残響の足りない部屋

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明け暮れ明星日記「円形脱毛症の話」(第3回)

なりました。ちょうどつむじのあたり(頭頂)が、凄く頭髪が薄く……ほぼ肌色の頭皮が出ています。この間、一年ぶりに散髪に行った時に気づきました。

(頭髪に関してはデリケートな話題なので、「HAGE」という俗語は使いません)

この脱毛症で、自分は「円形脱毛症」という「頭髪状況」については、全く問題にしていません。要するに、頭髪の薄い濃い・長い短いのルックス的面については、本当に全く気にしていないのです。

しかし、「円形脱毛症に成るに至った、ここ最近のライフスタイル」に関しては、非常に問題視しています。

以下、そのあたりを備忘録&自分の整理のために、書き記してみます。

 

●ルックス面


この間、33歳になりました。自分はもともと、加齢については、そこまでネガな認識をしていません。なんてったって、自分のロールモデルが、人間椅子の和嶋慎治と鈴木研一なのですから。

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和嶋慎治(ギター

 

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鈴木研一(ベース

www.youtube.com


こういう風に歳をとっていって、「妖怪」みたいになれたらいいなぁ、と本気で思っています。

自分は、頭髪がある程度まで薄くなったら坊主にしよう、と、6~7年まえから決めています。鈴木の研ちゃんみたいに。というか、すでにこれまでに何回も坊主というか、頭をバリカンで剃ったことも何回もあります。

これはあくまで個人的な感覚ですが、「自分が、中途半端に薄い頭髪のままだったら、何だか未練たらしいから、さっさと坊主にしてしまおう」という考えのもとです。
もちろん、世の頭髪の薄い方々が中途半端なひとだとか、そういう話ではなく。個人の頭髪は個人のものですから。そこには哲学と迷いと決断があります。
ただ、あくまで「自分は、自分の頭髪に対して」そう思ってる、ってだけの話です。

だから、髪が薄くなること自体は、とくに問題とは思っていないのです。これが広がれば、坊主になればいい、というだけのこと。妖怪にまた一歩近づいたぜ!と。


問題は、頭髪が薄くなるに至った「リアル仕事の多忙によるストレスフル生活」「ライフスタイル・ライフサイクルのどん詰まり的ストレスフル」にあります。それは、妖怪として、すげぇカッチョ悪い。

 

●凡人の生活

 

異様に忙しい。リアル仕事が、忙しい。それに尽きます。この円形脱毛症の理由は。

なにしろ、家業が自営業なので、仕事とプライベートのメリハリなんてほぼないようなもの。ゆえに、際限なく細切れ仕事がプライベートに浸食してくる。当然、家事もしなくちゃならない。ウチの中で年齢的にも職業的にも一番下っ端なのが自分なので、各種の雑用が自分のところに降りかかる。しかし、上司(親様)の方も方で、マネジメントやら交渉やら経理やらの上司的仕事に追われてるわけですから、あっちもあっちで大変なんだ、ということが重々解る程度には、自分も家業に精通しております。

さらには、今ウチの家業は事業の方向性を転換しようとしていて、それ関連の事務作業が、この通常家業仕事に上乗せされます。ウチでPCを扱えるのが、ほぼ自分しか居ない。しかし自分は上司(親様)ほど各方面と交渉も出来ず、事業方向性の裁量決定権もないので、いろんなPC事務作業が「上司待ち」になります。もちろん、それゆえに楽といえば楽ですが。

また、ウチはほぼ毎日出荷がある、食品関連の仕事なので(ナマモノ製造業)、基本的に「一日フルに休める休日」というのが、ありません。正月の1日くらいかな……。
休日でも、出荷作業があります。

一番キツいのは、実は最後の「フルタイム休日がなし」なので、「連休という概念がない」=ちょっと小旅行やミニキャンプでリフレッシュ、ということすら出来ない。

そう、休めない。

合間時間でスマホをいじってるのも、いけない。もっとも、メールやSNSはほとんどしていなく、電子書籍やブログを見まくっています。
「お、読書家ですね」で済めばよかったのですが、最近はこれ、「本を読みまくってるとあほになる」と思うようにもなってきました。
合間時間で、何かこの現状を打開するようなライフハックな方策を探して、読書、読書、読書。
神経が休まりません。ある人にこう言われました。「常に何かを考えている状態」。
なるほど。休憩時間が休憩してない。

