残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

深夜に延々と癒し系音楽映像の垂れ流しを見て静かに涙を落つる心情を君は経験したことがあるか(フィラー映像入門)

フィラー映像が、涙が出るほど好きです。

涙が出るほど、というのは誇張じゃなく、深夜放送のフィラー映像の垂れ流しを延々と見ていると、いつしか自然と涙が目を潤ませているのです。

フィラー映像(番組)とは、テレビ放送で「放送中断」を避けるために、深夜などに垂れ流しておくための、特に意味やエンターテイメント性を持たない、音声付きの映像のことです。なんのことだかよくわかりませんね。

ようは、NHK(などのTV放送)の深夜に、一連の番組が終わったあと、癒し系のBGMとともに各地の風景の動画が2時間(以上)ばかり延々と垂れ流されているアレのことです。

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代表は「映像散歩」……内容はサブタイを列挙すると「世界・大自然紀行」「美しき自然・日本」「イギリス鉄道の旅」「ローカル鉄道の旅」「プラネットアース 絶景・天空の旅」「ヨーロッパ トラムの旅」「空からクルージング」……

……こうやって書いてみると、鉄道ネタ多いですね。まぁ鉄道の車窓から延々と見える情景、というのがフィラー映像のコンセプトと実にマッチしているんですね。なお、番組「世界の車窓から」はフィラー映像とは関係のない、ちゃんとした番組です。あれもあれで良いのですがフィラーではない。

こないだ10年以上使っているデジタルテレビレコーダーを整理していて、やっぱりこういうフィラー映像番組がたんまり保存されていました。眠れない深夜、こういうフィラー映像を垂れ流していると、実に癒されるんです。涙が出てくる。そう、疲れているんでしょうね。

 

「妙に自分はこういう番組が好きだな……(自分は変なんじゃないか?)」と気づいたのは、大学生の時期です。ふと夜中に寝付けずに(その頃から鬱や神経症でした)、NHKのテレビを回してみると、こういうフィラー映像が垂れ流されています。なんの意味性もない、メッセージも何もない。音楽も刺激的なものでない。……それに癒されていました。

こんなに内容のない番組、というかただの映像。でも、そこには人間の厭らしさはありませんでした。社会のギスギス感もない、綺麗な世界があったのです。もちろん、「意味や社会メッセージ性を持たないように作られた」のがフィラー映像ですから、人間ドラマの物語がないのは当然なのです。「綺麗な」とは「調律・編集された」ものです。所詮は人工的な調整です。

でも……大学当時から薄々気づいていました。こんな安っぽい癒しを求めるほど、自分は嫌らしい人間性、社会コミュニケーション性が、とことん嫌になっていたのだと。精神が疲れ切っていたのだと。時代や社会に自分を合わせるのも辛く、かといって自分の内奥を見つめ切るのも疲れる。

深夜、フィラー映像を淡々と流していると、心が癒されました。なんの解決にもなっていない? いや、今でこそ思うのですが、フィラー映像の垂れ流しを延々と見つめるのは、それは自分にとってはとても意味のあることだったと思います。涙さえたたえて、癒し系BGMと綺麗な映像を見る。その瞬間は傷つかずに済んでいたのです。時間を稼いでいました。それ以上病まずに、傷つかずに済んでいました。心理的にも物理的にも……。

 

ところで、フィラー映像で癒されていると同時に、妙に静かに「創作意欲が刺激されるな」とも思いました。大学時代からです。今もフィラー映像を見ていると、自分の中で「世界観とキャラ」が動き出します。

自分は学生時代からぽつぽつと創作をしていますが、一番自然に「創作のネタもと」になるのは、ひょっとしたらフィラー映像なのかもしれません。

フィラー映像で、街並みや、市井の人々の行き交う姿が映ります。そういうのを見ていると「ああ、ここに人々が映っているなぁ」とぼんやり頭の中で思います。音楽のリズムと、行き交う人々のリズムを同期させる感じで眺めています。

すると、自然に自分の中で「物語」が生まれてきます。正確には「物語のタネ(種子)」程度のものですが。

欧州のレンガの街並みを右行ったり、左行ったり。日本の空を見れば細い架線があったり。南米の波打ちぎわで人が水に足先を触れさせていたり。光の乱反射がきらきらしていたり。そんな映像に、BGMが穏やかに流れていて、なんだか自分もその空間と調和してるんじゃないか、っていう風に思えてしまう。

そうすると、自然に自分の中で創作のキャラたちや、脇役たちが物語として「立ち上がってくる」のです。派手なアクションはありません。キャラ達は益体もない話をします。時折くすっとするジョークが生まれたら最高です。その時もまた、「ああ、自分は今、癒されているんだ」と思えます。

 

 

最近、Lo-Fi HipHopチップチューン、Synthwaveにお熱だという音楽話題を、この日記ブログでは何回も出しています。このLo-Fi HipHopチップチューン、Synthwaveのmix動画を延々と夜中見続けて時間を溶かすのも、たまらなく癒されます。

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音楽だけでなく、ビジュアル(絵、イラスト、ドット絵)も付随しているというのが自分にとっては大事で。イマジネーションが静かに刺激されるんです。上記フィラー映像の「風景と行き交う人々に、自分のイマジネーションが静かに刺激され、物語が立ち上がる」癒しと全く同じものがあります。

 

 

以上のことは、あまりに個人的な体験なので、36歳の今まで、ほとんど言語化もしてきませんでした。言語化出来ない微妙な心情だっていうのもありますが、言語化する意味もなかった。ただ癒されているという事実のみで満足だったので。他人に理解されることも望んでいなく、他人とフィラー映像で語り合う気持ちもありませんでした。そんなことをする暇があったら、とにかく少しでも長くフィラー映像を眺めていたい。

自分が今これを書いているのは、自分の愉悦をちょっと言語化してみようかな?という単なる気まぐれです。言葉にして纏めておけば、あとあと便利かな、っていうだけ。

あと、「NHKの深夜に流れているアレは、フィラー映像(番組)って言うんだよ」ということを、フィラー映像という名称は知らないけれど、意味を知っていて愛している人(同志)のちょっとした助けになれば良いかも、という気持ちだけです。

 

フィラー映像(映像散歩)参考リンク

ja.wikipedia.org

 

seesaawiki.jp