残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

「いっちょ噛み」したい時代のなかで

sigh-xyz.hatenablog.com

 

すぐに自分も考えを書こうとしたんですが、ちょっと時間をおいて考えてみました。

記事の話題ですが、筆者・SIGHさんが書いていらっしゃるのは、ツイッターなどのSNSで良く見られるパターン……
「以前より●●(作品orブランド)のファンを表明していた人」が、その●●新作や続編の発売日以降になって、「あ、発売してたんだ」という発言をする奇妙さの本質についてです。

好きな作品のネタバレ回避ならともかく……という前提をおいた上で。
「自分が好きな作品の発売日くらい把握しているの普通では?」という当然の疑問から、「その人にとっては創作物というものは大した価値を持っていないのでは?」というSIGHさんの見立てです。

 

自分の話(ケーススタディ)でお話してみますね。
例えば、自分は音楽や書物の趣味において、非常に浮気性である自覚があります。
とりあえず、手元にある本やスマホやMP3プレイヤーの履歴で、今追っているのをざっと適当にアトランダムに挙げてみると、

UNISON SQUARE GARDENの「過去のライヴツアー/DVDの再現ツアー」に向けての復習(3rdと4thのアルバムあたり)、あ、それから武道館ライヴDVD買った
・ヨルシカのEP「創作」を経てのライヴ
・XIIXにおける斎藤宏介のソングライティング、特に現代R&B、アーバンコンテンポラリー的視点(=ユニゾン田淵の作曲では取り入れられなかった部分)
スピッツの新曲「紫の夜を越えて」
・上記現代R&Bやアーバンなサウンドの現代解釈としてのVA-11 HALL-Aの音楽
・こないだ出たZazen BoysとSoil&Pimp Sessionsのセッション
・Ariabl'eyeSの新譜とベスト盤(過去曲のリレコーディングがされているので音質面を重視して聞く)
・くいなちゃんのトランス曲メドレー
柴田元幸の英文精読教室の次回以降の配本
・アリアンロッドRPG2Eのルールブック(ルルブ)読み&リプレイ読み(こちらのが好き
・ドット絵の練習しないと。今年に入ってから「ピクセルアートではじめる背景の描き方」や「入門!ドット絵道場」など複数のドット絵本が出ているので
・ちょっと分厚い英語の辞書(3000ページ)を中古で超安く買いました。英語圏の固有名詞や専門語(名詞)が良く載っているのでいくらでもヒマが潰せる。「読書としての辞書」についてはまた記事を改めて……
・作曲ラノベ「作曲少女」シリーズをまた読んでいます。
・藤村シシン「古代ギリシャのリアル」を読んで改めて古代ギリシャ神話の概観を(変に)掴んだところで、古代ギリシャ神話を読む
清涼院流水の英語勉強本(「努力した分だけ魔法のように成果が出る~」&「50歳から~」&「三日坊主~」)を読んで「やっぱり語学は最終的には暗唱なんだよな、そこは黒田龍之助と同じ結論なんだな」と悟る
・百合4コマの必須栄養素「ふたりべや」
・今月ゆるキャンの原作、ComicFuzで連載休止してるんだよなー、でもあfろ氏の取材写真が載っています。キャンプ取材なら許さぬわけがあるまいよ。
TRPG雑誌・GMマガジンと、ゲームブック雑誌・ウォーロックが合体してGMウォーロックになった。「これまで通り」って感じで楽しく。ロール&ロールも今月号で200号ってめでたさ
・東方虹龍洞は発売日に買いました。そりゃこの紅魔郷以来の東方信者・残響さんの義務ってやつです。
・平野恵理子の料理本、山歩き本をよく読んでる。次は老後山荘本ですね。
ハクメイとミコチは何度でも読み返せるな
ゴブリンスレイヤーも何度でも読み返せるな。今月出るTRPGサプリはよ来い
・映画大好きポンポさんomnibus発売日に買って読んだ最高だった。
森博嗣氏の庭園鉄道本&ホームページをまた読んでる。
・はしゃ氏の旅日記漫画(フィリピンではしゃぐ、ニュージーランドではしゃぐ)
ヤマノススメも長くなりましたね。20巻を読み、ネットで最新話を読む
・鉱物漫画「瑠璃の宝石」面白いっすね
・今日もkindleゲームブック攻略(ドルアーガ三部作とか、「送り雛は瑠璃色の」とか)
結城浩氏の「再発見の発想法」で改めてコンピュータ技術の概観をする
・伊勢さんと志摩さん、同棲百合として最高やないか
・ときど氏の「世界一のプロゲーマーがやっている努力2.0」を読む。
ウメハラ氏の本をまたイチから読む
・『いま家で音楽を聴くこと コロナ時代の音盤選び』を読む

