残響の足りない部屋

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引用論「2。源氏物語に見る、白居易の漢詩の影響」

※連載第二回目です。前回のつづきです。

全部で44000字あります。今回は8500字です。

古今東西の表現における「引用」をめぐった読み物です。

 

2-1。はじめに――和漢比較文学の立場から

 

「『長恨歌』と、それの由来する楊貴妃の説話とは、あまりにもあまねく世人の共通の記憶に知られていた。朗詠に供され、物語に移され、和歌に詠まれた。そのような時代的状況から『源氏物語』の作者が自由であるはずがない。時代全体の体験が作者にとっての大状況としてある。ちょうど動物の外皮が内蔵に連続するように、作者の大状況である時代的状況が、物語内の世界に連続し、物語の場面を大きく限定する。物語の奥行きが作者の生きた時代にできるだけかさなりあうことによって、時代の『長恨歌』体験が作品の内部に入り込んでくる事態を、しっかりと確認することにしよう。」

――藤井貞和「作家の体験 時代の体験」(「源氏物語入門」もしくは「源氏物語の始源と現在」所収)

 

源氏物語の始原と現在――付 バリケードの中の源氏物語 (岩波現代文庫)

源氏物語の始原と現在――付 バリケードの中の源氏物語 (岩波現代文庫)

 

 

 

源氏物語入門 (講談社学術文庫 (1211))

源氏物語入門 (講談社学術文庫 (1211))

 

 

 

 論考対象を、一気に千年遡る。というのも、わたしは現在でこそ音楽批評をtwitterやブログでやっているが、もともとは、日本古典文学(平安時代)と、漢文漢詩の比較文芸論を専攻していた人間だからだ。 

 わたしが引用について、考えるようになったのも、結局はこの専攻からきている。ジャンルというか、文芸スタイルが全然違う、というつっこみには、そのように説明することで、一応は理解いただきたい。

 

 さて、この論考で語るのは、以下のようなものである。

 

 1。人間、昔から引用ばっかりやっていた

 2。源氏物語における引用論の、現代の研究の諸相

 3。平安時代の時代状況、白居易の詩(以下、白詩)

 4。先行文芸なしに「自己の創作」はなしうるものか

 5。いわゆる「引用の高尚性」

 6。表現的引用と構造的引用

 

 主にこれらのことを論ずるが、この順番のまま論ずることはしない。それは、これらどれもが、相互に関連しあっているからである。源氏物語の複合性、重奏性においては、先行研究……というか、通俗的観念がすでに語っているところであるし、それに屋上屋を重ねても仕方あるまい。

 そして、これらの論考の解釈の前提にあるのは、わたしが前章で述べた、ある種のニヒリズムがあるのは否定しないことを、補助線として述べておこう。だがまず、源氏物語と白詩の関連性という、ごくマイナーなテーマの概略を説明することからはじめよう。少なくとも、源氏の和漢比較文芸に携わっていない人間には、それこそ「知らんがな」の世界であるから。

 

2-2。源氏物語長恨歌

 

源氏物語 01 桐壺

源氏物語 01 桐壺

 

 

 源氏物語最初の巻である「桐壷巻」は、源氏の父、桐壷帝と、源氏の母「更衣(桐壷の更衣)」の悲恋で、源氏という長大な物語は幕を開ける。

 桐壷帝は極めて有能な君主で、後代その治世は「聖代」とすら評されるものであった。主人公、光源氏はそのような「名君」の、圧倒的なGeniusとして生を受け、政治的にも、恋愛的にも、人間的にも、哲学的にも、様々な道程を経ていく。GeniusのBrightnes(輝き)が「光」源氏の意味であり、その輝かしさは逆説的に光源氏自身の身をも裂きかねない。そのような諸相、それが、「源氏物語」である。

 さて、そのような物語の発端であるが、それは、華やかなものとはいえない。幸せなものともいえない。なぜなら、桐壷帝が寵愛した更衣という存在は、宮廷において、人間的美質を持ちながらも、当時の通念である「身分」において、低い存在であった。そのような存在に対する嫉妬の念が、周囲に満ちるのはいうまでもない。

