残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

ネタバレがわからない

わたくしはネタバレを全然嫌わない人間です。そればかりか、仮にネタバレレビューがあったら、ネタバレをさっそく読んでしまって、よりその作品への期待が増すタイプです。

よく「ネタバレを先に読んでしまうのはもったいない!」と言われるのですが、その気持ちは全然自分には当てはまりません。もったいないと感じたことは今まで全然ないのです。

何がもったいないのか、というと、作品に対する「はじめての感情」はまっさらであるべきだ!という考えに基づくもったいなさなのでしょう。それから作品に搭載されているギミック(トリック)に初見で触れて驚いてほしい! その感情こそまっさらであってほしい!……という。

これもわたくしには当てはまりません。わたくしは物語やギミック、トリックで「驚きたくない」のです。

たぶんわたくしは物語とよばれるものを「研究」したいのだと思います。物語、というよりはキャラの人格や、世界観というものを「研究」したいのですね。なので気に入った物語を何度も何度も読み込むのは当然です。もし自分が「驚きたい」のだとしたら、それはキャラの人格で、今まで見えていなかった部分に改めて気が付くとか、世界観で今まで分かっていなかった部分が深まる、ということであるとか。町やダンジョンの設定をより知ることが出来た、とか。

理屈としては理解できるのです。「まっさらに物語にびっくりしたい!」という人たちの気持ちは。そしてその人たちの気持ちを否定なぞさらさらしようとは思いません。でもそれなら、まずは物語をゲットしたら、目の前のネットを完全に閉じようぜ、とは思います。ネットを見ながら物語に触れようとして、ネタバレ嫌いっ!とするのは、どちらかというと彼らの「この物語王様たる自分に配慮しなさいっ!」という傲慢な気持ちというものを考えてしまいます。

ギミック、トリックで驚くことは気持ちいいじゃないか?と問われたら、自分は「いや、気持ちよくはなかったです」と答えます。「へー、そう。よく考えたねこのギミック」とは感心しました。確かに。でも、自分が重視しているのは、キャラの人格であるとか、世界観の諸相の深みであるとか、エモーショナルな情景であるとか、です。過去に触れた「ギミックが凄い!」物語であっても、今思い返すのはそのギミックの瞬間風速的な凄さよりも、細部のエモーショナルな情景、例えば夏草がそよいでいたり、とか、指先が触れあう繊細さであったり、とか。そういうことばっかり思い返します。むしろ、「ギミックが凄い!」と言われている物語でも、そのギミックだけに注力しているなぁ、と感じたら、むしろ文芸・文学としては志が低いのではないか、と感じてしまいました。辛さだけを競っているジャンクフードみたいに。

そのように自分は、物語で「驚く」ことを全然重視していないのです。どちらかというとその「驚く」ことは、自分は音楽のアドリブ演奏とかで満たされているのかもです。ジャズとかの。

物語で「どきどきわくわく」する、というのもあんまり求めていません。この先はどうなるんだろうっ!?っていうのは、自分の読み方として、あまり感じたことがないな、と思います。むしろ自分はさっさとページのラストをパラパラめくって、まず物語ストーリーの大筋を把握したい人間です。そして、自分にとっての物語は、むしろそこからはじまります。話は理解した。キャラを把握した。世界観の諸相を垣間見た。さぁこれから解像度を上げていくぞ、という作業のはじまりです。そこからの「研究」がどきどきする。

そんなわけなので、自分には「好きな物語」というのが少ないです。読書好き・小説好きの皆さんのように、次々に物語に手を出していけないのです。自分の場合、今(令和4年)は、一年に2~3冊出るゴブリンスレイヤーの新刊を読めば、もうその年の小説読書数の上限に達します。これ以上はもう小説をほぼ読めない。小説向きの脳をしていないなぁ、と思います。

ただし、一度好きになったら、物凄く何回も読み返します。今ゴブリンスレイヤーを例に出しましたが、たぶんゴブリンスレイヤーを読み返したのは、50回じゃきかないと思います。100回いってるかどうかはカウントしていないのでわかりませんが。蝸牛くも氏の文体、語り口が好きなのですね。あのテーブルトークRPGGMゲームマスター)然とした語り口が好きなのです。そして四方世界という世界観と、ゴブスレさんたちが好きなのです。

