ブログ:猫箱ただひとつ
twitterアカウント;nekobako_(個人アカウントに鍵かけていらっしゃるようなので、ブログ公式垢で)
twitter出没度:まあそういうわけなので割愛。むしろ氏の場合ブログ更新度で語るべき
ブログ更新度:とても精力的
●たぶん、この記事を好まれないことを覚悟して
お久しぶりの更新となってしまいました、エロゲーマー諸子百家。で、今回の更新は、たぶんこういう「エロゲーマー諸子百家」的なテキストを一番お嫌いになるかもしれないなぁ、とかって対象のかた……べるんさんを思いながら、これ書いてます。
もちろんこのシリーズの基本……「取り下げ要求があれば即座に消します」は、今回も守りますが。しかしなぜ「嫌われるようなまねまでして書くのか」といったら……それに対する明確な答えとしては「自分がこの世から消える前に、今までお付き合いしてきたひとなり、見てきたひとを、テキストという形で書き残したい」というものです。今暴露しますが。
どうやら自分は、なんかを考える際に、文章に落としこんで、アウトプットして、字面にしてみないと、ろくすっぽ何ごとも考えることができない残念な頭をしているようなのです。よって、誰かとの想い出も、こうやって文章化さしてみないと、自分のなかで明確な答えを出せない……というか、明確な心象風景なり、イメージなり、「大切な思い出のかたち」として具現化できない。
おそらく、それとかなり異なるところにあるのが、べるんさんなのかな、と思うのです。とくに、氏の感想文、読解テキストを読んで――最近とみに――そう思うのです。べるんさんは、ぼくのように字面にしなくても、明確にご自分のなかにイメージ、心象映像を持っておられるように、思えてならない。
べるんさんのスタイルは、とにかく「自分の読解をする!」ということです。それも、外部情報を排した、「どこまでも自分自身の読解をする!」という。それをメソッド化さす……その過程すら、ひとつのブログスタイルとさせて。
そのスタイルは、残響がこれまで書いてきた音楽なり、エロゲなりのレビューとは、違うものでした。ぼくは作品を、外部情報をかなり用いながら、それでも対象の本質に迫ろう、というものでした。ゲームで例えれば、デバフ攻撃(状態異常・弱体化攻撃)を用いながら本質を描こう、というもの。
対し、べるんさんはゲームで例えれば「たたかう(物理)」一辺倒で臨まれる、というか……とにかく愚直なまでに、「自分vs物語」のスタイルを崩さない。
●今、あの日々を思う
自分は有る時期、べるんさんと……競うようにして、といったら変かな。まあとりあえずはそうとしかいえない(自分サイドでは)。「クンフー」というメソッドでもって、物語と自分とを対峙させ、何らかの糧を得ていくことを思索しあってました。
クンフー論。それは手段を目的化し「楽しむ」を追求すること(13488文字) - 猫箱ただひとつ
そこで……べるんさんや、他のひとからも「なんでそんな自分を追い詰めるようなまねをして、物語に接するのか、残響は?」と疑問を抱かれたことを、今更のように思い出します。
当時はそうとは思ってなかったのですが、今考えてみれば、自分はなんか批評をする際において、「切羽詰っていた」ようです。べるんさんは、あくまでこのクンフーという考えを、「より自分の生をたのしむため」と設定しておられたのに対し。
結局自分は、最初に書いたように、「この世に生きているうちになんらかのことをしたい」という願望……というか妄執ですね。これでもって生きていた。今もそうです。
その「クンフー」が正しいかどうかは、今もって、まだわかっていない……こうやって切羽詰って生きるのが正しいのか、さえ。
でも……最近、自分が書いたレビューがあるんです。Favorite「星空のメモリア」についてのものなのですが。
これの後半部分の「ver2.0」なんですが。これが思ったより、今まで自分が書いてきた「外部情報をかなり駆使して作品を読み解く」よりは、べるんさん式の「作品そのものだけを読んで読解する」に近くなっていることに、自分で驚いているのです。プラス、自分の「切羽詰り度」を、ある「別の形」に出来たかな、と。
いや、べるんさんのメソッドが、あまねくエロゲーマーすべてが辿りつくメソッドだ、というファシズムめいたことをいうつもりはありません。ただ、どこかで――最近はかつてのように語りあうこともなくなってしまいましたが――べるんさんのスタイルは、自分に影響を及ぼしていたのだな、とふと思ったのです。
(パクったわけじゃないっすよ。無自覚に……この「無自覚」というとこに力点を置いているので)
●ひとを語るとかいっておきながら、自分語りなのだけど
まあこのエロゲーマー諸子百家は、結構自分語りが多いというか。残響の。だから完璧な伝記じゃないですし、そもそも自分がエロゲーマー史家たろうともしていません。自分の思い出を書きたい、というか。
今思うに……べるんさんは、今日もブログを精力的に書かれていて、その意見には賛同するときもあれば、到底賛同できないときもあり(そのときにちょっとぼくはイチャモンのような何かを言った)。ただ、とにかくべるんさんは書き続けられた。
その「書き続けた」ということは、やはりすごいな、と思うのです。とにかく昨日も今日も明日も、エロゲやアニメに向き合ってこられた。その結果があの膨大なテキスト群であり……思索の数々であり……。
他者のこころを何らかの形で動かす「熱源」が確かにある方だと思うのです。そしてそのテキストの熱源は、意外な形でぼくに影響を及ぼしていた。そういうことを今思うに、テキストというか、ひとの書くものというか……それって不思議なものだなぁ、って思うのです。
……いや、不思議でもないか。テキストを読んで「そのとき心が動いた」……それはバタフライ効果めいて、「先の自分の心も動かす」のでしょうから。
毎回シバリの字数が尽きたので、これはここまでで。
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