残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

何かを尊く思うこと −−熊代亨『「推し」で心はみたされる?』感想

私は熊代亨氏(シロクマ氏)の文章を長く愛読していて、新刊が出たら無条件に読むことにしています。そんなわけなので新刊を読みました。

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

昔の話をさせてください。私が年若い学生の頃の話です。この本を読んで思い出しまして…。

私は当時、リアルタイムでCLAMPカードキャプターさくら」という漫画を読んでいました。とくに中盤からの、さくらちゃんと小狼くんの恋物語にハマります。いわゆるカプ萌え観測です。純粋でかわいい少女とツンデレ美少年。このカプ妄想をしていると、現実での嫌な出来事が浄化されていくような感覚を覚えました。夜な夜な布団の中で甘美なイチャラブ妄想をしては、その分入眠が安らかになるという。

やがて「CCさくら」は、恋物語の成就という形で完結します。そこから私はさくらちゃんと小狼くんのアフターエピソードオリジナル妄想をさらに繰り広げます。どうやって小狼くんと桃矢(さくらちゃんの兄)を和解させるか、とか。イラスト集2巻の風邪ひいて心細い小狼くんへの桃矢お兄ちゃんのお見舞いがあったじゃないか?素晴らしいエピだが足りぬわぁ!とか思いながら。

そうやって毎晩毎晩「CCさくら」世界の妄想を続けて半年。…いい加減ネタが尽きました。だって物語が完結しちゃってるんだもの!

ここで、現実の私はリアルに異様な虚脱感・空虚感をおぼえました。甘美なイチャラブ妄想を逃避先としていた私です。(当時は続編たるクリアカード編など影も形もありません)。でも、当時の私は、ネタ切れによりこれ以上の妄想は出来なかった。そして心に去来したのは虚脱・空虚の感情でした。「あ、なくなっちゃったんだ」という。

今思えば、これを現代の用語に言い換えると「推し」の卒業とかサ終(サービス終了)、あるいはアカ消し、活動終了、とほぼ同じものだと思います。当時の私は、その虚脱感を適切に取り扱える術を心得ていなかった。

どうやってその虚脱・空虚感から回復したか、というと、今度は赤松健ラブひな」にハマって、けーたろ×なるのカプにハマったから生き延びました。そして「ラブひな」も完結しました。もちろん私は同じようにその後半年くらい、ひなた荘世界を舞台にしたオリジナルアフターエピソードを妄想しまくりましたが、完結によるネタ切れは如何ともし難かった。

 

これじゃだめだ、と私は思うようになりました。作品による、外部からのカプ萌えインプットだけに全てを頼るのは、安定度の確率は低い。いづれ他の作品(カプ)にハマっても、完結したらやがてネタが切れる!妄想世界が終わってしまう!

そこで、私は自分でオリジナルの世界とキャラを作り、自分の創作世界で遊ぶようになりました。オリジナルの箱の中に注ぎ続けるのならば、自分の妄想遊びを終わらせる必要がなくなる! 自分の妄想熱量が、虚無の中に吸い込まれ消えて虚脱感を覚えることはなくなる! 自分にとっては、これはある種発明的でした。

そんなわけで私はオリジナル創作をするようになり、その後、葉鍵ゲー(LeafやKeyの美少女ノベルゲーム)に同じようにハマって以前と同じくイチャラブ妄想をするようになっても、オリジナル世界と並列して楽しむことにより、「ネタ切れ」の虚脱感を心配することがなくなったのでした。よかったよかった。

 

…という話を、この本『「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド』を読んで、まず最初に思い出しました。

ここでポイントとしたいのは、私という人間は、「推し」で妄想をするのが現実逃避の常道とする人間だったということです。それはほぼ一貫している。

私はたまたまオリジナル世界観の創作、という方向にいったから、この虚脱・空虚感問題はいつしかクリアされていきました。じゃあ「創作」こそが病める現代を救う処方箋なんですねッ?…という話に結びつくのでもないのです。

私はCCさくら世界やラブひな世界、こみっくパーティー世界やKanon世界に逃避することで、ハードな色彩に感じていた現実からの癒やしを得ていました。あの世界(たち)には本当に感謝しています。あの世界とキャラは本当に素晴らしかった…私の「推し」は素晴らしかった。

ですが、ここに問題があります。

 

・推し妄想による「逃避」だけで、現実との対峙が済む話じゃない

 

イチャラブ妄想は、結局甘美な逃避です。それで何が悪い? 妄想自体は全然悪くないです。

ただ、私は何回も「完結=ネタ切れ」→「虚脱・空虚感」のパターンを踏み、そのたんびに空虚感を抱くという良くないことになっていました。私は夢中になった世界観・キャラ=「推し」への逃避に、妄想の世界で依存してしまう傾向にあるらしい。

「現実世界との和解」をどこかでしなくてはならなかった。私の場合は、創作世界をどんどん作り上げることが、ひとつの解決の糸口になりました。なにせ、現実には創作のネタが山程あります。言語、地理、魔術、文化、天候、風景、工芸品、機械…。それらをいちいち勉強して、創作世界に盛り込んでいくだけで、ネタ切れの心配は全然ない状態になっていたのです(笑) ネタ切れ問題が、現実に対する興味関心を引き起こし、自分から勉強をするようになっていった、という話ですね。

 

↓ noteで書いた、その創作世界観の話です。

note.com

 

さて。本書のテーマは書名にすでにありますが、「推し」で心はみたされるか? これは「満たされます」と言えます。

が、そもそもの自分の「推し方」は、何度も再考する必要があるかもしれない。あるいは言い換えれば、推している「自分」のポテンシャルや健康状態を、ある程度冷静かつ客観的・定期的に測って、「いま、自分は健やかに推しを推しているのだろうか?」と自問する必要すらある、のだと思います。

