカウント・ベイシー楽団の花形ソロイストであるときからそうでした。
まるで弱いまま、やさしいまま、人間として高みに登っていったかのような。

 

こういう人間……人間の表現こそが、本当のやさしさだと思うのです。それはイージーリスニングではない。ただ癒すだけではない。それは、人を許す。励ます。決してこっち(俺とか)を否定しないけれど、彼(レスター)の側でこっちの単なるイエスマンになったりしない。

 

考えてみれば、自分はレスターが好きですが、それに「もたれかかろう」と思ったことはないんですよ。レスターを「癒しミュージック」として利用してやろう、と思ったことはない。……それだけ、レスターのやさしさ、というものは、こっちの卑しい精神が、付け入るところがない。「隙がない冷たい音楽」というのではないですよ。むしろ「どこからでも自由に入ってきていいよ」と言わんばかりの優しい音楽です。でも……「いつまでもダラダラ堕ちていていいよ」とは言わない。

 

そういう人間になれたらなぁ、と思うのですが。
思うだけでなれたら、苦労はしないっすな。

 

いやまあ、レスターは完全な聖人君子というわけではないです。ドラッグ中毒でしたし。でも彼の「歌心」は、確かに彼のやさしさからきたもの。あるいは、傷つきやすい(フラジャイルな)心から。もしかしたら、ドラッグはそのフラジャイルな心からの逃避だったのかも。

 

それは翻って、幾人のひとに潰され、貶されてきたか、という証左であります。レスター自身が。
彼の音……歌心は、その傷あってこそのものですが、しかし決してわたしは「そのために傷つかなきゃいけなかった」とは言いたくありません。

 

だから少なくとも、レスターを愛するひとは、やさしくあろうと、努力しなけりゃ、彼に対して申し訳がたたないんじゃないかなぁ、とかって思うわけでした。そんな新年の記事。