残響の足りない部屋

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エロゲーマー諸子百家(15)OYOYOさん

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ブログ:よい子わるい子ふつうの子2(仮)

twitterアカウント:@Oyoyoiko

えろすけ出没度:定期的

OYOYOさんのサマリー ErogameScape-エロゲー批評空間-

※エロゲーマー諸子百家シリーズについてはこちらをどうぞ

 

【傾向】確定的な理知の瞳が見るものは、不確定な意志の輝き

 

OYOYO(御夜宵子)さんのレビューはとてもわかりやすく、理知の輝きに照らされています。それはレビューの形式が順序立てられていて、またポイントを詳しく整理してお書きになられているため、読んでいて「論理の深い森」に入っていくことはあっても、「迷う」ことはない。この点……というか、基本的にレビュアーの方々は、この「順序立てて説明する」能力をもっておられますが、OYOYOさんはとりわけそれが明確に現れているため、この点がまずもって最初に確認されるわけです。

(そう、その「分かりやすく順序立てる」のの対極にあるのが残響のレビューでして。なにせ自分自身、「書くまで何を考えているのかわからない」という極道アドリブぶりをかますもので<簡単にいえばバカ)

じゃあ、OYOYOさんは冷徹にエロゲを分析し、「これはこうでこう、はい次」とする客観派、かというと……それは全然違うことは、OYOYOさんのレビューを一度読んだことのあるひとはおわかりかと思います。

OYOYOさんの理知は基本的に、「エロゲ登場人物に深く寄り添う」「エロゲのテーマに深く寄り添う」ための基本的態度であり、深く寄り添う、からこそ、それをレビューの形にするからには、まずもってわかりやすく論理的に、順序だてて論述していかれるのだと思います。

というか、わかりやすく順序だてて論じないことには、対象とするものの「不確定さ」が、充分に文章に表れないから、とすら思われているかのようで。論述方法における、ある種の潔癖な態度……それが、OYOYOさんの文章から見えます。

 

まわりくどい書き方しますね。ええい、もう結論を申します。

OYOYOさんは、作品に表れる、人間の不確定な何か、を追っておられる

 

まず、OYOYOさんのレビューの中でも、残響が傑作、と思っている二編、その中に、まるで別々のところから、同じことを照射しているかのごとき表現があったので、抜き出します。

 

恋愛というのは、代替不可能な《この私》の幸せを求める行為のはずだ。

OYOYOさんの「Hyper→Highspeed→Genius」の感想

 

 

では、本当に譲れない想いって、どんなものなのか。私は春希たちの物語のなかに、その理想型の一つをみたように思うのです。

OYOYOさんの「WHITE ALBUM2 ~closing chapter~」の感想

 OYOYOさんが求めている(と残響が勝手に思っている)のは、作品の冷徹な分析、分解ではない……それを言ったら、OYOYOさんのレビューには、いくつも「分析してないですませているとこ」が結構見受けられるからです。それはOYOYOさんが、おそらく「ここは本質でないからいいだろう」と見切っておられるところ。そこのあたりのバッサリ感は、OYOYOさんのレビューの持ち味です。分かりやすく叙述するがゆえに、いらないところはざっくり切る。

では、そこまでして、何を叙述する? 上に上げた「恋愛がなんで恋愛なのか」「譲れない思いの具体例とは」といった、とても……ひとことではいえない、不確定なもの。揺れて揺れてしょうがないもの。ひとつの叙述だけでは、決してたどり着けないもの……そんな不確定なsomethingを追い求めて、なんとか叙述しようとする旅。それが、レビュアー/文章家としてのOYOYOさんの姿ではないか、と残響は勝手に思っているのです。

 

補助線を引くとすれば。

OYOYOさんは、この界隈でもすごく珍しく、「ブログを毎日更新される方」であります。自分もよく読んでるのですが、「よい子わるい子ふつうの子(仮)2」、そこで毎日書かれる、たのしいオタクライフであったり(毎回の秋葉原レポート、ちょうたのしい)、鋭いオピニオン記事であったり。単に「オタクブログ」の枠にとどまらない、柔軟で様々な切り口を「毎日」書かれる、という所作に、わたくしいつも敬服しております。

んで、なんでこれが上記結論の補助線か、というと……OYOYOさんって、文章家がそうであるように、「文章に憑かれた方」だ、と思うのです。とにかく文章でもって叙述して、自分の思考を確かめて、さらに文章を書かれる旅をする、という。様々な観点から、いろんな文章でもって検証し、パラフレーズし、物事の本質を確かめる。

ときたま思うのが、OYOYOさんって、様々な叙述でもって、ひとつの目指すものが何であるか、をパラフレーズしているひとなんじゃないか、って思うのです。

もちろん、すべてのレビュアー/文章家は、己の欲望、エゴ、譲れないもの、を軸にして、作品と対峙し、レビューします。

ただ、OYOYOさんのように、何度も何度も、岩を穿つようにして、叙述・論述のパラフレーズを通して、物事の本質にたどり着こう、としている方は、少ない。

というより……いつもサラっと文章を書かれていますが、すごいバイタリティのあるかたですよ。えろすけ、ブログ、それから同人誌「E-LOGOS」執筆……「毎日」続ける、ということがいかに困難か。それは「毎日続けることが出来ない痴愚」たるこの残響が一番身に染みています。

 

(事実誤認、記事取り下げなどありましたら残響まで)

(あと、この「エロゲーマー諸子百家」シリーズですが、あと数回で終わりにします。なんかあったとか、他意はありません)