残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

ナイスジョーク20210519

twitterの個人アカウント@modernclothes24を消してから(妄想世界レッズ・エララ神話体系の告知アカウント@RedsElrlaだけ残している)このかた、単発ジョークを書いて放流する場が無くなってしまったのが、個人的に悔やまれます。

かなり本気で悔やまれます。ソーシャルネットの騒がしい場は疲れますが、その一方でジョークが健全に放出されないのも疲れるなーと。

例えばさっき(日付が変わる前)思いついたの。

 

おおバイナリ あなたのホームはどこ

わたしの親指シフトは今

5月に販売 終了なのよ

Yahoo! Fortran run LAN

Yahoo Fortran run LAN

Yahoo Fortran run LAN

Yahoo for文

 


www.youtube.com

 

親指シフト」のあたりで、OASYS(オアシス)を暗喩しております。本歌の「きれいな泉のほとりなのよ」にうっすらメタフォリカルに対応しております。(解説)

 

くっだらねー。ほんとにくっだらないコンピュータジョークなんですが、こういうのが自分の頭の中からよく湧いてくるのです。意味もなく。

でもPCのメモリみたいに、どっかに書きつけてアウトプット(苦笑)しておかないと、すぐに揮発して消えてしまうんですね。こういうジョークは。

twitterはそういうジョークを放流する(ネット電脳世界の流転に任す)にはうってつけのツールでした。小文の打ち込みシステムも、場の雰囲気も。

やはり自分で「ジョークの場」を作っていかなければなりませんなー。CMSシステムを導入したりして。そのためだったらサーバにCGIプログラムをUPする。

これでこのブログ、本日3回目の更新なのですが、「ジョーク放流の場を構築していかないといけない」という話題の切迫さは、星野源新垣結衣結婚よりも遥かにレベルが高いのです。自分の中では。星野源新垣結衣の音楽に触れることが出来たことは非常に良い機会でしたが、もちろん。なので「時事ネタに日和ったな残響さん!」という指摘は、まーご心配なく。

自分の35年間の音楽人生は良い時代でありました。

さっき書いた前回の記事は、まさに現在進行形の音楽シーンのことでした。ところで、自らのこれまでの音楽人生を考えたとき、「自分の時代」は良かったのか……? とふと考えてしまいました。この場合の「自分の時代」、とは、1985年生まれ~2021年の今の、現35歳のクロニクルというわけです。

……うん……、良かった、んじゃないかな。良い時代だったし、今も面白い時代だと思います。自分の個人的な史観でちょっと箇条書きにしてみます。

●90年代

・生まれたのがギリギリ昭和(60年)。親が演歌&昭和歌謡愛好家だったので、ほぼ英才教育のようなもの(それが故に長く演歌・歌謡曲アレルギーにもなってましたが)

・幼少期に民謡を習っていた、という特殊事情。これは今にまで影響を及ぼしてるなぁ。自作曲のマイナー調リフや口上なんかモロにこれ。

・いわゆるJポップ黄金期。ビーイング系も小室プロデュースもつんくプロデュースも時代の音として聞いてた。その代わりつんくハロプロ時代からアイドルを嫌うようになり、AKB=秋元康プロデュースのアイドル歌謡の時点でアイドルを聞かなくなっていた

ファミコンゲームボーイスーファミプレイステーションの時代のゲーム音楽が基礎教養になっている

吹奏楽を部活でやった。音楽に罪はないが、この部活動というものが非常に自分にとって最悪であった。よく音楽自体を嫌いにならなかったと思う

・青春パンクムーブメントと、日本語ラップのオーバーグラウンド進出の時代でもあった。特に青春パンクは最悪の音楽であった。少なくともロック音楽を嫌いになりかけていた。

・ダンスミュージックでは、ユーロビートを経て、エピックトランスからプログレトランスの美メロシンセリフユーロ系が勃興期であった。円熟期のユーロビートや、初期のトランスシーンを眺めていられてよかったと思う。

・鍵ゲー、I've Sound、そして東方(後述)

●2000年代(ゼロ年代

グランジ/オルタナティヴロックの影響を受け、日本語ロックはイースタンユース、ブラッドサースティ・ブッチャーズ、ナンバーガールを皮切りに「轟音」「鋭角」「極々」のインディー荒武者バンドたちが鋭い音を放つ。自分がロックに入門したとき、ギリギリその時に居合わせることが出来た。

・そこからシューゲイザーに影響を受けた世代の音楽や、音響系、ポストロック・ムーヴメントも始まる。インディーロックやエレクトロニカの音世界。透徹した感情の音の原風景。良い時代だった。


www.youtube.com

・折しも時代はクラブジャズの展開期。ある意味で古典ジャズのレア・グルーヴdig再びとでも言おうか。その時期自分はまさに古典ジャズを聴きまくっていたので、クラブジャズは「横目に見ながら」ではあったが、でも「ジャズが現代に生きている!」という気持ちもあり、良い傾向だなとも思っていた。