ええと、ネタバレ論議からちょっと遠くにいきましたが。ネタバレを先に読んでほしくない!派の人たちは、たぶん「まっさらに楽しんでほしい」という気持ち……そういう善意を持っていらっしゃるんでしょう。その善意は尊重したいとは思います。でも、物語をどう読もうが、読み手の自由ですからね。わたくしはネタバレを踏んでも全然ダメージがなく、むしろネタバレのおかげでその作品に対する興味がより一層増した、と思える人間なのです。彼らの言う「まっさら」さはないですね。わたしは敵か。敵なのか。

敵……そんなわたくしの楽しみ方は「他人の評価を前提にしている、物語読者として低級な存在だっ!」と言う向きもあるんでしょう。お前は自分の意志ってものがない!という論。ヘイトスピーチもたいがいにしてくんないかな、とは思いますが、まぁいいや。言葉は通じまい。しかし、自分も気を付けないといけないとは思っていることがあって。ついやらかしてしまうのが「他人にネタバレを無自覚に教えてしまう」というところ。それも善意で。

例えば、ゴブリンスレイヤーの新刊のネタを、まだ未読の人に対して「この●●ってとこ面白かったっすよ!」とサラっと口にして「おいおいっ!まだ読んでないっ!やめてください!」と言われたことがありまして。確かにこれは自分が悪かったです。確実に悪い。ネタバレ好きなのはあくまで自分のみであって、他人がネタバレでイヤな思いをするのを侵害する権利は絶対ない。

そういう風に、自分の「研究」スタンスは、知らず知らずのうちに人を傷つけているかもしれんなぁ、という反省はあります。こうなってくると、他人と物語を語り合うのもちょっと控えた方が良いんじゃないか、って思った時もあります。

なかなかにデリケートな話になってきましたが。それに、わたくしは「こういう奴もいる」って話を書きたいだけであって、「こういう奴も許容してくれ!」と訴えたいわけではないのです。もとから少数派ってことは理解していますし、異端だっていうこともです。認めてほしい、とは思っていない。

さらにダメな点として、自分としては、上記の「どきどきしたくない」「研究したい」「ネタバレどんどん踏みたい」っていう物語への態度を、全然改める気はないのです。ここでこうして書いているのも、そんな自分の態度を再確認するだけなのです。ひどいな。

なんでこんな人間になってしまったのか、自分でもよくわかりません。例えば、幼少期に絵本や児童文学の「読み聞かせ」を受けてこなかった、っていうのはあるかも。幼少期、図鑑ばっかりを読んでいました。なので事物に対する興味ばっかり発達して、「物語」に対するセンスを欠如したまま育った面がある、という仮説。

それから読み聞かせの欠如、ということでいうと、やっぱり自分は物語エリートじゃないんだなぁ、って最近よく思います。次々に物語を読んでいけないのです。他人から物語を薦められても、すぐに読めない。すぐに読もうとすると凄い苦しい。脳内でいろいろな情景を展開しないと「読んだ」気になれないので、読むのにも時間がかかる。小説以外だったらこんな苦労はしなくていいのに……とウクライナ語の教科書を今日もガリガリ読むのですが(黒田龍之助「つばさ君のウクライナ語」)

物語エリートじゃない……自分はちょっとこのことで、心がきしむことはあります。よく皆さんは、次々物語を読めるなぁ……と。たくさんの物語を脳内に、心の中に蓄えておけて、思考する際に物語を引っ張ってこれるなぁ、と。そういう物語エリートに対するちょっとした羨ましさはあります。どうして自分はそうじゃないんだろう、と。

自分で物語を作っている(最近はとくに漫画描き)から、それもしょうがないんじゃないか?と考えもするんですけど、でもそれでもやっぱり、物語を次々に読める「物語エリート」には自分は成れないんですね。結局それは「オタク」じゃない、ってことにもなります。こういう結論は自分にとってはちょっと心の痛い話であります。

それでも、物語というものを、自分がどう付き合っていったらいいか、というのは、考えていかねばならない話であるのですが。最近思ったのが、外国語原書の小説だったらまだ読めるな、というのが。どうせ読めない外国語なので、遅く読むしかない。読んでも100%理解出来るか、っていうとあやしい。でも外国語を読んで、少し理解出来たら嬉しいな。それは「研究」スタンスに似ています。なんだ結局自分のスタンスはこれかよ、って思いますが、うーん、こりゃもうしょうがないのかな。

最近わたしの音の暮らしはこう 2022年3月~4月M3春

がーっ!(叫)
M3を終えたからちょっと休憩しよう、とくに日記ブログなんて休んでも……とかって気の抜けたコーラドリンコみたいなことを頭よぎったこの瞬間から音楽ブログは死んでいくのだっていうことが、まーだわかっていないのかこのブログ管理人(残響といいます)はっ!

