残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

「外を絶って」クリエイトすること

●あるいは自分にあったデバイスの使い方

ポメラを使うようになって、本当に文章を書くのが楽になりました。
ポメラというのは、過去の記事でもかきましたが、ネットに接続「できない」小型ワープロ専用機のことでして、自分の執筆スタイルは、これが本当に適していたのです。
そもそもポメラは、あくまで「メモ帳」としての機能性を追求してつくられたものなのですが、どういうわけだか−−あるいは不思議ではないのかもしれませんが−−創作クラスタ(小説とか俳句とか)の中で、ぼつぼつと、使い始めるひとが増えてきた、ようです。じゃ僕の使い方(ハードにポメラばっかりで物をかく)もあながち間違っているわけじゃなさそうです。
なにがいいたいかというと、それだけデバイスというか、発言メディアというか、まあ、ここでいうのは、ブログとかtwitterとかmixiとかFacebookとかtumblrとかはてなダイアリーとかのことなんですが。


ポメラですら(ようするに入力デバイス)このように、ひとによって使い方がさまざまなのですから、出力デバイス−−上にあげたようなネットメディア、それもまたひとそれぞれなのでしょう。
誰もがtwitterやってるからって、とくに新世代の多くのクリエイターがtwitterマストだからといって、ではすべからくクリエイターはtwitterつかうべし、そうでなければ嘘だ、みたいなことにはなりません。
使ってないひと、トップクリエイターの中でも結構いますしね。村上春樹森博嗣西尾維新尾田栄一郎冨樫義博、TK(凛として時雨)、………………いま手元にあった書籍やレコードをちらと見て確認してみましたが、むしろtwitter使ってないひとのほうが多いんじゃないか第一線で活躍してるひとほど……と、敷衍するのは、はい、危険ですね。忘れてください。


ただ、自分でも列記して不思議に思ったのが、西尾維新氏、この手のネットサービス、ぜんぜんやってないんですよね。
すぐに想像したのが、桜井政博氏(カービィとかスマブラ作ったひと)がコラムで書いていた、
「さまざまに交流してインプットして「外圧」を高めてクリエイトするひとと、いっさいの交流を絶って「内圧」を高めてクリエイトするひとがいる」
……原文をチェックしてないので正確ではないですが(ファミ通コラム本、そこの本棚にあるんだから確認しろよ。大家をなすひととなさないひとの違いがここに!)、だいたいこんな感じだったはず。桜井氏は後者だといいます。
あれだけブッキシュで、理屈っぽく、さまざまなインプットしたものを縦横無尽にあやつる西尾氏が、逆にネットには姿を表さないというのは、僕からしてみれば(あるいは創作クラスタ、批評クラスタからしてみたら)謎でしたが、だいたい上の理屈なのではないでしょうか。
そして、「だからこそあのように密度の高い情報量を小説にぶちこむことができる」と。
いえ、それが創作者にとって唯一のただしいことだ、というつもりはありません。
創作なんてものは、結果オーライです。
ここで書いてることも、自分にとって「だけ」有効なメソッドを探っているだけのことです。
西尾氏が「顔を出さない」のも、同じことだと思います。

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じゃおまえさんは「外圧」を高めて、ものをかくタイプなのだな、ブログとかtwitter使ってる、ということは……
ええ、おそらくそうなのでしょう。
ただそれだったら、常にtwitter立ち上げて、PCで書かなくてはものかけないはずなんですが、意外にもポメラスタイル−−書くときはほぼ完全にネット遮断−−なのです。
へんなの。結局それって「内圧」型じゃない。


ここでわたしはわたしの分裂を感じます。
飛躍しますが、おそらくわたしが「100%の小説家」ではなく、「数割は批評家な小説家」なのだ、ということは、ここに所以しているのではないかと。(まだ「志望」ですが)


小説世界を展開し、キャラを配置し、その中で「語りきる」タイプではないのかも、ということです。
それってだめじゃん、との指摘はまってください。心がおれるから。


ずっと前に森博嗣氏がいってたことなのですが(エッセイ集「ミステリィ工作室」のなかの「自分のルーツ本100冊」の、笠井潔だったか京極夏彦だったかの項。だーから本棚にあるんだから調べろっ)、
「作家には「まず書きたいものがあって、そこから制作のためパーツを方々から探して、組み立てるタイプ」と、「パーツがあって、それを日々磨いて、そこから発想力を磨いて、満を持して書きたいものを見つけだし、書くタイプ」がいる」
みたいなことです。これもまた正確ではないですが、だいたいこんな感じだったはず。


「発想優先型」と「パーツ優先型」
自分は長い間「発想優先」だと思っていたのですが、
どうもパーツにこだわる傾向が強い……そのくせ書くときは「内圧」をやたらと高めたがる。」
往々にして発想優先型は、内圧型です。パーツ優先型は、外圧型です。理由は上にかきました。つもりです。


ああ、もう2000字かいてるよ。原稿用紙5枚だよ。
というわけで、ある程度パーツ磨いてテンション上がったので(そう、このブログのエッセイは、そういうことだったのです!)小説かきます。
……あるいは、僕が批評家としても、小説家としても大成できないのは、このあたりの分裂と、「窮める」ことを中途半端で放り投げる傾向にあるのかもしれませんけど、まあいいや、そこんとこ、あまり考えないほうがいいような気がします。だったらこんなエッセイなんか書くなやと。
ああ、今回も、「はてなからタンブラー移行」のことが、書けそうでかけなかった。