・そことも絡んでいるのかな。レッチリ以降、グルーヴ重視の音がロック、ジャズ、シティファンク、ヒップホップ全体で追及されていった。2000年代以降のグルーヴ追及という側面を語るにおいて、JBやブラック・コンテンポラリーからの直接の影響と言うよりは、むしろその子世代……レッチリや、あるいはプリンスの再解釈的な方向、からの影響をまず考えたほうが良いように思う。簡単に言えばZazen Boysだし、RADWIMPSだって「おしゃかしゃま」ではレッチリの影響をモロに出してたでしょうな話。

●2010年代(テン年代

・自分がニコニコにようやく触れたのが2009年からなので、自分は相当遅い頃であったが、それでもボカロシーンに触れることが出来たのは良かったと思う。少なくとも、ボカロを無視する形で音楽を聴き続けることが無くて、自分にとっては良かったと思う。

・ボカロのギターロック系というか、個人的に思うのはカゲプロなんですが。物語音楽やメディアミックスという側面もある。それでもやっぱり、音で情景を描くっていうポストロック/エレクトロニカの美学がどっかで息づいているのに結構感じ入るところがあります。


www.youtube.com

 ・TK=凛として時雨を同時代で追い続けてきて良かったと思う。

スピッツが変わらずあの音を鳴らし続けていることが本当にうれしい。

・2010年に入ってメタルを聞き始めた。はじめはデスヴォイスが聞けなかったが、一度聞けるようになると、各段に音楽趣味の幅が広がった。そこからフォーク/ペイガンメタルに行ったり、あるいは昔のハードロックに遡ったり。そして人間椅子(バンド生活30周年)との邂逅。

テン年代で完全にジャズは復権したなーと思う。本当にうれしい。このころになると自分もクラブジャズを心底楽しめるようになる。古典ジャズの拘りから抜けたというか。

・後追いでVaporwaveにハマる。Lo-Fi HipHopの美学を知る。音楽の価値観がヌルっと変わる。

同人音楽を聴くようになり、同人音楽のシーンを知る。サンホラを聞く。同人ゴシック系を聞く。同人ジャズも同人エレクトロニカも聞く。そしてまさか自分が同人音楽サークルを演るようになるとは夢にも思わなかった。

・ボカロといえば、花譜やAdo以降、「ボカロ(機械合成音声)に学ぶ若手歌手」の存在が普通になったな、と常々思うようになりました。「ボカロに学ぶ」ことで自分の歌を作っていくという今のスタイルは、自分にとっては全然OKです。むしろ周囲の人たちが、才能ある若手を潰すなよと思います。具体的に言えばラジオやTVで「うっせぇわ」以外の曲も、もっとかけてやりなさいなと思う。「レディメイド」とか「ギラギラ」とかさぁ。ぐっと低音を活かしたジャズっぽいAdo氏の歌唱は聞きものだと思うのですが。

・ようやく最近になって日本語ラップを聞くようになる。フリースタイルダンジョン以降というか、ラップバトル以降というか。こちらまだ自分は初心者なので。

・八十八カ所巡礼を最近聞くなど。楽しい時代だ。


www.youtube.com

 

●それからの人生

ゼロ年代のところであえて書かなかったのは、このラストに書くためで。何よりも、自分は東方project=ZUN氏の音楽によって人生が変わりました。あいも変わらず20年前から今も東方曲を聞いています。

先日、虹龍洞をプレイしました。ああ、何も間違っていない、と思う。東方で人生が変わって、それからいろいろあって、自分でも世界観を構築し、創作をしてみて……そんな人生は、間違っていなかったと思う。


www.youtube.com

珍しいメジャー調のメロディです。しかし今の自分にはわかる。頭ん中に30年のジュークボックス音楽ライブラリを詰め込んだ自分には。この明るいサックス音源から、80年代ジャズフュージョンの影響を感じることが出来る。また、同時代のフォーク調のメロディも想像できる。牧歌的でありながら、泣き笑いのような「哀しみよさようなら」的な清々しさというか。

そんな曲「駒草咲くパーペチュアルスノー」を聞くと、なんだかこの20年を高速で思い返してしまう。自分なりにいろいろあったのだ、と思う。何度早々に終わらせようと思ったか知れない。けど、今なんとか生きている。なんでだ……?とも思ってしまう。なんで生き延びたんだ?何で生き延びることが可能だった?死んでいてもおかしくはないと今さらながら思う。偶然、たまたま、が大きな要因だろう。それでも結局、今こうして文章を打鍵している。

不思議だなぁ。多分、これからもいろいろあるのかな。前は35歳で死ぬと思っていたけど、35歳になっちゃってますよ。2~30年先ってあるのかなぁ自分に。そのことはわかんないや。まぁそれは良い。短くても別に良い。

ともかく、この35年で、音楽生活に限ってもいろんな事があったし、これからも生きていくのだとしたら、またいろんな事(音)が起こるのでしょう。そのこと自体は全然悪くないと思う。つまり、自分の(音楽の)「時代」は、悪いものではなかったですよ。

新垣結衣は本業声優でないし星野源はもうサケロックじゃない。あるいは現代シティポップの旗手

www3.nhk.or.jp

 

