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Krik/Krak Official Web Site | 同人音楽サークルKrik/Krak
結構前の話になるのですが、古式オルゴールの録音物(CD)に凝ったことがあります。そんなことを友人に喋ったら「とうとうお前そんなものにまで……」と怪訝な顔をされて見られましたね。
ただ、そのリスナー体験は、なかなか趣深いものがありましした。
それまでオルゴールとは、「なんかしっとりしたもの」であり、「シックなおもちゃ音楽」である、という固定観念がありました。
が……まあ識者の方はご存じのように、あの「ザ・精密細工」の粋を集めた「楽器」は……いわば、現代の「シーケンサー」を先取りしたものだったのです。
うろ覚えの知識で恐縮ですが、オルゴールには「高級玩具」としての「ブルジョア工芸」的側面をもちながら、
しかし一方で、エレクトリック楽器のない時代での、「オーケストラを使わずに、一個の媒体で多重演奏をかます」……いわゆる、シーケンサーという、「楽器」「ン百年前のDTM」的側面ももっていたのです。
ただ。じゃあそれが「オルゴール芸術」として、オリジナル曲が次々生まれる……ということにならなかったのはなぜか。
マア単純に、同時発声数が少なかったんですなぁ……これは限界ですよ。
DTMerには常識ですが、同時に発することのできる音が少ないシーケンサーは、それだけで低級です。
なので、オルゴールが本当の意味で「オケ並のシーケンサー」になるには、まだ早く。
じゃあオルゴールとは? オルゴールの美とは?
……っと、話が横道に逸れまくりました。
今回のレビューは、長き病臥から、見事復活した(フェニックス・ライジング!)Krik/Krakの、2014年M3最新作「Epitaph II」を語ります。今作は、今までの曲のオルゴールアレンジ第二弾+新曲、の盤です。
なお、今回から、前にレビューのフォーマットとして書いた「リズム・ハーモニー・メロディー」は、カテゴリーではなく、ところどころで要素/様相として語っていきます。
で、今回から「全曲レビュー」でいきます。やっぱそうじゃなきゃ、自分はレビューやる意味がない(あくまで自分だけですけど)。
1。Epitaph II
詐欺だー!(笑) オルゴールアレンジと謳っているに関わらず、少女感かつ荘厳なコーラス/クワイアから入るぞー!
しかも、ゆったりしたものではありますが、ドラムとベースが入る「バンドサウンド」!
というか非常に、プログレにあるリズム感……あの悠久感を彷彿させる、ファンタジックな夢を見せるリズムアレンジ。
これはまさに、変拍子目的ではない、ファンタジー目的のプログレシャーは涙なみだの卒倒が見えるようです。あと初期~中期姫神や喜多郎の「ゆったり感」が好きなひとにも勧めます。
しかし、そこに乗るメロは……まさに絶品!
和ニューエイジ/プログレと、民族音楽(アイリッシュ、スウェディッシュよりは、むしろフィンランドや東欧に近い)の融合……!
というか、むしろこの現代においては、この民謡は先祖帰りに近いほどの荘厳さというか。いや最上級にいい意味ですよ。本当に様々の音楽に精通されている、という感。
また、voが、次々と……例えるなら、民族衣装に息吹く伝統と流麗さというか。
よくわからん比喩だと思いますが、王宮のドレスな感じじゃないんですよ。
それが、バックで胸を締め付けるオルゴールサウンド&バンドサウンドと一緒になって、ひとつの懐郷的な音空間を作り出します。
VOがあんまり「休み」を入れず、次々とフレーズを繰り出します。
いろんな意味で、逆にライヴじゃ再現できない曲ですなぁ……! だがそれがいい! この懐郷メロを畳みかけられたら、もう泣くしかない。はじめからこの重量感かよ!
間奏で入る、カンテレ(フィンランドの弦楽器)めいたシンセが絶品! まさに民族音楽! っていうか、あまりに入りが絶妙なので、ほんとにカンテレ使ってるんじゃねえの的な(笑)
このサウンドは、民族ファンだけじゃなく、サンホラ系幻想ファンだけじゃなく、
プログレッシャーにも、ニューエイジファンにも……いやむしろ、そんな奴ら(同志)にこそプッシュしたい! この「土臭さ」をこそ聞けっ!
