残響の足りない部屋

音楽旅行と模型人生と愚にもつかないジョーク

呪われた初心者が初めてまんが同人誌を3冊作ってみた話

私はかな〜り長い間「絵・漫画が描けないコンプレックス」を抱いていました。10年じゃきかないくらい長い間です。

そのコンプレックスの解消のために、超重い腰を上げて2021年の夏にはじめてオリジナル創作まんが同人誌(表紙やあとがき合わせて全14p)を作りました。「雨とハープシコード」という短編ゆかいまんがです。

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その後、2021年の年末から2022年の2月にかけて、第2作短編ゆかいまんが「仙境ヤマナシ旅行記」を描きました。これも表紙やあとがき合わせて全16pです。

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そして去年2022年の11月にネームが完成し、年越しギリギリで完成したのが第3作短編ゆかいまんが「Port Sacevo,Phantasmagoria」です。表紙・設定合わ(略)14p。

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現在は、第4作として、本文12pのカラーまんが「薔薇十字の名のもとに」という作品を製作中です。とりあえずプロットというか、最低限のネームは出来ました。

 

●「絵」という呪い

上記3作品の絵をチラっとご覧になればわかるように、私(残響)は絵が下手です。2021年まで私は創作分野では、小説を書いたり、自作曲を作曲したり、模型やジオラマをやっておりました。

ただ、「絵」という手段だけは避けまくっていました。自分の肥えてしまった目(審美眼っちゅうか…)が、自分の下手な絵をどうしても許せない。そして単純に、絵という表現手段に慣れていないから、絵を描いてもつまらないと感じてしまう。出力されるのは下手な絵、っていうこともありますし、何より描いてて「自由な気持ち(楽しさ)」になれないんですね。

そうして絵を描かない人生のまま、これからも過ぎていくのかな…、と2021年までは思っていました。折に触れて絵をやってみようとは思うけれど、三日坊主どころか1.5日で終わる、というパターンを繰り返してきました。

そのたんびに心に擦り傷が増えていきました。コンプレックスが熟成されていきました。世の中の絵が描ける人が羨ましくてしょうがないのです。確かな嫉妬です。この件の嫉妬は滅茶苦茶デカかった。私は、自分よりも勉強が出来る人、運動が出来る人、仕事が出来る人を見ても、「そりゃそうだろ」と思います。自分よりも容姿が良い人、コミュ力が高い人。こちらも「そりゃそうだろ」と嫉妬の感情が沸き起こりません。世の中はいろんな人がいて、そのバラつきが尊いのだから、と高みの見物を決め込むくらいの競争心のなさです。自分のアウトプット手段たる作曲や模型でも、コンプレックスを抱くことはなかった。

ところが「絵」だけは。絵だけは、自分が嫉妬に狂うのです。なんで? 他のものでは嫉妬回路働かないじゃん。作曲や模型も多少は出来るから、それで満足していればいいではないですか。理性はそのように告げます。けれどダメです。世にある漫画を見て、すぐに嫉妬してしまいます。自由に絵で内的世界を自己表現している人を見て、嫉妬に狂います。
…ほかのことはどうでもいい。絵を描くことで自分は自由な呼吸をしたい。…これ以上、嫉妬で身を焦がしたくない。

その思いから、私はまんがを描くことにしました。そうじゃなきゃ、多分私は死ぬまでこの嫉妬を飼うことになってしまう。そんなの苦しすぎる。もう逃げない、逃げたくない。

なので私の「絵(漫画)」という表現手段に対するイメージは「自由」を求めて、という意味合い、それも「呼吸」というニュアンスがかなり強い。

これはもう「呪い」だろうと思う。なんでこうなったのかはわからないけど、自分は絵に呪われているらしい。絵を描かなきゃどうしようもないコンプレックス。その嫉妬から自由になりたい。

 

●1作目を描いた時のこと

とりあえず形にしなければならない。「やるやる詐欺」だけは避けなければならない。そう思い、まず早い段階で私は「アナログ作画」主体にすることを決めました。

デジタル作画の方が確実に絵はきれいになります。なんてったって、それまでロクに絵を描いてこなかった人間です。デジタルならUNDOがあります。描く&修正を何度も繰り返すことによって、丁寧な画面づくりが出来ます。また、その修正回数によって画力も上がります。当然。

でも、まず私は絵を描くことを「好き」になりたかったのです。当時から私はアナログ画材を用いた作画スタイルをしている絵師さん達に対する憧れがありました。そして何より、私はpanpanya先生というアナログ漫画家のアティチュードに滅茶苦茶影響を受けていたのです。まずはアナログ画材を使い、絵を楽しんでみよう。画力はそれからだ!という凄い転倒した理屈です。

ただ「デジタルを使わない」というわけではなく、むしろ原稿用紙のゴミ取りやデジタルトーンなどの「修正処理」には、デジタルを使いまくりました。アナログ原稿をスキャンして、ちまちまゴミ取り&トーン、修正に次ぐ修正です。なので「アナログ画一発描き!」という手法は取っていません。

 