※記事投稿後、ブログコメント欄にシンガーとしての新垣結衣の情報提供を頂きました。その作曲陣が、クボケンジ(メレンゲ)、スネオヘアー安藤裕子つじあやの、ミト(クラムボン)、H ZETT Mくるり岸田、鳶谷好位置、會田茂一(アイゴン)などなどといった邦楽鬼面子だと知り、一気に新垣結衣氏というシンガーに興味が湧きました。これほどの面子の曲を歌うシンガーは只者ではないと推察します。自分はシンガーとしての新垣氏のことを全然知らなかったのです。手のひら返しを申し訳ないです。

 

↓以下本文

 

本日の夕食の秋刀魚ーSANMAーを焼いていたとき、国営放送NHKニュースより、このような芸能人の結婚報道がありました。

音楽方面の話はあとでするとして、まず、奥方さんの方ですが、このにいがきゆいさんって誰だっけ?と思ったものです。この夫婦の共通点として、TVドラマ「逃げ恥(略称)」がある、とニュースで語られていました。じゃあ女優さんかな、と思いました。ただ、頭のどこかで「もしかしてギャラクシーエンジェルミルフィーユの声優さんだったかなぁ……?」とも思いまして。


www.youtube.com

インターネット検索をしてみたところ、あ、「新谷良子さん」か!とようやくわかり、全然別人じゃないか、と。なるほど。では、にいがきゆいさんをウィキペディアで調べて……。

新垣結衣(あらがき・ゆい)……あらがきさんじゃないですか!その時点で完全に間違っていたという。あ、でも声優のお仕事はやってらしたんですね。劇場版ケロロデジモンクレヨンしんちゃん。じゃあ当たらずしも遠からずですね。ダメですか。ダメですね。ごめんなさい。

相変わらずの芸能オンチを繰り広げたところで、では旦那さんの星野源さん。今回の記事はこちらがメインです。

しかし自分は星野源さんのファンでもないのです。全然キャリアを追っていなくてね。それどころか未だに星野さんを「ああ、もとSAKEROCKでギターを弾いていた」という知識しかございません。このレスポンには地雷臭がぷんぷんしますね。爆弾、こっわーい!(そっちは同じ元サケロックでもハマケンの在日ファンクやないか!)


www.youtube.com

この令和3年、2021年の聖代になっても、ナイスなインストバンドSAKEROCKが云々、っていう文脈はさすがに有効だとは思ってはおりません。わたくし走っておるのが時代の最後尾でございます。

いちおうこの日記ブログ、メインを音楽与太話としています。それでも、いやそれだからこそ、「メインストリームの音楽にも目を配っておこう」とするのは当然のところ。

前にも書いたように、あまり意識しすぎるのも問題とは言え……

 

ジャンル時流に乗るのを切っちまうのと、これまで伸びまくったジャンル世界樹が今ますます爆発する34歳の話 - 残響の足りない部屋

 

しかし、音楽ブログを名乗る以上、実力のあるトップシンガーのヒットソングを無視するのも問題なわけです。そこで気づいたのですが、「自分、星野源は「恋」のサビくらいしか知らないわ……」という情けない事実。自分は何を聞いてきたのか。Vaporwaveやチップチューンばっかり聞いていてどうするというのか。芸能人の結婚話はどうでもよいのですが、さすがに「音楽チェック度、好奇心」が低下しているのはどうかと思う。そこでまずyoutube試聴です。


www.youtube.com


www.youtube.com

この2、3年ばかり、1980~90年代のシティポップの現代的再解釈な曲&作家が増えて、現代の代表的な潮流になったな、と思っておりました。Official髭男dismとか米津玄師とかずっと真夜中でいいのにとか。

そういう潮流はあるのはわかっていましたが、しかしそういえばどのタイミングが、変化の起点・旗手だったのかな、という観点をわたくしすっぽ抜かしておりました。「シーン概観」を基本的なアプローチとする自分にしては珍しい。今のところはシティポップ潮流のいろんな作家性・パターン解釈を見比べるのが面白くて。

しかし考えれば当然の話でした。星野源。奴がいた。現代シティポップ潮流のトップシンガーであり、そもそも前からこういう音を鳴らしていたのが星野源でした。盲点というにはあまりにオーバーグラウンドでメジャー。しかし、そこかー、そこだったかー、という。

別に「流行りものだから聞くもんか」、っていう考えではないのです。しかし「流行りものだから別に今はいいよね。多分良い曲なんでしょう」というサボり心があったのは事実です。

これはもったいないなぁ。前回の記事、XIIXのあたりで「現代R&B、アーバンコンテンポラリーの解釈」を自分は面白がって聞いている、と書きましたが、これこそシティポップ再解釈潮流という大河の源流そのものじゃないですか。

いつしか自分は「別にオリコン上位のメジャーミュージシャンは今すぐに聞かなくてもいいかな」と思うような音楽オタクになっていましたが、もったいない話でございました。「今すぐに」と書きましたが、じゃあいずれ「今(聞くべきタイミング)」って時はやってくるのか?いや来ないだろうな。以前流行った「いつやるの?今でしょ!」っていう箴言はかなり妥当性が高いと(自分は)思っております。

