「グロック以降のプラフレームハンドガンなんて玩具だぜ」みたいなことを抜かす老害で終わるよりも、純粋趣味道の弾丸を放とうって話

 

キャッチアップ、レイテンシー

怖い話ですね。非常に思い当たるフシがあるというのがまた怖い。自分が銃器知識を丹念に蒐集していたのが十代の頃で、あの頃は毎日銃器本や銃器雑誌やモデルガンに触れておりました。ベレッタのM92とM93Rの違いが判らないなんて「ア・リ・エ・ナ・イ」状態でした。

だが今はどうだというのか。わたしは新しい銃器知識をキャッチアップしているというのか。いやしていない。ちょっと前に久々に買った銃器雑誌で、いわゆる「modernized AK」スタイルのアサルトライフルを知って、あー時代が確実に変わった、と今さらながら思いました。AKと聞いてあの木製ストックと剛健性を第一に挙げるのはもうロートルなんだなと。共産圏の銃っていうイメージも、もう今を生きるヤングにとってリアリティのない「?」であるのでしょう。

むかしのことを思い返してみる。
わたしが十代の頃、銃器業界のトップはベレッタ、グロックH&Kというあたりが席巻していました。コルトのガバメント式ハンドガンのライセンスが切れる直前直後あたりで、各メーカがいわゆる「ガバコピー」に勤しんでいた頃。S&WのM500リボルバーが「S&W最強伝説未だ健在なりし!」という話題はありましたが、これにしたって今思えば「古き良きアメリカ」追慕の回顧であったなぁと。すでにこの頃、ハンドガンのハイパワー競争っていうのはとっくに終わっていて、マン・ストッピングを云々するのはサブマシンガンをいかに運用するか、って議論になっていました。というか話はすでに銃器の「威力」よりも「コストと安定性」に移っていました。

すでにこの時代(90年代)でさえ、ガバやS&Wが「古典」になっている時代でした。モーゼル?それは骨董愛好の領域でした。

じゃあ今の銃器業界はどうなのか。自分がツイッターをやっていた頃(この10年です)、RT(リツイート)でコルトやレミントンが倒産!とかいうのが入ってきて、コルトとかレミントンとかの名前を知ってるガンマニア寄りゲーマーは「えーっ」と騒いでいました。

でも自分はもうちょっと冷静に「まぁ前々からのアメリカ銃器メーカ業界の商売まわりから考えると、それもそうなるだろうなぁ」と、正直「ほーぅ、そうかい」くらいではありました。

その程度には、アメリカ銃器メーカのしんどさっていうのは伝え聞くくらいには、一応情報をキャッチアップはしていたことになるのかしらん。でもそれは例えば世界情勢でいうところの「北欧の福祉モデルは優秀だったけど近年はやっぱりリソース不足でしんどそう」みたいな雑な把握でしかなく、それくらいは銃器マニア業界の経験があれば誰だってわかる。

だいぶ話はズレましたが、確かに新しい銃器、兵器の型番、覚えられなくなったなーっ。もちろん当該ツイートのユーリィ・イズムィコ先生こと小泉悠氏はロシア&極東の軍事の専門家ですから、自分のようなニワカミリオタまがいとは知識レベルもコミット度合いも天とミトコンドリアほど違うというのは大大前提として。ましてイズムィコ先生はそれ(軍事アナリスト)で専門的にごはんを食べているのだから、軍事知識をキャッチアップ「する・しない」「したい・したくない」の話ではないんですよ。

そう、要するに、他でもないわたくし自身が、ミリ(軍事、武器)関連に対して、かつてほど熱が失われている……あー、この表現するのキツい……「老害」になってきてる、っていう話なんです。

 

自意識を間違えた奴が自爆しそうだよな

その「老い」を認めるのは……耐えがたいものだな!

しかし実際、自分は「もう知ってる」と思い込んでいるわけです。ていうか実際知ってるわけです。日本刀の打刀と太刀の違いを。撃鉄のシングルアクションとダブルアクションの違いを。キングタイガー王虎もといケーニヒスティーガーIIヘンシェル砲塔を。スピットファイアの栄光のスーパーマリンエンジンを(youtubeさえあればレストアされた実機のエンジン音を聞ける時代なんだぜ)。十代からこつこつと雑誌や本を読み、模型を作り、妄想たくましくしていたわけです。その熱は嘘じゃない。そして妄想と分かちがたい知識、そのこびりつき度も嘘じゃない。