さて、「画力はそれからだ!」という猛烈な創作態度で臨むものですから、当然出来た原稿は美麗なものではございません。案の定、読んで下さった方々から絵について褒められたことはなかったです。画力のわりに背景の描きこみが細かい部分があり、そこの熱量を買ってくださった方はいらっしゃいましたが…。

それでも自慢するわけではないですが、皆さんから「漫画として成り立っている」というご評価は頂きました。今、第1作を読み返してみて、無茶苦茶やっている漫画ですし、画力は明らかに表現したいものに釣り合ってはいませんが(雨の音を楽器の音でかき消すシーンなど)、それでも「言いたいこと、やりたいことはわかる」漫画であったということは、自分でもわかります。

●漫画的ギミック

ネームや物語の作り方を勉強しまくった、というわけではないです。過去に私は小説を書いていましたが、
「思いついた順に即興で書きまくって、後でツブれる」
「見切り発車でスタートするので、当然、後々になってネタを発想するのが苦痛になる」
というパターンを踏みまくっていたので、うまいとは申せません。

でもこの第1作では、物語の展開というか、ネームにひとつ「(漫画的)ギミック」を組み込みました。先に述べた「雨の音を楽器の音で相殺する」というギミックですが、このネタを思いついた時、これを最も効果的に伝達するには、「漫画」という表現手段でしか描けない、という確信が私の中であったのです。

そのギミックを最大限活かすように、ネームを逆算して構成しました。このギミックが漫画の中で動けば、あとはほぼどうにかなる、という予測でネームを作り、漫画を描きました。そして多分それが成功したから、この作品が「漫画として成り立っている」とご評価頂けたのでしょう。

 

その後もこの「ギミック」ネーム構成法で、第2作も第3作も、現在描いている第4作も作っています。ギミックの個数や、威力の大小はともかく、まんがの中で「ギミックさえ動けばなんとかなる」という、傍から見れば非常に乱暴な理詰めでまんがを描いています。ネタを思いついて、それを漫画的ギミックとして仕掛けを作る。その仕掛けを活かす形で漫画(絵の連続体)に搭載する。ミニ四駆か何かか?

 

自分のまんが作成法で一番重要だったのがこの「ギミック」だった、と今になって思います。なぜならギミックが動いている、ということは、漫画が「動作している」ということであり、動作していれば少なくとも最低限の玩具的な面白さは発揮出来ているのだろう、という話です。

これが「物語作者」として正しいやり方かどうかは相当自信がないです。むしろこう書いていて、玩具作者やゲームプランナー(とくにアナログ・ボードゲーム)に近い「面白みの作り方」だと思います。けど、自分にはこれが自分の作劇作話の正義だったみたいなので、自分の考えとして書き残します。参考になるところがあれば良いのですが。

 

さて、では「ギミック」の本質は何か、というところですが、ようは「漫画の中でこれが動けば、楽しい効果になる」ってものです。私の1作目では「音(MIDIピアノロール)の物質化」でした。2作目では「山一面に花を咲かせる」ことでしたが、これはちょっと伏線を張るのが弱かったかも、という自己評価。3作目では「百合イチャラブ」だったのですが、これももっと百合やイチャラブの解像度を高くするべきでしたね。おいおいなんだかギミックの威力弱くなっていってないか? 4作目ではがんばります。

ようはギミックの内容は「何でも良い」といえるのですね。玩具が楽しい感触・味わいだったら何でも良いように。でもそれじゃ何も言っていないも同然ですな。こればっかりは各漫画作者のセンスや世界の切り取り方、面白がり方次第だと思うんですが。

 

ああそうだ、「キャラ」の話もそれですね。普通、物語における一番のギミックといったら「キャラ」ですものね。私はつい、いわゆる「人間ドラマ」とは別のところにあるものを追いかけたがる性分なもので。

私自身、そんなキャラメーカーな創作者だっていう意識はないです。一度立ち上げたキャラや設定、小ネタで漫才やコントするのは楽しいのですが。しかし良いネタは良いギミックに昇華出来うる、ということは言えます。

ひとつの物語にこういうギミックを複数搭載して、それが同時並行的に動作するような漫画を描けたら、そりゃあ凄い漫画家なんでしょうけれど。今の私にはまだまだそこまでの域には達せられません。

ただ、ひとりのキャラが仮に「大小様々なギミックの総合体」とするならば…つか、そうあるべきなんでしょうな。いろんなギミックを搭載したキャラが、もうひとりのキャラの搭載したギミックに反応しあって、物語が進行していく。動いていく。それはきっと楽しいことなのでしょう。まぁギミック、ネタを思いつくのが大変、っていうことはありますがはい。

 

●キャラデザ

それからキャラデザの話をします。これもまたひとつの「小ギミック」でありますから。

ところで唐突になんですが、私はフリルやレースのついたヒラヒラしたロングスカートの上品なゴシカルなおよーふくが大好きでしてね!!!

妄想するぶんには楽しいですが、これをいざ画面に描こうとなったらさぁ大変。チマチマちまちまと、ミリペン(コピックマルチライナー)が唸ります。毎回咆哮しますね「誰がこんなキャラデザした!」と。おれだ!紛れもない残響さんだ!

