香山哲氏のファンタジー漫画「レタイトナイト」を私は楽しく読み、応援しています。
「レタイトナイト」はweb漫画雑誌「路草(みちくさ)」にて連載されています。現在単行本第1巻発売中。
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私は、前(今年の5月)に感想を書いております。
modernclothes24music.hatenablog.com
「レタイトナイト」の連載はシーズン制で、数か月に一度、数話がまとめてupされます。普通の漫画連載・web連載は一話ずつです。しかし「路草」編集部・並びに作者側は「じっくり作品を読んでいってほしい」という態度で「レタイトナイト」連載を運営しています。
私は「レタイトナイト」のこのシーズン制を支持しています。どうも最近、漫画作品の発表(とりわけweb媒体)でインスタントな運営のやり方が目立つ節があったりします。どの漫画かとは言いませんが…例えばあるコメディ現代ファンタジー漫画では、いきなり最終回になって、公式のアナウンスも大してされない、みたいなことがありました。読者コメントや作者のついったーや最終単行本で「そうなのですね」って知るような感じ。こういうの、よくないですよ。作品・作者に対する薄情さを感じてしまいます。
そういうこともあって、「路草」編集部の「じっくり作品を読んでいってほしい」というシーズン制採用を、私は支持しているわけです。インスタントに「消費」されていい作品じゃないんだ、大事にしていきたいんだ、という気持ちを感じさせます。本作「レタイトナイト」は、じっくり読めば読むだけ味が出てくる漫画なのです。
1巻のラストでは、先に旅に出た叔父・マルさんに引き続き、主人公の少年・カンカンがいよいよ村を旅立つシーンが描かれます。
2024/12月現在で「路草」で連載(無料公開)されている続きの回(その15~18)では、カンカンが旅をし、宿に泊まり、タタト交易所での生活・商売を始めるあたりが描かれています。
今回のこの記事では、先日更新された「その17、その18」の回の、私・残響が気に入ったシーンやディテールを書きたいと思います。細かい感想文です。
カンカンはまだ若い(経験不足)
前シーズン回(その16)ラストでは、カンカンは焼き粉ものの素朴な食べ物「豆ディスク」を多く作って売っていこう!というシーンで終わりました。叔父・マルさんのタタト交易所での暮らしぶりに比して、この勢いが実に若者です。しかし先のことを綿密に計算しきれない、という経験不足・見通しの甘さも、また若者の「勢い」の側面です。
マルさんはなんだかんだ言って大人ですから、旅路にしても、町での仕事にしても生活にしても、安全側の堅実な歩みをします。でもカンカンはまだ15歳。読者(とくに大人)からしたら「ダイジョブかおい」と思ってしまいます。
結局豆ディスクがエビ的小動物(ヘヤサソリ)に食べられたり、最初はあんまり売れなかったり(味なしはやっぱキツいって…)、とありましたが、親切な周囲の人々の助けもあって、なんとかディスクは売れました。同時にカンカンは商売の難しさと、「自分には向いている事と向いていない事があるかもしれない」ということを覚えます。
そもそもカンカンはテンの村で、「自分は学校的なるものに向いていない」「魔法もやはり向いていない」「野党をやっつけられるくらいの力もない」と、いろいろ「向いていない(力がない)」ということを認識出来ています。それだけカンカンは聡い子であります。そして、カンカンはまだ若いですが、若いからこそ経験を積んで知恵を付けていきます。この「経験を積んでいく」のがカンカンの物語の骨子かもしれません。
マルさん物語パートとカンカン物語パート(世界重層性)
「レタイトナイト」において、カンカンはマルさんを追う形で、交易所や旅路、もっと大きな町(中轄)といった広い世界を知っていくことになるのでしょう。
そこで、大人・マルさんの物語パートと、若者(少年)カンカンの物語パートが作劇上分かれているのですが、きっと香山氏はこの手法でいろいろな町や旅路や世界の「見え方が違ってくる」、という描き方をしていくのかもしれません。それは世界の重層的な深みです。
RPGビデオゲームでも、メインのパーティが町に訪れ、その後、臨時的に別のパーティがその町を訪れる、っていう群像劇的なのがあるのですが(例えばFF6の序盤でパーティが三つに分かれるみたいに)、キャラが変われば町の見え方もまた変わるのです。味わいが異なってくる。そしてレタイトナイトのファンは、香山氏のファンは、味わって食べるほどに味わいが出てくる「世界」に用があるのです。
そういえば、ディスクはエビ(ヘヤサソリと呼ばれている)に食べられましたが、この「ヘヤ「サソリ」」っていうのがまた良いですね。虫が湧く・喰われるのではないのです。やっぱりこの世界の気候は中近東~北アフリカのように乾燥度が高い。日本のような高温多湿ではない。こういうちょっとしたディテールに異国情緒が宿っています。
耳栓、安宿のリアリティ
同じ安宿に泊まっている客たちのいびきで眠れない!→耳栓使ってなんとか寝る、って描写に3ページ半使うのが香山哲という漫画家です!凄い!いや冗談でなく凄い! そこに目を付けるか、と。
やはりこの作者は目の付け所が違うわけです。それがファンとしてとても嬉しいわけです!「ベルリンうわの空」だって海外日常生活の「目の付け所」の漫画でしたしね。
実際、安宿とか深夜バスってこういうのあったりします。ホコリっぽかったり、隣の人が食べているものの匂いがしたり。細かいディテールです。それが世界のリアルです。水で濡らしたハンカチで顔を拭くのが妙に気持ちよくてね。
