残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

けいおん雑惑


近況報告


小説を書き終えて、現在次の企画のための資料集め&整理を行っています。とりあえず書きあげた後の一休みというか、オフ的な面ももっているのですが、やはり常に創作活動には常に関わっていたく。それから、書きあげた連作短編の反省というか、問題点を総ざらいすることもやっています。まーやり出したら出てくるわ出てくるわ、ボロボロと(苦笑)。
しかし、こういう反省が出来、次の作品に繋げることが出来る、というのはやはり良いもので、書きあげてよかったと思うわけです。少なくともこれは前進であり、机上の空論ではないわけですから。やっぱり書きあげないと/創りあげないと、駄目ですね。完成させてはじめて語ることが出来るというのが、創作というものだなと改めて思うわけです。さあ、後は結果がどう出るかだ。ま、例え落ちたとしても、今回の小説がいい勉強になったのは事実です。たぶん次はきっと、より上手く書けるはず。そのささやかな気持ちが、プレゼントといえばプレゼントでしょうか。


てなわけで資料集めなんですが、らき☆すたの設定を確認するため、またらき☆すた読み返したり、ノベルゲームのゲームエンジンについて調べたり、北欧のフィヨルドについての資料を見返したり、と、各企画を同時進行しているわけですが、しかしさすがに、優先順位というものを決めたほうがいいのかしらん……そんな感じで九月以降の下半期創作活動は開始しております。


と、自作小説に関してはここまで。それでは前回予告したように、けいおん雑惑、いってみましょうか。


けいおん雑惑


・所詮わたしは百合者である。ムギビジョンの徒である。その中でも律×澪に惚れ込んでいる者である。りっちゃん隊員男前。
しかし思うに、このカプにおいて、阻害要因といったものがやはりあるだろう。仮に世界観的に「世間的に百合がOK」な世界観(短絡的に言えば藤枝雅氏的、あるいはふぐり屋=ミカ女的世界観)を前提としていてもなお、冷静に考えて、「彼女たち」の存在が問題となってくる。そう、即ち「秋山澪ファンクラブ」の存在である。
これまでこのカプに言及される際に、わりに「律に対するファンクラブ会員の嫉妬」というのは考えてこられなかったのではあるまいか? が、「ファンクラブ会員の嫉妬」という現象は十分考えられることであって、律×澪を長期的に展開していくことになれば、いつかはこの問題にぶつかることになるであろう。「けいおん!」の「悪人がいない世界観」に頼って、そういった嫉妬心を回避することも可能だが、しかし反面それはドリームと見なされ、人物造型のリアルさが足りない、と批評されることなきにしもあらずである。真正百合者ほどそのあたりには厳しい目を持っているはずだ(とくに女性百合者は。男性オタはそこのところを「まあまあ、ヌルくやっていこうよ」でスルーしがちな面がある……というのは偏見?)。
このことは唯×梓においても言える。ゆいあずを追及していけばするほど、必然的に憂のヤンデレ化を予測しなくてはならなくなるからだ。
阻害要因があればそれだけ恋は燃える(萌える)のかもしれない。それも一意見だ。が、甘さだけに浸っていたい、修羅場嫌ー! な人(まあわたしもそうなのだが)もいる、というのも一意見だ。だから、このカプ萌えにとっては、いかにして注意深く阻害要因を処理していくか、が各々の妄想力の試されるところとなる。このことは、考えている人はとっくのとうに考えていることだ。みんな頑張っている。わたしも頑張ろう。


・律×澪に惚れ込んでいる、と上では書いた。わたしは浮気を是としない人間である。あるが……しかし最近、俄然ゆいあずに興味を抱くようになってきたのだ。おおらかな天然と生真面目なツンデレ。包容力に身を任せたいながらも、しかし表面上では跳ねのけてしまうこの意地っ張りさ。そしていざデレたときのあずにゃんの破壊力……ううむ素晴らしい。
そしてしみじみ思ったのだが、梓は生真面目(神経質的とも称されるほど)であるツンデレだからこそ、物語上、そして百合カプ的に意味があったのだ。仮に梓が入部時から「唯先輩大好きです!」なことを口走るキャラであったと想起せよ。その時点であずにゃんの魅力は半分は減じているであろう。最初からデレることが分かっているツンデレ、というのはこの数年で一気にフォーマットとなった造形であるが、しかしやはりツンデレの本道は、最初はしっかりツンツンしてくれるところにあるだろう。デレの甘味はその後からやってくるものだ。あるいは、その予感を抱き続けることこそがツンデレ道なのかもしれない。


・各キャラモデルの楽器を買ったのなら、ちゃんと弾けよ! わたしはこの件については未だに怒りを禁じえない(フェンダージャズベースが欲しいのに未だに手に入っていない楽器オタとしての妬みもそこにはある)。
……そして思うのだが、メッセージ性がないと言われているけいおんに、もしメッセージがあるとすれば――かきふらい氏がメッセージを込めたとすれば、それは、「バンドやろーよ!」というメッセージなのだろう、と思う。
どちらかといえばけいおんは、音楽を描いているというよりは、音楽をきっかけとしたグダグダを描いている、と言えると思う。が、そのグダグダも音楽活動なのだ、と言うならば。まったりした空気もバンドをやっているからこそ得られるものだというのならば。――やはりけいおんは音楽(のある風景)を描いているのだ、と言えるのかもしれない。
しかしともかく、けいおんを通して、読者/視聴者が、音楽に、演奏に興味が出たというのならば、それこそがかきふらい氏が最も求めていたものではないかと……そうわたしは思うのである。


