残響の足りない部屋

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日記0926 ノート日記11年分とネタの文章化

すこし、文章の練習をしたいと思った。そのために、自分の書きつけた11年間のメモ日記は役に立つと思った。

 

今年のはじめ、「自分の文章が嫌い」という記事を書いた。以下のリンクです。

自分の文章が反吐が出るほど嫌いだから、自分を変えていく - 残響の足りない部屋

この記事では「私の書く文章の薄っぺらさは、私自身がしっかり思考していないからだ。そんな自分を変えていかなければならない」という内容を書きました。この内容は、今も間違ったことではないと思っている。

けれど、今回思う「文章の練習」をしたい旨は、上記の記事の「思考せねば・自身を変えねば」というのとは、今回ちょっと違ったところから来ている。

 

2011年あたりから、私は日々の生活の中で、思いついたこと&気になることをノートにメモることをはじめた。なんだかんだで11年続いているらしい。だからノートは何十冊にもなっている。ミスプリント用紙の裏紙に書きつけたものや、Pomeraワープロ専用機)に打鍵したものもある。それらを合計して換算してもノート100冊にはいかないとは思うが、ノートが何十冊にもなっているのは事実である。

もちろん、このメモは大したことを書いているのではない。ためしにこの数日ぶんから拾ってみるが…… (「←」は読み返しての註やツッコミ)

  • カタリア・ウー(語り合う) ←創作箱庭物語の人名でも考えていたらしい
  • カリギュラ・ライクな彼氏をギュウッとラヴ、カレ牛 ←早口言葉を思いついたらしい
  • ping pong ピン・ポ~ン ←チャイム音が気になったらしい。創作箱庭物語に使えるとでも思っているのか
  • 自分と関わりのある人間がどんどん私の人生から退場していくな ←祖母の容態が悪くなり入院し、病状が悪化している件
  • 漫然と喰ろうている ←夜中、夜食を食べ過ぎたらしい
  • FF9のフィールド曲(あの丘を越えて)とFF3の悠久の風って似てね? ←あとで聞き返したらそんなに似てなかった
  • ミネラルの内容:カルシウム、マンガン、鉄、リン、コバルト、硫黄、カリウムマグネシウム、etc…… ←人体の代謝・循環機能についての再確認メモ
  • panpanya先生の新刊まであと数日 ←たのしみ

こんなのがずっと続くメモが、私の日記というか日誌というか。量だけ多いただのメモ帳ではないか? いや、まったくその通りですね。

箇条書きどころか、「思いついたこと&気になったこと」をただメモって羅列しているだけ。あんまり文章にしていません。分類もしていない。

 

このノート書きつけは、自分としては「ストレス解消」だと思っている。思いついたこと&気になること……脳の中で悶々として渦巻いているものを、ノートに書きつける文字にして形にして出せば、少し楽になる。

ようはう●この排泄と同じである。実際、このノートには日々の記録として、う●この回数を暗号で書いている時がある。う●この様相が「ええっ」と思うようなものだった場合、体調が悪いと推察されるので、それも書いている。こんなことを聞かされているこの記事の読者のほうが「ええっ」と思っていらっしゃるのではないか。

 

で、この量だけあるう●……じゃなかった、日記=メモであるが、ここで書かれているメモを、このブログの文章のネタ元にすれば、良い文章の練習になるかな、と思った次第であります。

思うに、文章をゼロから立ち上げて書くのは、そりゃあしんどいので、忙しかったり疲れていたりすると、あまり文章を書かなくなっていく……と思う。あるいはついったーでの短文投稿で気が済んでしまう、という。べつに文章を書かないこと自体や、ついったーのことを悪く言っているわけではないのだが、文章の練習を考える人間にとって、ちょっとノーサンキュー状況だよね、って話でござい。

その点、日々書きつけたメモ(ネタ)を、少しだけ文章として「展開」することは、文章の練習としてうってつけではないか、と思った。それが今回の「文章の練習」をしたいと思った理由だ。

「11年分の日記のメモを、ちょっと短い文章として【展開】してみたい」という気持ちがある。それがまぁ、面白そう、というだけ。それだけで充分楽しめそうなのだが……しかし、思うにそれは「文章の練習」をしたいきっかけではあっても、「理由」ではない。

なんで自分は文章の練習をしたく思ったのだろう。

 

これは話が一番最初のあのリンクの記事に戻ってしまうのだが、やっぱり2022年の秋の今に至っても、私は「自分自身(残響さん)」という人間が、そんなに好きではないのですね。とくに自分の紡ぐ言葉、文章、ってものが、やっぱり薄っぺらく、嘘なように思える。

そしてもし、私の紡ぐ……吐く言葉が文章が、誰かを不快にさせていたら……と思うとぞっとする。いや、もうすでにそうなっているのではないか、とひそやかな確信があるからこそ、今、私は文章の練習をしたく思っている。

言葉を正す、というとなんだか孔子論語みたいですが。しかし、大学院を中退してかれこれ10年以上。その間、創作小説を書いたりもした。批評をやったりもした。けれど、そもそも自分の言葉が、よくないものになってしまっている、と思った。

言葉を正すことが、自分自身を即、正せる……とは思っていません。そこまで安易には思っていない。けれど、まず正しやすいものは、やはり自分の言葉なのではないか、とも思う。

 

上記で何回う●こと言ってる汚言症なのかい私は、って話でございますけれどね。まぁ、でも、必死こいて自分を潔癖に正す、ってことをしようとしているのではないから、ご安心ください。あくまで、メモ(ネタ)を使って、文章の練習をしたい、という気持ちが第一です。

 

●追記・写真

11年分のノート日記ですが、今、自室にあるものを4~50冊ほど引っ張り出してみました。ミスプリント裏紙やpomera打鍵データはちょっと出すのが難しいですね……。

↑ 下列の一番右のノートの表紙絵は自分で描きました。

ノートの表紙には、書きつけはじめた日付と、ノートを最終ページまで使い切った日付を記載してあります。

ノートにメモを取る時には、毎日、日付と曜日だけは、ノートの紙の最上部に書いておきます。

他は全然ルールなんて守っていないノートの書きつけですが、表紙の日付と、毎日の日付曜日だけは、一応11年間守れています。