残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

ネットコミュニケーション個人史

前々回と前回のつづき。

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とはいっても、今回は、以前の記事のような負のアウラだだもれ、ということもなく、淡々とネット個人歴史と、それにまつわるネットユース、ぷらす個人の意識の変遷を語っていきたいと思います。

 

時系列順に書いていったほうがいいと思うので、さくさくと。

 

ゼロ年代前夜

 

だいたいぼくがはじめてネットに検索打ち込んだワードっていったら、「カードキャプターさくら」についての情報でした。ああこの時点でいろいろとお里が知れるぞウィンドウズ98se。(なつい!)

しかもグーグルじゃなくて、トップページだったMSNで。その当時はYAHOOって名前は聞いたことはあっても、具体的に何をしてるとこか、っていったらワケワカメで「なんか新しそうなことしてる!」っていうのでしたな。

ああそうそう、CCさくらの検索結果でしたが、何をトチ狂ったか、MSN検索は「CCさくら女装コスプレページ」をたたき出しましてな。うおーいこれはいったい何なんだ、目の前のディスプレイから映し出されるは、CCさくらのオッサン女装。そこから、「ネットってやつは、どうも現実世界とイコールじゃないっぽい」というのは肌身で覚えたというか。あるいは「リアルの奇妙な乱反射がネットなのだ」というふうに覚えたというか。

 

というか。

そもそもネット=電脳空間、というのが、パラダイスで平和でユートピア、というもんじゃない、っていうふうに思っていたのは、大清水さちの「ツインシグナル」という漫画ででしょうな。

ネットにはアングラもありーの、カオスもありーの、といったものだ、ちう固定観念がありまして。

 

そういういろいろを経て、ネットに対する固定観念は、わりとはじめに出来上がって……たちの悪いことに、それが対して間違った固定観念でもなかった。とりわけゼロ年代前期までの「ねちっと、じっとりしたネット」では。

 

テキストサイト

 

まあ侍魂とか。

考えたら、この侍魂でも、エロゲについて語られていたんですな……。それだけ当時のネットでは、エロゲが「共通テキスト」になっていた、というか。まあそれも葉鍵ゲー限定かもしれませんが。

今考えたら、大体の個人サイト所有者は、エロゲをやっていたと思うのですが、「ものすごく手を広げて」エロゲをやっていた、というのとはまた違う、というふうに思えます。葉鍵ゲーを中心として、萌えゲーだったりシナリオゲーだったり。というか、あからさまな萌えゲー、と、ドシリアスなシリアスゲー、というのが未分化だったというか。端的に例を述べれば、萌えゲーやってても、だいたいひとつか二つは、ルートで結構な鬱傾向にあるシナリオがあったり、とか。

当時は、もうエロゲも成熟していた、という認識……そうか、当時からもうあったのか、「エロゲ衰退議論」は……。まああったのですよ。そのなかで、自分にあったエロゲを皆探していましたね。

テキストサイトの話しから、一気にエロゲの話しになってってますが、この「自分で探していく」っていうのが、当時のテキストサイトの管理人たちの流儀でもあり、またユーザの流儀でもあったかと思うのです。今のように「なんとなくのアトモスフィア」が絶対的になってなくて、商業的なアレコレも……まああったけど、今ほど支配的ではなかったかと。

だからこそ、当時あれほどベンチャー企業的にぼこすこ新ブランドが出来てって、というか。

 

テキストサイト……テキストサイトとは、なんだったか。少なくとも、今のブログブームであるとか、ブログ飯であるとか、ブログマネタイズであるとか、とかはまったく違うものだったかと。

 

・だいたいわかってきたぞ

 

ぼくもぼくで、当時のネットが懐かしくてしょうがない、って類のひとみたいです。だからといって、今のネットで育んだ付き合いとかっていうのを、当時よりも低きにおく、ってことは絶対思ってませんが。(そう見られてしまったら、それは誤解です)

というか、当時のことをこれほど思っているのは、ひとつには「当時からの付き合い(10年近い)のあるサイト管理人さんがいる」からで。同じ境遇を記憶しているひとがいて、そのひとが今もネットで息をしている、ということは……ある意味で「自分のネット史」を知ってる、というか。自分もそこにいたんだよ、ってことの証、というか。変な話ですね。

たしかパスカルがいってたのかな、「モンテーニュの時代では、世の中にどんな本があって、どんな学問ジャンルがあるのか、ほとんど把握できてたけど、今はそんなことはとーてい無理!」っていうのは。