こういうささいな、しかし味わいがとても深い描写がいっぱいあるのがレタイトナイトの素敵なところです。
若者の健やかさ
そして豆ディスクを売り切り、耳栓を使って翌朝「よく眠れたー!」と目覚めるカンカンの元気な姿が嬉しいですね。
今現在なう39歳な私・残響ですが、若者(少年)がちゃんと元気、っていうのは良いことだと思うようになりました。私が若いころは「深い哲学的思索や文学的屈託を持ってこそいっぱしの大人…」みたいに思っていましたが、今(39歳)になって思うと、「のびのびした健康」って大事だな、とw 哲学や屈託が不必要とは断じて言いませんが、それが堂々巡りするほどだったら、率は減らしても良いかもしれない……
実際、カンカンも少し「思考が堂々巡り」しそうなところがあります。「その18」の奇宝屋バイトを決めるときも、「だけど→だけど→だけど…」のトライアングルで堂々巡りしちゃってる描写がありますし。
でもカンカンはポジティヴにまじめに働いていこう、という健全さがあります。そこがカンカンの魅力です。おじさん(大人)たちが「お、がんばれよ!」みたいにカンカンに対して向き合ってくれているのも、そのあたりのカンカンの善性に好感を抱いているのでしょう。いや、先に述べたような哲学や屈託を抱えた少年が悪いって話じゃありやせんが、しかし「助けたくなるような人、助けようとは思えなくなっちゃう人」っていう違いって確かに世の中にあるよな…とも思うわけです。ある意味厳しいことですが。ううう、この話長くするとちょっと過去の私がダメージ受けそうな気がするのでここで切りますw
建物や町の路上の絵の暖かみ
凄く良い……。毎回レタイトナイトで描かれる建築物やストリートの様子や、旅路の草や石や地蔵や、動物やキャラクターのデザインが、見ていてすごく良い感じなのです。デジタル作画ですが、凄くアナログ感、魔術感があります。時代性に左右されない絵・デザインです。
今回の絵で、唐突にPS1の「ポポロクロイス物語」を思い出したんです。レタイトナイトでは時折俯瞰的構図がありますが、今回、奇宝屋の建物やそこにつながる橋とかで急に思い出しまして…。ポポロクロイス物語のあの暖かみのあるグラフィック…。レタイトナイトの絵の味わいにも、やはり「暖かみ」があります。この丁寧な作画が嬉しい。
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俯瞰というかちょっとしたクオータービューというか、どことなくPS1のポリゴン的構図というか…。そう、「箱庭的」といえば一番通りが良いでしょうか。そういうのが好きな同志の方にはとにかくレタイトナイトお薦めします。それから次にベルリンうわの空読みましょう。そして香山氏の自主制作漫画読みましょう。それから…(信者乙
奇宝屋、骨董、物語
さぁ、さらにファンタジーの味わいがしてまいりました。奇宝屋は、その名の通り奇妙な宝物専門のお店で、ここにある宝物の魅力的なお話を客に展開するイベントを開く。カンカンはその手伝いをする…というのが次回へのヒキです。
少しずつタタト交易所(町)での仕事・生活が上手くいってきているカンカンです。やはりカンカンに向いているのは完全な肉体労働ではなく、しかし完全に魔法方面の仕事でもない。そういう仕事で「僕、向いてない…」とキツくなっていくのを見るのも、読者として忍びない。
この奇宝屋で「なんか上手くいきそう」という感覚を覚えつつあるのかな。とりあえず仕事のアテはなんとかなりました。よかった。
さて、カンカンはこの奇宝屋での様々な骨董アイテムに魅せられるのか、それとも語り部の魅力的な「語り」の方に魅せられるのか。それとも、テンの村でのばくち場でのマルさんとの経験を活かして、上手く売り子として立ち回ったりするのか。何にせよ何かが起こりそうです。
しかし、こうして列記しましたが、どのエピソードも「普通の漫画、普通のファンタジー」でないですね。だのに、これほど読んでいて「嬉しい」のはなぜでしょう。ただディテールを細かく描写していくだけでは、こういう「嬉しさ」は出ないはずです。
香山哲の手にかかればどんな些細なものでさえ
なんでこんなにレタイトナイトのディテール、絵、キャラ、世界を見続けるのが嬉しいのか。
普通の漫画だと、アイテムや背景はデジタル作画でもって精密に描かれます。でも、それらはただのアイテムや背景…「情報」であり、読者がそれらの絵を見てよだれが出てくるような感じというか、舌なめずりしたくなるか、っていうとそうではないです。
レタイトナイト、香山氏の漫画はそこが違う。
読者は、キャラを見る、背景を見る。アイテムを見る、動物を見る。もう、おもちゃを弄って遊ぶ時のあの嬉しさそのものがあるわけです。「癒し」と「わくわく」が同時にある魔術的魅力。そこにマルさんの朴訥としたやさしさや、カンカンの素直で元気で聡明な若さといった物語が展開される。そうすると、風通しのよいやさしい物語が生まれます。
巨大な悪と戦い、世界を救う物語ではない。そういうとは違い、世界のディテールを見られるのがまず嬉しく…作品全体で描かれる「世界」を愛そうとしている漫画です。世界のザラつき、ホコリっぽささえ、香山氏の手にかかれば魅力と化すのです。そしてそういう世界の嬉しい感触っていうのは、ずっと読者の中に手に取って感じられるリアリティとして残ります。ベルリンうわの空で香山氏が描いたスーパーマーケットのディテール、私の中で大切なおもちゃみたいな箱庭として存在しています。セルフパン切りマシンとか!
これからも、私はレタイトナイトの最新話更新を楽しみにしています。香山さん、頑張ってください。早く来いこい第2巻!
追記
「レタイトナイト」、「このマンガがすごい!2025」オトコ編17位ランクイン、おめでとうございます!