前回のM3告知記事で、「これから文章を書いていきたいんですよ」なんてことを書いた次の記事からこれですよ!度し難い!

ということで、むりやりにでも文章を書くべく、3月~4月(M3含む)に購入した音源を挙げていくのコーナ~。

 

DJ Shadow「Entroducing...」

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ザラついた音のHipHopインストアルバム。当時アブストラクトとも言われたこのザラついた音ですが、でも今このアルバムを聴くと、このサンプリング特有の音の質感は、アメリカの「町の雑踏」の雰囲気を脳裏に想起させることを、とても意識的に行っていたんだな、と。

それが2022年令和4年の今、Lo-Fi HipHopの文脈も合わせて考えると、余計に「雑踏のザラついた感じ」を表現するってことは、目の付け所が凄い正しかったんだな、って思います。アゲアゲな感じがなく、かといってチルに浸りきるわけでもなく。抑制されたビートと音の質感が、曲ごとに「雑踏の一日」を様々な角度で描いているように聞こえます。

Young Marble Giants「Colossal Youth(40周年記念盤)」

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この作品、歴史的経緯を知っていないと「なんだこれ?」になりそうだよなぁ……と、令和4年の今は思うわけです。80年代も遠くなりましたね。

自作リズムボックス(当時はドラムマシンもろくにありませんでした)と、妙なフレーズを放つギターとベースと、ウィスパー系の女性ヴォーカル。シンプル&ミニマリズムの極みなこのサウンド……これは、当時の「ギャギャーン!(轟音)」なパンクロックムーブメントの中にあって、「えっ、そんなシンプルなのアリなんだ」っていうコロンブスの卵めいた立ち位置にあったのです。

空間を決して埋め尽くさない。あんまりにもスカスカなバンドサウンド……バンドサウンド? これをバンドサウンドと言ってしまっていいのか。ボカロPですらもっと音を詰め込むのは当たり前です。

引き算の美学。チープであるけども、それがゆえのかわいさ、奇天烈さ、逆説的なポップさ。けったいなことをしてるわりには実験性のイヤらしさっていうのもなくて。この三人自体の存在、音の存在そのものが逆説的なポップさ、というポスト・パンクの名盤です。

そしてミニマル・ポップということでいうと、現在もインディー界隈で様々なアプローチがされていますが、ここまでハードボイルドにミニマリズムをやらかしているものも、そうそうありません。原点にして頂点、みたいなところがある……? うーん……YMGはYMGにしか出来ない音を演ったし、他の連中はそれに凄いリスペクトをしたけれど、YMGのフォロワーには、結局ならなかった。それは多分、YMGの真似をしても猿真似になるだけだし、ってことをみんな分かってたし、YMGの方法論と精神性を自分なりに解釈して自分なりの音楽を作っていくことこそが、真のYMG愛好家の精神だ、って思ってたからなんでしょうね。

●Carlos Aguirre Quinteto「Va siendo tiempo」

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アルゼンチンの静謐系フォルクローレの巨匠率いるギター五重奏団の新作です。静謐系のジャズやクラシックからの影響も濃く。本作ではアギーレはギター・ヴォーカル・アコーディオンを演奏します。「繊細」。

アギーレのメロディラインの個性は素晴らしく、「追憶をそっと窓辺に置く」かのような哀感に満ちた美しい旋律です。落ち着いて聞きたい盤ですね。

●Sinesis Duo「Hojas y rutas nuevas」

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アルゼンチンのギタリスト・キケ・シネシと長男のアウグスト・シネシのギター・デュオ。レコード屋さんのおすすめで音源を試聴してみたのですが、なんともギターの豊潤な、ゆるやかな掛け合いがたまらず。音色が麗しいのです。即購入でしたね。こちらも「静謐系」のアルゼンチン音楽です。

 

●ザ・リーサルウェポンズ「アイキッドとサイボーグジョー」

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そして我らが日本が響かせるは、やかましい80’sサウンドですよ。待ってましたメジャー初アルバム!

