はじめて【心底感動して】聞いた、クラシックの盤なのです。
大学在学中の当時、自分は「何かが足りない」と思っていました。
当時、何か自分の心は亀裂が入り、崩れていきそうで、暗い何かが心にへばりついていました。
ある意味で、癒されたかった。「本物」によって癒されたく。
そのころ、ジャズやオルタナロックに本格的に目覚め、刺激的な音を次から次へと聞いていました。それはわたしの心の可能性を広げていき。
でも、「過去の傷」は、そのままでした。古傷。
「新しい音」はそれに、「こんな世界もあるよ」というてくれました。救われましたが……それでも……足りなかったのです。埋めてくれるなにかが。癒してくれる、赦してくれる、なにかが。
そんな中、「クラシック聞いてみたいな」と思いました。
あの「やわらかな音」が、妙に。まあ、ステータス的な背伸びもあったかもしれませんが。
で、実家になぜか一枚あったこれ。
なんでこれだけ? ていうかいつ買った? わからないながら、午前三時に、布団の中で聞きました。ヘッドホンで。
スコット・フィッツジェラルドが「魂の暗黒」と呼んだ時間です。例によって……ええ、心の状態は、いうまでもありませんね。
で、聞きました。
こころが、ほどけていきました。
嗚咽していました。
――これこそが、わたしが欲しかった音楽。
その音は、わたしの心の「ひだ」に染みいっていき。
ずたずたに斬られ、欠けた心のかけらを、埋めていくかのように。
もう、言葉もありませんでした。
クラシックを聞きなれた今の耳にしてみれば、チェコ・フィル・セクステットの演奏は荒っぽいです。
ですが……エモーションが伝わってくるのです。いま聞いても。
孤独が孤独でありながら、それでも「ひと」として、誇りを持って生きていくことを、「それでいいんだよ」といってくれるような、ドヴォルザークが書いたフレーズ。
チェコ・フィル・セクステットは、それをわかっていて、弦……とくに高音ヴァイオリンが裂けるような音でも、エモーションを伝えてきてくれます。
この盤は――わたしの恩人なのです。
クラシックにいざなってくれた、というのもそうですが、音楽的に優れているのもそうですが、なによりわたしの「味方」になってくれた音楽なのです。
だから、今でも、レビューするとき、点が甘い(笑)
そんな盤に巡り合えた(偶然にも)ことは、幸せでした。はっきりそういえます。
……今回レビューじゃねえなw
でも――こういう経験なしに、何が「音楽生活」でしょう、人生でしょう!!