 更衣はその迫害により、病に臥し、結局は、光源氏を生み残し、死んでいく。寵愛著しい桐壷帝は、その死去をこの上なく悲しむ。

 やがて、その更衣うり二つの「藤壷」という女性が、宮廷に入る。桐壷帝は、失われた愛を補完するかのように、また藤壷を寵愛する――今度は更衣の轍を踏まないかのように、公的な「妻」として。

 そして幼き光源氏は、藤壷に、亡き母の面影を重ね、同時にひとりの女性としての思慕、恋愛を募らせていく。この「義母に対する恋愛」というのは、やがて源氏物語の中核となり、ある種の「どうしようもなさ」を引き起こしていくのだが、そこまで説明すると、桐壷巻を遙かに越してしまうので、桐壷巻の説明は以上にする

 

 さてこの桐壷巻、先行研究――和漢比較文学の立場からでは、白居易の長詩「長恨歌」を多分に引用している、というのが定説である。丸山キヨ子、藤井貞和、新間一美の各氏・和漢比較文学における重鎮たちが、この問題について様々に論じている。

 順を追って、どのように引用されているか説明していこう。(つまるところ、先行研究のあらすじのようなものである)

 長恨歌とは、白居易が綴った、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の史実に基づくラブロマンスの詩である。その内容は、大ざっぱにいえば――先に述べた桐壷巻と、変わりはない。玄宗楊貴妃を寵愛し、やがて反乱が起こり楊貴妃はその巻き添えで死ぬ。玄宗はそれを悲しみ、やがて神仙世界に楊貴妃の魂を求めに使者を派遣する。楊貴妃の魂に謁見することはかなったものの、ついに「反魂」はならず、されど永遠に玄宗楊貴妃は愛を結ぶことを誓う――古典となった「比翼連理」である。

 どうであろうか? もちろん、唐の最大流行詩であった長恨歌が、源氏を引用したのではない。(どのように贔屓目に見たとしても、当時の日本(倭)は辺境であり、文化レベルの低い野蛮人の国、と中華思想では見なされていたののだから)

 今に例えると、欧米のロックミュージックを、日本人ががんばって「日本のロック」にしていた時期があったではないか(今もだが)、アレと行程は、だいたい同じものと考えればよろしい。

 

2-3。表現的引用・構造的引用

 

 さて、両方の物語/詩を説明したところで、先行論の比較研究の概略に移る。

 丸山・藤井、新間、そして数多くの和漢比較文学者(極めて余談だが、わたしはそれら和漢比較文芸のジャイアントたちを見つめつつ、大学の卒論を書いた)は、皆この問題に取り組んだ。

 まず語られたのが、長恨歌の語句の圧倒的な引用である。その訓古学的アプローチをするだけですぐに紙面は尽きるので、ここではいちいち引用をするのは控えるが、単純にいって、重要なパーツ(語句)のほとんどは、長恨歌からの引用であった。それこそ、表現(言い回し)のレベルにおいて。

 何しろ、冒頭数行において、桐壷帝の更衣の寵愛ぶりを表現する時点で、すでに長恨歌の引用は行われているレベルなのだから。比較文学ではこの事実は当たり前のように目されているが、「個性」を旗印にする昨今の表現論からしたら、「それはやりすぎではないか?」と言われるむきすらあるかもしれない。このように言うのも何だが(結局過去、研究していた自分の首を絞めることでもあるので)、音楽に例えれば、イントロのリフをほかの局から拝借しているようなものとすらいえないだろうか?(メタルではよくある)。

 仮にこれを表現的引用と呼ぼう。引用には、簡単にいって、二つの形のものがある。これと、もうひとつ。【構造的引用】である。

 源氏における表現的引用の圧倒性をもう少し補論しておけば、これは桐壷巻だけの問題ではないのだ。長恨歌の表現的引用とされる箇所を挙げるだけでも、おそらく源氏全体において十以上はある。

 なぜこれほど源氏において長恨歌は引用されなければならないのか? 他にも引用すべき漢詩はあるだろう? そう貴君は思われるだろう。然り。長恨歌だけが引用されているわけではない。源氏には、他の漢詩も多分に引用されている。

 ただ、それだけを見て源氏を「パクり文学」と目してほしくはない。そのようにここでは書いているかもしれないが、責めるのはわたしだけにしてほしい。源氏が達成したのは、そのような先人・先行文化の成果を見事に換骨奪胎し、自らの血肉とし、千年以上残る日本……否、世界の古典としたところなのだから。

 ではなぜこれほど長恨歌が?

