最近読んでますよー、ブログ論的な書物。
で、ブログやめて、静的なディレクトリ構造サイト(つまりふつうのwebサイト)にしようかなぁ、と画策中です。今使っているグーグルサイトとか。
そうじゃなかったら、どこにどの記事があるか、すげえわかりづらいんじゃないかって。
それでですね、シロクマ先生(id:p_shirokuma)(新刊すげえ身に苦しいとともに面白かったです)がこっちで書いてるはてなブログ論なのですが、
「はてなブログがまじょをうむなら みんなしぬしか ないじゃない」 - シロクマの粘土板
ここでシロクマ先生は「なんではてなブロガーははてなブログを選ぶのか?」について、ひとつの暫定解として「すぐにホッテントリがつくから」「SEO方面のあれこれが承認欲求的にすげえ」「自意識の坩堝を満たしてくれる【お立ち台】」みたいに仰ってます(一部言葉を残響なりに改造してます)
思ったんですよ、
自分、はてなブログ本来やるべきじゃなかったな、って。
はっきりいって、このブログシステム、かなーり、承認欲求とか、「俺をみてくれよぉ」的な欲をガンガンヒットして、ガンガン削り取っていきます!それがリアルな感覚です!
一応自分にも、自意識とか自尊心とかだってあるんだいっ!
わたしがはてなブログをやろうと思ったのは……つまり、前のはてなダイアリーをやめてこっちに移行しようと思ったのは、正直ブログ更新にまつわるさまざまな管理……HTMLであるとかCSSであるとか。あるいは画像貼り付けであるとか。
そーいうのがすげえはてなブログは楽そう……つまりインターフェイスとしての楽さ、というのを狙ったんですね。
残響というのはすっげえめんどくさがりやな人間で、いつも死ねばいいよ、と思っているのですが、こういったこまごましたネット関連の技術的な面は、すごく性にあわない。このはてなブログの(いま見てくださってる画面ですね)フッターをいじるだけで非常にストレスがかかってマッハです。
そのへんは、かつて運営していたHTML旧石器時代サイトで懲りた。
だからシロクマ先生の当該記事における「はてなブログのクソさ」について、自分はすごく発言権利があると思う。
なんてったって、もともとはてな「ダイアリー」にしたときも、その前にやってたブログを、システム契約状の理由で引越しせざるを得なくなって、それで「インポートがすげえ楽そうだったから」以上の理由がさーっぱりございませんでしたからな。「はてな村」っていう存在すら知らなかった。(だから僕のはてな界隈の知識というのは、シロクマ先生のブログを読んで、ある意味バーチャル的、エミュレート的に知ってるだけ、ともいえる。はてなブックマークをつけるのも1日で飽きた)
●しかしそれよりももっともクソなのは自分の飽き性
しかし今回、はてなブログのシステムをdisるつもりはなくて。
真にdisりたいのは自分の飽き性。
とにかく自分は、ブログを引越ししたがる。
某プロバイダについてたブログサービス
↓
最初のはてなダイアリー
↓
はてなブログで音楽ブログと書評ブログを同時展開
↓
旧石器時代的なHTMLサイトになぜか返る
↓
それもめんどくさくなって、またはてなブログにする
↓
でもなんかこのはてなブログがごちゃごちゃしてるので、Texxt blogに手を出す
↓
↓
でも静的/ディレクトリ構造サイトがわかりやすいサイトなんじゃないか? とくにこのようなレビューを主体とするコンテンツばっかりのブログ/サイトでは。ということで、記事まとめサイトとしてグーグルサイトをいじる
↓
今にいたる。正直グーグルサイトでコンテンツを増加さしてくか、はてなブログに居るままにするか、迷っている。
こんな感じです。
ひどすぎる!この浮気モノ! マインド・オブ・ホワイトアルバム! マインド・オブ・君が望む永遠!
●このブログが零細ブログなほんとうの理由
まあうすうすはわかってるんですよ。
まず、このサイトが「売れないブログ」である理由は、さっき書いた「ブログというものが静的ディレクトリ構造じゃないから、どこにどの記事があるかわかりにくい」というものではなく、
・毎日更新していない
・面白い記事を書いてない
・毎回長すぎる
・ネットの時流を無視している
といったもので。
そしてもう一つは、
自分の飽き性
にあるんですね。
自分はとにかく、「どこかに活躍の場を移せば、新しい何かが生まれるのではないか」ということを、すーぐ考えがちな人間です。
違うだろう。
本当に必要なことは、例えば瞑想でもするなりして、「己の中の鉱脈を掘る」ことだろう、と。あるいは、インプット/レビュー対象たるレコード、CD、本を熟読(聴)することだろう、と。
なのに、飽き性でもって、すべてを解決しようとするこのマインド。
まあこのようなことを考えたのも、いつも読んでいる(チェコ好き)さんid:aniram-czechのブログの記事であったからで。
自分に適した場所にたどり着くにはどうすればよい? - (チェコ好き)の日記
というか、このわたしの記事だと、(チェコ好き)さんの記事を全否定してるんじゃないか、って思われそうですが、違うんですよ。
自分(残響)は、自分に適した場所、というものを探り当てるための努力を、していない。
正確には、「その場で踏みとどまって、その場の真価」を探る努力をしていない。ただ、そのブログシステム……今回ははてなブログですね。その機能性におんぶに抱っこしてもらってるにも関わらず。
……そして、さらに問題なのは、(チェコ好き)さんが記事中段で仰っているように、
「自分の目的地を定めていない」
ということです。
いろいろあると思うんですよ、ブログの目的地って。
例えばアルファブロガーになる、とか。
例えばアフィリエイトで稼ぐ、とか。
あるいは、その道の大家になる、とか。
自分の場合、一応たまーに、参考文献的にアマゾーン様のアフィを張ってますが、それを目的にはしてません。(してたらもっと戦略的に張る)
自分の「漠然とした目標」は、「なんか音楽とか書物とかの記事書いて、で、ネットの中で大家的に【お、このひとの知見はすげえ!】みたいなものを残したい」
というものでした。つまり、今挙げたもののラストのやつですね。
……それは、もちろんのこと、「最終地点」「目的地」をしっかと定めていなかったら、土台無理だっちゅう話であります。
そもそも「どのブログサービスがいいか」とか「どのようなサイト構成がいいか」の話じゃないんです。
自分を掘ること。メディア戦略じゃなくて、むしろアート的義務に近いもの。
ていうか。
「大家」なんて、なろうと思って、即なれるわけじゃないんですよね。
前クンフー論でも書きましたが、
そもそもこういった欲望(大家になりたい!)ってのは、無限の研鑽の果てにあるものなんです。だから、こんなブログ論的なことで悩んでいるんだったら、まずもって研鑽(クンフー)するべきなんです。
結果はあとからついてくる、って、自分、周りのひとから(とくに大人のひと)散々いわれます。それってつまり、あんたら成功したからいえるんだろ、自分の今の焦りはどうすんだよ、と言い返したくなりますが……
が。
ここで彼らが問うているのは、
「お前は「その道の覚悟」を、すでに完了しているのか?」
ということなんですなあ。
だったら、まずもって、はてなブログに対するdisなんかいってる暇あったら、ちゃんとした記事をわかりやすく書きなさい、って話。はてなブログ界隈の記事が気に入らなかったら、それをdisる暇あったら、「自分の記事」書きなさい、って話。今日はそんだけの話でした。