全曲キラーチューンとばかりのアイキッド先生のメロディの冴え、コミカルな愛嬌、ジョーのヴォーカルの朗々とした魅力。コンセプトさえしっかりしていれば、あとはそれで思いっきり殴れば良いのである、の好例です。曲数をやたらに詰め込んでいるサービス精神も素晴らしいですね。15曲ってなんだ15曲って。ありがとうございます。

 

●Ariabl'eyeS「冥鳴フィアンサイユ Act:Ⅰ」

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同人ゴシック系、V系ロックです。美メロの雄です。

きましたね、長編シリーズです。気合入っていますね。買わない理屈があるものか、って感じでもちろん購入です。

 

●くろねこほたて「港町と黒猫のケト」

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同 「Pub.House MATATABI」

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同 「白壁の家々と演奏家リリー」

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前々からアルバムジャケットがやたら素敵で(とくに「白壁の~」)気になっていたケルト系サークルさんですが、今回試聴してみて、過去作を購入しました。

ゲーム音楽風のケルト音楽」というサウンドコンセプトです。ゲーム音楽の人懐っこいポップな要素・アレンジ・アンサンブルで聞きやすく、同時にケルトフレーズも充実、という音楽性。

そしてその音楽の数々をコンセプトアルバムとして配置し、アルバムで一枚で物語を描く、という作風です。

なんというか、凄く姿勢が良いです!一枚の盤でケルト音楽と物語の風景をしっかり奏でよう、って意識が伝わってきます。聞いているだけで物語や風景がふわーっと想像できるのは良い音楽です。

また、ゲーム音楽というだけあって、アンサンブルやミックスが結構バキっとしたクリアなサウンドプロダクションなのですが、それがなんともゲーム音楽的で、でもけして「やわ」じゃなく、むしろ物語や風景、世界観に対する姿勢の良さ・生真面目さが伝わってきて、「良いものを聞いたな」と思わせてくれます。

 

●hydden from MMLHACK「FC Sound Etude Collection」

今回M3ではやっぱりチップチューンを多く購入しました。このアルバムは「ファミコン音源で作成した練習曲(エチュード)集」ということです。

そんなわけで、けして音の厚みはないのですが、むしろ個人的にはまっすぐに良い曲、メロディが伝わってくる、って感じがしました。どの曲も2分だけでシンプルな曲、まさにエチュードです。でも曲調はバラエティがあって、そこもまたエチュードですね。シンプルに良い曲集です。

ショパンの昔から、こういうエチュードの愛好家っていますが、チップチューンもそういう愛好文化が出来てきたんだなぁ、と改めて思うのでした。

●novtos「Pièce montée ~Kawaii Chiptune Collection Vol.1~」

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こちらもチップチューンアルバム。アルバムタイトルにもあるように「KAWAII」メロディ、アレンジの曲が詰まっています。やっぱり自分はメロディが良いチップチューンが好きなんだな、と。まっすぐに、てらいもなく、カワイイ音で、メロディをぶつけてくれる、っていうチップチューンの醍醐味です。

 

●POPiN RECORDS(scythe)「ReWind」

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(公式特設ページ)

scythe-chiptune.com

素晴らしい!

scythe氏の5thアルバム、メロディと情景喚起に優れたチップチューン作家さんですが、今作もまた、情景をビシビシ電子音で脳裏に紡いでくれるメロディです! 

名曲「最後のバス停」、やっぱり何度聞いても良いですね。最初のところでバスドラが入ってくるキャッチーさ。この曲に「最後のバス停」とつけるエモーショナルさ(エモさ)! そしてこの曲だけではないぞ名曲は、っていうアルバムでございます。素晴らしいですね。またヘビーローテーションです。

 

そんなわけで、この2か月の音源感想でした~。

最近のこと(2022年4月、M3春)

2月末、3月あたりから、曲を書いてレコーディングしていました。

自作漫画「仙境ヤマナシ旅行記」のサントラ盤「仙境ヤマナシ旅行記オリジナルサウンドトラック」を作っていました。

同人音楽即売会M3-2022春にて発表します。M3は明日4/24(日)です。明日ではないですか。

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↓原作まんが

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Lo-Fi HipHopニューエイジ音楽が基本となっている「ホワァ」としたシンセ音多めのゆったりアルバムです。サントラです。

販売は、M3オンラインのメロンブックス通販(イベント当日のみ)と、自家通販8TRレコードです。

自家通販では、委託販売として、土曜日と人鳥とコーヒーの新譜「Re:Meer」とCrimdollの過去作も販売します。よろしくどうぞ…!

