●Alice Kitela
↑公式サイト
関西インディーズポストロックシーンで気を吐く、Alice Kitela。
今回の記事は、彼らの楽曲/パフォーマンスに胸を借りて、いわゆる「轟音」とかって称される、一連のポストロックや、シューゲイザーの作法について語りたいと思います。
●ポストロックとは?
さて。
ポストロック。この言葉は、非常に訳しにくいのですが、あえて訳するなら「ロック以後のロック」と称するべきでしょうか。
その中に、例えば「シューゲイザー」だったり、ある種のエレクトロニカだったりが入ったりするわけで……つまりは、
ロック以後。
ロックというフォーマットから「逸脱」するロック。
……もうこうなると、それはロックではないのではないか? と言われるかもしれませんが、うん、その通り。「ロックじゃないロック」というカテゴリに、ざっくばらんに集約されてるのが、ポストロックという音を演るひとたちで、まあ、あいまいといえばあいまいなカテゴリなんです。
で、Alice Kitelaは、その中でも、「シューゲイザー」成分が多め。シューゲイザーとは、「静寂/轟音」のマナーのある音楽、といったところでしょうか。
例えばこの音源を聞いて見てください。
水/Alice Kitela 2013.06.24 FANJtwice - YouTube
彼らの「水」という楽曲で、このパフォーマンス編成では、ギター+ドラムのデュオ編成、という形になっています(しかしそのくせして、低音バンバン出てますね……)
「通し」で聞いていただきたいです。
さあ、どうですか?
最初のパートで、これが「美しい」音楽であるということは、センス・オブ・ワンダーある人間ならばわかるでしょう。好みは別として。
そう、この音の磨き……まさに「水」な音の磨き、これがポストロックの特徴のひとつです。
わかりやすいメロディーよりも、より抽象的な美。口ずさめるポップス感覚よりも、より耽美的というか、ドリーミーというか。
いわゆる「ロック」が、ビートルズ以降、どんどん機能性を追及していき、最終的にはパンクのような
「スリーコード」
「やたら急ぐリズム」
「がなり声」
まで、要素が簡略化されます。それによって得られたものはなにか、というと、「よりキャッチーなメロディを得るためのシステム」とでもいいましょうか。
もっとも、菊地成孔の論を鵜呑みにすれば、バークリー音楽院で、ビ・バップジャズの研究から、ポップス方程式が導き出されたという点からして、音楽の記号化、メソッド化はもうすでに確立されていたのでしょうが……。
……それを言えば、ビ・バップジャズの発展系である、ビートルズが参考にしまくった、オールドスタイル・R&Bの時点で、すでに「テンプレ音楽」だったのかもしれません。ライ・クーダーの古い楽曲とか聞いてると、そんな感慨も思わせます。
ああ、話がずれていく(いつもの残響さん!)
「水」に再び話を戻すなら、この楽曲は、以下の構造を持っています。
「静寂パート」→「轟音パート」→「静寂パート」
ポストロック、シューゲイザー、ノイズ系、といわれる一連のジャンルは、大体この順番で事を進めます。例外はありますが……ええ、このジャンル、大体において、例外を造りだすことをこそ楽しみとしてるようなフシがw
「水」の中盤あたりで、非常にノイズ・プレイが入ってきますね。
これが、最初の「メロディーのなさ」以上に、普通の音楽ファンだったら「?」がつくところかもしれません。
ですが、我々ポストロックファンからしたら、Alice Kitelaの轟音は、非常に「いい!」です。
どこがいいのか。
まず言いたいのは、轟音が、そのまま「社会への反抗」みたいなチープな信念によって鳴らされていないことです。
それどころか……この轟音は、先の「水」ライクなセンス・オブ・ワンダーと地続き……というか、水の濁流をこそ表現していると、わたしは取ります。
第一、ノイズに入るその前から、静寂パートに不穏な揺らぎが出ているではありませんか。このあたりの繊細な処理を踏まえて、gtのyura氏は猛烈に高音ハウリング・ノイズをぶちかまします。
その音、耳をつんざきます。身体を震わせます。
それでいいのです。
轟音……言葉にも、明確なメロディーにもならない、音の震え。轟音は、音の轟なるをもって轟音とする……その音の強度こそ……
とはいえ。
そこから、無限のセンス・オブ・ワンダー、耽美的感覚を、いくらでも得ることができます。
これが、ただの騒音と、美的ノイズとの違いです。
ときに、わたしの職場の「工場部分」は、すげーうるさいのです。それこそ、「美」なんて全然ない。わたしはそれが大嫌いで。
ところが、そこで働くわたくしのマーマン(母君)様は、わたし愛しの(そして全ポストロック憧れの大御所)ソニック・ユースを「ウチの騒音と変わらないじゃないの!」とかっていいました。