問題は、「いま」の武器・兵器界隈の現場にコミットしていない。ようはマニアとして「熱」が燃えておらず、かつての熱の残滓で動いているようなもの。今自分はついったーをやっていないので、「かつての知識」で老害マウントとることもないのですが、しかし、例えば創作でミリ(軍事)知識を使うとなると、「古いよそれ」となりそうな感がある。歳をめされた女性が、例えば少女趣味小説を書くとして、しかし現代のガールズ知識のディテールがコレジャナイ感になっているのと、構図は全く同じである。

「現代の●●知識のディテールがコレジャナイ感」というのは、見る人が見れば一発でわかってしまうことで。これはどんなに言いつくろっても、その取り乱し方と補填補足の仕方にすでに加齢臭がにじんでしまっているようなもので。こういう状況下に自分も足を踏み入れたとすると……ふと、かつて若者だったわたしたちの前で、あたふたして取り繕っていたおじさんおばさんの痛みが、やっとリアルにビビッドにわかってくるのです。

 

純粋さは隠すだけ損だろう?

マニアであったことは嘘じゃない。でも、「今、マニアじゃない」ことも、悔しいながら嘘じゃない。そして、軍事知識に代わるものに今夢中になっているのも嘘じゃない。さらには、今だって決してミリ(軍事)、武器が好きなことも嘘じゃない。嘘だったらどうして未だに中2妄想箱庭で遊んでいるんだ。模型をやっているんだ。

「自然であれ」と自分の中のマニアの古き血が告げる。
「そして驕るな、在野の趣味人たれ」と古き血が静かに告げる声を聴く。

自らの現在の限界を知るということは、むしろ在野の趣味人として喜ばしいことです(研究者的態度、とも言います)

わたしは確かに、いまは武器、銃器、兵器などの軍事のマニアではない。「昔好きだった」程度のものです。でも、全くの未経験者からしたら、結構知識は持っているのです。ならばそれはやはりアドバンテージでしょう。知識は古いかもしれませんが、「銃器の基本構造」は熟知している。タマを飛ばすのが銃器なら、その基本は。それを今からイチから覚えなおすのとはわけが違うのです。勘所は承知している。

そんならあとは知識と熱の問題で。以上を一言でいえば「いかに純粋でいられるか」ってことです。この「純粋(なマニア的態度)」っていうのは、「いかなる場合でもマウントをとろうとしない」っていうことです。純粋さとマウントって水と油以下どファッキンじゃないですか(まじで)。それくらいの自制をせねば、「古参マニア」とは名乗れまい。

 

だから記念日と称してしまえ。皮肉は却下だぜ、クワイエット

 老いを認める。いくらでも言い換えましょう(この時点で老いだ)。「現時点での限界を認める」。でもくじけはしない、卑屈にならない。わたしは自分の知識のメンテナンスをしたいと思います。今だって武器が好きなら、やっぱり実際の武器をメンテナンスするように、知識をメンテナンスしていきたい。

かつてわたしは、モデルガンでですが、ハンドガンのフィールド・ストリッピングなんぞ目をつぶっていても出来たものです(実際やった)。それくらいの知識を、かつてのように身体化したい。

まぁようするに、人生を楽しみたいって話です。誰かに追いつきたいとか、引けをとりたくないとか、で趣味をするのだったら、ハナから趣味をしない方がずっと健全だと思います。ようやくわたしもそのあたりを心底了解するようになりました。趣味人として周回遅れのスタートかもしれませんが、まぁそれはよろしい。

なぜ趣味をするか、といったら、自分の機嫌をとるため、というのが、今わたくしが気に入っている表現です。インプット→アウトプットの義務だとか、創作生産性の義務だとか、今はもういいや、と「思い込もうとしている」のです。思いのほかこの「自分の機嫌をとる」っていうの、つい日々の生活で忘れてしまいそうになるんです。

つい「無駄にしたくない」とか「趣味的生産性がー」とかって考えそうになる。でも、今は「おっとっと、いけないいけない、自分の機嫌をとろう。やっぱ今日も疲れてるんだから」っていうように思い返そうとしています。意識しないと、つい義務感に引っ張られる。純粋じゃないですね。純粋でいたいんだ。少なくとも趣味においてはどこまでも純粋にいたい……!

そして自分の人生は、常に趣味人たりたいのだ。でも趣味を義務にしたくはない。ここのところ難しいなーっ。常におのれとの格闘か。でも己自身を大切にするのはおんのれじゃ、の精神です。趣味道の功夫クンフー)です。生き延びたんだから趣味に感謝できたら最高だ。よし、これから自作中2武器のデザインをし直しですわぁ。

 

※今回の章タイトルは以下の曲から引いています。

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