残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

Stan Getz「at Storyville vol.1&2」

 

クール派テナー奏者・スタン・ゲッツの「クール期」における最重要作のひとつです。というかゲッツの極点のひとつ。

(これはもともとLP盤では二枚組だったのですが、CD化に際してひとつになりました)

 

村上春樹が「自分にとって【ジャズ】とは、スタン・ゲッツだった」というほどの入れ込みようは、どれほど知られているのかはわかりませんが、村上春樹が言うには、

 

「彼はどのような状況(ドラッグに蝕まれていようが)においても、ひとたび楽器を持てば、天国的な音楽をアドリブで無計画にすらすら吹くことができた」

「彼の音楽の中核にあるのは、黄金のメロディ――たとえリズムセクションのスタイルがどのように変化しようとも、あたかもマイダス王がふれるものすべてを黄金に変えるがごとく、彼の音楽はメロディが美しすぎる」

「彼ほど、センチメンタリズムに堕することなく、歌を歌として、テナーサックスで歌いあげたサックス奏者はいない」

 

ものすごいべたぼめですが、このテナーマンの音楽で聞ける音楽に、どこか「苦悩」とか「苦痛を乗り越えて歓喜へ!」みたいな感じはありません。

クール、洒脱に、美しいメロをとにかくまきちらします。中域~高域にかけて(あまりぶおおおお、みたいな深く重いメロは吹かない)、甘いメロディを疾走するのです。なにも障害などなく、「ふぁっ、ふぁー」、みたいな、「優しい管楽器」として、テナー・サックスを操ります。

 

ただし。

このテナーマンは、その天才的な腕前とともに、どうしようもなくドラッグの中毒者であり。

じゃあ自己破壊的な音楽になるかというと、それが……聞いていて、均整がとれていたり、温かみを感じさせる音楽だったり……これが、ゲッツの不思議なのです。いま聞いていても、ほんとうに不思議なのですが、この録音(ゲッツは、レコーディングの前には大抵「打って」いたといわれてます)には、サイケデリックのかけらもなく。

 

あるとすれば、どこかヒヤリとした感覚。でもそれは洒脱の領域におさまるもので。

どこまでも開放的にパッパラパパラ、とぶちかますような音楽ではありません。

夜の音楽――深夜のクラブで、手だれのバックバンドを従え、クールネスとメロディアスを同時に表現します。

とくに特筆すべきは、ジミー・レイニーのギターで、このギターのメロディアスさがゲッツの黄金フレーズのサブフレーズとして、またオブリとして、またリズムセクションとして、じつに「まろみ」のあるプレイを聞かせます。

 

そこに何らかの苦労のあと、というのは見えません。

録音は、必ずしもよい、とはいえません。どこか曇った感じですし。でもそこから聞こえてくる、メロディーは、わたしたちのこころに差し込んできます。

 

最高なのは五曲目「move」。


Move - YouTube

これは疾走チューンなのですが、これは……わたしがジャズを聴きはじめて……最初はジャズのなんたるか、がわからなかったのですが、これが「すげえええええ!」ということだけは、容赦なくわかりました。

信じられないくらいの疾走感、そのうえに圧倒的な歌心! リズムセクションは完璧で、どこまでも天井知らずに飛翔していくゲッツのサックスが、最高すぎる!

ある意味では、このメロディは、現代という観点から見ると、テクノであったり、ゲーム音楽……とくにSTGのそれに近いものもあるのです。

ただそれにしても、とにかくゲッツは吹く!吹く!吹く! すべてのアドリブに「歌」があり、最初のブレイク部分で、「ぱっぱっぱっぱっぱっぱら、ぱっぱぱーらー↑↑」と天井にむけて天使が飛翔していくところは、あらゆるジャズのなかでも……あらゆる音楽のなかでも、最高、極致!といってしかるべきところです。

もちろん、レイニーの怜悧なギターも、ドラムの小刻みなシンバルも聞きものですが、あまりにもゲッツのアドリブが天才すぎる!

 

どこをとっても洒脱、しかし難解ではなく、すこし冷たい感じもしますが、ジャズのなかでも「圧倒的なメロディ」がこの盤にはあります。

メロディ派の自分としては、最愛の盤ですねー。

 

ときに、ゲッツは、「本格ジャズファン」からしてみたら、「売れ線」「ボサノヴァに魂売りやがって」みたいに言われることが多く、ブラック性(黒人音楽性)最重点の原理主義ジャズファンからしたら、「イージーリスニングじゃないか」みたいな、こころない評をされることがあります。

 

じゃわたしは言いたいのですが、この歌心はどう説明すればいいのか。

ブラッキーなジャズフィーリングも最高だということもわたしは認めますが、この軽やかな、夢を見させてくれる、サックスのうた!

ブルース臭さ? まあそれもそれで最高ですが、例えば……この時期のゲッツのクールさ(怜悧さ)、それはそれで、ジャズの一つの醍醐味……都会音楽としての醍醐味でしょう!

 

ジャズは、やはり「都会性」というのを、軸として持っています(軸のうちのひとつ)。

これを無視したジャズ史観を打ち立てるのも勝手ですが、それは例えばクラシックにおいて、ベートーヴェンブラームス的系譜を称揚するあまり、フランス系作曲家をランク下にするかのような行為に等しいのです、よ?

 

まあそんな説教はともかくとして。

ジャズとは「アドリブ」であります。

そのアドリブにすべてをかけた男の、夢見るようなフレージング、それが……この盤なのです。

(かといって、ヤブレカブレではなく、ひとつのロマンチックな世界が現出しています)