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●近況2

そんなわけで作曲&レコーディングをしていたら、日記ブログ(これ)を書く暇がまるでなくなってしまって困ったこまったさんです。それだけ作曲&レコーディングに専念していたのでしょうか。それはそれでよいのか? よいのでしょうね。サントラ盤出来たわけですし。

その一方で、「音」をしまくった反動でしょうか。最近、文章をまた書いてみたく思うようになりました。それも日記的・随想的な。

考えたことを文章にして記録しておくことは、けして無駄ではないのだ、と何となく思うようになりました。前はちょっとそう思っていたことは否定しない……。でもここのところで、思ったことが虚空にふっと消えてしまうことが、ちょっともったいなく思えるよになったのです。

本館ホームページ・同人サークルページの方でそういうのを書くと、ページがごっちゃごちゃになりそうなので、やっぱり書くとしたらこのブログなんでしょうね。お気に入りyoutube音源を貼りまくるのも、本館ではやりにくいような。

・本館

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同人音楽サークルのページ

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ともあれ、まずはM3春オンラインの方に注力します。事務作業もあるし。それからポツポツとでしょうか。文章書きは。

音楽体験の言語化を通し音楽思想を練り上げることについて

音楽を聞いて、思ったことを言葉にするのは、だいたい良いことだと思う。だいたいね。

最後の方に「音楽を言語化することの欠点」としてチロっと釘刺すことにして、この文章では、音楽体験の言語化について書きます。

●音楽と言葉、思想、串刺し

はじめに。自分は音楽を聴いて、良かった場合「グッドバイブスやぁ~!!」と燃え上がります。で、だいたい自分はあほなので「グッドバイブスやぁ~!!」でコトを終えてしまいがちです。あほなので。

それで終えるのを続けるばっかりなのは、音楽の体験や、音楽にまつわる自分の思想を、より解像度高い&深いものにはしないのですね。それがもったいないなぁ、というのが、あほなりに音楽をことばにする理由でしょうか。

確かに「グッドバイブスやぁ~!!」を言語化せずに何回も積み重ねていくことは、それはそれで音楽功夫(オンガクンフー)のひとつとはいえます。ただ無心に積み重ねていくことは、案外ひとは出来んもんです。続けていくことは、一にして全、しかし全にして一です。

それでも、それらの体験を「言語化せずに」というのは、チリ紙をいちま~い、にま~い、と虚空に重ねていくようなものです。個々のチリ紙(体験)を貫き通すものが無ければ、チリ紙(体験)の束はプッと吹き飛んでしまいます。その貫き通すものこそが、言葉であり、音楽の思想なわけです。

……そういえば、音楽にまつわる言説で、空理空論ってあるじゃないですか。所詮それは戯言めいた屁理屈だよ、っていう。アイデアだけで実践が伴っていないやつ。一例:「ギターとベースとヴォーカルがなくてもロック音楽は出来るッ!」「やってみいや」っていう感じの。これは、今の例えで言うと、個々の「体験」の存在をまるっきり無視して、虚空に言葉を貫きとおそうとしているからの空理空論だ、っていう話ですね。常に言葉は……それが音楽の「思想」を練り上げるものである限り、やはり個々の「体験」から紡がれる言葉でなくてはなりません。そうでないと血が滴らない。血が滴っていない言葉に誰がこころ動かされるものか。自分でさえも「手前自身のことばに血が滴っていない」ことの虚しさを感じ取るはずだ。

閑話休題。つまり、音楽を言葉にする、とは、様々な音楽体験を、言葉で串刺しにする、ということであり、その串刺しにされた様々な言葉を、さらに練り上げて思想にする、ということよ。

●実例のようなもの:Lo-Fi HipHop

またLo-Fi HipHopやそれに連なる音楽で話をするけれど。

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自分のLo-Fi思想のはじめにあるのは、自分が夜中にやたらLo-Fi HipHopや、それに連なる音楽を延々と聞いて、時間を溶かしていた、っていう「体験」があります。妙に癒されるな……、と。