・とどのつまり、けいおんとは、キャラ立ちとほのぼのした空気感に全てを託した作品であるのだろう。メディア展開での楽曲の良さというのも当然ある。が、作品の「元」はやはりその二点にあるだろう。
だから、けいおんに対して、ドラマツルギーダイナミクスが希薄という批判は、カレーに対して「甘くない!」と指摘するがごとき見当違いである。あらゆる物語がダイナミックなドラマ展開をする必要はない。――否、それを言ってしまえば、ある種の物語は「物語性」を放棄したものであっても良い、とすらわたしは思う。それとはまた別の「何か」を狙い、そしてそれが成功したのであれば、その作品は一作品である。
……以上の議論はすでに100年前の『改造』誌上での芥川=谷崎論争(いわゆる「筋のない小説」問題)ですでに語り尽くされた問題である。わたしはこの論争では芥川の肩を持つ者である。よって上のように書いた。わたしは別にドラマティックな物語を否定しているわけではない。無論プロットの魅力などどうでもいいと言っているのではない。ただ、それが全てでもないだろう。キャラ立ちとほのぼの、それだけで作品として「何か」が描けているのであれば、それはひとつの成功だろう、と言いたいのである。


・アニメ20話についてはすでに語り尽くされた感があるし、個人的感想を述べるなら「良くも悪くも青春だなぁ」といったところであるので、あえて「ごはんはおかず」だけに限定して語ってみよう。
しかしすごい歌詞である。第一期のアニメの初ライヴのとき、唯のMCに対してりっちゃん隊員が「コミックバンドか!」と突っ込んだが、この歌詞はコミックバンド以外のなんだというのか。が、それでも曲として盛り上がるように曲が書かれているのがまたすごい。というか……歌詞と相まって、なんだか妙な中毒性すら覚えてくる曲である。あのリフレインが耳について仕方がない。それと、OP、ED曲に比べて、はるかに「高校生が書いた曲」っぽい。いい仕事をした……のだろう、と思った(……え? ただの感想?)。


・しかしこの数年で、けいおんほど、「音楽」をメディア展開で上手く使ったコンテンツもそうないだろう、と思う。アニソンがランキング一位二位余裕で独占である。快挙といって差支えない。少なくとも、その音楽のクオリティが高いものであったが故でもあるし、また、「HTTが演奏している」という「同期感覚」を演出したのも大きい。とにかく、上手くやり、そしてそれがとことん成功したのである。
これはけいおんだけに限ってしまうのであろうか? 旧来のアニソンのプロモーションの仕方があまりにオタ向けすぎて、一般層に訴求できるものでなかったとして……もしそれを打破するとするならば、やはりけいおんに範を求めるべきなのかもしれない。あるいはけいおんの音楽的成功は純粋な「奇跡」なのかもしれない。が、学ぶことはできるだろう。「刷新」の意思さえあれば。
確かにわたしは前にも言ったとおり、アニソンを苦手とする人間である。しかし、けいおんの曲の中には愛すべき曲が何曲もあった。別にアニソンを全面否定しているわけではない。ただアニソンがその自己の「傾向」の中で充足するのならば……他ジャンルとの異種混合、そして前進(プログレッシヴ)を意志しないというならば、やっぱりわたしはアニソンが苦手なままなのかもしれない。
わたしの様な「音楽的『外部』」から見て、やはり前にも言った通り、アニソンにはそういった保守的な面がある。もっともこれはアニソンに限らず、ロック、そしてとくにわたしの愛するジャズにおいて大きいところである――それはともかく、しかしけいおんを通して、わたしはアニソンを以前ほどの偏見を持たず、虚心坦懐に聞いてみようという気になった。で、聞いてみてやっぱり上のように思ったのである。アニソンに「刷新」は必要か? 正直、オタがそう思っているかどうかは判断のつきかねるところである。しかしアニソンが音楽ジャンルとして歴史上に名を残す――サブカル/オタク・ミュージックとしてのレッテルから脱却する――ためには、アニソン自身、そしてプロモーションにおいて、何らかの変化が必要なのではないか、と、けいおんの音楽を聞いて思った。


・真面目な話を真面目にしてしまったので恐縮である。本当はこんなことよりも、澪が律にデレてデレてメロメロ人格崩壊な二次創作SSを書いていたいというのは内緒である。「やだぁ……律がキスしてくれないとやだやだぁ……(ぐすっ)」くらいのことは言わせたいものであるが、これは内緒である。


●P.S.


また更新が遅くなってしまいました。すいません。ほんと体調が不安定で……でも、それを言い訳にしていたらいけないよなぁ、と思います。どんなときでも書けるようにしないと……。


本日のBGM:『放課後ティータイム』(まぁ、こういう回ですしね)