残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

after the quake/読書日記

地震津波
慎んで哀悼の念と一刻も早い安定・復旧を祈ります。わたしの住んでいる地域は中国地方なので、幸運にも被害はなかったのですが、それだけに、非常に申し訳ないというか、平和を甘受してしまっていることに対する自責の思いがあります。何を言っても詮無いことではありますが、それでも。
濁流にのみ込まれていく家々、船、車、炎に包まれる町、コンビナート。それは「圧倒的な暴力」でした。つくづく、その恐ろしさを思います。ひととき前までは何でもなかったのが、一変して、全てを飲み込んでいき、破壊するのです。
今は一次災害の状態です。これから二次災害の被害が拡大していくでしょう。システム・インフラの復旧だけでも相当なものですし、ましてや被害者の方々のPTSDをも含めた被害の治療には、それこそ多大な年月がかかります。
それでもこうして文章を書けているという自分に少々の嫌気がさします。かといって取り立てて彼の地の方々に何かが出来るかといえば、募金ぐらいのものです。場合によってはこうやってネットに繋いだりPCを使ったりすることで余計な回線や電力を消費しているとすら考えられます。
そしてそれ以上に嫌気がさすのは、自分がエセながらも物書きと自負していることです。このことが何の役に立つというのか。「圧倒的な暴力」の前にはペンは無力です。よしんばジャーナリスティックに取材を進め、情報の伝達を進めたところで、万が一そこにノイズ・バグ・デマが入りこんでしまったら、火を煽るようなものです。……いやまだ現実的行動力があると言う時点でジャーナリスト(評論家)には価値があるのでしょう。では小説家は? ――どうもこのあたりで、わたしの思考は袋小路に入ってしまいます。
ただ、出来ることはひとつあるような気がします。それは、「忘れない」ことです。痛みを、傷を、その生々しさを、自分の中で風化させず、自分の事件として覚えておくこと。……とはまあ、簡単に言いますが……しかしそれが小説家志望の人間としては、意地でもやっておかなければならないのではないかという気がするのです。おこがましいとは思いますが。
ラブラブルプレイ日記は次回
すいません停滞していて。実は、小説を投稿する公募新人賞を変更して、そのために締め切りが一ヶ月前倒しになったので、今それにかかりっきりでてんやわんやなのです。とりあえず一通り完成させるまでは他のことは出来そうにないので、プレイ総括感想は今しばらくお待ちください……。
苦しいときこそ
そこに笑いを持ちこめるか否か、で人間の格というものが変わってくると確信しているのですが、このような状況下において、そこにユーモアを交えることなどほとんど不可能に近いというわけで。せめて出来ることといえば、引きずられない(扇動されない)、変な考え(思いあがり)を抱かない、と、クールになることかと思います。こんなときでさえ悪意を持ったデマを流す輩がいるのです。そんな輩は無視するに限りますが。笑顔が戻るのはいつの日か。……だから、シリアスさを笑いで相対化させる、って言うのは簡単なんですよ。けど、いざギリギリの状況下になったら、「物理的に」そんなことは言っていられない――それでも言える人がもしいたとしたら、その人こそ賢人でしょう。
読書日記
じゃあせめて明るい話題をひとつ書いて今回の更新の締めにしたいと思います。
児玉樹氏の『FORTUNE ARTERIAL』最新刊(六巻)の面白さは異常。はじめは児玉氏の新作コミカライズということで、「お、いつもながら堅実な筆致」ってな感じでまったりと楽しんでいた本作なのですが、ここ近刊に至って、話の中核にどんどん踏み込んでいくにしたがって、面白さがインフレ甚だしいことになっています。ネームの切り方はさらに力量を上げ――シリアスの緊迫感をスピード感豊かに、日常の平和感を折れそうなくらい優しく――もはやその力は、かつてわたしは「地力」と呼んでいた筆力ですが、今やそれは「プログレッシヴ」と呼べるほどのものになってきています。変幻自在のコマ割り、脳髄に刻みこまれるセリフ。
「萌え伝奇学園ものだろ?」なんて批評は的外れもいいところです。原作は未プレイですが、しかしこの漫画版はそこらの「萌え漫画」のレベルを遥かに越え、いよいよ山場を迎えようとしています。正直恐ろしいです。このインフレ状態の面白さのままでいったら、ラストがどれほどのものになるのか。
……いやまあ、萌え漫画としては地味で華にイマイチ欠ける絵柄なんですけどね。それは認めます。だがそれがどうした。漫画としてこれほど面白い、これ以上何を求めるというのですか。伏線の怒涛の回収ぶり、畳みかけるような展開、先を読ませないストーリーテリング。そしてあんなところでこの巻が終わるなんて! この圧倒的ドライブ感、まさにコミカライズの名手です。何だかベタ褒めですが、褒めるしか今のところはないのです。何と言っても、わたしの漫画読みとしての「批評機能」が上手く働かないほど読ませるくらい面白いのですから。要するにそれくらい冷静になれてない、ということで。
絶対角川は児玉氏を手放すべきではないです。この作品が完成した暁には、コミカライズ=メディアミックスの歴史上、ひとつの歴史的達成が行われるでしょう。そのとき漫画は、また新たな可能性と才能を開花させる、かもしれません。大仰ですが、それほどの力を持った巻でした。
本日のBGM:なし