残響の足りない部屋

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岸田教団アーカイブ上巻発表に寄せて。あるいは妄想音日記と人生の孤独について

ついさっき、YOUTUBEで試聴が出ました。岸田教団&THE明星ロケッツの「岸田教団アーカイブ(※訳あって)上巻」。この上下巻アルバムは、これまで延期になっていた岸田教団の初期の作品のリレコーディングアルバムとして計画されていたものでした。無事発売となって安堵しております。

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この時期の岸田教団が特に好きだ、っていうリスナーの意見を聞くことがあります。

私も2009年(Electric BlueからLiteral Worldの間のころ)から岸田教団を聞き始め、それからずっと聞いてきて、毎年新譜を買い続け、今年で14年めってところでしょうか。悪いね算数が出来ないんだ。だから私もこの頃の岸田をリアルタイムで知っていることになります。

マッチョじゃないんですよね。まず音そのものが。岸田教団のメンバー当人たちが、当時の機材や技術の充実してなさに言及することがこれまで結構あったなぁ、と思いかえします。もっとやれるのに、みたいな述懐を記憶しています。

しかしそれ以上にというか、それ故にというか。この頃の岸田教団って孤独だったというか、飢えていたんだなぁ、と思うのです。当時岸田氏たちが抱えていた心象風景を具音化するにあたって、「頑張る」しかなかったという。メンバーたちが集まるのにも難儀していたんじゃなかったでしたっけ。九州や岡山とかで。同人サークルの常ですけれど。

不自由とか、孤独とか。そんな中で虚空に向かって心象風景の鮮やかさを、かき集めた機材という絵筆とパレットで思いっきり描き殴る、という。そこに迷いなんてない。…というか、もっと切迫したものを感じます。

当時の曲調は、音圧追求や空間を埋め尽くす勢いのアレンジやミックスではないです。そればかりかもっとゆったりした感じのもあります。あるいはただ単に本人たちの言うように技術的に、音圧追求や空間を埋め尽くすことさえ出来なかったのかもしれません。そこにはなんだか折れてしまいそうな印象すらあります。

「ただ凛として」のイントロなんて、「虚空に鳴り響けギターストローク!」なコード弾きですが、なんでどこか泣きそうな感じなんでしょう。駆け出そうとして、上手く足が動かなくて、それでも駆け出して疾走していくバンドサウンドの頼りなさと美しさ。それがどうしてこんなに胸を打つんでしょう。

−−−若い頃の青臭い精神性ってものがあります。初期の岸田曲はそれを見事に封じ込めることに成功したのでしょう。というか、孤独な状況下だったから、自然と孤独の匂いが染み込んでしまった、とも言えますが。

美しい孤独の疾走とノイズは、結構な人に思い当たるところがあったようです。そして岸田教団の音と世界の美しさは、我々が抱えていた青臭さより、その延長線(戦)上…はるか彼方の延長線上でもっと美しく孤高に鳴っていたのです。その孤独な美しい世界に憧れた、っていうリスナーが結構いた、って話ではないでしょうか。

 

しかし私はずっと岸田教団を聞いてきて、「今の岸田教団がぬるい」って言う論の持って行き方を絶対にしたくはないのです。だって「転生したら剣でした」もガリガリに疾走していますし、東方アレンジ「ブラックマーケット」だって表題作のメロディアレンジがとても良かったです。そんな今を生きている彼らに向かって「あの頃のように孤独に美しくなれ」なんて言えるわけがあるものですか。その論の組み立て方はちょっとひどすぎる。本人たちが「初期曲好きな奴ら、今だけは懐古を許す!」みたいなコンセプトでした前の初期曲&初期東方アレンジライヴを演ったとしてもですよ。

 

まぁだいぶ前に私自身も、あの頃というか「幻想事変の頃の音が好きだった」っていうことを書いたのだから、人のことは言えない。

7thオクターブの覇者のささやかな失敗―岸田教団論― - 残響の足りない部屋

↑ その記事

岸田教団&THE明星ロケッツ「hack/SLASH」レビュー(feet.けいおん) - 残響の足りない部屋

↑ それを結構反省した記事

 

あの頃の音の孤独と美しさがたしかに有ったと思えた、というのも事実です。でも今の岸田教団だって、ライヴバンドとして修行を積みまくり、機材&音響の追求もし、技術の研鑽に余念なく、作詞作曲アレンジ全てを向上しようとしている。4thアルバムの時に岸田教団を自ら「REBOOT」する、とまで至った意思ですよ。その努力に頭が下がらないわけがない。ものすごい努力の塊のミュージシャン、バンドです。その状況っていうのは、かつての彼らのセンチメンタルな孤独の辛さとはまた別の辛さもあるでしょう。でもファンだったら、彼らの今歩んでいる道の意気をビシっと感じ取りましょう。あのときの状況の岸田教団から、総帥&教団はここまで来たんですよ。そこをまず喜びましょう。

そして、この文章の最初の方で「初期岸田の孤独と、当時のリスナーの孤独が共振した」的に書きました。これを言い換えれば、「岸田総帥の当時の音日記と、当時のリスナーの孤独が共振した」って言い換えることが出来ます。多分ですが、岸田総帥はここまでずっと聞いてきたファンたちの孤独な人生に気づいているのではないか、って思えたりします。そんな総帥自身の人生と、ファンたちの人生の孤独を、肯定する意味合いもあるんじゃないかとすら思えたりするんです。今回の初期曲アルバム上下巻において。勝手な妄想ですけれど。

岸田教団&THE明星ロケッツの活動(音源&ライヴ)は、岸田総帥たちの妄想音日記を読むことだ…とここで言ってしまいます。結構、岸田教団の歌詞って説教的なところがあるじゃないですか。そして妄想世界の激しさと切なさがあります。それを私は音日記と呼んでしまいます。

私が何を言いたいかというと、初期の曲(日記)には初期の良さがあり、今の曲にも今の良さがある、というごく単純なことです。そして私達が今抱えている苦しみや悩みや孤独だったりが、今の岸田曲と共振することがバリバリだって話です。今の彼らを聞くのは、私にとってそういうニュアンスです。例え今それがわからなくても、いつかわかる。現に今、当時言語化できなかった孤独をこうしてちょっとは言葉に出来ている…はず。

時に今を共闘、時に昔の日記を読む。音楽のある人生を生きる。そういう付き合い方をしていけるバンド、ミュージシャンだと信頼出来る。それを3rdアルバムの頃の岸田はどう表現したか? それではここで一曲どうぞ。LIVE MY LIFE。

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