なるほど。なるほどなー。こういう事に気づけてよかった。まだまだ自分は未熟であります。もっと広い視点で音楽を聴かないといけない。

「ヒットしているから●●が薄められている」みたいな価値観は、ひとつの意見にしかすぎない。それはいわば「純粋音楽的【刺さり度】数直線レベル」で、0~100を計っているだけの価値観なのかもしれない。もっと複数の価値観で縦横無尽&3D立体的で視なくてはならない。ひとつの価値観に「鋭角的なロック」があるとして、もうひとつの価値観に「シティポップ」をぶっ刺すだけでも相当広がる。そこから過去の音楽に遡って「音楽数珠繋ぎ」をやってもいいし、さらに地下アングラに潜るのも良い。これは反省材料ですね。あるいは可能性が開けた。

そういうわけで、音楽のさらなる楽しみ方が開けてきたので、ここでようやくやっと星野源氏&新垣結衣さんの両氏の結婚を喜びたい気持ちが出てきました。おめでとうございます。とりあえずまず星野氏の曲を聴きまくります。

「いっちょ噛み」したい時代のなかで

sigh-xyz.hatenablog.com

 

すぐに自分も考えを書こうとしたんですが、ちょっと時間をおいて考えてみました。

記事の話題ですが、筆者・SIGHさんが書いていらっしゃるのは、ツイッターなどのSNSで良く見られるパターン……
「以前より●●(作品orブランド)のファンを表明していた人」が、その●●新作や続編の発売日以降になって、「あ、発売してたんだ」という発言をする奇妙さの本質についてです。

好きな作品のネタバレ回避ならともかく……という前提をおいた上で。
「自分が好きな作品の発売日くらい把握しているの普通では?」という当然の疑問から、「その人にとっては創作物というものは大した価値を持っていないのでは?」というSIGHさんの見立てです。

 

自分の話(ケーススタディ)でお話してみますね。
例えば、自分は音楽や書物の趣味において、非常に浮気性である自覚があります。
とりあえず、手元にある本やスマホやMP3プレイヤーの履歴で、今追っているのをざっと適当にアトランダムに挙げてみると、

UNISON SQUARE GARDENの「過去のライヴツアー/DVDの再現ツアー」に向けての復習(3rdと4thのアルバムあたり)、あ、それから武道館ライヴDVD買った
・ヨルシカのEP「創作」を経てのライヴ
・XIIXにおける斎藤宏介のソングライティング、特に現代R&B、アーバンコンテンポラリー的視点(=ユニゾン田淵の作曲では取り入れられなかった部分)
スピッツの新曲「紫の夜を越えて」
・上記現代R&Bやアーバンなサウンドの現代解釈としてのVA-11 HALL-Aの音楽
・こないだ出たZazen BoysとSoil&Pimp Sessionsのセッション
・Ariabl'eyeSの新譜とベスト盤(過去曲のリレコーディングがされているので音質面を重視して聞く)
・くいなちゃんのトランス曲メドレー
柴田元幸の英文精読教室の次回以降の配本
・アリアンロッドRPG2Eのルールブック(ルルブ)読み&リプレイ読み(こちらのが好き
・ドット絵の練習しないと。今年に入ってから「ピクセルアートではじめる背景の描き方」や「入門!ドット絵道場」など複数のドット絵本が出ているので
・ちょっと分厚い英語の辞書(3000ページ)を中古で超安く買いました。英語圏の固有名詞や専門語(名詞)が良く載っているのでいくらでもヒマが潰せる。「読書としての辞書」についてはまた記事を改めて……
・作曲ラノベ「作曲少女」シリーズをまた読んでいます。
・藤村シシン「古代ギリシャのリアル」を読んで改めて古代ギリシャ神話の概観を(変に)掴んだところで、古代ギリシャ神話を読む
清涼院流水の英語勉強本(「努力した分だけ魔法のように成果が出る~」&「50歳から~」&「三日坊主~」)を読んで「やっぱり語学は最終的には暗唱なんだよな、そこは黒田龍之助と同じ結論なんだな」と悟る
・百合4コマの必須栄養素「ふたりべや」
・今月ゆるキャンの原作、ComicFuzで連載休止してるんだよなー、でもあfろ氏の取材写真が載っています。キャンプ取材なら許さぬわけがあるまいよ。
TRPG雑誌・GMマガジンと、ゲームブック雑誌・ウォーロックが合体してGMウォーロックになった。「これまで通り」って感じで楽しく。ロール&ロールも今月号で200号ってめでたさ
・東方虹龍洞は発売日に買いました。そりゃこの紅魔郷以来の東方信者・残響さんの義務ってやつです。
・平野恵理子の料理本、山歩き本をよく読んでる。次は老後山荘本ですね。
ハクメイとミコチは何度でも読み返せるな
ゴブリンスレイヤーも何度でも読み返せるな。今月出るTRPGサプリはよ来い
・映画大好きポンポさんomnibus発売日に買って読んだ最高だった。
森博嗣氏の庭園鉄道本&ホームページをまた読んでる。
・はしゃ氏の旅日記漫画(フィリピンではしゃぐ、ニュージーランドではしゃぐ)
ヤマノススメも長くなりましたね。20巻を読み、ネットで最新話を読む
・鉱物漫画「瑠璃の宝石」面白いっすね
・今日もkindleゲームブック攻略(ドルアーガ三部作とか、「送り雛は瑠璃色の」とか)
結城浩氏の「再発見の発想法」で改めてコンピュータ技術の概観をする
・伊勢さんと志摩さん、同棲百合として最高やないか
・ときど氏の「世界一のプロゲーマーがやっている努力2.0」を読む。
ウメハラ氏の本をまたイチから読む
・『いま家で音楽を聴くこと コロナ時代の音盤選び』を読む