この「妙に癒されるな……」という、「時間を溶かしている」無駄さ(無駄な時間)、というものこそが、自分のLo-Fi思想において、一番大事なものです。

あんな無駄な時間がッ……!?と、自分自身で意外に思っています。この文章の読者さんが思っている以上に、残響(筆者)はあのLo-Fi体験を「しょうもない時間溶かし」と思っていました。それでも、確かにあの深夜のLo-Fiの日々があったからこそ、今自分はこの文章を書いているし、Lo-Fi思想は確固として練られたわけです。

Lo-Fi HipHop。タルいビートとチルい音像。ノスタルジック。拙速に歩みを明日へ進めるのではなく、過去のダルさに慰撫を求める。テンションをブチ上げていくのでなく、チルに「落とす」。……こういうLo-Fiの「美学」を自分の中で一度「良し」とする……それは自分がLo-Fiの「思想」で串刺しにされる、ということでもある。

こうやって、自分の音楽思想がひとつ刷新されていったわけです。Lo-Fi HipHopフィルター、チルフィルターを通して、いよいよ、これまで見過ごしてきた過去の音源が、どれほどのチルい光を放っていたか、の再検証が始まります。そして、自分がこれまでしこたま買い集めてきたレコードやCDが、どれほど「名盤」再認定したか。映画音楽とかすごかったですよ。

かくして、自分の日常が、別方向から光が照らされて、「こんなワンダーが在ったんだ」という静かな驚きに包まれるわけです。音楽の思想を練り上げ、思想を刷新していくことの意味は、ここにある、と思います。キリキリに思考のネジを締め上げて、自分という人間を無理にシメあげることをしても、別に自分のレベルは高まりもしません。それよりは、視点をちょこっと変えてあげることなんです。

 

●おれの思想を練り上げる

そのようにして、己の内奥のセルフスタジオで、おのれの言葉、あるいは人様の言葉を取り入れ、咀嚼し、練り上げるおれの音楽思想。This is……って、いつの間にか話が向井秀徳になっていますが。それはさておき、しかし、結局「音楽を言葉にする」とは「自問自答」に他ならないわけです。

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絶対に無駄だッ!と思っていたLo-Fi体験が、どんなもんだい、今の自分を作っている。そりゃそうです。自分を保とうと、癒そうと思って行っていた行為です。あの時は実に焦燥していて、それを癒すためのLo-Fi HipHop体験でした。そういう行為は、当時は無駄に思えていたけど、今紡ぐこのことば(文章)、今ひねり出すこの思想は、「あれは無駄じゃなかった」っていうこの文章がここに在るッ!!なのです。そういう風に自分は着地するのか!って自分で驚いています。

自分の人生は、そのようにして妙な「意外性」に救われています。

思想を練り上げる意味は、たぶんここにある。空理空論で救われない理由も実はここにあると思う。つまり、自分が音楽を聴き、言語化することで、まず自分の体験を肯定する。しようと試みる。その結果、いくつか音楽にまつわる言葉が生まれる。そしてそこから、思想が練り上げられていく。その思想は、意外な角度から照らす光で、自分を救うのだ。意外性に驚き、笑いすらして。

自問自答の果てに救いはある、とは、確かに大雑把に言えばその通りなのだろう。しかし、今の文脈に即して言うなら、「自問自答」と「果て」の間にある、セルフスタジオでの「ことばのセッション」や「こころのアドリブ」に、もっと重点を置いた方が良い。セルフスタジオでセルフセッションを「ひねり上げる・練り上げる」ことが大事なのだ。それを手前ェの人生の中でたまにある音源めいた創作物や、ライヴめいたイベントでね、こう、ぶちかましてしまえや。

●音楽をことばにすること、それから

上記のようなことが出来れば、それだけでもう良いのでは……と思えるのです。音楽の言語化。それは誰かのためになっているかどうかはわかりません。が、自分をちょっと救えた。それで良いんですよ。

自分を救うのは自分自身だ、っていうことを、36年生きてきて、ようやくわかりました。もうちょっと前までは、誰かや、誰かの言葉でバキっと人生変われるのかな、って憧れもあったんですが、それもそれで他人本願でした。