 

本書でも熊代氏は、現代の「推し」文化の良い面も悪い面もきちんと指摘した上で…それでも節度ただしく「推し」を推すことで、自分自身を良い方向に導いていける、と主張します。

なぜなら「推し」を推す心の持ちように、理由があります。私達が推す時に「尊い」という言葉がありますが、何かを尊く思うことは、やはり基本的に良いこと……尊く思うこと自体が尊いのだ、という話に基づく、と私は思います。

何かを尊いと思うこと。それは「好き」からいくらかはみ出して、自分の人生に「推し」存在を取り入れたいと積極的に思うことです。それは「貢ぐ」とは違います。ほとんどこの場合の「尊い」とは、リスペクト(尊敬)の意味です。「好き」や「愛」の中に、リスペクトの感情が内包されています。

先に述べたようなカプ萌え観測ですら、私はリスペクト(尊敬)が内包されていると思っています。とくに私のようなカプ観測趣味の人間は、素晴らしいカプを見て「尊い…」と浄化されるような気持ちになります。

彼/彼女らが作る(限定された)世界観は本当に素晴らしいものである。でも、もしかしたらその世界観に学ぶことが出来るのかもしれない。少なくともあのカプのように静かで丁寧な生活を愛せるようになりたい、とか。言葉遣いを丁寧に出来たら、とか。そういう風に、カプ萌えをきっかけにして、私自身の生活を正していくことは、ささやかだけども愚かなこととは思えない。このあたり、私がオリジナル創作をして「現実世界を勉強するようになった」くだりと同じものがあります。

 

この本の第4章は【「推し」をとおして生きていく 淡くて長い人間関係を求めて】、第5章は【「推し」でもっと強くなれ 生涯にわたる充足と成長】というタイトルです。人生に対する処方箋です。「推せばそれで全てハッピー」なんて安易な文章を熊代氏が書くものですか。

きちんと現実に向き合う。そして「推し」への感情の奥底がリスペクトである以上、「推し」の所作や思考、ことばから、汲み取れるものはいっぱいあるはずだ、と。

そして、私達の身の回りにいる普通のひとたち。家族。職場関係。そういった関係性の中にも、「推し」への萌芽…リスペクトへの可能性は常にあるのだ、という話を本書ではなされます。「推し」を尊く思える精神ーー仏教における「発心」に近いものなのかなぁーーがあれば、その健やかな精神はきっと周囲の人々へのリスペクトという形をとれるかもしれない。なかなか思えなくても、頑張ってみれば、案外見つけたりするものなのかもしれない。なんか鍵ゲーでも「CLANNAD」思い出してくるな。実際熊代氏もそういう文脈で「CLANNAD」に対して幾度も尊敬を込めて言及されていますし。

 

つまるところアレだ。私が過去の推し活のネタ切れで虚脱・空虚になっていたのは、作品の完結によるものだけでもないかもしれない。作品や推しカプがもたらしてくれる様々な善きものを、私自身の現実生活にうまく結びつけられていなかった…少なくとも当時は。私自身の修行が足りず、オタクとしても未熟。また、自分自身が今どういう健康状態にあるかの把握も不足していた。そういう話なのでしょう。

良く「推す」ことは、自分自身の中のリスペクト(尊敬)精神を、正しく誠実に取り扱うこと、ということなんでしょう。なんだか道徳的な話になってしまいましたが、いや、この話は私は間違っていないと思えた。盲信でも、「貢ぐ」でもない。「推し」の輝きを、対岸の輝きとするだけでは、足りない。自分自身の人生に活かせ、学べる余地はかなりある。

「推し」への逃避や依存じゃないんだ。「尊い」と思えるリスペクト精神を誠実に取り扱っていけば、いつしかきっと人生も良くなっていく。ここでそういう風に自身を「律する」みたいな道徳的な書き方をすると、ちょっと苦行みたいで息苦しいなぁ、って思われるかもしれませんが、そうではないです。

「推し」を尊敬するとは、推しの作品・表現を楽しみながら、正しく「推し」の輝きを私たちが一人の人間として理解することです。盲目的にハマるだけでは、正しく理解は出来ていない。「キャー!」とファンボーイするだけだと、ちょっともったいない。「推し」の彼/彼女らをきちんと見据えて、自分の人生に活かせるところを学ぶ。

私にだって学べるのだ、人生に活かしたいのだ!という。誰かを「尊敬する」というのは、まずそこからはじまりますから。それは自分自身を諦めたり、逃避したりするのとは真逆の精神性です。彼/彼女ら「推し」だって、きっと我々がそうやって健やかに向上していくとするのを、心の中できっと応援して……我々を「推して」くれる!と思いますよ。

本書を読んで、そんなことを思いました。何かを尊く思うことは、それ自体が尊い。私はそう思います。

 

●過去の熊代氏の著書の感想

「「若作りうつ」社会」の感想と個人的重い思い - 残響の足りない部屋

 

熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』一読目の感想 - 残響の足りない部屋

 

『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』感想その2 - 残響の足りない部屋

 

清潔を巡る問答ーー熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』感想その3 - 残響の足りない部屋

 

「何者かになりたい」とか、天啓とか、ルサンチマンとか人生とか - 残響の足りない部屋

 

●過去の私の推し活日記

2019年令和元年のこみっくパーティーの長谷部彩について - 残響の足りない部屋

 

