残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

最近わたしの音の暮らしはこう

この数か月、VaporwaveやチルウェイブやシンセウェイブやLo-Fiヒップホップのmixを延々とBGMとしてかけている事が多くなった。

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不意に空いた休憩時間、そんな現実の時間(とき)の流れを、無為に溶かしていってるという感覚がたまらない。
実際、それだけ自分も疲弊しているのだと思う。
だいたいこのveporwave感覚は、日時が変わっての深夜TVのタルい番組やCMを延々と見ている感覚だ。深夜ネットサーフィンをしてどこぞのまとめサイトでユルい動画や音を延々流し聞きしている音感覚だ。明日も起きなきゃならないのに眠れず、微妙な焦燥感とダルさがコーヒークリープのように入り混じった灰色タイムフィーリン。
現在、世間は連休らしい。たまたま今日だけは自分も休日が重なったが、その休日の時間をこういうダルい音で溶かしている。

たびたび自分が言う「世界音楽旅行」で例えれば、これは知らない国に入国して「ウォーッ」とテンションが上がっている状態、ではない。
むしろ旅の途中、安宿に泊っていて、降り続く長雨で外にも出られずに、窓の外を延々と眺めているような感覚。
ヨーロッパよりはむしろアジアの地方都市の感じの。妄想で例えるという。

疲れているのだろうな。本館ホームページガリガリ更新する熱量が今ちょっと薄れていて、脳内の思考を、こうしてただ文章にして放出している。自分もダルければ音もダルい。このシンクロに癒されているといえば、癒されている。

(……twitterを止めて以来、日常でふと脳裏に泡のように浮かんでくる、他愛もないささやかなジョークを、たゆたう河川のごとき世間の流れに放流するという「即興を詠じる場」を失ってしまった。もちろん捨てたのは自分であるが)

(……もうひとつ。無理をして「明るく振舞おう」って事を考えて、そのように実行に移そうとしている時点で、やはりすでに疲れている……)

別に自己正当化するわけではないが、上記「このダルさ」もまた音楽の旅と言えるのかもしれない。人生は旅、というのもまた手垢がついた表現だが。

向井秀徳アコースティック&エレクトリック

そういえばまた向井秀徳の音楽を聞いている。それも向井秀徳アコースティック&エレクトリックのライヴ音源をひたすらに。

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ナンバーガールのヒリヒリ感やZazen Boys(とくにMIYA加入以降)の戸愚呂巻く蛇のようなキワキワ感も素晴らしいものでありますが、今は向井アコエレをとにかく聞いている。そして染みる。自分も歳をとったのか、と一瞬思うが、いやそれは本質ドンズバではない。このわたしの日常の最近、やっぱり何かしら疲れている。でもその疲れている目に映る風景に愛おしみを抱きたいとも、少し思っている。その道しるべのような道祖神の音。それが今の自分にとっての向井アコエレなのだと思う。

どの時代の向井アコエレか、と考えたのだけど、しかしどの時代の向井アコエレでもOKのような気がする。06年のフジロックでも、最近のフェスでも、この向井アコエレの弾き語りスタイルの演り方が変わっていないのだから。というか、向井アコエレの本質は、時代性とか流行とかとは実際無縁の所で弾き語っている唄うたいなのだ。冷凍感覚を抱えたどっかの誰かがふと立ち止って聞き染みる歌なのだ。すごいな向井は、と思う。失いたくない唄うたいだと思う。

 

未だに音楽に飽きていない自分自身に少しながら、ぢわぢわと驚いてもいる。

 

(カナリヤさんの日常報告シリーズに対する返歌でもあり)

Illusion Is Mine - Nothing is difficult to those who have the will