残響の足りない部屋

「ホームページオブ百合機械」の別館日記ブログ

暁け暮れ明星日記(全20回 第1回9/16分)

今日もPCやって目が痛い。ということで生存報告的な記事を書きますが、この「ということで」っていう接続語いるか?って話ですね。ああこうして余計な文章が出来ていく。
現時点でPCを40分くらいやってるので、あと活動限界5分くらいなので、がががーっと書きます。
 
Twitterをやっていないこと
 
主に最新のツイで書きましたが、まあSNS中毒ですね。これはいけない。このまま死んでしまってはいけない、そんな風な自分という人間はいけない。そんな風に死んでしまう自分が許せない。許せないっちゅーかなんかな。自分は猛烈に後悔&イヤな気分になるだろうな、って話。臨終のとき
 
また最近臨終のことばっかり考えていますが、もともと自分は35歳で死ぬと考えていました。自殺か衰弱かはともかく(比率としては自:弱=3:7かなぁと)、まぁ自分に与えられた所与の魂継続時間は35年くらいだろうな、と
それは自分の投薬とこれまでの病気によるダメージ蓄積がかなりスゴイので、肉体が虚弱になってってるということ。
それと、2008年から2012末冬-13年新年あたりまで、ほぼ1/2日の確率でずーっと「宇宙曼荼羅直結幻覚」を就寝時に見ていた、というのがあったからですね。あの宇宙曼荼羅はいかんよ。あれを受け続けたら、見続けたら、人生観変わるよ。死生観か。「もう【死の苦しみ】より強大な苦痛を、こんだけの期間受け続けた(しかも発生条件はダイス振る感じ)」というのが、自分の死生観を決定してしまって、そこから逆算して「自分の死の価値」「現世に存在している自分の価値」「現世でやりたいこと」を決定してって、その決定が「今何をすべきか」「今なにをして、後悔せん人生になりうるか」っていうことを考え続けてるのだと思う。実際に行動をやりまくってるのだと思う。だから、これもこれで、一応自分の人生を「ちゃんとたのしもう、やりたいことはやろう」っていう表れのポジなんだろうなと思う。
それが、こんだけ虚弱体質でも、一応「リアル行動」「創作活動」をやってってる理由ですね
 
で、まあSNS中毒なわけです。これはいけない。自分の人生で「猛烈にやりたいたのしみ」のなかに、Twitterというのはちょっと違うわけです。
だのに、ついやってしまう。これを中毒と言わずして。
ついツイをやると、ちょっとだけ何かを忘れることが出来るんですね。ちょっとだけ呟いて、それで何かをしたような気になる。
自分のやりたいことは、創作HP運営、オリジナル創作神話の構築だったろう……という
 
●文章下手だね
 
これはまた記事を改めて、日を改めて書きますが、自分えろすけ(批評空間)に投稿しといた「駄作」の感想を読み返したんですよ(そういうタイトルのグロゲーがあるのです)
ところどころで、「へー、おもろいことを書いてるな、あくまでfor me(おれにとって)な感じではあるが」とポジなことを想えて、あー「おれはへただへただ」の悔恨ばっかりでもないんだな、と思えたのは良いのですが、しかしあれだ。それとは別に、文章の構造力というか、論理的メッセジ伝達力が、あまりに希薄で。怪文書を並べ立てて口上カマしてるよなもんですから、あの文章。だから自分にとって意味はあるが、他の人にとってはなぁ
 
●しかしヘンリーダーガー
 
でもこの「他人を意識する」っていうのを、今排除したいがゆえに、SNSを遮断したのも事実。よってヘンリーダーガー的な創作ライフスタイルをどこかでロールモデル理想としてる自分もいる
 
※ヘンリーダーガー:ものすっごい量の妄想小説とその挿絵コラージュアートを描きまくったけど、どこにも誰にも発表せんだったから世間的には無名だった「非現実の王国で」という長大な妄想の作者。前世紀のアメリカのひと。
 
結局「オリジナル神話の構築」であって、それは他者が褒める認証する、っていうのが前提ではなく、それによって価値が決められるもんでもない。自分が構築する、自分が手で作るいままさにこの瞬間(と、構築物)こそが、自分にとっての価値なんだと。その価値だけでいいのだと。
というか価値っていう概念自体が、「他者」という存在をそもそも前提にしている。「うわおれ、いまめっちゃ気分ええわぁ、たのしいわぁ」だけで十分ではないかと。そこにおいて「他者」は前提的必要必須ではないのだし。
 
●PCやって目が痛い
 
そんなわけで5分。今日はTwitter小説の更新をやって、しかしTwitter小説を投げるだけで、纏めてはいません。
あ、この「Twitter小説更新」はSNSではないです。あのSNSっていうのは、「残響さん」としてなんか「わかってくれよぅ、自分の日常をよぅ」という感じで流すようなのです。この「Twitter小説更新」はどう考えても「路上ライヴパフォーマンス」です。「口上(ことばあそび)の文芸」を自分の創作の母胎のひとつとしているからには、このライヴパフォーマンスはやはり定期的にやっていきたい。そこに本質は、確実にあるし、Twitter小説をやってるってことは、ライヴで創作をしてることだから
(オフラインで創作をする価値はいささかも減じていない)
 
ただ、虚弱になったから、目は痛い。電磁波はくる。pcから。これがとてもつらい。だからPCは45分ワンセット、で休憩、っていうのが一連の流れ。
ここまで一気に書きました。
 
この日記は、生存報告と、自分(残響)がやってることの更新としてやっています