「メイドさんのいる暮らし」と小宮裕太「沢渡さん」シリーズについての気持ち悪い比較考察文 - 残響の足りない部屋

SFなどを読む日々 赤いオーロラの街で、アシモフ、数学ガール、レオナ・ロイヤル・ロード

昨年、このような記事を書きました。

modernclothes24music.hatenablog.com

内容は、「科学技術(テック)&社会派コラム、という観点からSF小説を読んでいきたい」というものです。

この記事を公開してから、記事中でご紹介している書評ブログ「止まり木に羽根を休めて」管理人・feeさんから、私に向けてのお薦め記事を書いて頂きました。本当にありがとうございます。現在、このお薦めに従ってSF小説を開拓していっています。

toolatetoolate.dreamlog.jp

では、前回からSF小説をどう読んでいったかについて、レポートのような形でお話します。

 

www.hayakawa-online.co.jp

kai-hokkaido.com

前回の記事で、まず読みたいSF小説として、伊藤瑞彦「赤いオーロラの街で」の話をしました。この小説は、太陽フレア現象によって全世界的な「電子機器が使えなくなってしまった」現代日本社会を舞台としています。主人公は北海道にたまたま居て、太陽フレア(赤いオーロラ)以降、少しずつ混乱と再生を続けていく社会の中で生活していきます。

ところでSF設定となっているこの赤いオーロラですが、

news.yahoo.co.jp

おーい最近も実際に起こってるじゃないの。そしてこの正月の能登半島での地震津波という大災害。正直言いまして、最近読んだこの小説の描写がダブって仕方がなかったです。小説で描かれている災害対策、避難、復旧のさまざまが。

なにせ「赤いオーロラの街で」で描かれるのは、人間ドラマよりも、大規模災害が起きてからの社会の混乱と再生--災害対策、避難、復旧ーーの細かな描写の方が格段に多いのです。ある意味でシミュレーション小説(災害SF)。その強度が高いからこそ、小説の内容(シミュレーション)と、この能登半島の現実の状況がダブって見えてしまうのがとても自然で。

……「科学技術(テック)&社会派コラムとしてのSF」を確かに私は求めましたから、実に読んで良かった本であります。凄く面白かった! しかしこういっちゃ何ですが、初手から現実とのリンクがハードだよ、と思うところも(苦笑) いや、しかしそれを踏まえても読んで良かった。小説のキャラもどこかユーモラスですし。

 

さて、feeさんのお薦めでまずはアイザック・アシモフを読みました。科学エッセイ「空想自然科学入門」と「われはロボット」です。

www.hayakawa-online.co.jp

エッセイの方、前々から「アシモフの科学エッセイは面白い」という話を聞いていました。動物の大きさの比較をしてみるところで、初手から「対数をとろう」という話のもっていき方に「おぉ理系」、と思いました。確かに科学の王道です。わかりやすく、ユーモアたっぷりに書かれる科学ネタの数々、面白かったです。「改めてそのあたり厳密に言われてみれば、確かに…」ってな具合で。

ja.wikipedia.org

SFの古典「われはロボット」ですが、結構読みやすかったです。ロボット三原則が物語全般に活かされていることは当然ですが、なにより、テックを前にして「人間があたふたしている」というのが興味深かった。作中人物たちが、「人間の定義とは何か!?」みたいなストレートな論調ではなく、日常生活に溶け込んだロボット(技術)を前にして、人間たちが妙な居心地の悪さみたいなズレを感じちゃうところが印象に残りました。

だから「人間」を描いているんですよね。SFは科学技術(テック)を用いますが、その科学技術を作り、科学技術に取り囲まれているのは人間なわけですから。そもそも「物語」「小説」っていうのは人間の思考と行動を取り扱うものですから、SF「小説」もそりゃそうだろ、って言われたらまぁ確かにそうなんですが。集合論じみてきたな。ただここから、私が求めている「社会派」の側面も立ち上がってきますから、見逃せないところです。なるほど、文学ですね。アシモフはもっと読んでみたいです。

 

その次に電子書籍伊藤計劃「ハーモニー」を買いました。こちらも手を出していきたいです。

ところで今ちょっと集合論と言いましたが、結城浩数学ガールの秘密ノート 数を作ろう」はこのSF話題に入れていいのかどうか。

www.sbcr.jp

おなじみ、数学トーク小説です。今回のテーマは「数をつくる」ということで、集合、環、体、写像デデキントの切断…と、「【数】という体系をつくるには、いろいろな要素をどう定義していったらいいのか」というのを、丹念に追っていきます。

自分としてはこれも「科学」の中に入っています。が、「技術」としてはどうかな。「数学ガール 乱択アルゴリズム」みたいなバリバリのプログラム方面だったら確実に「技術」ですが。あ、「社会派」ではないですね。それは確かだ。

しかし「数学ガール」シリーズの清新な気持ちの良さ、数学というものの綺麗さ、は、たぶんSFのセンス・オブ・ワンダーとどこかで繋がっていると思いますし、そう信じたいと思っています。今はさらに結城浩氏の新刊「群論への第一歩」の試し読みをしています。

www.sbcr.jp

 

漫画で、「映画大好きポンポさん」の作者・杉谷庄吾氏の新作「レオナ・ロイヤル・ロード」を読みました。

www.kadokawa.co.jp

「ゲームの中から登場人物のカリスマ王女が出てきて、引きこもり少女に喝を入れ、ゲーム制作への夢の道を歩んでいく」という話。「ゲームの中から出てきた」というあたりでSF認定されないかな……どうかな…だめかな…。それにそのあたりをちゃんと言っていくと、終盤でのギミックの完全なネタバレになるし……。

まぁでも、すごく面白かったのでここで紹介させてください。杉谷氏の作品ではほかにもっとバリバリのSFもあります。「リトルラボ」とか「猫村博士の宇宙旅行」とか。それから「映画大好きカーナちゃん」もSFを(マニア的屈託込みで)かなり使用しています。うるせぇ!お前みたいな奴はブレードランナー大好きだって割れてんだよ!