それから……えーとこれ以上書いてもな。トピックは最低でも3倍はあるのですが。こうしていろいろ楽しんではいます……が、ここに挙げたものは、今、一応自分が最新情報を追っていけてはいます。苦もなく。
それでも、ここに挙げ切らなかったトピックで、上記「一軍」ほどには現在追い切れていない「二軍」トピックもあります。自分で例えれば、ジャック・ホワイト(ex.ホワイト・ストライプス)の新作とか、キース・フリント死後以降のプロディジーの新作とか。
自分のなかで、この「二軍」にまで手を伸ばせない、っていうのは、情けなく思っているんです。未だに好きだ、って言えますもん。ジャック・ホワイトもプロディジーも。でも今、まさに聞いているのがUNISON SQUARE GARDENの武道館ライヴだったりします。

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リボルバーという銃器があります。六発の弾丸をシリンダーに入れて、一発発射するごとに、シリンダーが回転して次の弾を発射できるようになるシステムの銃器です。そう、弾は一発ずつしか発射できません。シリンダーにはちゃんと6発の弾丸はあるのですが、撃てるのは一発ずつ。このrevolve(回転&装填)システムを指してリボルバーと称します。
趣味にも同じことがいえると思うんですよ。人間の持つチェックスキル&リソースが有限な以上、興味の全部に対し、チェック度を100%ガンガンに上げることは出来ない。「ある程度のキャパ」が限界なのです。
興味の全部に全力で……というのは、現実にはむしろ、各トピックへの熱が「薄れて」しまいはしないでしょうか?原理的に。
こうして、かつて一軍だった熱の対象が、二軍、三軍へと落ちていきます。
それは、しょうがないことだと思います。

ではお前はSIGHさんの疑念に否を唱えるのか?というと、それが全然そうではなくて。結構わかる。SIGHさんが抱く「あ、発売日知らんかった」のファンに向けて「お前ほんと好きなの?お前にとって(創作物は)それくらいのもんなの?」とツッコミたくなるお気持ちがあるお話ですが。
しかしその人の「好き」のレベルを評価・断罪するっていうところから、いわゆるマウントは発生してしまうので、「彼・彼女らが言っている【好き】を否定するのは非常にマズい」のはまず最前提で。
その上で自分は、こういう仮説をたててみます。

・その人らの「好き」は、上記「二軍」の好きである
・それでもその人らは、●●(作品、ブランド)に「いっちょ噛みしたい」のである。

ある人々にとって、SNSでの承認欲求の満たし方は、「自分が識者・通人・知識人であるとみなされてチヤホヤされたい」ってものだと思います。
では周囲に識者とみなされるにはどうしたらよいか? 何か世間を騒がしているトピックに対し、「それについて自分はよく知っていますよ」アピールをすることが、第一歩です。
ここにおいて「もう発売してたんだ」「出たの知らなかった」アピールは、安全圏から「いっちょ噛み」することにおいて、かなり確度の高いやり方です。

本当のファンがすべきアピールは、もちろん発売日に買って何らかの感情を爆発させてることです。楽しいにしろ、予想外にギャフンだったにせよ。

「いっちょ噛み」したい「二軍の好き」な方々にとって、その作品は「現在は」そこまで熱をあげているものではない。それは、SIGHさんのように熱心に作品を愛する方にとって、ちょっとツッコミたくなる存在でしょう。
しかし「その二軍な人だって、もし改めて作品に触れたら、前のような熱を取り戻すかもしれない確率は否定できないでしょう?」という指摘もあると思います。その通りです。自分だって、今やっている「模型趣味」。この模型に関しては、完全に「出戻り」ですからね。人のことは言えない。

ええい、残響さんはどっちの肩を持つんだ!玉虫色メーン!っていうツッコミが聞こえてきますなー。
……自分が結局一番言いたいこと、っていうのは、安易な「いっちょ噛み」っていうのは、実は全然クレバーな方策ではなく、場合によっては自分自身すらやがて傷つけていく行為だ、ってことをここで指摘しておきたいんです。なるべくなら、やらない方が良い。なによりも自戒をこめて。