それから……えーとこれ以上書いてもな。トピックは最低でも3倍はあるのですが。こうしていろいろ楽しんではいます……が、ここに挙げたものは、今、一応自分が最新情報を追っていけてはいます。苦もなく。
それでも、ここに挙げ切らなかったトピックで、上記「一軍」ほどには現在追い切れていない「二軍」トピックもあります。自分で例えれば、ジャック・ホワイト(ex.ホワイト・ストライプス)の新作とか、キース・フリント死後以降のプロディジーの新作とか。
自分のなかで、この「二軍」にまで手を伸ばせない、っていうのは、情けなく思っているんです。未だに好きだ、って言えますもん。ジャック・ホワイトもプロディジーも。でも今、まさに聞いているのがUNISON SQUARE GARDENの武道館ライヴだったりします。

www.youtube.com

リボルバーという銃器があります。六発の弾丸をシリンダーに入れて、一発発射するごとに、シリンダーが回転して次の弾を発射できるようになるシステムの銃器です。そう、弾は一発ずつしか発射できません。シリンダーにはちゃんと6発の弾丸はあるのですが、撃てるのは一発ずつ。このrevolve(回転&装填)システムを指してリボルバーと称します。
趣味にも同じことがいえると思うんですよ。人間の持つチェックスキル&リソースが有限な以上、興味の全部に対し、チェック度を100%ガンガンに上げることは出来ない。「ある程度のキャパ」が限界なのです。
興味の全部に全力で……というのは、現実にはむしろ、各トピックへの熱が「薄れて」しまいはしないでしょうか?原理的に。
こうして、かつて一軍だった熱の対象が、二軍、三軍へと落ちていきます。
それは、しょうがないことだと思います。

ではお前はSIGHさんの疑念に否を唱えるのか?というと、それが全然そうではなくて。結構わかる。SIGHさんが抱く「あ、発売日知らんかった」のファンに向けて「お前ほんと好きなの?お前にとって(創作物は)それくらいのもんなの?」とツッコミたくなるお気持ちがあるお話ですが。
しかしその人の「好き」のレベルを評価・断罪するっていうところから、いわゆるマウントは発生してしまうので、「彼・彼女らが言っている【好き】を否定するのは非常にマズい」のはまず最前提で。
その上で自分は、こういう仮説をたててみます。

・その人らの「好き」は、上記「二軍」の好きである
・それでもその人らは、●●(作品、ブランド)に「いっちょ噛みしたい」のである。

ある人々にとって、SNSでの承認欲求の満たし方は、「自分が識者・通人・知識人であるとみなされてチヤホヤされたい」ってものだと思います。
では周囲に識者とみなされるにはどうしたらよいか? 何か世間を騒がしているトピックに対し、「それについて自分はよく知っていますよ」アピールをすることが、第一歩です。
ここにおいて「もう発売してたんだ」「出たの知らなかった」アピールは、安全圏から「いっちょ噛み」することにおいて、かなり確度の高いやり方です。

本当のファンがすべきアピールは、もちろん発売日に買って何らかの感情を爆発させてることです。楽しいにしろ、予想外にギャフンだったにせよ。

「いっちょ噛み」したい「二軍の好き」な方々にとって、その作品は「現在は」そこまで熱をあげているものではない。それは、SIGHさんのように熱心に作品を愛する方にとって、ちょっとツッコミたくなる存在でしょう。
しかし「その二軍な人だって、もし改めて作品に触れたら、前のような熱を取り戻すかもしれない確率は否定できないでしょう?」という指摘もあると思います。その通りです。自分だって、今やっている「模型趣味」。この模型に関しては、完全に「出戻り」ですからね。人のことは言えない。

ええい、残響さんはどっちの肩を持つんだ!玉虫色メーン!っていうツッコミが聞こえてきますなー。
……自分が結局一番言いたいこと、っていうのは、安易な「いっちょ噛み」っていうのは、実は全然クレバーな方策ではなく、場合によっては自分自身すらやがて傷つけていく行為だ、ってことをここで指摘しておきたいんです。なるべくなら、やらない方が良い。なによりも自戒をこめて。

どういうことか、っていうとね。さっき、プロディジーのキース・フリント(フロントに立つリード・シンガー)の事を書きましたが、彼が死んだとき、SNSを当時バリバリやってた自分も、いっちょ噛みして、1回だけ追悼ツイートみたいなんをやったんですよ。その時の「ええっ、キース死んだのかいな……」という心の冷え方は嘘ではない。
でも、その追悼で、自分自身のナルシシズムを満たしたかった、という気持ちがなかったのか?って、今思うんです。「あいつ……逝ったのか……」っていう、物語の中の登場人物めいたムーブをしているだけなんじゃないか、って。

キース・フリントの死について、自分はどこまでわかっていたのか。とくに、彼の死の前の時期、自分はプロディジーの最新情報をチェックしていたのか、っていうところですよ! 