さて、「レオナ・ロイヤル・ロード」。pixiv版というか、「映画大好きポンポさん」の第1作目(第1巻)がめちゃくちゃ好きな方だったら、かなり高いポイントつける作品かもしれません。見事に引き締まった短編漫画です。社会不適合者が「ものづくり」の喜びでGO!な話ですから。創作の喜びでバチバチですよ! 

www.pixiv.net

ただ、この作品は「ものづくり(ゲーム制作)」を大事なテーマに掲げていますが、それだけでなく「人生の王道(ロイヤルロード)をいかにして歩むか」というのが、この作品の根底のテーマです。

悔やんだまま、恥ずかしいままの人生は嫌だろう? だったら喜びの王道を歩むのみだっ! という、ある種スパルタの成長物語です。そこんとこ、カリスマ王女は主人公を甘やかしはしません。でも読んでいて「辛さ」がないのは、カリスマ王女の輝きがポンポさん並みに素晴らしいのと、主人公が地道に力強く努力し、その努力が正のループサイクルに入っている「成長物語」の清々しさがあるからです。読んで良かった。再びになりますが、ポンポさん1巻が好きな人なら読みましょう。

 

そんなこんなで、最近はそんな感じでした。それから直近で「シャングリラ・フロンティア」の漫画版を最初の3巻くらい読んだかな。これも面白かった。だんだんSF要素も出てきそう。

shangrilafrontier.com

次は一気に「ハーモニー」いこうか、それとも円城塔いこうか、それとも森博嗣のWWシリーズいこうか、あるいはアシモフか。それとも、2023年7月版のハヤカワ文庫解説目録を手に入れたので、まずこれに目を通すか…(書誌として楽しい)。

kodanshabunko.com

なんかSF小説、新しいフィールドを探索している感がしますね。楽しいです。そんなわけで、科学読み物を読みつつ、SF小説・漫画を読んでいく、って感じでいこうと思います。

2023年に良く聞いていた音楽(2)

前回の続きです。選考基準は

発売年度を考慮せず、【自分が去年よく聞いていた】という縛り

です。書いてて結局長くなったので、すいませんがまた次回に続きます。

それではよろしくどうぞ。

modernclothes24music.hatenablog.com

 

スピッツ「ひみつスタジオ」


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ずっと推し続けてきたロックバンドが、ずっと健全なバンド生活を何十年も送り続けている。そして新譜・新曲がとても良い。「レジェンドだから〜」の下駄履かせじゃなく、本当に新譜が良い。こんな嬉しいことってなかなかないです。

私も歳をとったのかな。でも、私個人が実際に歳をとってわかったのですが、バンド(音楽家)生活を「10年も、20年もそれ以上も」ずっと送り続けた例っていうのが数少ないわけです。まして「健全なバンド生活」ってなると余計に。「良い曲を作り続ける」というとさらに(所謂、若い頃の曲の方が勢いがあったね現象)。歳月を重ね続ける、っていうのは、なかなかなものです。若い頃、私はもっと居るかと思いましたよそういうバンドが。でも、何十年もそれを実現出来たバンドは、ほとんどいなかったわけでした。そういうことが、自分も歳を重ねてリアルにわかった。だから、スピッツが今も変わらずスピッツの幻想世界を、ロックバンドとして四人で作り続けていることが本当に嬉しい。あなた達を愛して良かった、と思う。スピッツはとてもマイペースなバンドです。そのマイペースさと幻想世界が、無理なくひとつのものとなっている。そんなロックバンドなのです。激しく燃え尽きるようなのだけがロックじゃない。むしろ私はスピッツの、土に根付いて小さな花を咲かせるような、誠実なマイペースさこそを、真にロック…というかパンクとすら言えるのかもと思う。

UNISON SQUARE GARDEN「Ninth Peel」


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「ロックバンドは、楽しい。(1stアルバムの帯のコピー)」ということを自らのバンド生活で証明し続け、今年で20年。続けることで見えてくるロックバンドの素晴らしさ…今、スピッツのとこでも書きましたが、そうなんですよ。何十年やって、アルバムを何枚も出して、初めて見えるものがある。

ただ、これもスピッツのとこで書きましたが無理のない「マイペース」っていうのも難しいものです。こう言っちゃなんですが、ユニゾン(特に田淵)も「マイペースであろう」とバンド自身に言い聞かせているようなとこが見受けられます。そうでなきゃ揺れてしまうのが、落とし穴の多い音楽業界なんでしょうね…。

だから私は、この9枚目のアルバム「Ninth Peel」が、マイペースな活動の結果として出たアルバムだってことを好ましく思っています。

ぎゅうぎゅうに情報量を詰め込んだり(CIDER ROADの時期)、ガチガチに完成度を上げたり(MODE MOOD MODEの時期)、っていうのもバンドの歴史の中では大事なことですが、それをずーっと続ける、っていうのもこれはこれでまたバンド活動の健全さからは離れるわけです。

音楽業界の彼らへの期待度もあります。バンドメンバー自身がロックバンド「UNISON SQUARE GARDEN」に期待する物語もあります。どっちも必要なものなのでしょうが、USGは三人とも、今はつとめてバランスを取ろうとしているように感じることもあります。斎藤さんのXIIXでの活動、田淵のアニソン作家業とThe Kebabs、貴雄のyoutubeでのドラム解説講座…。(この貴雄のドラム講座、僭越ながら自分も作曲をする人間として、凄く良かったです)


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なかなかマイペースを貫き、バランスを取りながらバンド生活を続ける、っていうのも大変だよなぁ、と思います。それでもUSGは「ロックバンドは、楽しい。」を証明する。頑張っていって欲しいと思います。私はUSGのバンド生活の物語を追い続けたい。