前にも書きましたが、大事なのは「個々の音楽体験」もですし、その先の練り上げられた「思想」もですが、その中間の、自分の中のセルフスタジオ・セッションこそが、たぶん一番大事なのです。そのセッションで繰り出される音符こそ、我々の言葉に他なりません。そこで他人が繰り出してきた音符(エッセイ、ブログ記事、音楽評論etc)に自分が影響を受け、化学反応するのも良し。大事なのはセルフセッションを練り上げることです。SNSより楽しいぜ。

音楽を言葉にする意味は、自分はそう思っています。ただ、セッションを練り上げて、「それで良し」としてしまい、「もうこれ以上考える必要はないや」と思いきってしまうと、その時から言葉は死んでいくのでしょう。これがすなわち音楽の言語化……というか、すべての「言語化」に纏わるヤバさなんですけど。言語にすると、ついつい「もうこれで大丈夫」と安心してしまいます。そりゃ、それまでフワフワしていた心を、ようやっと落ち着けることが出来たから、安心するのもむべなるかな、ではありますが。

それでも、おまいの言葉は、おまいの音源であり、おまいのライヴなんだ、という気概は持っていたいものです。

だから、音楽を言語化して、それで終い(しまい)、っていうのは、ちょっともったいない。音楽を言語化して、自分の生活の彩りが花開き、さぁそこからだろう、っていうことです。

まぁ、音楽の言語化なんて、音源にタグ(#)付けるようなものではあります。そう書くとしょうもないですし、音楽評論批判っていうのも成り立ってしまいますが。でも、そのタグを練り上げることで、人生の光、彩りが変わっていったら、それは笑えるようなものでは、けしてない。

もひとつ言えば、言語化してみてはじめて思想が練られる、自分が何を考えているか自分で知る……っていうのもあって。一度言葉にしてみないと、練られるものも練られない。自分が何を考えているかを発見すること。これは案外重要で、「自分の中に大層な思想があるから、それをアウトプット」という図式ではなく、「試しにちょっと言葉にしてみて、そこからいろいろ考えてみる」っていうのの方が、「思想を練る」道程にぐっと近いと思う。自分がどう考えていたか、っていうのは、案外言葉にしてみないとわからない。あ、別に言葉じゃなくても、絵や3Dで表現してもいいんだけど。とにかく形にして出してみる、ってことが大事で。実はこの文章だってそうなのでした。どっとはらい

 

●参考記事

中年音楽マニアとLo-Fi HipHop - 残響の足りない部屋

(Lo-Fi HipHopについて)

Illusion Is Mine 2022.2 - Nothing is difficult to those who have the will.

(THE SPELLBOUND体験、そして下記は記事より引用)

音楽について「自分だけの引き出し」によって音楽に深みを持たせ、音楽世界を広げていけたら、それは果たしてどんなに素晴らしいだろう。そしてそれは僕がずっと求めていたもののはずだ。僕の、僕だけの体験によって、僕の音楽性に価値を持たせる。

このブログ名について - 発声練習

(「頭の中にある自分の考えを文章にして書く事が出来るようになりたい」ということ)

本館ホームページ更新 仙境ヤマナシ旅行記up

本館ホームページredselrla.comを更新しました。

レッズ・エララ神話体系 – on the world called"RedsElrla"

 

今回のホムペ更新は、第2作目の同人コピー漫画本「仙境ヤマナシ旅行記」のupです。ここのところ、ずっとこれを描いていました。

redselrla.com

感想やコメントは、ホームページ内の掲示板(BBS)か、このブログのコメント欄までよろしくどうぞ。

最近わたしの音の暮らしはこう 2022厳冬

おひさし。待たせたな!

(前回)

modernclothes24music.hatenablog.com

(2021ベスト)

modernclothes24music.hatenablog.com

そんなわけで最近聞いている音楽音響fav(お気に入り)シリーズです。

THE NOVEMBERS「救世なき巣」&ヤニス・クセナキス

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日本のノイズ、シューゲイザー、エクスペリメンタルなオルタナロックバンド。2014年アルバム「Rhapsody in beauty」よりドローンノイズ曲。

しかし曲タイトルを一目みて「クセナキスかよ!ヤニス・クセナキスかよ!」と。こちらは数学のアプローチを用いて構築的な現代音楽を作曲した大家です。

考えてみれば、クセナキス電子音楽アプローチも、音響も、金属的ポリリズムも、こうして並べて聞いてみれば、ノーベンバーズに通じますね。

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普通だったら代表作「プレイアデス」をここで貼り付けるんでしょうが、ノーベンバーズのこの曲と対比させるのだったらこっちかなぁと。ノイズ、音響、孤高さの艶めかしさ、ポリリズム