 そのある程度の回答となるのが、「構造的引用」である。

 

 上記三者は、和漢比較文学の立場から、この長恨歌=桐壷巻において、更衣の死が長恨歌的解決をなされることによって、その後の源氏全体の展開に「紫のゆかり」構想が設定された、と論ずる。(その名称は異なるが、大筋において説いているところは同じである)

 「紫のゆかり」とは、概略を述べれば、源氏物語という長編小説の脊髄的プロット、である。更衣の死が藤壷の宮廷入りを促し、それが光源氏に決定的な影響を及ぼし、やがて「源氏物語」最大のヒロインである「紫上」の獲得/造形に至る。光源氏は紫上を藤壷=母=亡母=報われぬ恋、の代償として寵愛するが、やがて紫上個人の輝き(brightness)によって、二人そろって成長していく……という、更衣の死によって、その代替存在が物語において、要を得た形で登場することにより、物語に一貫性を持たせている、という論である(後半である宇治十帖までそれは射程されている、という論もあるが、話が長くなるので割愛)。

 その発端は、やはり長恨歌的悲恋である。それがあるからこそ、この「紫のゆかり」は設定された。その脊髄的プロットがなければ、「世界初の長編小説」「大河小説」としての、重厚な持ち味は発揮されなかった、とするのが、「紫のゆかり」派の意見である。

 わたし個人の意見を述べるとすれば、この構想は一定の妥当性を持っていると思う。それが明確に見える形ではないとはいえ、長い物語を紡ぐにおいて、どこかで一本の「筋」を通しておかねば――それが神経的に細いものであっても――作品全体が溶解していてしまう危険性をはらむからだ。モチーフ、テーマ、という以前に、作者というものは、そのような「夢にも似た予感めいた」ぼんやりとした、全体を繋ぐための「何か」を持ち合わせていないと、長編など紡げないからだ。源氏物語が、実にオムニバス的な構造を持っているからとはいえ。

 「構造的引用」とは、実に「本歌取り」である。文芸の内容は構造にこそあり、の論客にとっては、これは度しがたい「パクり」になろうが、パスティーシュの精神を愛するエスプリびとにとっては、これはこれで楽しめる、というものであり、善悪の判断はさておく。

 ではオリジナリティの観点からは――? ここでいえるのは、先ほどの「リフのパクリ」である。が、リフを少々引用したところで、その後のメロディや歌詞に独自性があれば、立派に一作品である。そういう観点からいったら、ビートルズストーンズビーチボーイズも同罪なのだから。

 もっと深いところでの批判もあるかもしれない。「新たなスタイルを提示していない文芸に新規性はなし!」とするマッチョイズムである。だがスタイルは、確かに圧倒的なジャイアントによって提示される場合もあるが、無数の才覚ある人々、それほど才覚がありまくるわけではない人々、によって、ゆるやかに形成されていくものでもある。構造的引用は、その点で、新たなるジャンルを作ろうとせず、既存のスタイルに遵守するばかりの保守的なもの……という向きもあるだろうが、そういうことはそもそも自分の論が、宇宙人レベルに全くの独自性を放っていてから話をしていただきたい。失礼というものだ。

 ゼロからは、創作はなされない先行するものの、ある程度の影響あっての創作である。その際、換骨奪胎という形で引用をはじめ、やがてそれを大河小説にまで発展していった源氏のどこを責められようか。

 話がずれたので、構造的引用の特性を列挙する。

 

1。先行テキストに則った、ある種の二次創作であるがゆえに、オリジナリティの問題は常につきまとうが、それゆえにある種のキャッチーさをも保証する

 

2。既存のスタイルをある程度身につけることが、創作者としてのレッスンなら、構造的引用は、作者が独自スタイルを築き上げるまでの、重要なレクチャーである。

 

3。所詮人間の織りなす悲喜こもごもなど、ある程度の類型性に墜ちるのであり、ではそれを最大限美しく描いた先行作品を参考にするのは、むしろ文芸的に「リスペクト」ではなかろうか。

 