と、いろいろ書きましたが、アルバム1曲めの「スペースシャトル・ララバイ」が私は好きすぎてですねw 成層圏を抜けてどこまでも突き抜けてしまえっ!的な爽やかなロックナンバーです。このアルバム、コンセプトアルバム感はなく、アルバムトータルでの完成度をギリギリに高めているわけではないです。でも、良い曲はとても良い曲だし、アルバムタイトル曲の「City Peel」だってなかなかの穏やかな都会派ポップスですし。良い曲はいっぱいある。そして彼らは「長くロックバンドを、楽しく続けていく努力」をしている。それで良い、と私は思いました。

 

Mammal Hands「Gift from the Trees」

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イギリスのジャズレーベル「Gondwana Records」から2023年に出た、トリオ編成のジャズバンドの新作です。私はこのレーベルを推しているのですが、去年はこの作品がとても良かった。

サックス、ピアノ、ドラム/パーカッションのトリオ編成で、ベースレスです。音楽性というか音像は、静謐、叙情的で、透明感ある音作りをしています。ビートはもちろんありますが、どこかアンビエント感のある音響でもあります。聞いていて、目を閉じたら、遠くの風景がふわっと幻視してしまうような音の世界観です。なので、それはもしかしたら「ニューエイジ的に綺麗」と癒えてしまうところもあります。でも私はニューエイジ音楽の愛好家です。私はこの幻想的で静謐な「ジャズ」を支持します。上海アリス幻樂団が好きならば当然の帰結ですね(東方原曲=ジャズ+ニューエイジ)。ていうか、ひょっとしたらGondwana Recordsの諸作、東方ファンに結構訴えかけるところがあるのではないか?とふと思うのですがどうでしょうか。

休日、趣味人同士で。「ベノム」


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作曲者・かいりきベア氏に対してとても悪い表現かもしれませんが、このカバーを聞いて「この曲ってこんなに良かったんだ」と思ってしまいました。こりゃ確かに悪い表現ですねすいません。この曲のメロディラインそのものの良さに気づくのがこんなに遅れてしまった。

この曲は「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」(以下プロセカ)という、ボーカロイド(楽曲)を全面的に用いたゲームから生まれたカバー曲です。ゲーム上ではちょっとイレギュラーな立ち位置に居るユニットの4人による歌唱です。

このユニット4人による個性と可愛さのあるvoにメロリンであります。歌唱力も萌えも充分以上。率直に、耳が幸せです。これが「アイドル推し」ってやつですかッ!?なんということだ…私は…ついにアイドルの魅力というものを…

さてプロセカ。このゲームを通じて、いろんな人たちがボカロ曲の魅力を再発見、というサイクルに入っているようです。それは良いことだと思います。過去の名曲は、再発見されなければならない(断言)。それは音楽レビューの大事な仕事ですし、そもそも渋谷系だってレア・グルーヴだってそうだったでしょう?

MORE MORE JUMP!「モア!ジャンプ!モア!」


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(ナユタン星人による初音ミク原曲ver)


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2023年の紅白歌合戦を私は見なかったのですが(理由:自分の音楽digや創作に忙しい)、家族が紅白を見ていて、私が自室に戻る時にV(バーチャル)なアイドルグループ「すとぷり」が出ていました。イントロが流れて即座に「これナユタン星人の曲じゃない?」と思い、作曲者クレジットを見たらやっぱり!ナユタン星人氏作曲「スキスキ星人」でした。おー、ナユタン星人氏、紅白で流れるくらいの作曲家になったのかー、と感慨がありました。

さて、そんなナユタン星人氏がプロセカに書き下ろした曲「モア!ジャンプ!モア!」ですが、さすがナユタン氏です。作曲家業が順調で良かったです。そりゃ私個人は「ナユタン星人」本隊としての新作フルアルバムを待ち続けていますが、まぁそれはファンの欲だ。「物体N」からそろそろ4年経とうとしていますが。アルバムでないと「ストラトステラ」や「カノープス」的な切ないエモ名曲入れられないからなぁ(しつこい)

しかし本曲良いですね。原曲もMORE MORE JUMP!verもどちらも良い。MORE MORE JUMP!の方、それぞれのキャラ性豊かな歌唱&コーラスが良いです。とくに桃井愛莉の、不安定でも荒っぽくても「私は歌う!ここに居る!」という意志が感じられるボーカルが、「あなたのハートをずっと離さないから」でセンターになった時の高まりがこの曲のハイライトです。

・ヨルシカ「幻燈」


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CDでもレコードでもなく、「音楽画集」。絵をARコードとして読み取り、絵と歌詞を見ながらスマートフォンタブレットで再生して聞く「音楽体験」をしてくれ!という作品です。

実際私は体験して、なんか「久しぶりにレコードを聞いたな」という気持ちになりました。カセットテープを愛好しているとはいえ、日頃、MP3プレイヤーやYoutubeでインスタントに音楽を聞いてしまっている私です。Youtubeなんてコメント見ながら音楽聞いちゃってさぁ。SNSなんてどうでもいいでしょうに。

そういう私が本作を聞いて「久しぶりに音楽を静かにしっかり聞いているなぁ」と思ったのは情けないやら何やら。日頃、忙しすぎるのかなぁ。何のために働いてるんだ。趣味のためでしょうが。ともかく私は音楽作品(盤)としっかり向き合うことの大切さを改めて思いました。

作品の内容もまた、静かに心沈み込むような静謐さと情感があります。n-buna氏は本作では、キリキリに神経を研ぎ澄ます世界ではない、ふわっとふっくらした人間の暖かさがあります(今までも暖かさがなかったわけではないですよ。ただ卑屈な神経っていうのもあったじゃないですか)。
幻想世界は「第2章 踊る動物」からどんどん深みに入っていきます。幻想の色が、濃くなっていく。変なものも出てくる。