パスカルの時代からより、よりとんでもなく時代を経ている我々にとっては、じゃあ今ってどーなのよって話でw

でも、今のネットユースを考えて……「これはネットのなかにある情報だな」「これはネットの外にある情報だな」って、区分けて考えることって、ぼく、もう出来なくなりました。なんかネタを振られても、ネットをしっかり検索すればだいたいは出てくるでしょうし、それでも骨子の部分はネットには改ざんして書かれているでしょうし……くらいのことしか言えなくなってしまいました。

昔のネットユースでは、どこか「全能感」みたいなものがあって、広大なネットフィールド、といえども、その「最果て」というか「だいたいの国土」みたいなものを皆把握していたと思うのです。その中心が2chだったり、有名テキストサイトだったり、で、案外全体国土ってもんは狭かった。もちろん、最深部というとこは今も昔もあって、その深さたるやとんでもないものですが、その「最果て」の深さは皆「全部」を知ってるわけではないものの、「最果て」があることは知っていたり、とか。

というか、「最果て」がすぐ自分たちの裏っかわにあった!的な発見もまた、当時のネットユース的なものだったかもしれません。まあその原理は今も変わらないわけで、ネットまとめサイトが「【速報】ネットの片隅でこんなサイト発見wwwwww」系の「最果て」サイトのこつこつした更新を、一気にあざ笑う、みたいなパターンは今もあるわけで。

ただ、その「最果て」を「今から生み出そう!」という気概はすごくすくなくなったかなぁと。見出すのもね。

 

・ああそうか、なんでこういうネットユースを語りだしたのか、ぼくは。その理由

 

自分は自分なりに「最果て」に対する憧れがあったのですな。

最果てサイトの管理人は、とくべつな人ではありますが、同時に「自分たちと地続き」の人間でもありました。だからこそネットをやってる、という論法で。

10年続ける、ということは、言葉では簡単ですが、やるのは至難のわざ、ということをこの歳になってしみじみ思うわけで。

じゃあいまからしろよ!の言葉はまったくそう、で。しかし……今から身体とネットの組成を組みなおす、というのもまた難しく。

 

twitter以後

 

twitterで語るひとが増えて、そっちのほうが主流になってって。というと、個人サイトとか、コメ欄とかで議論する、って方向が減っていって。

それを嘆いているのかな、ぼくは。そういうふうな「嘆きの物言い」をぼくは否定していたけど。そもそもサイトコメ欄における長文やりとり、ってもんが「最善手」ではないからこそ、twitterが出てきているわけだし。

それでも、どうしようもないほど、かつての長文やり取りが懐かしくなってしまうのは、なぜかな。

そのときは、「俺vs管理人」っていう、ある種の錯覚があったのかな。でも、これを錯覚と呼びたくはなくて。……これは錯覚ではないだろう!

もちろん、twitterで、「俺vsフォロワー」の関係性でもって、お互いの文脈を戦わせることもあります(それはバトル、というよりは、やはり「議論」でしょう)。ただこれも、だいたいの場合が「袖触れ合うも一期の縁」みたいな感じで、刹那といえば刹那。でも……考えれば、長文コミュにしても、同じく刹那、でありましたよね。

 

そうか、またわかってきた。ようは、ぼくは弱くなったのだ。自分がオタとして屹立した観念をもって、意見をもって、「俺はここにいるんだ!」ということを、あの当時は発していた。それが、SNSでもって「まあ、みんな、ここにいるんじゃね?」って感覚が普及して、前みたいに「この一期一会の関係性だけど、俺のオタクとしての意見を、この際だからぶつけさせてもらうぜ!」っていう刹那の暴力にも似た、長文コミュは、薄まって、薄まって、というものかもしれない。

 

まあSNSというのが、そういうふうに「コミュニケーションを薄めて(馴れ合い化さして)、偏在化さす」……いつでも、どこでも!というふうな方向性のものなのだろうから、この「長文議論コミュ」っていうのが、時代の仇花としてパッと咲いて散った、っていうことなのかも。

 

でもなぁ。

やっぱり、自分の場ってものは、そっちにあった、と思うのが、ぼくなのですよ。だから、こんなに3回もブログ記事をこしらえて、当時を懐かしがったり、当時のひとたちから嫌われることを恐れたりしている。