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残響の足りない部屋

同人DTMとか模型庭園とかエロゲとかの日記

説明するな!表現しろ(twitter小説創作論)

今おれいい事いいましたね。この記事タイトルですが。(自画自賛)

(この文章は、twitter小説のやりかたに関して、思考をダダ漏れさしてる、創作論メモです)

 

twitter小説やってますが、悩み

最新情報 - レッズ・エララ神話体系;8TR戦線行進曲

(自分の創作活動の公式HP。自分で更新してます。最近は作曲のことが多い)

 

twitter.com

(これがtwitter小説アカウント)

 

いや、twitter小説こつこつ続けてるんですが、どうも自分では、最近のトゥイート(ネイティヴ発音)のひとつひとつが、キレがないうえに、つまらない。
もち、プロット自体にも問題があるとは思うのですが、この1ツイートあたりの、自分のなかでのキレのなさが、結果的にtwitter小説に対するやる気モチベってもんを、いつの間にか削いでやしないか。

 

●自分がtwitter小説やるようになった理由(簡易版)

 

ああ、そうそう、twitter小説なんでやってるのかって話からしますか
自分は結構長い間、小説を新人賞に投稿していて、そんでそれが芽がでず、ちうのが続き。
じゃあ「小説家になろう」というweb小説投稿サイトにアップしてみよう、として、これも結構長く続いたのですが、一個も反応がこない。これもアカン。
まあなろうに関しては、まだ続けてはいますが、どうにもモチベは下がりますね。これだけ反応ないと。
で、なろうでやってて、何が悪かったか、というと……自分の長文癖が、「創作量」を増やす方向に、結果的にうまくいってなかったのかな、と。

これわかりにくいですね。説明します。
ようは、長文を書くことに……長文で物語を紡ぐことに、毎回疲れてしまってたのです。1回だいたい2000文字の回を書くのに、毎回ヒーコラいってた状況。おい、それって小説書くの向いてないんじゃない? うーんそうかも。でも、文字でしか、文章でしか表現できないことってあるし……

そこで、ブレイクしたてのニンジャスレイヤー、そして当時カルト的人気を博している(いまも)ファイナルファンタジーSですよ。これらに影響をうけて、「よしっ、短文をおもに連発して更新していくスタイルだったら、やれるんじゃないか?」と思ってのことです。

短文……twitterって、なんか自分、ガリガリ放言を書けるんですよ。苦じゃなく。結果、ブログ記事よりもーっと量の多い文章を書けちゃったりするしw

それを小説/物語にあてはめてみればどうか、と思ってやったのが、「twitter小説」……自分はこれを「twitter詩”小説」ってよんでますね、自分の場合だったら

なんでかっていうと、twitter小説の場合、文章の圧縮っていうのが大事だから。
twitterは140文字。それは、文章のそぎ落としがマスト。圧縮するしかない。けど、その圧縮から忍殺語が生まれたのです。FFS文体(エレム文体)が生まれたのです。

……そう、文章、文体の圧縮の個性こそがtwitter小説の醍醐味。じゃ、自分は何を参考に? でも忍殺もFFSも「すでにある」。自分のオリジナリティを確立するには……
そこで目をつけたのが、「」でした。

ぼくは詩が好きで。小説よりもがりがりにこっちを読んでた時期もあり、詩を詠んでた時期もあり。当時はこっちはサブジャンルと思ってましたが、(小説にくらべて)、こと今twitterをやるにあたっては、通常文体の小説に範を求めるよりも、言語研ぎ澄ましの詩に求めたほうがいいんじゃないかって話。

で、ここまでで「なんでtwitterで小説?」については答えましたから、本題。
説明する」と「表現する」のちがい。創作において。

 

「説明」と「表現」

 

どうも、ぼくのこれまでのtwitter小説(詩小説)は、詩、と銘打っているわりには、説明がおおい、散文的なものだったようす。
だからキレがない。既存の小説と同じような文体をしている。

