はじめに断ります。これはディスではありません。音楽批評・残響です。
今回の音源は、岸田教団&THE明星ロケッツ「幻想事変」です。
●序 嫌いだったら、ほとんどのアルバム持ってねえです
いつから、岸田教団の音楽に、「物足りなさ」に近い、ある種のイラだちを覚えるようになったのだろう。
音……そう、岸田教団の音は、メジャー、アングラ、インディー、邦楽洋楽、全部を見渡してみても、もっとも「激烈なトンガリ」と「ポップネス」を兼ね備えているものだ。
両者兼ね備えているから、「アングラ一辺倒」よりも破壊力は少ないとか抜かす奴はこの冬の寒さに凍えて死ね。
岸田総帥(通称)の紡ぐメロ、マイナーと7thを合わせたコードの独特のテンション・ハーモニー。それを総帥は「中二」と呼び、それは確かにそうなのだが、しかし岸田以外に岸田ワールドを紡ぐことが出来るのか。メロとハーモニーは一体となって、「ああ、岸田の曲だわ」とすぐにわかる。
よく言われるように、「ギュギギギピルピルキュキーーーーーィィイ!」な、オルタナにしても、ロキノンにしても、それはないだろ的なギター異音(はやぴ~のプレイ)。その片方で、実にロマンティックなアルペジオ(岸田、もしくはてっちゃんのプレイ)。
Ichigoのレイジーな林檎直系のvoは、激しさのパンクと憂い。声の細さ? 君はきっとIchigoじゃなくてあらまりさんを聞いてるんじゃまいか。(ひどい)
岸田のベースについて語られる気配があんまないのは、界隈の罪といわざるを得ないな! U2大好き、とかいう総帥が、アダム・クレイトンの実直なベースを嫌いなはずはなかろう! 常に安定感のあるラインは、お手本といっていい。総帥のくせに、一歩引いて、まとめやく。実際岸田のベース消してきいてごらんよ、君がきいてる「岸田ワールド」崩壊するから。逆に、結構ベースの音量あげても、ギターを喰うどころか、むしろ調和するもん、オレ確かめたもん!
みっちゃんのドラム……アヒト直系と言われる、手数多すぎ。しかしマッシヴにストレートアヘッド爆走するときの重さ!
さあ、これのどこが「物足りない」のだろう。もっと言えば「退屈」なのだろう。
……いや、それは「眠くなる」とか、そういうのじゃない。
もっと単純に、曲構成……どの曲もイントロ→ヴァース→コーラス→ギターソロ→コーラス→アウトロ、というポップス方程式に則りすぎ、とか。
でもそれは、他のバンドだってそうなのだ。
あるいははやぴ~の、猛烈なプレイを、もっともっと、ジャムセッション的に聞きたいから、というのもあるかもしれない。この鬼才をもっと暴れさせろみたいな。発狂したジミヘン、エフェクターを使ったアベフトシとしてのプレイを。
オレの頭の中にあるのが、村上春樹の「意味がなければスイングはない」での、ウィントン・マルサリス批判だ。
村上はウィントンを破格の才能を持つジャズメンだといいながら、その作品の半数を「退屈」である、とする。テクニックがあるからこそ、余計に退屈だと。
しかし……ウィントンが、テクニックよりも、自分の「魂の地下室」に降りていくプレイをしたとき、そこには深い滋養の在る音楽が現出する、という。
●破 恐らく今の岸田はリメイクしたくてたまらない音源「幻想事変」
で、岸田教団がバンド体制になって、はじめての音源が「幻想事変」である(それまでの岸田教団の三作は、Jazztronikの音使いや、ブンブンサテライツ的なロックとテクノの融合(高速ビッグビート)という路線であった。この三作、プレミアでバカ高い。「SSSS」はDlsite.comで実はひっそりあるけど)。
もしかしたら……オレが、素直に熱狂出来るのは、このアルバムが一番かもしれない。
ときに、岸田とはやぴ~は、界隈(東方同人出身ミュージシャン)の中でも、屈指の機材オタである。それはtwitter見てれば分かる。あのひとたち、楽器と音楽と猫と野球とゲームの話しかしてないんじゃねえか?