いや、違うな。たとえ知っていても、ベラベラ口に出すのは本当のファンなのか。当時、仮に何らかの不穏な雰囲気があったとして、それをリアルタイムで知っている「一軍」のプロディジーファンであればあるほど、キースの死の前の時期では、「コレ言っていいのかなぁ……」って玉虫色になるのではないか。


一般的に、ファンだった作家の死にショックを受けて、ちょっとだけSNS投稿が思いあまって、っていうのは仕方がない。でも、それにかこつけて自分語りをする余裕なんて、本当のリアルタイム一軍ファンだったら、そこまでないはずなのでは?と思ってしまうところすらあります。

そう思うと、この追悼行為だけでなく、あらゆる「いっちょ噛み」をしたがる方々は、やはり「現在の作品、ブランド展開を追っている一軍なファン」ではない。逆に言えば、「いっちょ噛み」をしてしまっているという時点で、ファンとしての浅さを露呈してしまっている、と評価されても仕方がないでしょう。だからこそ、先んじていっちょ噛みをしたくなる、っていう図式ですが……。

追悼の多さは愛された多さでもあるし、追悼で自分語りをされる数が多いほど、その人の作品がいろんな人の「物語」として食い込んだ、って証でもありますが。
それでも、「現在進行形の作家」をどこまで追っていたのか、っていうのはあります。

長々書きましたが、「いっちょ噛み」をしない方が賢明である、というだけの話です。でもしたくなるんですよね!ブログでも書きたくなる!SNSだとさらに書きたくなる!「その作品や作家に心動かされて今がある自分」を語りたくなる!この際だから語りたくなる!
これは追悼だけでなく、何かが満を持して発売したとき、あるいはヒットしたとき。「昔から俺はあいつを応援していたんだよ」「あいつはやると思っていたんだよ」という後方オッサン面をするのは大層気持ちが良いですよ、認めますよ!

話を創作物の方面に戻せば、上記「いっちょ噛み」の話は、創作物そのものじゃないですね。単なるオッサンたる「自分自身」の話なんですよね。なるほど。そして、そういう「オッサン」たちの吐き出す嘆息の吐息が「空気」となる。なるほど生臭いわけだ。
その生臭さは、創作物に夢中になっている純粋さとは違うのだと思います。
もちろん、いわゆるオッサンムーブ……創作物を雑に取り扱って自分を慰撫する、っていうのが、大層きもっちええことは認めます。でもそれを表明するのは、上品ではない、っていうところでしょうか。多分それは、オタクでもマニアでもない。

もっと言えば、そういう生臭さのいっちょ噛みっていうのは、あんまりオタク的に「機嫌の良い」態度じゃないですよね。オタクだったら自分の夢中になっているものに「善しッ!」と言いたいものです。そういう瞬間を多く持っていたいものです。まぁそれを言ってしまったら、昨日「腰が痛いーっ」というヌルい記事をUPってた自分はどうなんだ、っていう話ですが。

 

ーーま、そこはそれとしてっ。w

こういう風にサラりとかわす術を覚えたのが歳をとった証拠であります。しかし、こうして自分を機嫌よくさせておくのもまた、歳をとった役得であります。
趣味なんて最終的には自分を機嫌よくさせておけばそれでいいんですよ。オタクなんてそんなもんで。だからこそ、ねっちょりした「いっちょ噛み」の生臭さは、あんま「機嫌良さ」なんて呼びこまんなー、という。

まーた腰が痛い、ゲームブック、柴田英文精読教室

またですよ。また腰が痛いのですよ。

前回、TRPGのおかげで毎日が楽しいって話をした矢先にこれですよ。おかげで、各種オンセ用の素材を準備も出来ず、もちろんPC前に座ってキーボード打鍵のオンセも出来ず。

TRPGソロプレイという希望(ゆめ)が出来ていたから現在腐らずにすんでいます。安静を第一に。もしこの希望(ゆめ)が無かったら、変に焦っていたことですね。そうか、TRPGは健康に良いのか……

 

それにしても、この数年、しょっちゅう腰が痛いと言っているような気がします。なので、この日記ブログを「腰 痛い」で検索をかけてみたら、

(2014年)

「「若作りうつ」社会」の感想と個人的重い思い - 残響の足りない部屋

 

(2020年)

ぎっくり腰 Now on the time - 残響の足りない部屋

 

まだ腰がいたい - 残響の足りない部屋

 

腰と鬱とTRPG - 残響の足りない部屋

 

闇の色は脂肪の白さ --仕事に忙殺される日常、スマホ電子書籍依存、生活メンテナンス - 残響の足りない部屋

 

まったく私信な内容の記事です(2020/02/09) - 残響の足りない部屋

 

……2020年に入ってから、腰、やらかしすぎてね?
だいたい、風邪っぽくなってきて、ついでに腰もやらかす、っていう感じがあります。

それから、一番の理由はわかっております。太ったんですな。体重の増加、脂肪の増加。筋トレをサボるとすぐこれです。夜食を可能な限り控えているというのにこれです。いや、腰が痛くなる前に、しっかり夜食をとっていたことがマズいのは明白です。悔い改めよ。