ノベンバが現代音楽にも通じている、っていうのは驚きはしませんが、しかしこうして「救世なき巣」を聞いてみると、空中に浮かぶ巨大建築、みたいなものを幻視してしまって。それは建築家でもあったクセナキスと、意識を同じくしているように思えます。現代音楽をただ奉るだけじゃなく、今を生きる音響ノイズ音楽として継承するという。良いな……ノベンバ。

 

バッハ「リュートのためのソナタとパルティータ」

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最近こればっか聞いてるな……。バッハのリュート曲です。なんとも落ち着きます。いや、Lo-Fiという文脈で聞いてはいませんがw 

でも「世界の静謐音楽」の文脈で聞いています。こないだ出た世界静謐曲コンピBar Buenos Ailesシリーズの9作目「bar buenos aires - Otono」買いましたよ。このシリーズとも長い付き合いになりましたが、相変わらず良い感じで聞いています。

 

CAPSULE空飛ぶ都市計画(2021リマスター)」

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最近、過去作のリマスターをドカンとyoutubeにupしてくれているCAPSULE。実は聞いてこなかったのですよね、CAPSULE中田ヤスタカPerfumeにもきゃりーぱみゅぱみゅにもピンとこなかったもので。でも彼の「本隊」たるこのユニットを聴くと、良いんですよ。今さらですが。

ダフト・パンク直系のエレクトロを演りつつも、渋谷系の洒落たニュアンスをあちこちに取り入れていて、「エレクトロニック・ラウンジ・ミュージック」みたいな独自のちょいレトロなテクノを演っている、というコンセプトがとても良い。時代を意識しつつも、「それはそれ、これはこれ」という感じでちょいレトロ路線。趣味的テクノ、とも言えるこの音が良いです。

 

パソコン音楽クラブ「Panorama」

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よ、良さみ……。

テクノで、路上観察的に在りし日の郷愁を奏でるユニットです。これまではニュータウンみたいな「忘れ去られつつある都会」を描いてきたこの倶楽部ですが、今回はちょっと外に出て……アルバムのジャケットのように、都心部をちょっと離れて水族館へ、って感じで。そんな内省的で、寂しくて、でも閉塞的でない空気感が良さ。

 

The Moment of Nightfall「Light is Beyond The Nostalgia」

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カセットで本アルバムを買いました。
名古屋から宅録/インディーポップ/カセットテープを出す、Galaxy trainレーベル。そこから音源を出しているRed Go-CartやPervencheらのメンバーが組んだ別バンド。

内容としては、ドローンでアンビエントフォークな音響。コーラスワークを重視しているアンサンブルで、野原の静謐な自然の空気感の中、男女コーラスを豊かに重ね、響かせ合っています。どこかの野原での平和な安らぎを幻視します。傷ついた者たちがようやくたどり着いた、って隠れたニュアンスもないわけでもない。でも陰(いん)はない。野原の、泣き笑いじみた、音楽の静かな喜びがあるだけ。

 

ザ・リーサルウェポンズ「デンジャーゾーン」

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ま、前の曲との世界観の落差がッw

しかし彼らがこの曲を演るのは、あまりに似合っている。耳について離れない。日本語訳詞(超意訳)も最高です。やはりポンズは最高であります。そろそろ出るアルバム買うぜ!

 

1800年1850年のロシア作曲家によるギター曲集

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凄く枯れて、寂しくて良い感じです。これも「世界の静謐音楽」文脈ですね。しかし気を抜いていたら、バラライカ直系のロシア速弾きトレモロフレーズが出てくるw それも含めて、豊かな音楽聴き体験です。

上海アリス幻樂団「Tabula rasa ~ 空白少女」

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幺樂団。いわゆる東方「旧作」と呼ばれる作品群、FM音源時代の曲を良く聞いています。chiptune文脈というのもあります。20年たってもまだ東方を聞いている。いや、まだまだ発見は多い。とても多い。リアルにビビッドにとても多い。ただ懐かしいだけで聞いているんじゃない。東方の、ZUN氏の曲は。この曲だって、かわいい系のちょいバラードなプログレとして聞けるもんなぁ……。