2。 廻る世界の狭間で
語りが入って、ページをめくるSEが流れます。サンホラ直系ですな。
そして、やっとオルゴールオンリーアレンジです。
二声……ふたつの旋律でもって、音楽は紡がれます。
二つの声部が、リバーブのかけ方や、キーのはじき方が明瞭に分かれています。ひとつの旋律を時に追いかけるように。または絡ませるように。対位法を用いながら、技巧……いやになるほどポリフォニックになることもなく、穏やかな旋律が続きます。
なのに……時折、感情が「ふわっ」と吹き出るように感じるのは、まさにコンポーザー・鳥島氏の力量ですね。
それほど、このユニットは、過去に黄金のメロを紡いできたことの証左(今回のM3で、残響さん、くりくら過去作、在庫があるぶん、全部買わせていただきました。よだれがでますぜ、このメロ聞いてたら)。
もちろん、そのキレが新作……そう、トラック「1。」で衰えてるわけがなく……というかあの曲、民謡タッチなのに重量ありすぎなんだっってば(笑)
3。オフィーリアの涙
出たぞー! あの曲だーっ!
わたしが惚れ込んでさんざっぱらウザいほど語ったあの曲だーっ!
泣かせにきたぞーっ!
序文で、わたしは「オルゴール独自の芸術形式は生まれなかった」と書きました。
じゃあオルゴールはどういう音楽をやったのか?
「過去の美メロを再現しまくった」
それは、声部が少ないぶんだけ、アレンジで「メロ」くらいしか盛り込めず、だから逆に、美メロを最大限に生かすこととなるのです。
そして、それくらい極端な美メロアレンジに生き残るくらい、美しいメロでなくては、オルゴール芸術に採用されないのです。オルゴールでは。ハンパなメロのオルゴールアレンジがつまらないのは、今にはじまったことではありません。むしろこれはオルゴールはじまって以来の命題なのです。
しかし……この曲は、そういう意味でも、強烈すぎるっ!
バックの音……懐郷・懐古タッチで、微弱なゆらぎをたゆたうように音を「置いていく」、このアレンジよ。
前にわたしは「オフィーリアの涙の音形」って書きましたが、基本的にこの曲は、この「泣かせにくる」音の続けで成り立っています。それが、反復を主とするオルゴールとフィットしてやまない!
……ていうか、ごめん、ちょっと泣いてきます。
4。Layon
いやー泣いた泣いた。(ひっく……ぐすっ……)
で、次は、多少の明るさ(希望)を見せながらも、しかし胸に染みる慈しみを持つ曲です。
だいたいオルゴールアレンジって、失礼ながら、「おやすみ曲」なイメージがあるかと思うのですが(世のひとよりもオルゴール熱心に聞いてるわたしですらそう思うんだから……)、この美メロの連続の前には、眠ってなんかいられませんよねぇ(笑)
中盤あたり、ふつうだったらさらに眠くなりがちな、「メロを数秒延ばし延ばし」な処理が加わるのですが、それが逆にある種の「メロのこぶし」となって「くぅ、染みるねぇ!」になるのだから、このコンポーザー/アレンジャーの才能としかいえませんわなぁ。
5。妖精狩りの皇帝
Krik/Krak「たそがれ道化師」 - 残響の足りない部屋
オルゴールはシーケンサーだといいました。つまり、それは、人間ではなかなか(ていうかほとんど)演奏不可な、速い曲をも演奏できるというのと同じです。
まあこの曲はそれほど速くないのですが……しかしそれまでの曲と比べたら、十分はやい。
「たそがれ道化師」については、前に書きましたが、この曲は
「うさんくさい」
「しかし勢いがある」
「ロシアっぽいメロ」
で成り立っています。
それを忠実になぞるようで……しかし中盤メロあたりから、時折ぐわっと……たとえるなら、オルゴールが淡々と鳴らすんじゃなく、獰猛にマリンバが乱舞するかのような様相をも見せます。
おお……原曲のデモーニッシュささえ再現……!やはり眠らせる気ないなこの盤w
6。黒い森
ほーらやっぱり眠らせる気なんてないよこのひとたち!(笑)よりにもよって「黒い森」だよ!
不穏さたっぷりに、メロがぐわっと押し寄せて。そこから出てくるは、あの黒い森の怒濤のメロディー!
気持ち今までより音が強く聞こえます。もともとのスコアがフォルテ気味ってのもありますが、「一音一音」しっかりと、って感じすらあります。ピアノだったら、鍵盤をバド・パウエル並にたたきつけるみたいな。それにしても……ああ、メロが美しい。このオルゴールで、まさに「黒い森へようこそ」のメロの恐るべき上昇を聞くことになろうとは。
おおっと、そこから、原曲の語りのバックメロディ……「語りのバック」という、従来「退屈」とされてきた音楽形式の、はるか億千光年彼方をゆく戦慄なる旋律がっ!(もう意味がわかりません)
いやぁ……この盤は、いい意味でまったりしませんなぁ……(笑)
7。たそがれ道化師
うさんくさい入り!(笑)
しかしながら、本筋のメロは、どうしようもなく美しい!