身体のメンテナンスも雑になっていたのもあります。とくにこの3~4月で、春M3のCD創作のため、バリバリに制作をしまくっていたので、身体を振り返ることなく、今に至るわけです。なるほど腰痛になるわけですね。

とはいえ、「ぎっくり腰」のレベル……とくに「一歩も動けない魔女の一撃」というハイパークラスのぎっくり腰ではないのが、不幸中の幸いです。最低最悪のハイパーレベルと比較をしている時点で、ダメなのかもしれませんが。まぁしかし。

 

ゲームブック

せっかくTRPGを軸に据えてのライフサイクル、ライフスタイルが構築出来てきただけに、ちょっとなんだかなー、と思っておりますが。はやくTRPGオンセ、並びにオンセ準備をしたいです。TRPGの熱が、封じられている分だけ、ぐつぐつ沸々と煮えているのを実感しています。

しかし、現在出来ることは、本(物理、電子書籍)を読むか、音楽を聞くかしかないので、じゃあゲームブック読むか……っていうところです。TRPG/アナログゲームの流れで、こっちにも手を出しているのですよ。

KindleUnlimitedで読むことの出来る幻想迷宮書店やFT書房の作品を中心に読んで(攻略して)おります。電子書籍のリンク方式は凄く便利です。

また、スティーヴ・ジャクソンの「ソーサリー!」新装版を中古で入手したり。同じくスティーヴ・ジャクソンとイアン・リビングストンの「ファイティング・ファンタジー 火吹き山の魔法使い」の洋書ペーパーバック、そして前述の「ソーサリー!」の洋書ペーパーバックを海外輸入通販購入したり、といろいろ。

「火吹き山」、日本語翻訳版を買わんの?というご質問ですが、ええ、存じております。今度(7月)に出ますよね、ファイティング・ファンタジー・コレクションボックス。……正直に言いまして、8000円高いなー、というザンキョさんのチキン心が出ました。なので原書(英語)のペーパーバックをザクザク読むのでいいかー、というチキン心です。かっこわるい。でも、コレクションボックス、買わないとは言っていませんので、ひょっとしたら清水の舞台から飛び降りる式で買ってしまうかもしれません。

 

柴田元幸 編・訳・註『英文精読教室』

ああそうだ、英語原書関連でいうと、先日知ったのですが、柴田元幸氏が前々から「自分が高校生だったころに有ったらよかったのに的な英文読解参考書」を作りたい、と言っておりましたが、ついに満を持して出ましたね。研究社から。「英文精読教室」第一回配本の一巻と二巻。わたくしはまず一巻「物語を楽しむ」買いましたよ(こんなことをしているからお金が……)。二巻に関しては、まず一巻を充分楽しんでから……(いずれ買わない選択肢はない)

books.kenkyusha.co.jp

こちらもザクザク読んでいます。思っていたよりも、柴田氏による「各作家バイオグラフィ&アメリカ文学史上の位置づけ」みたいな解説文は少なかったですね。それに該当するのは巻末の「雑談的な補足」になるのでしょうが、これも面白いんですが、網羅的にバイオグラフィをきちんと、っていうのではないです。

それよりも柴田氏による「英文に直に親しみ、どんどん英文を読んで(訳して)いこう」というスタイルの編集方針は、まこと正しいと思います。この本は批評のためにあるのではなく、英文の精読にこそあるのですから(タイトルの通り)。

語釈も、「一般的で表面的な英語の語義はもうわかってるだろうから、それよりも物語中での言葉の使われ方について、ぐっと本質的な講義をしよう」という柴田先生の意志が伝わってくる語釈です。ところどころ、あの「柴田節(ブシ)」がじわり出てきて、「ああ、翻訳教室の学生や村上春樹氏はこの柴田節の読解をいつも受けているんだなぁ」と思わされます。

その充実した語釈をもとに、柴田訳を読み、そして自分で試訳してみる。この精読教室、なんのトリッキーなこともしていない。イラストすらもない。しかし「精読」の意味が伝わってくる、いわば柴田先生の講義。柴田氏が心底やりたかったことが、こうして充実した形でシリーズ化して行われることが、自分も本当うれしいです。

 

しかしまー、腰が痛いな……。そんなわけで、TRPGオンセもですが、各方面ちょっと反応が遅れています。心当たりのある方々すいません。

TRPG(ソロプレイ)のある生活

f:id:modern-clothes:20210108193438j:plain

机の上にはいつものセット

最近、TRPGスタジオというオンラインセッション(以下オンセ)ツールを使って、ひとりでTRPGオンセをしています。

 

TRPGスタジオ|手軽にみんなでオンラインセッション。スマホ対応。無料。

 

サンプル画像を見てピンときた方もいらっしゃるでしょうが、同人ノベルゲーマーにとってはおなじみの「ティラノ(ビルダー、スクリプト)」系システムです。つまり、チャットみたいにリアルタイム打鍵しながらオンセを進行していって、あとでリプレイを、ノベルゲーム形式のエクスポート書き出しが出来るんです。もちろんティラノ系列のシステムなんで、あとでティラノビルダーを使って編集ができます。リプレイを、ノベルゲーム仕立てにするもよし、動画化するもよし。テキストだけ抜き取ってブログにUPるのもよし。統合的なシステムがとても便利です。

