残響の足りない部屋

「ホームページオブ百合機械」の別館日記ブログ

ヴィジョンと努力・勉強ーー創作における楽しさと苦しさ(日記5日目)

●これで5日め


三日坊主はなんとか回避できたけど、早くもネタ切れに近いです。いや、自己紹介の「ジャズ、ロックの他の音楽趣味」とか、「エロゲ、百合ゲーの趣味」とかって書いていくことはあるんですが、毎回自己紹介っていうのも。
 それに、今これを投稿してる時間もそうなんですが、ちょっと最近忙しくて、なんかをしよう、とするのが23時を超えてから、っていう。よくないですね。 無理に日記をするのもまた「違うな」とは思うのですが、ちょっとは自分にルールでも定めないと、なんかこのままずーっと「本格的に何もしない」まま終わっていくような気分がする。そんな予感だけでこの日記を書いてます。

 

●人生の意味を「楽しさ」と定めて以降の、創作におけるヴィジョンと努力・勉強についての考察
 

  他人にとっての意味とか、人間一般にとっての意味はしらん。ただ自分にとっての意味を定めるなら、「楽しむ」ことかなぁと。「今を楽しむ」と表現すると、それなりに近くはあるのですが、でもやっぱり違う。

 それっていうのは、「今を楽しむonly、だけじゃダメだろう」の理由は、「今をちょっと我慢して努力することによって、この先においてやってくる満足度の高く深い【楽しみ】がくるかもしんない」っていうのがあって。
 ただ、「今をちょっと我慢して努力」するそれそのものに価値があるか、っていったらこれもわからない。「今をちょっと我慢して努力」するってことがまた微妙なる楽しみになってる場合もあって。そしてその「日々の微妙なる楽しい」努力の果てに「満足度の高く深い楽しみ」がくる、ってなったら最高だと思いますが。

 

 抽象的なので例を出すと、絵を描くことについてです。
 例えば、自分の中に「うわっ、すげえ良い崇高ななんかのヴィジョンが生まれた!」って発見があったとします。(この「発見」に至るまでがすんげえ苦しいっていうのもありますが、今は割愛。後述はします)
 それで、それを表現するために筆をとりますが、自分の技量の少なさによって、上手く描けねえ。そんな状況があったとします。

 ここで、
(A)絵の勉強・努力をするのが楽しい
人と、
(B)絵の勉強・努力をするのが苦しい
傾向にある人と、で分かれます。

 

(A)勉強がたのしい人


 前者(A)「努力も勉強楽しいよ」の人にとっては、苦労するって認識もなく、黙々と絵の勉強をします。デッサンを毎日やったり、デジタル絵の導入をしたりスキルを学んだり。たぶんこれが「才能」ってやつなんでしょう。自ら発見したヴィジョンがあって幸せ、それを表現出来る技術を「楽しんで」会得する……この過程も幸せ。そんで、勉強の努力の結果、発達した技術でヴィジョンを形作れて最高に幸せ! ってことです。

 

(B)勉強が苦しい人

 一方、(B)「努力も勉強も苦しい」って人は、幾通りかのパターンに分かれます。

 

(パターンB-1)

……それでも苦しんで努力を続けて嫌々勉強をする人。それが結果、苦しんで得た技術によって、ヴィジョンを形作れる場合があるかもしんない。ないかもしんない。日頃の苦痛と苦悩を経て、ようやく「美」にたどり着けるパターンというか。
 ただ、この「日頃の苦痛と苦悩」がヴィジョンを遠ざけたり、歪めたりするのが曲者ですね。やっぱり苦痛や苦悩って「蝕み」ますから。己っていうものを。結果、ヴィジョンとはちょっと違ったモノが形作られてしまう。「労作」であることは認めるけども、それは結局テイのいい「努力賞」であって、本人が幻視したヴィジョンとは違う……これもまた、本人にとっては辛いです。

 

(パターンB-2)

 ……さらにまた別のパターンが「努力も勉強も苦しい」の人にはあります。「この表現形式は、自分にとって違うんじゃないか」っていう風に、絵から別のジャンル(表現手段)に移る人です。なにしろ、自分のやってる努力は苦しい。でもそれは向いてるものじゃないからなんではないか?と考える。そして、例えば音楽をしたり、小説に移ったりする。
 それが正しいのかどうかはわからない。これもケースバイケースで、

(α)その新しい勉強(音楽、小説)が楽しいかどうか 
と、
(β)その新しい勉強は、ヴィジョンを達成するものなのかどうか
っていうのが、この「ジャンル変え」の時点ではまだわからないからです。これも、ある程度やってみなくちゃわからない。

 

 とにかく「幸福なる天才」っていうのは、この「ヴィジョンが見えていて、勉強も楽しい!」って人です。もしそういう方が今これを読んでる方でいらしたら、本当大切にしていただきたいです、その天才ぶりを、幸福ぶりを……と言わずとも、もう幸福ばっかりなんですから、そういう人は。もう悩みもないでしょう。ハマってる(そう、これが「ハマる」です)その手段(勉強)と目的(ヴィジョン)に邁進するのみです。没頭というやつです。
 今、目的に向かって「辛いなぁ……」と思ってる方。今回の文章はそういう方に向けて書いています。
 あなたは、上で書いたパターンのうち、
(パターンB-1)でしょうか、それとも(パターンB-2)でしょうか。
 言い換えれば、今も苦しんで絵を描いてる方でしょうか、それとも絵をあきらめようとしてる方でしょうか。