どういうことか、っていうとね。さっき、プロディジーのキース・フリント(フロントに立つリード・シンガー)の事を書きましたが、彼が死んだとき、SNSを当時バリバリやってた自分も、いっちょ噛みして、1回だけ追悼ツイートみたいなんをやったんですよ。その時の「ええっ、キース死んだのかいな……」という心の冷え方は嘘ではない。
でも、その追悼で、自分自身のナルシシズムを満たしたかった、という気持ちがなかったのか?って、今思うんです。「あいつ……逝ったのか……」っていう、物語の中の登場人物めいたムーブをしているだけなんじゃないか、って。

キース・フリントの死について、自分はどこまでわかっていたのか。とくに、彼の死の前の時期、自分はプロディジーの最新情報をチェックしていたのか、っていうところですよ! 

いや、違うな。たとえ知っていても、ベラベラ口に出すのは本当のファンなのか。当時、仮に何らかの不穏な雰囲気があったとして、それをリアルタイムで知っている「一軍」のプロディジーファンであればあるほど、キースの死の前の時期では、「コレ言っていいのかなぁ……」って玉虫色になるのではないか。


一般的に、ファンだった作家の死にショックを受けて、ちょっとだけSNS投稿が思いあまって、っていうのは仕方がない。でも、それにかこつけて自分語りをする余裕なんて、本当のリアルタイム一軍ファンだったら、そこまでないはずなのでは?と思ってしまうところすらあります。

そう思うと、この追悼行為だけでなく、あらゆる「いっちょ噛み」をしたがる方々は、やはり「現在の作品、ブランド展開を追っている一軍なファン」ではない。逆に言えば、「いっちょ噛み」をしてしまっているという時点で、ファンとしての浅さを露呈してしまっている、と評価されても仕方がないでしょう。だからこそ、先んじていっちょ噛みをしたくなる、っていう図式ですが……。

追悼の多さは愛された多さでもあるし、追悼で自分語りをされる数が多いほど、その人の作品がいろんな人の「物語」として食い込んだ、って証でもありますが。
それでも、「現在進行形の作家」をどこまで追っていたのか、っていうのはあります。

長々書きましたが、「いっちょ噛み」をしない方が賢明である、というだけの話です。でもしたくなるんですよね!ブログでも書きたくなる!SNSだとさらに書きたくなる!「その作品や作家に心動かされて今がある自分」を語りたくなる!この際だから語りたくなる!
これは追悼だけでなく、何かが満を持して発売したとき、あるいはヒットしたとき。「昔から俺はあいつを応援していたんだよ」「あいつはやると思っていたんだよ」という後方オッサン面をするのは大層気持ちが良いですよ、認めますよ!

話を創作物の方面に戻せば、上記「いっちょ噛み」の話は、創作物そのものじゃないですね。単なるオッサンたる「自分自身」の話なんですよね。なるほど。そして、そういう「オッサン」たちの吐き出す嘆息の吐息が「空気」となる。なるほど生臭いわけだ。
その生臭さは、創作物に夢中になっている純粋さとは違うのだと思います。
もちろん、いわゆるオッサンムーブ……創作物を雑に取り扱って自分を慰撫する、っていうのが、大層きもっちええことは認めます。でもそれを表明するのは、上品ではない、っていうところでしょうか。多分それは、オタクでもマニアでもない。

もっと言えば、そういう生臭さのいっちょ噛みっていうのは、あんまりオタク的に「機嫌の良い」態度じゃないですよね。オタクだったら自分の夢中になっているものに「善しッ!」と言いたいものです。そういう瞬間を多く持っていたいものです。まぁそれを言ってしまったら、昨日「腰が痛いーっ」というヌルい記事をUPってた自分はどうなんだ、っていう話ですが。

 

ーーま、そこはそれとしてっ。w

こういう風にサラりとかわす術を覚えたのが歳をとった証拠であります。しかし、こうして自分を機嫌よくさせておくのもまた、歳をとった役得であります。
趣味なんて最終的には自分を機嫌よくさせておけばそれでいいんですよ。オタクなんてそんなもんで。だからこそ、ねっちょりした「いっちょ噛み」の生臭さは、あんま「機嫌良さ」なんて呼びこまんなー、という。