これは疲れるなぁ、と。ここまでを読んでても相当しんどいですね。

あと、常に自分は「自分は結構ラクな立場で、ニートとまではいわないけども、一般の社会人のひとに比べて、相当ラクをしている」と思っていたのですね。
世の中には、ブラック企業なところで、日々辛い思いをしてるひともいるのに……って。
また、長い間病気生活で、半分以上ニート生活をしていたので、動ける今、「ある程度は仕事しなくちゃなぁ」とも思っていて。

そんな状態を、ずっと続けていました。

そこに、この円形脱毛症です。
頭髪が薄くなったことそれ自体は問題じゃない。
「薄くなるに至った、今の仕事の日々が問題過ぎる」。

象徴ですね。この円形脱毛症は。
いわば、「プチ吐血」というか。吐血よりはだいぶ症状は軽すぎますが、それでも、それが表しているのは、「現在の仕事日常は、無理があって、問題である」という。
プチアラートを出している。
プチアラートがいま、ということは、この先もっと我慢して仕事の日々を過ごしていくと、遠からずツブれることは、言うまでもない。
さらには、自分がこれまで克服してきた各種神経・精神病理に、また立ち戻ってしまう。とすると、自分のこれまでの数年間の闘病生活が、無意味になってしまう。
これはいけない。

 

●どうすればいいのか

 

一番良いのは、「強制的に休む」ことですね。これも人から言われました。
「実家家業」なのがいけなく、まず家から離れないといけない。

さらには、自室のオタク図書館状態もいけない。
つい、活字を追っかけてしまう。何かのヒントを模索してしまう。

そして、スマホもいけない。電子書籍に罪はなく、そこに逃げ場書を追い求めてしまう自分がいけない。

結局これは「仕事(義務)」に疲れると同時に、「活字(意味)」に疲れる、という話でした。
義務、と、意味。
あーそりゃー疲れるなー、と。

仕事の意味はなんぞや?とか、自分の意味はなんぞや?
仕事をもっとうまくこなせるハックは?とか、休みの上手い使い方とは?とか、「意味」を調べまくってた。

義務を意味で解消しようとして、その意味をさらなる意味収集(読書・ネットによる情報収集)で解決しようとした。
義務と、意味。この二つしかなかった。

今こうしてテキストを打鍵してるのだって、これだって「意味」の話です。
やばい。活字依存もここまでくれば、あほの領域だ。愛嬌のないあほだ。

そういえば、ずいぶん「絵を描く」とか「ただ模型を作る」とか。
音楽にしても、工場作業のBGMとしてウォークマンをただ突っ込んではいましたが、じっくり「味わう」こともなかった。

「味わう」。
ただの行動、それそのものを、時間をかけて「味わう」。たのしむ。

余裕が完全にない、って話でした。
じゃあ余裕をどうやって生むか。
それは、テキスト打鍵からではないですよねー。

「じゃあどこから時間を捻出すればいいんだよー!」と、ウチの誰もがいいます。
やばい。
しかし、ふと気づきました。
「仕事のために日常や、休みがある」
のがこれまででしたが、これはない。
「日常のために、仕事がある」
こっちですよね。

調整すべきは仕事なんですよね。
あー(ぽっかり)
的な気づき度合いなんですが。
どうすればいいのか。「仕事」を前提にするんじゃなくて、「日常/休み」を前提にする。その意識転換こそをしなくてはならない。休みの最高率化を目指すんじゃなくて、仕事の最高率化でしょう。それすらも意識の内から度外視していた、っていうのは極まれりです。

 

●近視眼的

 

自分でも、そうなるんだなぁ、って思います。
それだけ、仕事をする社会人になったのか。病理から抜け出ることが出来たのか。それでも、こうやって極まってるだけ、なんか変だ。
ニートな自分が仕事www っていう、なんかおかしみはあるんですが。今はあの、ニートな日々のヒマさっていうのが、すごく懐かしい。

でも、円形脱毛症はないわ。
脱毛は別にいいですが、ストレスにこんだけ参ってる日常、ってのはあかん。
なにせ、それは「妖怪」ではない。そんな凡人な。
もっともっと、人間をやめよう。あ、ここで言う人間っていうのは、「仕事ストレスで狭く悩んでる、小さい奴」っていう意味です。そんなものに意味はない。

そう考えれば、まあこれは水木先生的な哲学ですが、鬼太郎の妖怪って、確実に「仕事ストレスで狭く悩んで」いない、ですよね。
尺度を、基準を、「仕事な日常」においていない。「個人の存在」に置いている。いや、違うな。「そいつがそいつであること」っていうことに置いている。個人、っていう近代概念とも又違うのだから。

あー個人がー、社会による搾取が-、ってなると、マルクス共産主義革命の方にいきますので、ここではここでやめます。はい。