残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

模型について考える(後編)

近況報告


なんかいろいろあったなこの頃、という感が。小説を再び書きはじめたり、宅録をはじめたり、Nagaleさんが出雲にいらしたり(mixiの日記で旅行簡易レポを書きました)、ジャンゴの存亡がいよいよヤバくなってきたり、と、わたしの内外でいろいろと動きがあったこの二週間でした。……とりあえず今のわたしに出来ることは、日々の生活をしっかりとしたものとし、間近に控えた同人企画の短編の締め切りに間に合うように一心不乱に小説を書くことです。


……なんやかんや言って、一応は一日10枚は文章を書いているんですよね。これが全部小説だったら今頃とっくに短編書きあがってるはずなんですが、雑文込みなので、まだ小説は完成していません。ただまあ、それなりに順調ではあるところであります……とみずき君に現状の報告を。……大丈夫です、なんとか間に合わせます。というか、これに間に合わせられなかったならほんと自分が許せなくなりそうですから。


そんなわけで、本来ならこのブログも書いている余裕もたいしてないのですが、でもまあ、さすがに二週に一回は更新しないと、ブログの沽券というものが……もとからあるかどうか知れたものであるところの沽券ですが(苦笑)。ただまあ、月半ばの締め切りに間に合わせ、なおかつ月末の一周年記念企画にこぎつけるには、このあたりでブログを更新しておいた方が、スケジュール的に妥当でして……という大人の事情(笑)。なんだかなー。


そんなわけで、模型考、後半です。


模型について考える(後編)


あれほど……幼稚園・小学生・中学生と、あれほどのめり込んだ模型。それにいつ頃から手をつけなくなったのか……前回の記事でも書きましたが、高校時代に一回ストップしてるんですよね、模型。理由は、二次元美少女、ラノベ、漫画と、オタ文化にハマりまくったからです。まあ普通の小説(文学)も読んでましたが、しかしあのころは酷かった。今も別の意味で酷いですが。


あのころは趣味以外、すなわち勉強でも、興味のある分野しか全くしていませんでしたからね……そのおかげで興味のない分野、嫌いな分野の科目の点が面白いことになっていました(苦笑)。……今となってはそれを多少悔んでたりするのですよ。数学とか科学とか、真面目にやっておけば今頃自分の小説にも活かせただろうし、その方面での楽しみも増えただろうし、と。まあ今になって手習いを再びやっているわけですが。しかし……これは一面では青春の浪費だったかな、と思うわけです。もちろんオタ文化に触れたことはわたしにとって幸いなことであったわけですが、何もここまでやらんでも、と今になってみれば思うわけです。まころに「浪費」の言葉が似つかわしいくらい。……けどまあ、浪費することもそれはそれで意義のあることかもしれませんしね。


それはともかく。しかし決して模型が嫌いになったわけではないのです。わたしは一度好きになったものは嫌いになることはない人間ですから。事実、大学時代終わりになって、ぼちぼちガンプラを作りはじめたり、鉄道模型を走らせたりしてましたから。ああ、懐かしいなぁ、と思いながら。


……けど、今、部屋の片隅で1/144アルケーガンダムが埃をかぶっているという事実。放置されているという事実。アクションベースまで買ったというのに。あれほど好きだった模型なのに。なぜ今作ろうとしないのだろう? 前だったらこんなことは絶対あり得ませんでした。買ったその日には作っていました。


理由は……結局、模型を作るよりも、小説執筆・本(漫画・エロゲ含む)・音楽(演奏含む)にリソースを振り分けているからなのですよね。上の近況報告で書いてあることに専念するあまり、模型を作る暇がない。


……暇? もしわたしに相当の時間が与えられたら、模型を作り始めるでしょうか? 今のわたしに足りないのは時間と体力(持病対策のためのエネルギー)です。しかしそれが解消されたとしても、「模型を作るか?」に対しては「どうだろう?」という答えを返さざるを得ません。多分わたしはその時間でもっと上の3つをするのではないでしょうか。


そういう意味では優先順位は確かに下がりましたね……これは悲しいかな、否むことではありません。繰り返しますが、嫌いになったわけでも、興味がなくなったわけでもありません。でなかったら模型誌買ってませんし、アルケーガンダムだって確保してません。ただ、言うなれば、今のわたしが好む「おもちゃ」の種類が変わってきた、ということなのです。わたしは前回本や音楽も「おもちゃ」だ、と言いました。結局はそういうことなのです。


具象的なおもちゃから抽象的なおもちゃへと。


なぜそうなったのか。考えられる理由としては、創作をしているから、というのがあります。イメージの源泉を得られるから、もっと言えばネタを拾ってこられるから。まあそれ以前に、頭の中で展開される楽しさ、というものがより好きになったから、というのも理由といえば理由でしょうか。


そしてそれ以上に、小説執筆、すなわち「創作」がわたしにとっての目下最大の「遊び」なのです。ここでのおもちゃは「言葉」です。前回わたしは小説執筆を、言葉というブロックを使った遊びである、と書きました。そう、わたしは子供に還っているわけです。ブロックで遊んでいるわけです。言葉というブロックを使って、美しかったり、不気味だったり、恰好よかったり、わけがわからなかったりする、あれやこれやのオブジェや箱庭の中で、人形を使って遊んでいるのです。先のことに触れるならば、言葉というおもちゃをより一層面白くさせてくれるための設計図、イメージの源泉、それが本であったり音楽であったりするわけです。


つまりは、昔も今も、わたしはただただ遊んでいたいわけです。だから小説を書くのです。そして、遊んでいたいからこそ、多分いつか模型も復活するでしょう。具象的なおもちゃからイメージを引っ張り出したりするでしょう。その予感はあります。「形の美」からわたしが学んだものはあるのですから。「遊んでいたい」そう思っていられるうちは、多分わたしは大丈夫なのではないかと、うすらぼんやり思っているのです。

(おしまい)


これからの予定


多分次回の更新は一周年記念企画になると思います。同人企画の締め切りで詰まっているものですから。それから、8月の連作短編締め切りもありますし、結構動きっぱなしになると思います。更新は控えめになるので申し訳ありませんが、実動は結構してるということで。あとそれから、同人企画でのわたしの名前ですが、「近代衣服の残響」というハンドルではなく、先日プロフィール更新で挙げた「窓枠曲壁」というペンネームを使います。や、文筆活動ではこの名前を使うと決めているのです。前から。そんなわけで、同人企画とこのブログの更新と、どちらが先になるかはわかりませんが、まあ、その、なんでしょう、よろしくお願いします(?) 。


本日のBGM:エマーソン、レイク&パーマー『展覧会の絵』(実は、キーボーディストとして、キース・エマーソンが超好きわけでして。あー、プログレはいいね。英ロックの辿り着いた境地のひとつだよ。こういう音楽ばっかり聞いてたいよ。まあフェアポート・コンヴェンション聞いたらトラッド・ロックばっかり聞いてたいと言うし、レスター・ヤング聞いたらジャズばっかり聞いてたいというし。なんだかなー、自分)