……そう、オレは、twitterまでチェックするほど、この岸田教団という異能集団を、注目している。なんだかんだで新譜が出るごとに、買っている。
「それは好きっていうんですよ、ツンデレ乙」
……うーん、言い返せない。
ただ、その機材トークにも、時折、楽曲を聞くときと同じ、イラだちを感じるのも、事実なのである。もう正直にいうよ。
とくに岸田総帥は、エンジニアとしての顔も持つ(この若手にして、すでにスタジオ構えてるくらいだし)ので、音響には厳しい。実際、盤を重ねるごとに、その音質はハイファイになっていく(のわりには、曲のアウト部分の空白をカットするポカミスしたりするけど。セブンスワールド初版)。この音質に対抗出来るのは、同じ界隈だったら、同じくプロのエンジニアであるCROW'SCLAWの鷹くらいではないか。
その岸田にしてみれば……うん、オレでさえ、この音質のこもり具合はわかるよ、幻想事変。
ハイの伸び、ローの広がりが、トンガリじゃない。その後のドンシャリ&クリアな音質とは違う。
あえて言えばローミッド集中。はやぴ~の鮮烈なプレイも、中域重視(に結果的になってしまった)プロダクションのゆえに、いつもだったら脳内にズギュウウウウンと突き刺すようなのが、そこまで突き刺す音じゃない、この盤では。
……だが、それでも、オレはこの盤が好きだ。
●急 これは彼らの罪ではない
オレは卑怯な批評をしようとしているのかもしれない。
その後の彼らの洗練……岸田中二世界の追及、そのために、機材も音質もある。
彼らの未熟だったころを、「その未熟さがいいのだ」というような、ゲロ吐きそうな批評をしようとしてるんだろう、オレサマは。死にたいよ。
ただ……
今回のタイトルで、7thオクターブの覇者、とオレは書いた。
これはオサレを気どりたいわけじゃない。事実なんだ。
オクターブファズを使った倍音たっぷりの発狂プレイもさることながら、バッキングというかリフにまで、この手の音をかます。
ルート音に対して、三度五度の音を重ねるのですらない。岸田によるベースが堅実に支えながら、その基調音に対して、奇妙なテンションコードで、トリッキーなエフェクト多用プレイを載せていく。その載せ方は、単なるベース同期、ヴォーカル同期ではなく、ときに「いわゆるリフ」としての機能さえかなぐり捨てて、自由に暴れる。怪獣サウンド。
それでいながら、合わせるときは合わせるのだ。同期で「がっ、がっ、がっ!」と、ロックの醍醐味。しかもその時も、テンション上、オクターブ上で、絶妙にずらして、独特のハーモニーを構成する。
そのキーポイントは、多分7th。歌詞でも歌っているように、
「7thの響きが聞こえたなら、スリーコードで永遠に」
基本マイナーキーっぽいメロを構築してはあるが、「なんか落ち着かないドミナント感」が、岸田の場合、アレンジでもオリジナルでもある。Ichigoのヴォーカルがそれに余計に拍車をかける。安らぎじゃない……焦燥。時折メジャーキーにいったとしても、なんか落ち着かない。
……そりゃ、岸田教団聞いて落ち着こうってやつぁいないだろうがよ(笑)
こんな独特な音を演る奴らに対して、オレも「退屈かもしんない」とよくもまあいうもんだ。
それに、オクターブの覇者は、覇道をさらに進んでいる。盤を重ねるごとに、上記の特性は、より研ぎ澄まされている。
……なのに、それらの盤(「ロックンロールラボラトリー」は結構好きなのだが。とくにはやぴ~作曲(初!)の)に、幻想事変ほどの愛着を覚えられないのはなぜだろう。
音は確実にいいのに。やりたいことを完璧に結実さしとるのに。
……ひとつの仮説としては、あまりにその「7th」や「オクターブの重奏」が、過激になって、ドンズバの好みじゃなくなってきたからかもしんない。
絵の具に例えれば、極彩色の混色の美に、ちょい疲れて、単色の懐かしい和絵の具の味わいが懐かしくなったのか。
オレが卑怯な批評、というとるのはそこで。
彼らが達成した極彩色を、言祝ぐことが……少なくとも、溺愛できない、自分の感覚の乏しさ。
オレを芸術批評上のロートルと罵ってくれて構わない。
……いや、それと、ちょい別のとこに、また問題はあった。
中域スモーク、というた。オレは幻想事変の音づくりを。
オレは「それ」が好きなのであって、その後の発展とか、あんま気にして聞いてなかった。別バンドとまではいわんが。
つまり、最新作と、バンド処女作の区別をして聞いてなかった。いま気づいたよ。
そして、なんか切迫感のあるメロ(アレンジ)なのである。東方アレンジっぽさがない。良くも悪くも。
その後の岸田中二メロが、「自分の世界で必死に生きる」感があるのに対し(歌詞でもそうだよね)、この時点では「自分……ここに居ていいのかな?」みたいな不安定さがある。生まれたての生き物が叫ぶかのような。音質とか研ぎ澄ませられるはずがないわな。
……で、おそらく、岸田の中二世界……とくにメロとIchigoのボーカルだ。これが、オレは留保なく優れていると思いながらも、溺愛まではいけないのだろう。岸田がそのセカイそのものであるメロを、洗練させていくごとに。
それでも留保なく優れているだけに、激烈な刺激であるがゆえに、可能性が極彩色の光であるがゆえに……最後に、この7thとオクターブが、他のバンドでは代替えできないもんであるがゆえに、岸田教団を聞き続けているのだろう。
オレは……悪いリスナーなんだろうな。ごめんなさい。岸田さん。
それでも……それでも……
それでも……
●岸田教団論、おしまい(ひょっとしたらいつかまた続けるかも)