これは現在描いている第4作「薔薇十字の名のもとに」というまんがのキャラのラフなんですが、

ギャーッフリル!レース!ロングスカート(のシワ)!ビショップスリーブ(腕)!何より誰だスカートに花柄入れるって考えたやつは!おれだ!他ならぬ残響さんだ!しょうがないだろうこのキャラ花屋なんだから!

漫画を描くにあたって、画面の中の世界でキャラを「動かす」必要があります。そうすると、ラフイラストで描いていて楽しい、こういう小物たっぷりな楽しいキャラが、とたんに「作画カロリーの高いキャラ」になります。

これは大変です。自分の「楽しい!」からギミックは生まれますが、そのギミックをきちんと漫画画面に表現するとなると、作画カロリー、作画コストがどんどん上がっていくのです。ギャーッ!

 

「妄想している分には楽しいけれど、いざ作画に起こしてみると案外カロリー高い」現象って、結構起こりますよね。また、人物のポージングも「あれ?これこんなに難しかったっけ?」っていうものが結構あります。振り返りシーンとか!

 

●呪いと祝福

「それも含めて絵を描くのを楽しんでいこう」というお言葉は、頼りにして良いのか絶望していいのかよくわかりませんが。ただ言えることは、「もう私は絵から逃げていない」のだ、ということです。

どこまで自分が自由に絵の中で妄想・空想を羽ばたかせられているか、まだ自信がないです。こういう自問自答はずっと続くのでしょう。でも、確かに私は、絵から逃げてはいない。即ち、こういう絵にまつわるアレコレをしている時は、絵師への嫉妬をしていない。つまり、ほんの少しだけでも「絵」の呪いが解けたことになります。

漫画を描いていて、「天にも昇る気持ち」というよりは、この嫉妬の呪いが解けて「ほっとした安堵感」を覚えることの方が多いでしょうか。まぁ「天にも昇る気持ち」なんて大それたものを求めることがちょっと危険なのかもです。それよりはこの「ほっとする」気持ちを少しでも多く感じられて、自分の意識・思考がフラットになれば良いなぁ、と思います。

ていうか、絵の呪いなんてものがなければ、こんな七面倒臭いこと(同人誌作成)をしなくても良いのに、と思います。

でもAI絵の方向に自分がいかないのは、この「自分が」絵を描かなくては、呪いが嫉妬が解けないから、という単純な理由です。自分の手を動かしてオリジナルの絵を描かないと、解けない呪いがある。

 

しかし一番根源的なことを考えるのですが、なんでこんなに自分は絵に執着しているのか。

一番最初にも言いましたが、別の手段で代替したって良さそうなものを。絵が好きで、好きで、でも自分の人生ではお絵描きという表現手段は与えられないと思い込んで。嫉妬とともに封じ込めた絵への思いを、37歳の今、一歩ずつ溶かしている。少しでも絵が上手くなりたいと思う。漫画をいっぱい作りたいと思う。

それが私の人生なのだというのだろうか。自分で勝手に嫉妬して、心を勝手に固くして。そのこわばった心を、後々自分自身で溶かしていく、という。マッチポンプもいいとこだと思う。そしてそんな人生ゲームデザインをしたどっかの天上の誰かに張り手一発カマしたい気持ちもある。

でも、まぁ、悪い気持ちではないのです。自分が絵や漫画に向かい合っている、ということが。自分が描く漫画がこの先どうなるかはわかりませんが、まぁ自分で作った小冊子同人誌を読んで「なかなか楽しいではないか」と思えるのならそれで完全に充分だって思います。

あとは「義務感」との戦いですが。どうも自分はすぐに趣味や生活に義務感を入れたがる。その義務感で物事を進めたくなる。タチの悪いことに、そうした義務感バーストで物事がかなりスピーディに進んだ経験すらあるのですよ、まったくもう。

ということは、今度は戦いが別のフェーズになったのでしょう。これまでは自身の嫉妬・呪いとの戦いのフェーズでした。それが今度は、自分の生活をどんどん「絵を描く生活」にしていくことによって、自身の暗い淵から生まれでてくる義務感と対決していくフェーズです。絵を上手く「ならなければならない」、漫画を「描かなければならない」という義務感。嫉妬と義務感、どちらが組しやすい敵か、それはわかりませんが。しかし嫉妬と義務感、どちらも「敵」であることはわかる。

ここまで絵に執着している人生。これは呪いなのか祝福なのか。それは今ここで決めることではないですが。それから技術論的な話より精神論的な話に落ち着いてしまったなこの記事…。まぁでもそれだけ自分にとってこの絵のコンプレックスが「呪い」だったんでしょう。それをこれから少しでも祝福と思えるように出来たら良いですよね、って話でした。お読み頂きありがとうございます。それではまたまんがを描きます。

 

●参考記事

modernclothes24music.hatenablog.com

↑ 前に書いた記事。これはもうちょっと技術論寄りですね。

muimix.hatenablog.com

↑ 今回の記事を書こうと思わせてくださった記事。有難うございます。