 

●努力・勉強が楽しいひとの妬み

 この文章には答えはありません。わたしでさえ、今なお悩んでるとこですから。「そんなに苦しんでるんだったら他の手段(ジャンル行こうよ)」とは、時に的を得た忠告にもなりますが、冷や水にもなります。本人は往々、「俺にはこれしかない!」って思ってますから。
 そして、ジャンルを変わったけど、不安でいっぱいのひと。今まで得たスキルと時間と熱意を無駄にしたくない人。これも辛いですよね。何しろ、自分の周りは、すでにそのジャンル(音楽、小説)で長く努力を続けてきた人たちばっかりですから。

 

 ただ、ヴィジョンが見えてる、っていうのをここでは前提にしてきました。それって、ものすごく幸福なことなんですよ。
 なにしろ、「スキル(技術)はあっても、勉強が楽しくても、ヴィジョンが見えなくて、何に向かっていけばいいのかわからない、小器用な秀才
っていうのが、世の中には結構いて、「くそう……」と妬みながら日々を過ごしています。自分の得たスキルでもって、誰かに奉仕する形で生きていますが、やっぱりヴィジョンを得たい得たいと、妬んでいます。

誰を? 

 あなたのような「ヴィジョンを持ってるけど、まだ技術がない人」です。なにしろ、こういう小器用な秀才にとっては、ヴィジョンこそが遠くて仕方がないものなのですから。
 そういう意味では、「勉強や努力がたのしいよぅ!」の人だって、足下が怖くなる可能性だってあるのです。ヴィジョンが無くなったら、こういう「小器用な秀才」になってしまいますから。

 

 

 そうこう考えると、人生の意味っていうのは、ほとんど「ヴィジョンが見えてる」ということ……言い換えれば「自分の作りたいものの意味」をきちんと見定めている、ってことと、かなり近いのではないか? ほとんど近似で同じなのではないか? と仮説します。
 このヴィジョンっていうのは、持ってる人は持っていて、努力で誰もが100%手に入れられるか、っていったらそうでもありません。なにしろヴィジョンは「あなただけのもの」なんです。というか「あなた」そのものがヴィジョンの大いなる母胎、というか。お、なんだ「自分探し」っぽくなってきたぞイヤだなぁ。
 じゃあその「あなた」って何なのよ、って話ですが、これって頭で「おれって何?」をしても、案外たどり着かなくて。それよりも日々なんかを作っていたりして、その時々で「おれってこういうことに楽しみを見いだすんだな」とか「おれってこういうことが我慢ならないんだな」というのを「発見」していくもんですし。その繰り返しで、いつしかヴィジョンが見えたら……やっぱりそのヴィジョンを、後生大事にしてほしいと思うんですよ。ほとんどそのヴィジョンは、人生そのもの(あるいは象徴)に近いものなんですから。まとまってないですが、今日はここまで。

 

●メモ

・相も変わらず人間椅子ばっかり聞いてる。

www.youtube.com

・最近目が悪くなったなぁ、といってもまだ両目1.2はあると思うのですが、乱視が入ってるようで、ちょいボヤける。昔の視力2.0以上っていうのにはもう戻れないのか。乱視用の眼鏡をかけると楽っていうんだからなぁ。歳か。

・模型を作っています。毎日何かしらの手は動かすようにしています。現在作品を作っています。

・音楽表現(同人音楽活動)で、ヴォーカルを入れようと考えている。自分の。

・少しずつ絵を描き始めた、というか「線の引き方」を勉強するようになったというか。あまりにも「物の形を線で表現する。手で線を引くことによって」という技術が、自分の手にはない。この場合、手こそが脳なのだ

・つまり、本を読みすぎて「テキスト・オリエンテッド」な人間になっちまった、っていうこと。文章はこうやってガガガと書けるのに、線の一つも引けないというこれね。

・やっぱりあの「とりあえず物語の本(小説)をパラパラっと最後までめくって目で見てみること」→「次にもうちっと深くパラパラっと読んでみること」→「そこから熟読していく」という「CTRLスキップ読書」が一番自分に合ってるみたいで、よく本が読める。もちろんこれは「パラパラめくりをやって、それで【読破した!】」というあほではない。何度も読むことが重要というか、当然のことであって。これはまた日記で書こう。

・今日も3800字か

・上の「CTRL読書」は、映像認識の人間というか、デザイン表現ってものが血肉にしみ込んでる人間にとって意味のあるものだと思う。そこまで映像特化の人間でなかったら(どちらかといえば聴覚優位?)、やっぱり最初から一文字ずつ読んでいった方がよいのかもと思う。その区分っていうのは「高校のあたりで漫画を最低1000冊は読んでた、読めてた」類の人間かどうか、っていうあたりで分けられるのではないか?と思う。