勇壮でありながら、隠しきれない憂いが。
流れるようなメロ。いや、この盤はどれも流れるようなメロ……つまり、鳥島氏の黄金のメロディメイカーぶりを楽しむ盤なのですが。
タンタンタンタン、と下降気味に降りていくメロの、こうなんともいえない感慨よ。オルゴールなのに、非常に「プログラミング感と、人間が弾いている感」のあいの子みたいな味わいを聞かせてくれます。
そこから「タラララ」と、ラスト付近で上昇していく音形から入るメロ……飛翔系メロのくせして、憂い!
ああ、ああ! 星空の宇宙が見えるぜ。
8。アーキタイプの井戸の怪物
ここからぐっと落ち着いた感じになります。
時の流れもゆっくりした感じに。
でも、どことなく不穏かつ、締め付けるような感情が支配しているのは、このKrik/Krak独特の音形……独自のシグネチャー・メロディでしょう。
いまスペクトル解析できないので印象批評で失礼しますが、原曲だったら、声の張り上げの部分が、このユニットの場合、非常に独特なのですよ。
止まるところで止まらない。高さが上がりきるところでさらに上がる。けどそれが余計でなく、「個性」。
そこで、彼女たち独特の「一歩も後に引けない」感が出るのです。
それは、彼女たちがアーティストとして抱く矜持にして、物語音楽のキャラたちが持つ「譲れなさ」の表現なのだと、勝手に解釈しています。
だって、ふつうの幻想系がこれやったら、失礼ですが「なんかイタい」になるのに、Krik/Krakの場合は「誇り」にすぐ直結しますからね。
……とはいう一方で、未だにこのひとたちは、第一期サンホラに対する憧憬収まらず、とも解釈できますが。フレーズの形からして。
……が、それは、「エレメントとしてどうしようもなく持ってるもの」に対して、イヤラシイ批評かな。だって、それが個性なんだし。
ナンバーガールだって、ピクシーズ的個性を持ち続けましたし、じん(自然の敵P)だって、ナンバーガール/アジアン・カンフー・ジェネレーション的感覚を捨てるふいんき皆無ですし……そう、音楽のイディオムが「受け継がれていく」とは、こういうことなのでしょう。うん。
余計な話になりましたかね。
9。幽閉カレイドスコープ
さらに落ち着いてきますが、それでも胸を締め付ける旋律の中に、悲しみが宿っています。
これもまた、勇壮と憂いが「4:6」くらいで混じりあったメロ。
メロしか語ってないような気がしますが、それくらい素晴らしいメロの矢継ぎ早なのだものなぁ。
これは「オフィーリア」に少しちかい音形ですね。
原曲の誇り高さはそのままに、しかし「孤独」感を感じさせる。
それはアレンジもですが、そもそもにしてこの曲、こういう曲だったんだね、な。
ピアノで例えれば、「タタンッ!」と衝撃的に叩きつけるような感じのタッチが時折混じります。
そう……ZUN(上海アリス幻樂団)の感じさえ。あるいはZUN氏が傾倒してやまない、松居慶子のように。
穏やかなようで、結構激しい思いを中に秘めた曲であると言えましょう。
10。Epitaph
また落ち着いた曲ですが、ここまで書いてきた「落ち着き三連発」でも(原曲の違い的に当然のことですが)それぞれの方向性が違い、
それぞれのメロに「物語」がきちっと見えますので、ダレはありません。
黄金のメロはそれだけで宝やで……。
「タラララ、タラララ」な下降音形、絶品ですね。歌謡っぽくなりそうで、ぐっと「透徹なる懐かしみ」の領域に留まります。
Krik/Krakが偉いのは、歌謡とか、イタくなるメロディーの一歩手前までいって、そのあたりで音楽のまろみというか、
豊潤なるメロディー、ハーモニーをたっぷり吸いあげて、それを透徹なる、綺麗すぎる、壮麗な音芸術にするところなんですよ。
村上春樹の例えで言えば、フグは毒のある所が一番うまい、的な。
11。御伽ルーシ
深みにはまっていく感じですね……これもまた、疾走しない曲です。
ですが、このエモーションの高まり……余白をたっぷり取った音形/プレイであり、
背後の響きに丹念に耳を澄ませて、余白すらも音符のひとつとして感じて、しっかりと意味が出てくる曲です。
メロディーを、時に崩します(メインメロディーの後半小節部分)
ただ、ブリッジからサビにいくところで、珍しくもたつくところがありましたが、詩情じたいは失われていないので、大丈夫です。
むしろひとによっては、わたしが「もたつく」と感じたところを、「おお、レガート奏法!」と評価するかもしれませんし。
そもそもオルゴールって、「シンプルな音の連なりから、いろんな音楽を想像する」芸術形態ですし。器楽ソロとはまた違った形での「交響詩」なのかもしれません。
