●母艦本家サイト:ホームページオブ百合機械(HP百合機械)
この日記ブログ「残響の足りない部屋」は、あくまで本家サイト「ホームページオブ百合機械」の、日記用の別館ブログです。本体・本家は「HP百合機械」のほうです。
ただ、この「HP百合機械」ですが、最近更新をサボっているのが事実。今回はその理由を書いてみることにします。
そもそもHP百合機械は、わたしが「もうブログ飽きた……」というか。このブログ「足りない部屋」から、2015年だったかのHP百合機械開設当時、ブログ界隈には「マネタイズ」とか「サードブロガー」とか「承認欲求」とか、そういったことににまつわる煩わしさ……何か人の目と金の流れを気にする、個人的にテンションの萎える風潮がありました。たしか。
そんなんと無関係にやっていればいいじゃん?というのはもっともなんですが、当時の自分は疲れていたのか、「もうブログをいったん閉鎖して自分は引きこもろう」と思っていました。(その割にはTwitterを普通に使っていたところが矛盾ですね)
それからもっと深い理由としては、ブログというwebシステム自体の「自由度の低さ」というか「デザインを好きにいじれない」「記事単位でしか読まれない(記事筆者の総体的/相対的な思想が、過去ログ参照形式だと見えにくい)」というのに、なんだかちょっと自分の求めている「思考記述の器」の形として、違うんだよなぁ……と忸怩たる考えを抱いておりました。
昔……それこそ前世紀の、htmlタグ打ちで記述された「昔ながらのサイト」「テキストサイト」は、記事単位じゃなかったのですね。トップダウン方式というか、まず最初にTopページがあって、自己紹介ページがあって、そこから各カテゴリ別の記事に「降りていく」という構造になっていました。ああいう風に、「管理人さんの思考・思想が上から順番に並んでいる」っていう一覧性が好きだったのですね。愛していた。あるいは、そういうのが自然だ、と思っていました。
なので、自分もそういったサイトを作りたい、と思ったというのが、真なる理由。
●ところが、あんまりHP百合機械を更新しなかった
「書くこと」は決まっていました。「百合趣味」と「模型趣味(機械)」。自分という存在を表す二大キーワードでした。この二つならいくらでも書けるだろう、と思っていて。
ところが、あんまり書けない。
理想が大きい、というのもあります。何しろ百合趣味(文化)も、模型趣味(文化)も、その奥深さは相当なものがありますから(だからこそわたしは魅せられていますが)。
よいコンテンツを作りたい。デカいコンテンツを作りたい。その理想が大きくなってしまって、つい日々の中で後回しになって……あるいはTwitterにかまけてしまって。
しかしそれだけだったら「書きたいことが実はなかったんじゃないの?」と言われです。そしてそれはある程度当たっています。いますが……この「書きたいこと」というのは、ただ漫然とぼーっとしていて生まれるもの、というのでもない、と今のわたしは思っています。
●自分のHP/ブログを耕して、居心地の良い庭(場所)にすること
書きたいことが生まれるか否か、というのは、「書く場所(HP、ブログ)」が、今の自分にとってどれだけ「居心地の良い場所」であるか、で成否が決まってくる……と思っています。
虚空から生まれた単なる「書きたい欲」=「衝動」、というものよりも、すでに今ある「書く場所」が、自分にとって、どれだけ暖まっていて、居心地がよくて、耕されていて、いつまでもこの場所に居たいなぁ、と自己満足・自己本位で思えるか、がキモだと本気で思っています。
動機とか意思とかやる気の問題だけではない。むしろそっちをどーにかするよりも、今の「場所」をどれだけ居心地のよい場所にすることが出来るか。それが出来たら記事なんてどんどん書けていく、という考えです。そすれば動機・意志・やる気もどうにかなるだろうという楽観にして確信。
そういう意味では、HP百合機械は、まだ暖まっていず、居心地があんまり良くない「場所」です。自分にとってそうなのだから、他人(読み手)にとってもそうでしょう。まだ、今毎日更新しているこの日記ブログ「足りない部屋」の方が、まだ居心地が良いってもんです。ブログというシステムデザインをあんまり好ましく思って無くても。
この「居心地」っていうのは、一言でいうのが難しいです。仮に列挙すれば、
・過去から耕されていて、今も手を入れられている感覚。放置サイトじゃない感覚
・コンテンツが自分の好きなように配列されていて、自分はその配列を隅々まで記憶していて、さっと手を伸ばせることが出来る
・ひとつひとつのコンテンツに、自分の記憶がきちんと見える
・コンテンツそれぞれが持つユーモアが、トータルでサイト全体のユーモアとなっている