違うんだなぁ……騒音と、音楽は、違う。
それは、ノイズの美的強度というのもそうですが(倍音がたっぷり含まれた、このプレイでのyura氏のノイズよ!)、かてて加えて、リズムのタイトさ、というのもあります。
ここでのドラマー氏のタイトなプレイをご覧ください。
ただの「ドタドタ」なリズムとは遠い、ノイズの美を全力で支える「タイトさ」を放っているではないですか。この、ノイズ(轟音)に負けないリズムキープこそが、ノイズ・ミュージックが音楽たるキモなのです。
むしろ、楽曲に合わせて、プレイ全体が融解していかねないところを、アンカー的にドラムが保ち、かつ、ドラム自身の音響によって広げていくのです。
●シューゲイザーの世界へようこそ
さあ、どんどん聞いていきましょう。
思考迷子(ちょっとだけ)/Alice Kitela 2014.03.12 - YouTube
-30℃ / Alice Kitela 2013.11.15 FANJtwice - YouTube
Alice Kitelaの個性は、まず世界観が、曲一曲ごとで完結していて、ひとつひとつ、固有の風景(情景)を描き出そうとしていること。
インストだったり。時に歌であっても、あまり歌詞が(ほとんど)聞きとれなかったり。でも、それが「ひとつの世界」を描こうとしていることはわかります。
それを、時に繊細(エフェクターと、シングルコイル・フェンダーギターを使った、クリーントーンの「まろみ」は絶品ですね)、時に高音ハウリングで描くギター。
それを丹念なリズム……メタルさえも通過したリズム感覚(タイト!)で支えるベース、ドラム。
とくに記述したいのは、このタイトさですね!
従来、ポストロックやシューゲイザーにおいては、メタル的感覚……メロディーの「かちっと決まり」度もそうですが、あまりにスクエアなタイトなリズムっていうのも、嫌われてきたもんなんです。だって、「【ポスト】ロック」なんですもの。メタルっちゅうのは、乗り越えるべき音なんだと。
でも、Alice Kitelaの若き感覚は、その仮想敵をも敵と見ず、積極的にイディオムを吸収する! いやあ頼もしい。 ここからこそ真のフュージョン、ミクスチャーは出てきますよ。
ただもし、彼らの音楽に、シューゲイザーファンから、「シューゲ特有のトリップ感、ドリーム感はすごくあるのはわかるが、ダークさに欠けるじゃないか」
って言われそうな感じはあります。
まあそれはわたしもわからんくもないかなー、と思うのですが、しかしそもそもAlice Kitelaの音楽は、陰鬱的な音風景を描く音楽でない、という点を忘れた意見だと思うのですよ、それ。
シューゲイザーという音楽は不幸なことに、先達が切り開いたことを評価するあまり、後進が描くノイズ芸術も、「○○フォロワーやん」みたいに一括して語ってしまう、シーンの欠点があります。
多少ドリームだったら、すぐマイ・ブラッディ・ヴァレンタインとか。
よりナチュラル感覚志向だったら、モグワイとか。
クールネス方向だったら、ソニック・ユースとか。
いえ、先達はすごいのですが、だからといって、すぐ「○○的!」と評するのはいかがなものか。そこから逸脱する個性を語るならともかく。(まあ、わたしもよくしがちな評論でありますがー)
ちゃんとAlice Kitelaの音を聞きましょう。その、まろみを帯びた音と、タイトなリズム。音の広がり……そこで描かれる風景は、非常に自然的でありながら、「どうしようもない神経的な閉塞感」よりも、「画家が幻視し、体験したなにか美しいもの」をこそ、表してやまないではないですか!
あのー、例えば、ひとつの絵画を見るような感覚で聞いたほうがいいかもですね、ポストロックって。あるいはシューゲイザーって。
もちろんそれは、「美学」あるどんな音楽でもそうですが。
でも、見て、そこから喚起される、自分なりの解釈。自分がその静寂/轟音で見た風景。それが、シューゲイザーの場合、とりわけ大きいと思うんですよ。
以上を踏まえて、最近の音源。(リハーサル)
Alice kitela×イス男 STUDIO REHERSAL - YouTube
非常に雰囲気ありますね……
ここにきて、彼らはまた一段と、バンドとしてのポテンシャルをあげてきました。タイトなリズムはそのまま(さらに向上!)に、そこにポップな、軽快なメロディまで載せます。その弾きっぷり、合わせっぷりも、まさに軽快!
いや、さんざっぱら「ポストロックは逸脱である!」って書きましたけど、別に己の信念に従ってれば、どんな音を入れたっていいのがポスロクでして。
むしろ、本当に異物なのは、美学に反する音……曲が求めない音。プレイが求めない音。そして、彼らの描く風景(情景)に、不要な音。
そんな、どこまでも唯美的な音、それが、ポストロックなんです。