……と書きましたが、この部分、より耳を澄ませてみたら、星屑がさあっと広がるようなメロでもありますね……単音のキャッチーさよりもハーモニーの美しさ。
わたしの耳もあてにならんな……。
12。揺り籠のなかのあなたへ
ピアノから入ります。
そこから、すごく……こう、朝の光のような、清新な歌声。小鳥のさえずりもSEとして入ってます。
これは1。のようなプログレ感というよりは、非常に上質な……童謡(みんなのうた)といったら、ちょい取りこぼしがある表現なのだけど、それに近い感じはあります。
……しかし、こんなこと言うのは、非常に失礼なことだと知りながら、言わずにはいられないので。
はじめに「ごめんなさい」と謝らせてください。
いま、Krik/Krakの御二人は御病気だといい、長らく、物語音楽サークルとしての活動を中止されていたそうです。
で、オルゴールアレンジ。
わたしは、聞く前は、ミュージシャンによくある
「病後の一作」
みたいなものとして、ある程度のテンションの薄まりはある、と思ってたんです。
そして、それゆえの和やかなものになるんじゃないか、的な。
そう、Krik/Krak独自の、張り詰めるダーク・テンションがあんまりない「和み系」みたいに。
ところがどっこい。
この「12.」に至るまで、わたしはこれが「病後第一作」みたいなことは、ぜーーーーーんぜん、思い起こせませんでした。
ジャズだと、よくあるんですよ。
例えば、ヤク(麻薬)を絶ち切ったあとの、「弱々しいけど、希望が見え隠れする」みたいな。
あるいは、ムショから出所したあとの、「弱々しいけど以下略」みたいな。
それは負から生/聖/静/清への転換、というものなのですが。
そこには、確かな希望へのきざしが見えて、すごい勇気づけられるんですが、
……一抹の……なんちゅうか、「病後」だから、クオリティの張り詰めがあんまなくても、許してやろうか、的な受け取り方があるのは、事実です。
そういうアルバムになる、と思ってたんですよ、「Epitaph II」。この物言いも失礼だな……。
でも、このアルバムからは、「病気」「負のエネルギー」ってもんが、最後の最後まで見えない。
そりゃあ、原曲ありきのオルゴールアレンジだから、っちゅうのもありますが、それでも、です。
むしろオルゴールアレンジだからこそ、「まあ適当にやってよしとしよう」で流れるパターンっちゅうのも、これまで多くみてきました。
ところがどっこい。
この緻密……にして、余白もあり、しかも情報量も多く、さらには原曲を損なうことない、芸術としてのオルゴール。
参りました。
「和み系BGM」として捉えようとしていたわたしが腐っておりました。
この盤からは、病気の負のエネルギーとかアトモスフィアが感じられない。
もし貴方が、Krik/Krakの「そのへん」を御存じだとして。そこらへんの「病み/闇からの、光」を描いた芸術だとしてこの盤を買ったら。
裏切られてください。めいっぱい。
そしてわたしは、そんな自分をめいっぱい心の中で張り手うちしました。
真のアーティストは、表現において、弱きには、流れない。
もしこの盤に、「何かの後」的な感じがあるとしたら、このラストトラックでしょうか。
短い曲なんですけど、わたしはこれを聞いていて、朝露が落ちるような、健やかな朝の光のもと、御二人が音楽を作り出している光景が目に浮かびました。
上に書いたことと矛盾するようですが、それは「病後の光」ではなく。
ただ、Krik/Krakの御二人……繭木瑛氏と、鳥島千佳里氏が、これから音楽を、物語を、再び紡いでいこうとする決意……
っちゅうほど仰々しいものではないですが、なにか希望の光のようなものを、これっぽっちも押しつけがましくなく(ここ最重要!)、こちらに、
「ほら、こんな感じだよ」
と伝えようとした……というのは、深読みしすぎでしょうか。
すごくしっとりとした朝露と光。そんなものを、ラストトラックでは幻視しました。
もし貴方がこの盤を手に取るのを迷っていたら。
……あなたが余程「オルゴールきらいーっ!」「静かなの嫌いーっ!」「疾走がいいのーっ!」
じゃなかったら。
この緻密な小世界、音楽ファンなら、ジャンルとか歴史性を越えて、手に取る価値はあります。
あ、あと、Krik/Krakファンは、絶対買いなさい(笑) まあわたしに言われるようなことじゃないですね、はい!
今回、いじょです! 長々とお付き合いくださりサンクスございます!
M3で買ったKrik/Krakアルバム(「黒い森」「NR」「NR2」「アーキタイプ」「リプレイ月紅」「Epitaph(1)」)、
命ある限り、きょうと同じ感じで全部感想書かせていただきます。