それはつまり、n-buna氏とsuis氏が、幻想としっかり向き合っているということです。彼らヨルシカは、幻想を抱えながら現実で生きていくことで、時に壊されそうになるなんてことは、もはや織り込み済みで、それでも幻想と向き合っていこうと、物語を音で紡いでいこうとしている。ヨルシカは、夏草の彼方消え去るようなバンド生活を選ぶのではなく、しっかり幻想と向き合って音楽活動をしていこうという気概。

もしかして、こういう暖かみの境地すらも含めて、音楽画集という形式にしたのだ、としたら…それは深読みし過ぎかな。それでもともかく、この音楽画集での視聴体験は、良い体験でありました。この作品を聞いたあの春の宵の質感を今も手に取れるかのように覚えている。

 

また長くなったので切ります。次回(3)で終わらせにします。ラインナップはちょっと追加して、

人間椅子「色即是空

アメリカ民謡研究会「戻れ戻れもどれもどれも」

・東方獣王園BGM「タイニーシャングリラ」

・MONO「FENDER SESSIONS」のライヴ演奏

・なみぐる feet.ずんだもん「ずんだパーリナイ」「ずんだシェイキング」

・Где Фантом?「Это так архаично」

ZAZEN BOYS「永遠少女」

 

です。それではまた次回〜。

(つづく…)

2023年に良く聞いていた音楽(1)

こんにちは。この日記ブログ「残響の足りない部屋」は、私・残響が模型やおもちゃや書物、外国語でいろいろ遊んだりする日々と、お気に入りの音楽を記録している日記です。

「残響の足りない部屋」では例年、年が明けたら「去年良く聞いていた音楽」を列記しています。
今年も選考基準は例年の通りで、

発売年度を考慮せず、【自分が去年よく聞いていた】という縛り

です。

 

2022年に良く聞いていた音楽 - 残響の足りない部屋

2021年に良く聞いていた音楽 - 残響の足りない部屋

2020年に良く聞いていた音楽 - 残響の足りない部屋

 

改めまして、上記の選考基準を設けた理由を書きます。私は個人的に「その年に発表された作品」だけでベストを組むのが苦手なのです。去年(2023年)私が聞いていた音楽は、2023年のものもあれば、1930年代のものもありますし(その間ほぼ100年あるのだな)、ジャンルも滅茶苦茶です。「今」と「昔」と「世界」「ジャンル」がぐちゃぐちゃになっている。

そういう音の聞き方しか出来ないし、そういう音のカオスを愛している。だから「2023年に発表された作品」という切り取り方が、自分に凄く馴染まないのです。どうにも「今」だけを切り取るのが苦手だ。

なので「2023年に発売された作品」を列記することで、現在進行系の音楽シーンを語る、というのを、「私は」あまりやる気にならないのです(他の方がなさっているのを見るのは楽しい)。それよりも私が去年何を聞いて何を思ったのか(心象風景)、というものに自分で興味があります。自分が聞いたさまざまな音楽がカオティックに在ることと、音から見えた心象風景にのみ興味がある。ひとり語り極まれリですね。でもこれはしょうがない。

※この日記ブログで定期的にやっているお気に入り音源シリーズ「最近わたしの音の暮らしはこう」も、「最近のシーン」は語っていなく、結局「今自分が気に入っている音源の列挙」なだけですし。

 

ランキング順位を決めるのも苦手なので、順位もつけていないです。数学は好ましく思っていますが、計算は得意でないのです。

さてそれでは。

 

稲葉曇「電気予報」


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去年2023年は私にとって「稲葉曇氏を発見し沼った」一年でした。惚れました。

リフやベースラインやドラムアレンジなど、柔軟にリズムセクションを練り上げる音楽性。電子音や、フェイザー系、ロータリー系のエフェクトがかかった電気ギターなど、特徴的なサウンド

そういう音から、ぢりぢりと体温が下がっていくかのような「諦念」ある独特の世界観を紡ぎ出します。どこか寂しい。余白の空間がある。なんだかどうしようもなく虚無を内包している世界を、軽快なサウンドで展開します。聞き心地は良いのに、なんだか考えさせられる。曲の登場人物が抱える虚無を、私達リスナーも感じ取ることが出来る。

そんな作曲家・稲葉曇氏に沼って、まず2ndアルバムを買い、当たり前のように1stアルバムを買いました。今、一番新作アルバムを楽しみにしている作曲家です。アートワークを担当している、ぬくぬくにぎりめし氏の絵&デザインも素晴らしい。独特の虚無・諦念のあるミニマルな世界観は、ループ演出を多用した動画(MV)でも表現されていて、この動画も稲葉氏とぬくにぎ氏が編集しています。世界観を二人三脚でしっかり作っている。その誠実さもうれしい。

この稲葉曇氏という作曲家の作品は、「この人ならでは」というシグネチャーの個性があります。ここで貼った「電気予報」はゲーム「ポケットモンスターポケモン)」とのコラボ曲ですが、ポケモンネタのみならず、ゲーム作中でのBGMや効果音、を盛り込みまくった職人的な一作です。そんなギミックたっぷりな曲なのに、聞き通すと「実に良い曲だッ」と、まるでしっかりした食事を食べたような心の満足感があります。赤と緑とカードゲームとおもちゃと金しかポケモンやっていない私でもそのように思えるのですから、ポケモンファンも音楽ファンも皆納得するレベルの曲です。そして稲葉曇という作曲家が現時点で残している名曲は他にも数多く、さらには稲葉氏はまだ若い。これからがあまりに楽しみすぎます。