4。完全に新しいスタイルは、むしろ読者を遠ざけることになる。たとえば大河長編の全編が実験的独創的文体だったら、それはそれで困る話だ(プルーストのことは特殊例としておきたい)。よって桐壷巻で、流行していた長恨歌から話をはじめたことは、よくとらえれば「王道のキャッチーなリフからはじめた音楽」のようなものと、捉えることも可能なのである。実作的には。

 

5。そして十分に練った構想を持った引用は、「紫のゆかり」のような効果すら引き出す

 

 さしあたっては五つばかり列挙したが、構造的引用は、「構造的」ゆえに、本質的である、という先の「予期される非難」の通りであるが、それは賛辞であるとも言える。コインの両面にすぎない。結局はそれが作品の中で、有効に機能しているか。それがすべてだ。

 

 駆け足で、源氏と白詩の関係性、表現的引用と構造的引用のあらましについて論じてきた。

 さて、ここである程度モードを変えたい。

 ひとつの作品について、引用なるものがもたらす様々な諸相は、村上春樹紫式部の代表的傑作二作を通して、ここまで検討してきた。もちろんそれが全部ではないが、作者にとって、引用の要素の多さ、引用のメリットの多さは証明できたと思う。要素還元主義はわたしの好むところではないが、さすがにこれほどの情報量の引用を、「たいしたことない」を一笑に付す、というのも、また批評の立場として誠実ではあるまい。

 そういうわけで、ここまでは「作者の立場」である。では、「読者の立場」はいかがか。

 

 その前提となるのが、1ー3の「知らんがな」になるのは、どうしたって避けられないファクターなのだが、だがそれと同時に、「時代状況的に知っていて当たり前」というものも、ある。

 今の時代、ロック・ミュージックや、R&Bのような、コンテンポラリー・ミュージックを「愛好」「溺愛」はしなくとも、ごく自然に口ずさむようなことは、あるだろう。それは「引用」ではなく、自然な生活の中に音楽が息づいている証拠だ。

 そして平安時代における「長恨歌」とは、ついに、そのレベルの流行を見せていたのだ。「長恨歌」といえば、誰もがそのプロットを口にできた。語句も引用できた。もともと中国には長恨歌の小説版(「長恨歌伝」)もあったのだから、それを愛好する向きもあった。長恨歌の情景を詠んだ和歌、長恨歌の情景を描いた絵画、枚挙にいとまがない。

 さもありなん、長恨歌は当時の中国(唐)において、最大級の流行歌謡(と称した方が妥当であろう)であった。それが、文化的に後進を拝していた平安日本において、影響されないわけがない。再びの例になるが、欧米のロック・ミュージックに影響される日本のポップスのあいも変わらずのこの数十年を考えてみよう。圧倒的影響とは、そういうものだ。ナショナリスト的立場の研究者たちは、当時の人々は、自国の文化をなぜそれほど軽視したのか、と論じるが、このような現実に即して考えてみればよろしい。

 これを、「時代の長恨歌体験」と、藤井は称した。冒頭の引用文が、その骨子である。

 作者がそうであるのだから、読者がそうでないはずがない。いや、むしろ「作者=作品は、当世の写し鏡としての巫女的存在である」とする論客からしたら、「読者の時代体験」は、まず真っ先に考えられるものであろう。

 では、当時のひと(平安びと)は、引用をどのように考えていたか、を考察(ある意味においては妄想に近い)して、この章を終えよう。

 

 当時の人々にとって、引用とは、まさに「ステータス」であった。そこに現代的「独自性(オリジナリティ)崇拝」の影も光も、なかった。

 それは前述したように、自国の文化が(平安初期の、いわゆる国風文化を経たとはいえ)、先進国中国(唐)よりも劣っている、と認識していた……というのが言いすぎであるとしたら、こう言い変えよう。「メインストリームに対するオルタナティヴ」。また、論壇で一部の論客が使う文芸用語である「スリップストリーム」の評語でもよろしい。つまるところ、メインであり、高尚であり、読み応えがあり……文化の豊潤な香りを漂わせる「カルチャー」とは、少々別個のところにあるもの。だがそれゆえに、ストリート性すら保持した、独特の力強さを持つもの。カウンターカルチャーであるゆえに、独特の力強さと意志性を持つもの。