 

もともと自分は、TRPGのプレイ経験は皆無に等しいのですが、学生時より八房龍之助平野耕太の漫画を愛好し、TYPE-MOON月姫もリアルタイムで経験しておりましたから、「TRPG文化圏」を仰ぎ見る形でオタク教養を積み重ねていたものでした。常にリスペクトしてはいたものの、なかなかTPRGの卓を囲むリアル友人がいないからなぁ、と。

しかし、ある時気づきました。「TRPG、別に、ひとりでできるもん」と。そういうわけで、今TRPGスタジオで「TRPGひとりでできるもん」というオンセルームを作って、その名の通り、たったひとりで自作の箱庭世界観&自作システムで、TRPGをやっています。

自作の「レッズ・エララ神話体系」という箱庭世界観で、自分ひとりで複数のキャラをロールプレイし、GMも自分、というスタイルです。

redselrla.hatenadiary.jp

昔、小説を書いていた時は、数時間うんうん唸ってやっとこさ3000字でしたが、現在ひとりオンセをして、だいたい合計1時間半で軽く5000字書けています。しかもあまりにも楽に、ストレスフリーに。オンセ、TRPGシステムが自分には相当合ってたんだなぁ、っていう壮大な発見です。

TRPGのある生活

出たとこ勝負の完全アドリブで、TRPGスタジオのチャット画面に向かっていきなりGM&ロールプレイ、でもまこと楽しいのですが。しかしもちろん、事前にシナリオを組んでからオンセに臨めば、さらにアドリブプレイに冴えが出て、展開もendも完成度高く面白くなります。ていうか成ったw

そんなわけで、いくらひとり(ソロプレイ)とはいえ、毎日オンセをするのも、これまたちょっと焦りすぎのような気もして。なんてったってストレスフリーに趣味を行うのが大切だ、と最近気づきました。ちょっと前に、無理して作品制作をして、身体を壊しかけた経験がありまして。

なので、「オンセをする日」を決めて、そこに向けて毎日のスケジュールをゆるくローテーション進行していくようにしています。オンセの日以外はあえてオンセをしない。代わりに、

  • シナリオをある程度、箇条書きor文章化して煮詰めたり(オンセ当日用の定型コピペ文まで作れたら最高)
  • システムの調整をしたり(ここが自分は弱い所だと自覚してます)
  • TRPG卓(テーブル)で使う駒や舞台を、プラモデル改造やジオラマ作成して作ったり
  • BGM音源を作曲したり(TRPGスタジオは、MP3音源をループBGMとして鳴らせるのです)
  • 背景美術のドット絵などを描いたり(同じく、キャラ絵や背景を紙芝居のごとく配置できます)

……というように、「良いオンセ」をするために、事前に行っておいた方が良い準備っていうのは結構あります。もちろん、これらが負担になってもいけないので、各素材作成は義務ではないです。義務にするくらいだったら完全アドリブを選びます。

一番大事なのは、自分で勝手に「オンセの日を決める」ことですね。そうすることによって、毎日の日常生活に、「参加イベント」というものが生まれます。つい「日常の倦怠に埋もれがち」な自分ですが、こうして毎日毎週の中にポイントが出来ることによって、生活にハリが出るのですね。

おかげで、最近まで腐っていた自分ですが、TRPGを生活に取り入れることで、結構健康がマシになってきています(笑)

現状、他のひとをオンセに巻き込もう、とは考えていません。あくまで自分ひとりで、しばらくやっていたいのです。まだシステムが構築されていない、っていうのもあります。

が、それ以上に、「ストレス解消&生活立て直し」のセルフ箱庭セラピーのような、ひとりTRPGの孤独なたのしみを、今は充分に味わっていたい、っていう気持ちがありますね。健康な生活がきちんと立て直るまで、巻き込むのはまだはやい。過去、自分の精神の揺れで、人に迷惑をかけた話の反省の上にたち……。

そんなわけで、最近はたのしくやっております。趣味を義務化するのは大変な間違いで、「趣味の達成」をストレスにしてしまっては、完全に間違いで、自分を苛む、っていうことに気づきました。ストレスは、日々の仕事や人間関係を中心にした「リアル生活」で、相当たまっています。その上に趣味でストレス負荷をかけるのは、過積災(かせきさい)もいいところです。趣味は完全なストレスフリーでなくてはなりません。

創作も……創作ってやつぁ、相当な「やりがい」があるだけに危険ですね。バチバチに生きているって実感がドーパミン分泌ガンガンするだけに、危険です。これまで「創作こそが!」と思い込んでいた自分です。でも、創作もちょっと上手くやっていかないと、ただ自分にストレスを過積災するだけだ、って気づきました。完璧な作品を作り上げたからといって、それまでのダメな自分自身がチャラになる、ってわけではないですし。

ストレスフリーに遊んで、これまでのリプレイ(ログ)が随分溜まったので、ちょっと整えて、UPしてみる……っていうのが、自分にとっては一番良いやり方なのかな、と思っております。文章も絵(漫画)も作曲も模型も。