 

もちうつね「おくすり飲んで寝よう」「風呂入るプロファイル」


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もうすでに「こころが病んでます」という世界観をふわふわkawaiiサウンドで送る作曲家(ボカロP)です。それも、今心が病んで辛い、というより、もう前から心が病んで疲れて、そんな日々も当たり前になって麻痺して…というものです。言葉にしたらひどいな。でもそんな日々の気持ちに対し、私は「共感」というだけでは足りない…私はまさに「静かな共鳴」とすらいえるものを感じます。

別に今、誰をも攻撃していない。自分自身に嫌になっているのは確実だけど、そういう自己否定となんとか付き合っていこうとしている(うまくいけば)。そういうユーモアはギリギリのユーモアだけど、それでもなんとか世界と戦っていこうとしているんだと。

ただ、もちうつね氏のふわふわkawaiiサウンドボーカロイドのウィスパーボイス調教には、「皮肉っぽさ」はないんですよね。むしろ音自体は凄く純朴な電子音ポップスといえるかもしれない。だから、聞いていて「うへぇ…」という疲れる感情は持たないのです。そこは凄く良いですね。

King Gizzard and the Lizard Wizard


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オーストラリアの多人数ロックバンド。延々とリフでガーッと長時間どこまでもいっちまう系の音楽を演ります。ジャム・バンドっぽさというよりも、とにかく「リフで延々と爆走する」という感じ。そこに変なギターアドリブや改造ギターのピーピー音を入れたり。なんかアラビック・中近東っぽいフレーズも入ったりする。とにかくそんな感じで突き抜けていくバンドです。

そこが良い。私は全然退屈しなかったです。バンド演奏のイキも良いですし、リフやメロディ自体はキャッチーですし。

 

【NEEDY GIRL OVERDOSE×東方風アレンジ】「東方雨超天 ~ After Happy End World」「依存性幻想ヌクモリティ ~ Internet Yamero」


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力作! 病んだ令和のVtuber配信の世相の闇をテーマにしたゲーム「NEEDY GIRL OVERDOSE」を東方projectパロディというか、東方世界=幻想郷の中に無理やり入れ込んじゃうクロスオーバー二次創作作品です。

「NEEDY GIRL OVERDOSE」のメロディを東方風にアレンジし、MVも東方原作のシューティングゲーム画面を再現。ネタ・遊び心、そして双方のゲームに対する愛たっぷりの二次創作です。ドット絵のシューティング画面ひとつとっても、「ほんとにどっちも好きなんだなぁ」と思わされます。ネタとして思いついても、ここまでの莫大な作業量を現実のものにするといったら。

何より、アレンジ曲自体が、曲として良いんです。たしかに「ここはZUN氏だったらしないメロ展開だな」というのはありますが、そもそもニディガの曲=Aiobahn氏のメロディですからそこは当然。むしろここは「双方の良い所が溶け合っている」と言いましょう。BOSS曲のメインフレーズ(INTERNET OVERDOSEのアレンジ)の展開なんて燃えますし。

 

 

長くなったので一回切ります。次回以降の音源ラインナップですが、

スピッツ「ひみつスタジオ」

・Mammal Hands「Gift from the Trees」

・休日、趣味人同士で。「ベノム」

・MORE MORE JUMP!「モア!ジャンプ!モア!」

・ヨルシカ「幻燈」

人間椅子「色即是空

アメリカ民謡研究会「戻れ戻れもどれもどれも」

・東方獣王園BGM「タイニーシャングリラ」

・MONO「FENDER SESSIONS」のライヴ演奏

UNISON SQUARE GARDEN「Ninth Peel」

・Где Фантом?「Это так архаично」

ZAZEN BOYS「永遠少女」(これは2023年というより、今年2024年発売のアルバム「らんど」に向けて)

 

といった感じです。よろしくお願いします。

(つづく…)

 

最近わたしの音の暮らしはこう 2023年冬

前回のお気に入り音源記事

最近わたしの音の暮らしはこう 〜2023秋に向けて〜 - 残響の足りない部屋

前々回

最近わたしの音の暮らしはこう 0824夏 - 残響の足りない部屋

●近況(病状)

寒いですね。冷え込み厳しくなってきて、先日風邪をひきました。

年の瀬・師走で仕事に穴を空けられないなぁ、新作漫画も描きたいしなぁ、と、このタイミングでの風邪はまずい! なので頑張って早めに治しました。

ところが風邪が治ったら今度は腰痛が差し込んできました。常時ピリピリ痛。一番ひどい時は、足元に置いた小さいゴミ箱をひょいと持ち上げる時「グワァッ」と重い痛みがきますから。これもマズい。

そういうわけで現在は腰痛の自己治療です。なるべく休養に徹したおかげで、なんとか腰は治りつつあります。屈伸などの静的ストレッチが効いています。こうした「攻め」の自己治療が出来ることがうれしいですね。

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さぁて、そんな風に腰を治しつつあった矢先に、これを書いている本日の日中は仕事用のPCがヤバめの状態にッ!何とか仕事伝票を出したはいいものの、仕事メールの復旧がッ!どうする?こうする? そんな時の一曲はこちらッ!