でも文体をキレキレにさす、というのはアンバイが難しいもので。これまでの散文を崩すイキオイが求められながらも、「意味がギリわかる」程度にしなくては、小説の地の文としての効果がない。意味がない。でも、わかりやすすぎたりしたら、今度は詩としてのミリキがない……

これがムズい。でも、基本精神は、やはり「説明するな!」だろうな、と。
説明と、表現はちがう。
真の力量ある作家だったら、説明もまたたのしいものにするもんです。まあ自分には、そこまでの技量がない……これにはふたつあって、

 

1)自分には論理的に説明する能力が欠けている。だからおもろい論理構成でもって語れない
2)自分には論理的にしゃべろうとすると、ただの「理屈っぽさ」になる。わかりやすさがない

 

っていうのが。
「だから」説明、よりも表現、にいこう!とするのも、間違ってる感はありますけど。だってそれって逃げっぽいですし。

ええとね、つまり、イチから10まで、ただ説明するだけの文章/創作にするな、ってことです。
それよりは、説明するのも、「ただの説明」に終わらせるんじゃなくて、「わかりやすくも、魅力的な説明」に昇華さすこと……それが「表現」です。

 

また、説明、の害をいうと、どうも俺ら創作者って「脳内のぜんぶを説明したがる」ってフシがあって。
でも、そのすべてを説明してしまうと、いつまでたっても物語がさきに進まず、描写がトゥーマッチ。
おれらの頭んなかには、町の電柱の線が何本、 まで写ってるんですが、読者はそういうの興味ないしなぁ。
だから、省略する必要がある。
これを、ストーリー作劇にまで適応させた考えを、自分まえにしてるのですが、、まあそれはリンクはっておきます

modernclothes24music.hatenablog.com

そう、おそらく「表現」、の神髄は、文字表現も「魅力ある省略」をすること。ストーリーも「全部描かずに、読者の妄想をかき立てるようなストーリー省略をすること」であります。
イチャラブを例にとっても、だいたい俺らは妄想するときって「本文中に描かれてないこと」を想像しますが、それは「本文中に描かれてること」にもとづいた想像ですしね。それだけ「本文」を愛しながらも、同時に「本文中に描かれていないこと」の余白をも、無意識で愛しているのかもしれません。
あまり描きすぎては……いけない。のかも。
この表現論/圧縮論は、まだ続くと想うけど、でもまずは実作していかないと……

 

既存の詩作メソッドを参考に

 

で、詩をどのように「詩小説」としてコンバートしていくか、ということ。

まず自分はレイモンド・カーヴァーの、村上春樹が表したように「あなたの詩は拡大してけば小説のようになって、小説を縮小していけば詩のようになる」……小説を圧縮した形めいた、リアリズム詩」の「形式だけ」を用いて、物語を展開してこうとしてます。

でも、これがなかなかできない。
それも、自分はどうも長年の習性で、「散文的に語る」のを、物語においてはしてしまっている。そのやり方は、自分がやったら魅力ないのに……

詩というのは、基本単発で、「わかりにくい」もんだから、詩です。
……あ、この前提がいけないのかな。詩においても、詩というフォーマット上でのわかりやすさ、ってのあるし。
それに、twitterの1ツイートは、単発であるから、詩の単発性=一個の詩の強度、と同じでもあるな。

こーやっていつもグダグダ悩んでます。だからなかなか、最近はtwitter詩小説がすすまなかった。でも……いま、「説明」を脱することを考えてます。そして省略。それが、詩/小説作家としてのぼくの道なのかもしれません。

それに、このような詩的メソッド、詩作メソッドをつきつめるのって、自分にとって「ラク」なんですね。
無理して向いてないものを努力するより、「ラク」なほうを、それも……好き、であって、ラク、なもの、を努力するほうが、明らかにイイですからね。

というわけで、きょうはまずここまで思考したところで、あけましておめでとうございます。この文章自体が、散文的(しかも説明努力を放棄してる思考のダダ漏れ文)というひどいオチですが。