・場合によっては「あんまり面白くない記事」もあるかもしんないけど、サイト全体でトータルで見たら意味のあるコンテンツでもある
・時流に乗っかってばっかりのサイトではないけども、それでも最低限外部に「開かれている」サイト
・HPやブログのシステム・デザインが自分仕様にカスタマイズされていて、いつでも自分の好きなように調整がきく。
・そのようにシステム・デザインが調整されているからこそ、自分の自由な「思考の庭」として耕す感覚を持てる
……などなど。
こういう列挙した要素って、どうやったら自分のサイトに持てるの? と思ったら、しかしそれこそ一言で言い切れます。
「常に自分のサイトを更新し、自分の思考の庭としてのサイト(場所)に”居続ける”こと」
これのみですね。ようは、頻繁に更新しようぜ!って話です。それが出来ていなかったから、今のHP百合機械の現状はあります。逆に、ここのところ「毎日更新」のシバリを科していたこの「足りない部屋」が、いま、少しずつでも居心地がよくなってきた(と残響個人には思える)現状でもあります。それくらいは、この10日以上にもなった連続更新で、わかってきたところです。
意志が弱いとか、やる気がないとか、書くべきことが見当たらない……んじゃない。今、自分の居る場所、自分の思考の庭が、どれだけ居心地が良いか。居心地がよくなれば、自然と書きたくなるし、作りたくなる。
まるで、自分の工作室(アトリエ)が、自分の使いやすいように整理されていて、風通しがよくて、時折優しい光に満たされることがある……みたいに。発想は、そこから生まれる。おそらくどんなライフハックよりも、発想法よりも……と自分では、思っている。自分の環境(オウン・フィールド)こそ大事にするべきもの。
というか、自分がHPやブログで達成することっていったら、書籍化でもマネタイズでも承認欲求でもなくて、「いかに自分のサイトを居心地よくするか」ということに完全に尽きる、と思う。これが最初にして最後、最小にして最大の「サイトを運営していく意味」だと思う。自分はね。あくまで自分は。
でも、マネタイズをするひとだって、承認欲求を求めてる人だって、書籍化したい人だって、「サイトを訪れる人が何に価値を見いだすか」「リピートしたくなるサイトとは何か」って考えたら、この「雰囲気」にも限りなく似た「居心地」っていうのは、絶対無視出来ない、と思う。
そういう意味では、ブログ毎日更新、というのも、ある意味クンフー義務めいて見えるから「それってどうなの?」と批判や冷や水されるかもしれないけど、少なくとも「毎日、自分の思考の庭に居る」ということだけでも、意味は十二分にある。ありまくる。そこからいろんなものが生まれ出てくる。出てこないはずがない。この、居心地よくしていって、サイトを耕していけば、きっと絶対何かが生まれる! っていう感覚は、実際に手を動かして耕していくサイト管理人当事者でないと、わからないとことであると思う。Twitterアカウントオンリーじゃわからない。場所を作っていくとは……そう、あらゆる「作る」っていう行為は、そういうことだと思うのです。毎日こつこつとやっていくこと。
(なお、このあたりの「思考の庭」思想に関しては、森博嗣のこの本に影響を完全に受けています(Amazonリンク)
人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)
●メモ
・ガルパン最終章第1話、映画館まで行って、午前中で2回見ました。完全満足とはこのことである。
・あまりにサメさんチームの戦車(機体名はいちおうネタバレに配慮する。まあそのうちブッチするけど)のアレンジが格好良くて、タミヤの去年出たキットをその場で尼でポチってしまった。(なお、それが最後の一個だったらしく、購入後即座にプレミア価格になってた)
・思い出したよ、ガルパンっていうのは、「クオリティの高い、しかし本質的にはB級バカ戦車アニメ」だ、っていうことを
・キャラの魅力はいや増していく!出てきたキャラで魅力が増さなかったキャラがいたものか!
・そんなわけで、今日はエロゲに手をつけられませんでした。ガルパンの余韻はまだ残っていますし、近日中に届くそのキットにも早急に手をつけます。このキットの特集号のアーマーモデリングもちゃんと当時買っていたっちゅう
・HP百合機械の更新ですが、これからちゃんとやっていこうと思います。ここでこう書いちゃったんだからねw
・それから、オリジナル創作のほうのHPも。サイトマップも作らなきゃ……
・ブログは、最低でも今月終わりまで、1ヶ月毎日更新はしますよ。(それ以降はまだわからない)
・最近、ナユタン星人にハマっています。音源も買いました。