 

よわいさかな「はたらきたくない!」


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ピコピコできゅーとなサウンド、かわいいヴォーカルは音楽的同位体「可不」(バーチャルシンガー「花譜」の声の歌唱ソフト)、歌詞は社会の闇、倦怠感、疲労感です。

前にご紹介したもちうつね氏の曲もですが、私この1年結構こういうサウンド聞きましたね。毒や虚無の世界観の上で(あるいは内包して)いわゆる「Kawaii」系のほわほわピコピコ疾走サウンドを展開する曲。年が明けたら今年も恒例の「2023年に良く聞いていた音楽」をやります。


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2022年に良く聞いていた音楽 - 残響の足りない部屋

2021年に良く聞いていた音楽 - 残響の足りない部屋

 

●最近わたしの音の暮らしはこう 2023年冬

アメリカ民謡研究会「戻れ戻れもどれもどれも。」


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その年間記事でも書くつもりですが、今年の年間ベスト曲はこれかなぁ、と。まだ今年2023年に出る曲はありますが(更新されたらそれはそれで最高)。

全天球の虚空に響いていくシンセサイザーのリフ&メロディの荘厳さ。見果てぬ夢か。あるいはもう戻らない切望の悲しみか。

リズムは一定に軽快に進み、合成音声にしか出来ないおどけた喋りが、どうしようもなく「手の届かなさ」や「戻らなさ」といった諦念(あきらめ)を感じさせます。

それでも、それでも…!ともがくように何かを希求する姿。そういう虚空の荘厳さにやられました。

アメリカ民謡研究会の曲の中でもメロディアスな一曲ですが、単なる「キャッチー寄り」なわけではないです。むしろアメリカ民謡研究会・Haniwa氏の新境地と言ってもいいとすら思います。それはかつてのスタイルをさらに練りこんだ先の進化系として。

 

アメリカ民謡研究会の研究 - 残響の足りない部屋

↑ 過去(2020年)に書いた記事

 

和ぬか「絶頂賛歌」


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いや~、令和に入ってからの昭和レトロ再評価とか、シティポップ再評価。そんな風に昭和~平成初期の歌謡ポップスを完全に咀嚼しての「令和の歌謡ポップス」を、こうして力強く自信を持ってドンとお出しされたら。

とにかくキャッチーです。調子こいた夏のせっくすソングと言う側面ももちろんあるんですが、それよりもナイーヴな歌唱、キャッチーなフレーズ、盛りの夏の妖しさ、歌謡性、それらを高度なラテン味アレンジメントでビシっとまとめてくれると「良しッ!」となります。これが令和のポップスです。

令和のポップス(ポップ・ミュージック)は本当凄い。基本路線としてレトロ再解釈とか、ニューウェイヴ歌謡曲とかっていう方向なんでしょうが、何せシーンのレベルが高い。それでいてコアなロックやテクノも元気だというのだから。メジャーとアングラ(って今も言うのかなぁ)、新人とベテランが、それぞれ相互に健全に影響しあっているように見えます。それは良いことだと思います。洋楽コンプレックスも、かつてほどには無くなってきていると思う。そしてそれで良いと思う。

そりゃ、「またレトロでエモい路線?」っていう風に感じる方の気持ちも、ちょっとわかるんですが。しかし私の立場としては、「レトロでエモい路線」は嫌いじゃなく、そして現在のようにレベルが高いので、特に文句がない、です。我ながら安穏とした立場やのぅ、とは思いますが。これもLo-fiの美学にハマっちまった残響さんだからなぁ。

 

100s「世界のフラワーロード


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中村一義のバンド作(100s名義)。

なんか最近、このアルバムをよく聞き返してるんですよ。Lo-fiの流れというよりは…多分それはないわけではないけど、Lo-fi直系じゃない。

2009年に発売された時ももちろん買って聞いてるんですが、その時ハマりきれなかったんです。凄いってことはわかるんですが、その時の自分とちょっと距離があった。自分のリアリティと…いや、自分の人生と、かな。距離があったのは。

中村一義が見ているのが、「幼少期の自分(が育った原風景)」というのは2009年当時からわかっていました。。しかし私(残響)自身は、その当時、まだ自身の「幼少期の自分」に向き合いきれていなかったのです。当時は当時で余裕がなかった。持病とか大学院中退とか。その日を生きるだけで精一杯でした。幼少期の事がとても大切なんだとわかっていたにも関わらず、向き合えるだけの余裕がない。

なんだかんだ私が実際に「幼少期に育った町」へ再訪できたのが、それから5年経ってのことでした。それまで日々ドタバタで、また持病を治すのも時間がかかりました。でも、なんとか再訪が出来て、世話になった人とも再会できて。そこから、「幼少期の自分」を、ある程度自分の中で位置づけられるようになってきたのです。

そんな風にして、ようやっと私は自分の幼少期と向かい合い、ある程度相対化し、冷静に見れるとこは見て、その上で過去を慈しめるようになりました。この過程を踏まなければ、アルバム「世界のフラワーロード」は、私の中でちゃんと位置を占めることが出来なかった。それくらいこのアルバムは自分の中で「判断保留」にしていたアルバムでした。

今なら、中村一義がこのアルバム全体で言いたかったことが何なのか、っていうのがわかるような気がする。というか、私も自分の原風景なるものを、ちゃんと見れるようになったからこそ、中村一義の原風景も「なるほど」とか「そうだね」って感じで見れるようになったと思うのです。

確かこのCDのジャケットの帯に、「あなたの中で生き続けるアルバムでありますように。」と書かれていました。本当にそうなっていたアルバムなんだなぁ、と深く思います。

 

 

SF小説その後

SF小説ですが、「赤いオーロラの街で」を楽しく読みました。そして伊藤計劃「ハーモニー」を買いました。サミュエル・ディレイニーの「ノヴァ」もKindle洋書で(安かった)。

また、前の記事でご紹介したfeeさんのブログ「止まり木に羽根を休めて」にて、とても有難いお勧め記事を書いて頂けました。現在、この記事に従って少しずつSFを読んでいっています。改めましてありがとうございます。

次回あたり、そろそろ現在のSF読書状況をちょっと書こうかな?と考えています。

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