 村上春樹の文学は、長い間そういう文脈で論じられてきた。村上春樹はついぞ芥川賞を取らなかった作家であるが、その際の選考委員の評語で「アメリカ文学かぶれのバタ臭い小説」というのがあった。ブローティガンカート・ヴォネガットJr.の影響著しい初期の作風はそのように捉えられた。そのイメージは長く付きまとった。現在でも、「いわゆる日本文学」という狭いジャンルでこそ捉えられないものの、海外古典……とくにロシア文学ドストエフスキーチェーホフ)の方法論の正当後継者、という解釈は、充分に成り立つ。「ねじまき鳥クロニクル」にはじまる、ドストエフスキー的「総合小説」への意欲的な取り組みひとつを例にとっても、それは言えるだろう。

 同じようなことは源氏にも言える。ある時期に至るまで、源氏物語のような古典ですら、「奇矯な恋愛を描いた破廉恥な物語」と目されていたこともあったのだ。世界最古の大河小説、とか、政治と文化と文芸、その他もろもろを総合的に統括した日本精神の精髄、とか、の、現在の評価とは、まるで雲泥の差ではないか。

 オルタナティヴ、スリップストリームとは、そういうものである。だがそれゆえに、若人の熱烈な支持を集めるものでもある。村上春樹は言うにおよばないが、源氏とて、更級日記において作者・菅原考標女が「わたしの文学」として、現代と何ら変わりない文学少女ぶりを発露していたことが何よりの証拠である。

 

 さて、引用である。

 オリジナリティの枯渇、による「外部テキストの導入」なら、まだ話は簡単なのだが、ここには当時の平安びとのコンプレックスが混じってくるから、話がやっかいになってくるのだ――いや、その構図は現在においても、さほど変わっていないから、まったく人間(日本人)は度しがたい。

 引用には、「私はそういう教養・流行を知っている」という、【ステータス】の側面が、常について回る。貴君の周りにもいるのではないか、ことあるごとに、何かを引用しながら話をする人間が(もちろん、ここまでの文体で、わたしがその一群であることは言うまでもない)。

 それは自己顕示の発露であり、「そういう自分」を教養人として定義したいがゆえのことである――まさに、自分の中に、あふれるオリジナリティがないがゆえの、コンプレックスである。

 また、それを唐文化との絡みとしてよく捉えれば、「先行文学に負けたくない」という意識の現れ、とできなくもない。それで「本歌取り」というのはどうなのか? という向きもあるかもしれないが、先ほどの「リフ」の話でいえば、借用しつつも、そこから自国のメロや歌詞と結びつける、みたいな音楽は今も昔もあるし、文芸についても同じことが言える。

 ……が、それは、一般的な引用論が説いているところの、「テキストに重奏的な深みを与える」という方法論からは、だいぶ離れたところにある精神性であることは、言うまでもあるまい。

 ひと、それを「パクり」と呼ぶ。

 

 さて、以下の二章では、

 3。引用することによる深みはどこからくるか?

 4。パクらざるを得ない時代状況とは?

 

ということを論じていく。

 畢竟、パクりと「引用=深み」とは、近いようで遠い。遠いようで近い。何しろ現象的に、「やっていること」は似通っているのだから。

 その違いを「精神性だろう!」とするのが、まあ一般的なところだ。わたしもそれには反論しない。では、その精神性と、精神性が持っている、テキストに対する構造。これを3。で述べる。

 そして4。で述べるのは、我々は、どこまで「先行からの影響」から、よくも悪くも脱することができつつ、引用を誠実に行いうるのか、ということである。

 このふたつは、今述べたように、表裏一体である。あるがゆえに、それぞれ実例を述べながら、その落差/違いを比較検討するのが筋だろうが、それよりも、わたしがとる立場……初期ジュリア・クリステヴァの「テクストとは超出=言語(学)的(トランス・ラングイスティック)な装置である」という記号分析学が提示した、文芸(引用)における重要な示唆――間テクスト性について、その(少なくともこの論考における)真実性を語りながら、他方、その実践として、あえて文芸(文章ジャンル)ではなく、絵画――それも、二次元美少女ピクチャーの、とある潮流を叙述し、このふたつの落差を検討することによって、引用/パクりというものが、表現にとって、抜き差しならないものである、という証明を行いたい。

 もっともその証明は、上記の「引用の情報量」の多さと、「引用のコンプレックス」だけでも語れるものだが……。