残響の足りない部屋

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生活のプログラミング

●生活をプログラムする

駄目だ……このままでは駄目だ……。かろうじて生活は破綻してはいないが、私自身の人間性が大変駄目なことになってきている……と判断できます。自分でこう思えているんだから、ハタから見たらもっと駄目なのだろうということも想像できます。こないだも友人に迷惑をかけた。ああ。

生活のやりかたがまずい。場当たり的な生活を送っていたら駄目だ。生活のいろんな部分を、あらかじめプログラムしておかねばならない、と最近思うようになりました。

もともと自分は非常に場当たり的……よく言えばその場のアドリブで一応カタをつける式の生活を行っていた人間です。

どうしてそうなったか、というと……私の場合、どうせ事前に予定立てて(プログラム)その通りに生活をやっても、その通りにはならなかった事例が多かったからです。むしろ現場での自分のフレキシビリティ(即興対応力)をフルに生かし切ってガーッと動いた方が、結果何とかなった、というアドリブ・パワープレイで今日まで生きてきました。

まぁ、本当のところはなんとかなってはいなかった、というのがありますよね。他人にも迷惑をかけることになってしまいますし。それに、アドリブ対応をパワーで行ったあとは、大抵疲れる。疲れて、結局「生活」以外のことが出来ていないという話です。創作が、趣味が出来ていないのですよ。仕事と生活と睡眠、だけ。

このやり方(現場アドリブ・パワープレイ)から、別の方法に移らねばならない。このままではいずれ破綻する。そこで「プログラミング」という思想が頭をもたげてくる。

 

 

もともと自分は生活をプログラムするのが苦手、というか忌避していた面がございまして。

ルールに則った生活を恐れていた。かつて、強迫性障害を患って、廃人になり、青春のほとんど全てを棒に振った経験がございます。強迫性障害は「セルフルールに恐怖で縛られて、生活が送れなくなる」ものですから。なので、「セルフルールを定める」という生活プログラミングを恐れていたのです。

でも、このままの現場アドリブ・パワープレイでは破綻するのなら、それよりは……といったところですね。

 

 

生活プログラミングと言いますが、内容は結局「現場に入る前に、事前に自分の行動を想定し、対処法を考えておく」というものです。

今、この文章を書いていて気づきましたが、私は未来のことを予測・想像するのはしょっちゅう行っているのですが、それは悲観的予測をして将来をビビるだけで終わっており、現実の実際的対処にまで結びついていない、という役立たず思考をしていたのですね。これはいけない。

未来の状況や、自分の行動を予測するのは大切ですが、それよりもっと大事なのは、予測に基づいた「対処行動」を定めて、その練習をしておくことなのだと思います。未来予測=悲観ばっかりをするのをよしなさい、という話です。しても良いけど、率を下げろ。

 

PDCA、メンテナンス、ゲーム

ふと。この「対処行動」&「練習」っていうのは、「メンテナンス」にかなり近いな、と思ったのです。

闇の色は脂肪の白さ --仕事に忙殺される日常、スマホ電子書籍依存、生活メンテナンス - 残響の足りない部屋

日常ゲーム2.0 --エクストリーム・生活メンテナンス趣味 - 残響の足りない部屋

 

プログラミングというのは、

命令書(プログラム)を書く

実際に読み込ませ、動かす

吐き出されるエラーをチェックする

プログラムを書きなおす

という一連のシークエンスですが、まったくPDCAですねぇ。思うに、自分はPDCAのDO(試験行動)ばっかりやって、C(チェック)をろくにせず、自分を責めるばっかりだったのですね。プログラム(プランニング)と、プログラムの書き直しという観点がない。

まぁ、プランニングから始めるよりも、メンテナンスから始めた方が自分はやりやすいですかね。

で、先ほど過去記事の「日常ゲーム2.0」を引っ張ってきましたが、結局生活がゲームなら、ゲームプログラミングという観点も重要です。生活の生産性・効率性を上げるに越したことはありませんが、たぶんそれだけをやっていても、自分自身としては「楽しく」ないんでしょうね。生活を楽しいゲームに変えなくてはならない……そういうプログラミングをすることが大事なのだろうと思うのです。